現代史研究会/政治経済学・経済史学会統合史フォーラム/CHEESE(東京大学大学院経済学研究科現代ヨーロッパ経済史教育プログラム)

シンポジウム「戦後ヨーロッパ社会経済秩序と1930年代思想史からの再検討」2006.07.29

 

「過去の社会的ユートピア」の新自由主義的再建と挫折——戦間期ドイツにおける経済秩序構想

 

雨宮昭彦(首都大学東京)

 

<1>オイケンの回顧的視点——連続性と非連続性

 西ドイツの戦後経済秩序の思想的源流を30年代との関連で検討するさいの出発点として、ここでは、戦後経済秩序の構築を思想的にも実践的にもコアとなって担ったエコノミスト自身の回顧的視点(Retrospective Perspective)に注目したい。W.オイケン(Walter Eucken) はそうしたキーパースンの一人である。彼は、1950年3月にロンドン大学で「我々の失敗の時代」と題する「経済政策に関する5つの講義」を行ったが、その回顧的視点には、1920年代以降の時期の連続性と非連続性に関する興味深い考え方が示されている。

 オイケンは、その講義の中で、1920年代ワイマール期と1930年代ナチス期とを、利益団体の経済と裁量的経済政策という観点から見て連続的であり、後者を前者の発展として位置づけている。「失敗の時代」とは、そうした観点から見た時に連続する第一次世界大戦以後ワイマール期からナチス期の全期間を指している。他方で、この考え方には、彼の講義が行われている通貨改革後の西ドイツを、この「失敗の時代」からは切り離そうとする含意があり、それは1950年以後の未来に向けたゾレン(sollen)を含んでいる。

 

<2>回顧的視点の相対化

 本報告の一つの目的は、この回顧的視点を、歴史的観点から批判的に相対化することにある。それによって、オイケンの回顧的視点に対して、次のような考え方を対置したい。(1)1920年代と30年代は、まさに利益団体の経済と裁量的経済政策という観点から見て、非連続的である。(2)戦後西ドイツは、新自由主義経済秩序構想という視点から見て1930年代と連続するとともに、団体主義と裁量的政策の視点から見て1920年代に結びつく。

 

<3>歴史的視点と経済史研究の深化

 ドイツ新自由主義の起源は、世界大恐慌の最中、1932年に求められる。その年、ドイツ社会政策学会ドレスデン大会において、アレクサンダー・リュストウ(Alexander Rüstow)は、とりわけ第一次世界大戦いらい深化し、この時期にその最深部にまで到達した資本主義の危機を克服するために、国家に、ワイマール的、伝統的な介入主義でも、マンチェスター的自由主義でもない「第3の立場」を要請した。それは、前者よりも、後者の「古い自由主義」(der alte Liberalismus)にいっそう近いものとして位置づけられつつも、経済の「新しい均衡」へのハードランディングを使命とする「強い国家」が「リベラルな国家介入」を実行する点で、「新自由主義」(der neue Liberalismus)と名付けられた。このドイツ新自由主義は、大恐慌からナチス期における政治史的、経済史的過程のなかで、その出発点の問題関心からも明らかなように、なによりも、実践的な経済政策思想として彫琢されていくことになる。

 オイケンやフランツ・ベーム(Franz Böhm)らが、1936年に創刊した叢書「経済の秩序」に付した「序文」で宣言したように、とりわけ後にオルド自由主義と呼ばれることになるドイツ新自由主義のグループは、ドイツの法学と経済学の「王位喪失」を招いた歴史主義と相対主義の克服を彼らの課題とした 。オイケンらは、ニーチェやウェーバーを批判しながら、「現実を形成する力」を法学と経済学に取り戻して、これら学問の、ザインとゾレンを結合する強固な橋梁としての復位を主張したのである。

