ノーマン・G・フィンケルスタイン『ホロコースト産業同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』立木勝訳、三交社、2004年(The Holocaust Industry. Reflections on the Exploitation of Jewish Suffering, Second Paperback Edition, 2003.

 同じ著者の「イスラエル=被害者」イメージの批判の書・・・Norman G. Finkelstein, Image and Reality of the Israel-Palestine Conflict, 1998.

 

 

以下は、『ホロコースト産業』からの抜粋。

 

序論 ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている

 

イデオロギー兵器としてのザ・ホロコースト

 

アメリカ・ユダヤによるナチ・ホロコーストの「発見」

 

ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている

 

 

第1章      政治・経済的な「資産」としてのザ・ホロコースト

 

戦後ある時期まで、ナチ・ホロコーストは注意を払われなかった

 

冷戦下、同盟国ドイツの過去に蓋をする

 

第三次中東戦争(1967)がすべてを変えた

 

アメリカ最新の戦略的資産としてのイスラエルの「発見」

 

アメリカの権力とぴったり歩調を合わせる

 

アメリカで“突然流行”し、組織化されていったホロコーストの話題

 

すべてはアメリカ・イスラエル同盟の枠組みで起こった

 

アイヒマン裁判で証明されたナチ・ホロコースト利用の可能性

 

イスラエルが資産になった途端にシオニストに生まれ変わったユダヤ人

 

新たな反ユダヤ主義をめぐる作られたヒステリー

 

歴史的な迫害を持ち出すことで現在の批判を逸らす

 

 

 

   戦後の反ドイツ意識の強烈な時期

 

  冷戦開始と共に、反ソ意識が構成になる時期、アメリカ社会のエリートの反ソ・反共の立場・・・ユダヤ人のエリート(主流のユダヤ人)も、アメリカの多数派・支配層への順応・協力

 

   冷戦体制下で、親西ドイツの態度・・・・「過去を忘れる」態度

 

 

大転換:

   19676月の第三次中東戦争・・・・ザ・ホロコーストがアメリカ・ユダヤ人の生活と切っても切れないものになった。

    (アラブ世界で不人気なイスラエル、強国イスラエル、軍事大国イスラエル、そのカモフラージュ、その正当化の武器としてのホロコースト=被害者としてのユダヤ人)

 

 

 

 

 イスラエル国家に対するアメリカ・ユダヤ人の態度の変化・・・最初は、不信感・根深い不安・・・「イスラエルの指導層はほとんどが東ヨーロッパ系の左翼だからソヴィエト陣営につくのではないか、との懸念」・・・事実、イスラエルは国家成立後まもなく西側に加わったが、政府内外の多くのイスラエル人は、ソヴィエト連邦への強い愛着を持ち続けた。すると、案の定、アメリカ・ユダヤの指導者たちはイスラエルと一定の距離を保った。P.29

 

 19676月以前には、アメリカのユダヤ人でイスラエルを訪問したいと望む者は20人に一人だけだった。

 1960年代初頭のアイヒマンの拉致に関して・・・・各方面のユダヤ人はさんざんな批判を浴びせた。エーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまったく同じ不法行為である」と述べた。P.30-31

 

  19676月戦争の直前のシンポジウム・・・「ユダヤ・コミュニティ最良の頭脳」31人のうち、イスラエルについてわずかでも口にしたのは3人だけ、しかもそのうちの二人はイスラエル国の妥当性を否定するという有様だった。痛烈な皮肉と言うべきだろうが、ユダヤの知識人で19676月以前にイスラエルとの連帯を公言していたのは、ハンナ・アーレントとノーム・チョムスキーの二人だけだった。P.31

 

 

 

 

 

 

 

 

   アメリカのイスラエル国家への態度の変遷

トルーマンの態度・・・「ユダヤ人国家を支持すればアラブ世界を敵に回すという国務長官の警告よりも、ユダヤ人票という国内的な理由を重く見ていた。」

アイゼンハワー政権の態度・・・中東でのアメリカの権益を確保するためイスラエルとアラブ諸国への支持のバランスをとっていたが、どちらかといえばアラブ寄りだった。p.2930

 

 

 

 

 

  1967年の第三次中東戦争・・・・イスラエルが圧倒的な軍事的優位・・・イスラエルが勝利に意気揚々とするなかで、ホロコースト産業が花開いた・・・p.37

 

