ヒムラー宛に提出されたユダヤ人統計
(全文16ページの報告書本文の簡略版=ヒトラーに提出するため、ヒムラーが圧縮を命じた)







ドイツ本国、オーストリアおよびベーメンメーレンに関しては、それぞれの地域におけるナチ権力掌握時点のユダヤ人の数(総数929千人)が、19421231日には、74979人に。


ドイツに併合した東部諸地域(ビアウィストクを含む)では、外部への移住Auswanderungと死亡で、334673人減少、疎開で、22217人減少。合計で、556790人減少。

総督府では、外部への移住Auswanderungと死亡で422726人減少、疎開(すなわち絶滅収容所への疎開)で1274166人「減少」。


ユダヤ人人口の諸種の理由による減少を総合すれば、19421231日までに、3112897人「減少」。





 「ドイツ本国(東部地域を除く)のユダヤ人の存在は、その終局に近づいている」





強制収容所の現有人員(19421231日現在)・・・9127人。

老齢者ゲットーの現有人員・・・49392人。

他のヨーロッパ諸国からの疎開・・19421231日までに、792818
                               1943年第一四半期に、49254人。


「以上により、ヨーロッパにおけるユダヤ民族の減少は、すでに400万人に達したはずである。」
「ユダヤ人人口が多いのは、ロシア(約400万人)の他に、わずかにハンガリー(75万人)およびルーマニア(302千人)だけである。さらにおそらくフランス。」




1937年から1943年はじめまでの、ユダヤ人の減少は、450万人と算定できる。
 ただし、占領東部地域におけるソヴィエトロシアのユダヤ人の死者のうち、一部しか把握できなかった。他方、そのほかのヨーロッパロシアおよび前線のユダヤ人は、この数字には含まれていない。・・・・

全体として、ヨーロッパのユダヤ人は、1933年以降、したがってナチス権力興隆の最初の10年間において、その人口のほぼ半分を失ったはずである。そのうち、その約半分、したがって1937年のユダヤ人総数の約4分の一が、地球上の他の地域へ流れ込んだ。」








194349日、ヒムラーの治安警察・保安部長官あて書簡・・・統計報告受領。
 報告書の書き方が、「移住」、「疎開」、「人口減少」という表現で、本当のことを「隠すために」zu Tarnungszwecken「本当にうまくできている」für recht gutとほめている。






1943419日 統計官からブラント宛。

16
ページのユダヤ人問題最終解決に関する統計の要約版の作成が親衛隊ライヒ指導者(ヒムラー)から口頭で命じられ、提出しました。・・・・
親衛隊ライヒ指導者(ヒムラー)の新たな命令、すなわち、総統(ヒトラー)に提出するため圧縮版報告書を作成するようにとの治安警察・保安部長官に対する命令にしたがい、私は数日前に、6ページ半の報告書(そのコピーを同封します)を作成しました。・・・・

 

 

 

出所:

アイヒマン裁判記録(録音テープ、抜粋)、
ユダヤ人抹殺数に関する統計など付属資料




参考: ハンナ・アーレント『イエルサレムのアイヒマン』
     ヴィルヘルム・ヘットゥル証言(アイヒマンとユダヤ人抹殺数について話した人物:ニュルンベルク裁判検察側証人)


(Berlin 1982), (Ullstein Nr.33042, Frankfurt/M, Berlin, Wien 1985)