 ところで、このテーマをめぐる研究史として注目されるのは、戦間期とりわけナチス期30年代についての、最近著しく進展した数量的・制度的実証研究の成果である。それによれば、少なくても1930年代のナチス経済を、ケインズ主義や統制経済のようなコンセプトで捉えることはもはや不可能になっている。それに代わって示されつつあるこの時期のドイツ経済像は、裁量的マクロ経済政策の役割は著しく小さく、財政・金融政策は驚くほどインフレ抑制的に行われていた経済世界であり、「個々の経済的アクターの自由度や戦略」に関する研究の進展にともなって、「企業の行動枠組みは、もはや独裁タイプの制御や指揮のメカニズムには還元できないことがますます明らかになっている」 ような経済世界である。経済政策思想としてのオルド自由主義の思想的発展と実践的関与の可能性の現実的根拠は、まさに、これら新たな実証研究が明らかにしつつあるこの時期のドイツ経済の実態のなかに存在している。

 そのうち数量史的研究成果によれば、ナチス期の経済回復はケインズ的乗数効果によるものではなかった。1933年から38年までの、GNPに対する国家債務および通貨の比率(以下、負債・所得比率、通貨・所得比率)に関する分析、ならびに財政政策と金融政策の景気回復効果に関する時系列分析(年々の政府赤字財政や通貨供給の、その都度のアウトプットに対する効果予測)によれば、まず、負債・所得比率は30年代を通じて著しく安定していた。また、30年代の財政政策による経済推進力の規模は、需要管理型回復であることを説明するには小さすぎた。次に、通貨・所得比率は1930年に減少し始め、その下降は興味深いことにも経済回復のほぼ全過程で継続した。雇用創出はライヒスバンクによる(公債などの)現金化に結びついていたし、割引窓口に来たメフォ手形は通貨を増やし続けたが、それらはGNPの増加と歩調を合わせていた。従来、30年代のドイツ金融政策は本質的にインフレ的であって、第二次世界大戦がなくても通貨の崩壊に導かれたであろうとされ、とりわけ1936年の価格統制の導入は抑圧されたインフレーションの始まりであると言われてきたが、通貨供給は1938年まで明らかにインフレ的ではなかった。通貨供給のアウトプットに対する効果は極めてマイナーなものに止まった。ナチス期の景気回復過程でマクロ経済政策の果たした役割は驚くべく小さかったのである。ナチスの経済回復を、ケインズの片言隻語にしがみついて議論する段階ではもうなくなっていることを肝に銘ずるべきであろう。

 

<4>経済政策思想の新自由主義的革新と「過去の社会的ユートピア」の再建

 報告では、オイケンら自由主義エコノミストが、1920年代ワイマール経済を19世紀的自由経済秩序を機能不全に陥れた「経済国家」として捉えていたことを示した上で、大恐慌期からナチス期30年代に展開した、この「経済国家」を克服するための理論的営為(=経済政策思想の新自由主義的革新)の内容を、次の点について概観する。

(1)ファシズム体制による「過去のユートピア」の再建

(2)自由経済の反自由主義的根拠づけ

(3)かのようにの経済政策

(4)金本位制への回帰と自由競争経済

 

<5>社会的市場経済へ

 20年代の選択肢(多元的コーポラティズムと裁量的政策)は大恐慌とナチズムによっていったんは途絶えた。30年代の選択肢(「過去の社会的ユートピア」の新自由主義的再建)は、第2次世界大戦(独ソ戦におけるドイツの敗北)によって挫折した。これらの選択肢は、1948年以降の西ドイツにおいて、「競争を経済的調整原理として承認するとともに、市場順応的である限りで再分配政策・景気政策の目標を受け入れる」とされる「社会的市場経済Soziale Marktwirtschaft」というマジックワードのなかで復活することになる。

 

参考文献

雨宮昭彦『競争秩序のポリティクス ドイツ経済政策思想の源流』東京大学出版会、2005年。

(書評として、小田中直樹:http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20050524、藤本建夫:『社会経済史学』71-6, 2006, 中山智香子:『経済学史研究』48-1, 2006

雨宮昭彦「『大いなる逸脱』の時代と持続可能な福祉社会の可能性」『公共研究』1-2, 2005http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/session3-amemiya.pdf

雨宮昭彦「競争秩序とリベラルな介入主義—ナチズムと新自由主義—」『歴史と経済』第191, 2006年。