 

  197310月の第4次中東戦争(10月戦争)では、当初イスラエルは衝撃的な撤退を余儀なくされ、戦争中およびその後の国際的孤立が深まるなかで相当数の犠牲者を出した。p.37

 

  確かにアメリカとの同盟を除けば、10月戦争後のイスラエルは国際的な支持を得ていなかった。

 

 1973年の戦争直後には、合衆国はイスラエルにそれ以前の4年間の総額を上回る多大な軍事援助を提供し、アメリカ国民もイスラエルを恐慌に支持していた。

 

 (何が変化したのか?)

 

 いつの間にアメリカ・イスラエル同盟が強固なものになったのか? どの諸理由は?

 

 

 

 

p.44  反ユダヤ主義の障壁は第二次世界大戦後、急速に崩れ去り、ユダヤ人は合衆国内の階層を上昇した。リプセットとラーブによれば、現在、ユダヤ人の年収は非ユダヤ人のほぼ二倍だ。もっとも富裕なアメリカ人40人のうち16人はユダヤ人だし、アメリカのノーベル賞受賞者(科学および経済分野)40パーセント、主要大学教授の20パーセント、ニューヨークおよびワシントンの一流法律事務所の共同経営者の40パーセントもユダヤ人である・・・・・

 

 

 ユダヤ人の世俗的成功・・・「選らばれし民」・・・優越性の感覚

 

 

 

p.47 「アメリカのユダヤ人は、世俗的な成功が大きくなるにつれ、政治的には確実に右傾化していった。性道徳や妊娠中絶と言った文化的な問題では中道左派のままだったが、政治経済においてはどんどん保守化していったのである。」

 

 

p.4748

  アメリカ・ユダヤによるこの方向転換が明瞭に表れたのが、ユダヤ人と黒人との緊張関係である。ユダヤ人は伝統的に黒人と同盟し、合衆国での身分差別に反対してきたが、1960年代後半には多くが市民権運動と袂を分かった。

 

 

 

p.48 ユダヤ人による人種差別主義の発生

   

   ユダヤ人評議会や組織が,いわゆるアファーマティヴ・アクションの廃止に向けて顕著な動きを見せるようになった。・(いくつかの裁判)・・AJCADLもアメリカ・ユダヤ人会議も、すべてアファーマティヴ・アクションに反対する控訴趣意書を提出している。」

 

 

p.48-49 ユダヤ人エリートたちは、自分たちの企業および階級的利益を擁護するために攻撃的な活動を繰り広げ、自らの新たな保守政策に反するものすべてに反ユダヤ主義のレッテルを貼った。こうしてADLの代表ネイサン・パールマターは、アメリカにおける「真の反ユダヤ主義」はアファーマティヴ・アクション、国防予算の削減、新孤立主義など「ユダヤ人の利益を侵食する」政治構想であると主張し、原子力発電への反対運動や大統領選挙の選挙人団改革までもやり玉にあげたのである。

 

 

 

 

 

 

第2章              騙し屋、宣伝屋、そして歴史

ホロコーストの枠組みを支える二つの中心教義

(1)  ザ・ホロコーストは、無条件に唯一無二の歴史的事件である

(2)  ザ・ホロコーストは、非ユダヤ人がユダヤ人に対して抱く不合理で恒久的な憎悪が最高潮に達したものである

 

唯一性はホロコーストの枠組みにおける所与の事実

 

ホロコーストの唯一性をめぐる議論の不毛さ

 

ホロコーストの唯一性からユダヤ人の唯一性の主張へ

 

異教徒による永遠の憎悪というザ・ホロコーストの教義

 

反ユダヤ主義の非合理性はザ・ホロコーストの非合理性から導かれる

 

ユダヤ人の選民意識を強化したザ・ホロコースト

 

コジンスキー『異端の鳥』におけるホロコーストのでっち上げ

   「生還者」の作り話

    偽作家コジンスキー

 

   偽物が発覚した後も賛美を続けるエリ・ヴィーゼル、『ニューヨーク・タイムズ』p.67f.

 

『断片』のヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

   「ホロコーストから生還した孤独な少年」と言う作者の嘘

    「すべての看守が狂ったサディスティックな怪物で、新生児の頭蓋骨を楽しげに砕いていく」と言う嘘

(フィンケルシュタイン・・・「ナチの強制収容所を描いた古典的な回想録の記述は、どれを見ても、「サディストはほとんど居なかった。居てもせいぜい5-10%だった」というアウシュヴィッツの生還者エラ・リンゲンス=ライナー博士の言葉と一致している。ところがホロコースト文学では、ドイツ人サディストがまさに井たる所に登場する」p.67) 

 

     p.69 ラウル・ヒルバーグ[1]のような見識ある歴史家は、はやくから『断片』は偽物だと見破っていた。またヒルバーグは、偽物であることが暴露された後にもまともな疑問を呈している。「どうしてこの本がいくつもの出版社で回想録として通用したのか。どうしてこれで合衆国ホロコースト記念館や有名大学はヴィルコミルスキー市を招くことができたのか。なぜホロコーストを題材とした出版物の評価となると適切な品ひつ管理ができないのか」。

 半ば狂人、半ばペテン師のヴィルコミルスキーは、戦争の間中スイスにいたことが分かっている。彼はユダヤ人ですらなかった。

 

 p.70 かつてアウシュヴィツに収容され、現在はヤド・ヴァシェムの館長を努め、ヘブライ大学でホロコーストを講じるグートマン・・・・偽物「回想録」を擁護・・・『断片』が偽物であるかどうかは、「それほど重要ではない」と。(この弁護論は問題。フィクションであることをきちんと表明すべきだ)

 

 p.71 199910月、ドイツの出版社が『断片』を書店から引き上げ、最終的にヴィルコミルスキーがユダヤ人孤児ではなくスイス生まれのブルーノ・ドエセッカーという人物であることを公に認めた。万事窮したことを知らされたヴィルコミルスキーは、「私はベンヤミン・ヴィルコミルスキーだ」と居直った。一ヶ月もたたないうちに、アメリカの出版社ショックンも、『断片』を販売リストから外した。

 

 

アラブにナチズムの汚名を着せようとするホロコースト擁護論者たち

 

  p.71  ホロコーストにおいて重要な役割をなんら果たさなかったムフティなるアラブ人が、イスラエル・グートマンが編集した全4巻の『ホロコースト百科』では「主役」にされている。ヤド・ヴァシェムでも看板役者扱いだ。トム・セゲフの言うように、「ナチのユダヤ人絶滅計画とアラブのイスラエル憎悪には共通点が多い、と来館者が思うようになっている」と。

 

 

ホロコースト文学の批判的研究に対する執拗な中傷と圧力

 p.72 「華々しいホロコースト・ショーでもっとも耳新しいものは、ダニエル・ジョナ・ゴールドハーゲンの『ヒトラーに喜んで従った死刑執行者』だ。この本は発売から数週間のうちに、主要なオピニオン雑誌すべての書評で一度ならず取り上げられた。『ニューヨーク・タイムズ』はマルチ広告を掲載して、ゴールドハーゲンの本は「画期的と呼ぶに相応しい貴重な新著の一つ」(リチャード・バーンスタイン)と持ち上げた。50万部を売り上げ、13カ国語への翻訳を予定された同書は、『タイム』誌でもその年「もっとも話題になった」本に選ばれ、ノンフィクション部門の第二位にランクされた。」

 

p.73-74 「学問研究の体裁をとってはいるが、『ヒトラーに喜んで従った死刑執行者』はサディスティックな暴力の要約本とほとんど変わらない。ゴールドハーゲンがヴィルコミルスキーを盛んに擁護したのも驚くには当らない。『ヒトラーに喜んで従った死刑執行者』は脚注付きの『断片』だ。資料内容の大幅な誤読と内的矛盾に満ちあふれた同書に学問的価値はない。筆者(フィンケルスタイン)とルース・ベッティーナ・バーンは『裁かれる国家』で、ゴールドハーゲンの作品の偽物ぶりを資料にあげて証明した。・・・・・」

 

 

でっち上げられたホロコースト否定論というお化け

 

  デボラ・リップスタット『ホロコーストの真実』・・・「ホロコースト否定論というお化けをでっち上げ」ていると厳しく批判。この本は、「新たな反ユダヤ主義」論文のアップデート版だ(・・・すこし痛烈すぎはしないか?・・・ながみね)。

 

p.77 「実際には、ホロコースト否定論の真の主流はバーナード・ルイスだ。ルイスは大量虐殺の否定でフランスの法廷から有罪判決まで受けている。ただし、ルイスが否定したのは第一次大戦中のトルコによるアルメニア人虐殺であって、ナチの大量虐殺ではない。しかも、ルイスは親イスラエルだ。ついでにいえば、こちらのホロコースト否定論には合衆国ではまったく怒りが湧き上がらない。トルコがイスラエルの同盟国であるという事情も斟酌されている。したがって、アルメニア人虐殺に触れることはタブーである。

 テルアヴィヴで開かれた大量虐殺に関するある国際会議では、学問的な立場をとる主催者が、イスラエル政府の要請に反してアルメニア人の問題を分科会に含めたために、エリ・ヴィーゼルとラビ・アーサー・ヘルツバーグが、AJCおよびヤド・ヴァシェムともども議場を退出してしまった。イェフダ・バウアーによれば、ヴィーゼルは会議の一方的ボイコットまで画策し、会議に出席しないように周囲の者に個人的なロビー活動をしていたという。イスラエルの要請を受けた合衆国ホロコースト記念協議会は、ワシントン・ホロコースト記念博物館からアルメニア人にふれた部分をほとんどすべて消去したし、議会のユダヤ人ロビーストたちはアルメニア人虐殺記念の日を妨害した。」

 

 

p.78f. アーヴィングなどのホロコースト否定論もまったく無価値というわけではない・・・

 「確かにアーヴィングはヒトラー崇拝者として、またドイツ国家社会主義のシンパとして悪名高いが、ゴードン・クレイグが指摘するように、第二次大戦の認識につい手「なくてはならない」貢献もしている。アルノ・マイヤーは、ナチ・ホロコーストの重要な研究で、ホロコースト否定論の出版物から引用しているし、ラウル・ヒルバーグも同様だ。ヒルバーグは言っている。「言いたいことがあるなら言わせておけばよい。われわれ研究者は、それまで明白だと思っていたことを再検討するだけだ。それはわれわれにとっても有益なことだ」。

 

 

 

なぜアメリカの首都に政府運営のホロコースト博物館があるのか?

p.79 「年に一度のホロコースト記念日は全米規模のイベントだ。50州それぞれの主催する記念式典が、多くは州議会の議事堂で行われる。・・・第一の疑問は、なぜこの国では首都にまで、連邦政府が資金を出して運営するホロコースト博物館があるのかということだ。連邦議会議事堂からリンカーン記念堂まで,ワシントン最大の通りであるザ・モールがまっすぐに伸びているが、そこにこの博物館があって、しかも、アメリカ史上の犯罪を記念する博物館が一つもないというのは大きな矛盾だ。想像してほしい。もしドイツがベルリンに、ナチによる虐殺ではなく、アメリカの奴隷制やネイティヴ・アメリカンの殲滅を記念する国立博物館を作ったら、偽善だとして囂々たる非難がアメリカ中に沸き起こるはずだ。」

 

 

 

策略の核心はユダヤ人のためだけに記念すること

p.81-82 「ホロコースト時代についてだれもが認める専門家」として判断を任されたヴィーゼルは、ユダヤ人が最初の犠牲者であると強調した上で、「そしていつものように、ユダヤ人だけではすまなかった」と主張した。しかし、政治的に最初に犠牲となったのはユダヤ人ではなく共産主義者だったし、大量殺人の最初の犠牲者も、ユダヤ人ではなく障害者だった。

また、ジプシーの大量殺人が突出していたことも、ホロコースト博物館としては認めがたいことだった。ナチは50万人ものジプシーを組織的に殺害したが、これは比率で言えば、ユダヤ人虐殺にほぼ匹敵する犠牲者数である。イェフダ・バウアーなどのホロコースト・ライターは、ジプシーの犠牲はユダヤ人への残虐な攻撃とは違うと書いているが、ヘンリー・フリードランダーやラウル・ヒルバーグといった優れたホロコースト歴史家は、同じだったと主張している。」

 

 永岑・・・・過酷さは同じかそれ以上だが、攻撃のイデオロギーは違う。ユダヤ人の位置づけは、ヒトラー・ナチズムにおいては体系化されている。ヨーロッパ社会において、ジプシーは、そのような位置(キリスト教の長い伝統のなかで形成されてきた宗教的反ユダヤ主義の体系、その人種主義的民族主義的読み替えなど)にはない。

 

 

 

 

第3章 二重のゆすり   

 

年々水増しされる「生存するホロコースト生存者」の数

  本来・・・ユダヤ人ゲットー、強制収容所、奴隷労働収容所などの独特のトラウマに苦しむもののこと・・・一般的には、終戦時、10万人

 

p.86  しかし、「戦争中に収容所に居なかったにもかかわらず、収容所からの生還者を名乗るユダヤ人が多い・・・」

      「この詐称の動機には、物欲的なものも強い。戦後のドイツ政府が、ゲットーや収容所にいたユダヤ人に補償金を与えたからである。多くのユダヤ人が資格要件を満たすために過去をでっち上げた」

 

p.87-88  「近年では、ホロコースト生還者が再定義され、実際に苦しみに耐えた者だけでなく、ナチの追及を逃れた者をも含めるようになった。この定義では、たとえばナチ侵攻後にソヴィエト連邦へ逃れた10万人以上のポーランド難民も、「生還者」に含まれることになる。・・・・イスラエル首相府は最近、「生存するホロコースト生還者」の数を100万人近くとした。このインフレーション的修正の主たる動機も、見つけるのは難しくない。現在生きているホロコースト生還者が本のわずかでは、新たな賠償金をせしめるための大きな圧力にならないからだ。実際にヴィルコミルスキーの主だった共犯者は、全員が何らかの形で、「ホロコースト賠償金ネットワーク」とつながっていた。・・・・」

 

 

ドイツはすでに1952年に諸ユダヤ人期間との賠償金協定に調印していた

p.88 「冷戦で合衆国と同盟することで、ドイツは急速に国際社会に復帰し、ナチ・ホロコーストも忘れ去られた。にもかかわらずドイツは、1950年代初頭に諸ユダヤ人機関との交渉に入り、賠償金協定に調印した。ほとんど外的な圧力なしに、ドイツは今日までにおよそ600億ドルを支払ってきている。」

 

 

アメリカはベトナム戦争での破壊に一切の賠償金支払を拒否・・・・「インドシナにおけるアメリカの戦争の結果として、およそ4-500万人の老若男女が殺された。ある歴史家は、アメリカが引き揚げた後のヴェトナムはどうしようもないほど援助を必要としていた、と振り返る。

  

  南部では、農村1万5000ヵ所のうち、9000ヵ所と農地2500万エーカー、さらに森林1200万エーカーが破壊され、150万等の家畜が殺された。娼婦となった者は20万人、孤児が87万9000人、身体障害者が18万1000人、未亡人は100万人と推定された。北部でも6ヵ所あった産業都市はすべて大打撃を被り、地方の町も同様だった。さらに農村地域も5800ヵ所のうち4000ヵ所が大きな被害を受けた。

 

 しかしアメリカは一切の賠償金支払を拒絶し、カーター大統領は「破壊は相互的だった」と述べた。クリントン大統領の国防長官ウィル編む・コーエンは、「もちろん戦争それ自体のための謝罪は一切」その必要を認めないと宣言し、「これによって両国がともに傷を負った。彼らには彼らの傷があり、われわれにはわれわれの傷がある」とした。

 

 ドイツ政府は1952年に調印した三つの協定で、ユダヤ人犠牲者に補償しようとした。個人請求者は、連邦補償法(Bundesentschädigungsgesetzの条項に基づいた支払を受けた。またこれとは別にイスラエルとも協定が結ばれ、ユダヤ人難民数十万人の受入と社会復帰のために助成金が支払われた。ドイツ政府は同時に、対ドイツ物的請求ユダヤ人会議(アメリカ・ユダヤ人委員会、アメリカ・ユダヤ人会議、ブライブリス、アメリカ共同分配委員会など、主だったユダヤ人組織が参加する包括団体)と金銭面での和解交渉を進めた。」

 

    実際の被害者と、補償をうけとったものとのギャップ

 

 

請求ユダヤ人会議は補償金を犠牲者の社会復帰のために使わなかった 

 

p.91 「実際のユダヤ人犠牲者が受け取るのは間接的ないし偶発的な利益分のみだった。」

   「近年になると、請求会議は、旧東ドイツで公民権を奪われたユダヤ人の資産を着服しようとした。数億ドル分に相当するこの資産は、本来ならば存命の相続者に帰属するべきものだ。請求会議があれやこれやの職権濫用で遺産をだまし取り、相手のユダヤ人からの攻撃に晒されると、・・・どっちもどっちだとして、・・・冷笑した・・・・」

 

    「ユダヤのエリートたちがユダヤ人生還者から金をむしり取る・・・・」

 

ホロコースト期ユダヤ人資産の所有権を主張するホロコースト産業

 

p.93  「近年、ホロコースト産業は、露骨なゆすり屋となった。・・・・WJCによるスイスの銀行への攻撃・・・・」

 

 

「数十億を盗み取った50年にわたるスイスとナチの陰謀」   

 

p.94  ホロコースト産業は恥知らずな中傷キャンペーンを繰り広げた・・・

 

    スイス非難の中傷の洪水

 

「スイスの銀行に資産が存在したことを証明できる者」はほとんどいなかった

 

 

公聴会のポイントは「センセーショナルなストーリーを作り出す」こと

 

調査結果が出る前に金銭による和解へ向けて圧力をかけるホロコースト産業

 

スイスを脅かす二つの戦略としての集団訴訟と経済的ボイコット

      アメリカの各種地方公共団体のスイスの銀行への預金の引き出し圧力

 

ついに屈服したスイスは125000万ドルの支払に同意

 

 

最終和解で「困窮するホロコースト生還者」がどう扱われるかは不透明

 

 

ベルジェ委員会報告『スイスと第二次世界大戦の金取引』

 

p.110—112 アメリカ人議員による下院でのスイスの第二次大戦中の非難

 しかし、政治汚職での儲けのうち、推定で毎年10002000億ドルが国境を越えて世界中へ送られ、各地の民間銀行へと預金されている。・・・「違法な逃避資本」の優に半分は、合衆国法による完全な聖域化の下で、アメリカの銀行に預金されている・・・

 

 

ヴォルカー委員会『スイスの銀行におけるナチ迫害犠牲者の休眠口座に関する報告』

p.112 スイスの銀行に対する嫌疑に関して、「組織的な差別、利用妨害、流用、およびスイス法の求める書類保持要件への違反があったという証拠はない」「過去の行動を隠蔽する目的で組織的に記録が破棄されたという証拠はない」と結論

 

 

実際の休眠ホロコースト口座総額は世界ユダヤ人会議の主張より桁違いに少なかった

 

アメリカの銀行ではホロコースト期の休眠口座はどうなっているのか

 

アメリカの銀行を調査せよという運動は起きなかった

p.118 アメリカは1940年代末、ユダヤ人の休眠口座を確認するよう、すでにスイスに圧力をかけていた。だがスイスは、アメリカ人はまず自分の裏庭に目をやるべきだとして抵抗した。1997年半ばにはニューヨーク州のパタキ知事が、スイスの銀行に対する請求を処理するための「ホロコースト犠牲者の資産回復についての上院委員会」の設立を求める発言をした。スイスはこれに動じず、その委員会でアメリカおよびイスラエルの銀行に対する請求を処理したほうがゆうようではないか、と応じた。・・・」

 

 

スイスの次はドイツに対するゆすりが始まった

 

p.120-121  19988月にスイスと和解したホロコースト産業は、9月にはドイツに対して同じ勝利の方程式を展開した。同じ三組の法律チーム(ハウスフェルド−ヴァイス、フェイガン―スウィフトそして政党はユダヤ人コミュニティー世界会議)がドイツの民間企業を相手取って集団訴訟を起こし、200億ドルの補償金を要求した。19994月には、経済ボイコットという脅かしを振りかざしつつ、ニューヨーク市会計監査員のヘヴェシが交渉の「監視」を始めた。

 

 p.121  ユダヤ人の奴隷労働について「時間の経過を口実に不当な富の獲得を許してはならない」(キャロリン・マロニード下院議員)・・・しかし、アフリカ系アメリカ人の奴隷労働は?

 

ドイツは、ホロコーストという巨大な力には逆らえないと見て、年末には屈服し、多額の和解金支払に同意した・・・・

 

 

ドイツはまったく補償していないと言う言いがかり

 

p.122123 ホロコースト産業による告発は、ドイツには、」かつてのユダヤ人奴隷労働者に補償すべき「道徳的および法的な義務」があるというものだった。「こうした奴隷労働者は、彼らの人生に残されたわずかな年月に、わずかな正義を受け取る資格がある」とアイゼンスタットは訴えた。しかしさきにも示したように、こうしたユダヤ人が何の補償も受け取っていないというのはまったくの嘘だ。奴隷労働を強要されたユダヤ人には、強制収容所の収容者に補償した最初のドイツとの合意が適用されている。ドイツ政府はかつてのユダヤ人奴隷労働者に対し、「自由剥奪」と「生命および四肢への障害」についてすでに補償金を支払っており、公式な補償がないのは未払い分の賃金のみだった。永続的な外傷を負った者は多額の障害年金を受け取っていた。さらにドイツは、最低限の補償しか受け取っていない元ユダヤ人収容者のために、現在の価値にしておよそ10億ドル相当を対ドイツ物的請求ユダヤ人会議に支払っている。

 すでに示したように、同請求会議は、ドイツとの合意に違反して、補償金をさまざまなお気に入りプロジェクトに流用した。ドイツからの補償金の使用(流用)が正当化された根拠は、「ドイツからの基金が使用可能となる以前の段階で・・・・すでに、“困窮する”ナチズム犠牲者のニーズのほとんどが満たされていた」ということだった。にもかかわらず、その50年後になってホロコースト産業は、ドイツはまったく補償していないと言いがかりをつけ、貧しい暮らしをしてきた「困窮するホロコースト犠牲者」のための金を要求してきたのである。

 かつてのユダヤ人奴隷労働者への補償はどれくらいが「適正」かとなると、簡単に答の出せる問題ではない。しかしこれだけは言える。新しい和解案の条件によれば、ユダヤ人の元奴隷労働者はそれぞれ7500ドルずつ受け取ることになっているが、請求会議がドイツからの最初の和解金を適切に分配していれば、はるかに多くのユダヤ人元奴隷労働者が、これよりずっと多い額を、ずっと早くに受け取っていたはずなのである。

 さらに、ドイツからの新たな補償金が『困窮するホロコースト犠牲者』の目にふれるのかとなると、これもかなり怪しい。請求会議はかなりな額を、自分たちの『特別基金』として取っておきたがっている。『エルサレム・ポスト』によれば、請求会議は『生還者に何も渡さないようにすることで大きな利益を得られる』という。イスラエル議会(クネセト)のミカエル・クライナー議員(ヘルート党)は、請求会議のことを、『別のやり方でナチの仕事を遂行するユダヤ人評議会』と酷評した。不誠実な団体であり、徹底した秘密主義で運営され、公的にも道徳的にも腐敗して醜く汚れている」「ユダヤ人のホロコースト生還者および相続者を冷遇する闇の団体。民間個人に属する多額の金の上にあぐらをかきながら、生還者がまだ生きているうちからあらゆる手を使って(その金を)引き継ごうとしている。」一方、スチュアート・アイゼンスタットは、下院銀行委員会で証言し、相も変わらず「請求ユダヤ人会議が過去40年あまりにわたって維持してきた透明性ある処置」を賞賛した。」

 

 

補償金の請求額をつり上げるために存命生還者の数が増やされている

 

 

 

 

 

 

 

 

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ペーパーバック版第二版へのあとがき(1

 

1 CRT –I処理の終了

 

p.171-172  スイスの銀行がホロコースト犠牲者の資金を略奪した証拠は出なかった 

 

請求解決採決機関CRT

CRT-IIの入手可能データとCRT-Iの統計データおよび最終数値を基礎に考えれば、スイスの銀行がホロコースト犠牲者およびその相続者を犠牲にして得た利益は、総額6000万ドルCRT-I1000万ドル+CRT-II5000万ドル)ということになる。しかしこの額は、スイスの銀行が最終和解で支払った125000万ドルに比べれば激的に少ないし、スイスの銀行に対してキャンペーンが繰り広げられていた時期の要求額である70-200億ドルとは比べものにならない。

おそらく6000万ドルという推定さえ、実際にスイスの銀行が得た利益よりもかなり多いに違いない。CRT-Iが休眠口座だけを扱ったのに対し、CRT-IIは休眠口座とともに、圧倒的な数のホロコースト関連閉鎖口座への申請も処理していたからだ。しかし、ヴォルカー委員会は、「ナチ迫害の犠牲者の資金を不当な目的に流用するために組織的な努力が払われた・・・という証拠はない」と結論している。つまり、CRTIIの推定額5000万ドルは休眠口座と閉鎖口座(こちらが大半を占める)の両方に対する申請に基づいているものだが、スイスの銀行が閉鎖口座から多大の利益を上げたという証拠はないということだ。

もちろん未解決の(おそらくは解決不能の)疑問は山ほど残っている。たとえば、ナチ占領下のヨーロッパで何人のユダヤ人口座所有者がナチを恐れて口座を閉鎖したのか、また圧政下で閉鎖された口座の価値がどれほどになるのか、さらに亜h、そうした口座からの預金の引き出しの申し込みを処理する際に、書面による予防措置を講じなかったスイスの銀行は有罪なのか、などである。ヴォルカー委員会が発見したのは、「銀行は約400口座をナチ当局に移転した」ということだけである。・・・

しかしいずれにせよ、これはすべてホロコースト産業の当初の主張とはまったく別の問題である。彼らは、強欲(と反ユダヤ主義)に煽られたスイスの銀行が、ホロコースト犠牲者およびその相続者を犠牲にして私服を肥やしてきたといっていたのだから。」

 

 

 

2 CRT-IIの創設とその後の全面改造

 

CRT-II 20021月から積極的な請求処理を開始。

 

CRT-IIのスペシャルマスターであるブラッドフィールドの横暴・・・・「プログラムの明らかな弱点について、言いにくい質問をするだけの常識と勇気を持ち合わせていた」二人のスイス人弁護士、ユダヤ人3人を含む外国人職員6人が辞任に追い込まれる。

 

20026月までに、ヴァイヨ・ハイスカーネン事務局長(フィンランド)を含め、CRT職員の3分の一がいなくなった。スイスの一流雑誌『ヴェルトヴォーシュ』および『NZZソンタグ』の信頼できる記事は、不和の最大の原因は、ブラッドフィールドが高圧的な姿勢で職員に圧力をかけ、処理規則に違反し、事実を捻じ曲げてでも請求の承認数を増やそうとしたためだとしている。上記に加えて、上級審査員16人はすべて辞任するか、解雇された。そのうちの優に15人は、CRTIIを離れる以前からすでに完全な窓際族で、多くは、まったく職務にタッチしていないにもかかわらず、自分たちの名前や名声が、ますます疑問の深まる処理手続の恥部を隠すイチジクの葉として使われることに憤慨していた。」

 

 

 

 

 

P179

立証の怪しげなホロコースト犠牲者の口座も自動的に認可された

 

p.181-182

 請求ユダヤ人会議・・・・「同会議はこれまでにユダヤ人の元奴隷労働者105000人について身元確認の上、補償金を提供し、さらに4万―45000件の請求がまもなく認可されるという。

 実を言えば、どう請求会議は本当に奇跡を起こしている。ナチ・ホロコーストの世界的権威であるラウル・ヒルバーグは、19455月に生存していたユダヤ人元奴隷労働者の総数は「10万人をかなり下回る」と言っているし、世界ユダヤ人会議でさえ、19455月のホロコースト生還者のうち、今日も生存しているのはせいぜい20パーセントだと認めている。したがって、現在生存しているユダヤ人元奴隷労働者は最大で2万人だということになる。もし請求会議が15万人(15000+45000人)ものユダヤ人元奴隷労働者の生存を確認できるというのなら、「ほぼ間違いなく」却下されるはずの2万件の請求も一転して認可されるに違いない(ユダヤ人元奴隷労働者だとされる15万人の名前は「請求会議が非公開で裁判所に提出した」ものだ。つまりこの15万人についてはその名前も、そういう人物が存在するかどうかさえも、誰も知ることはできないということである。)・・・・・」

 

 ホロコースト犠牲者だと言う主張の疑わしいケースが、「入手可能なあらゆる証拠に反して、認可されているのである。」

 

 

 

ヴォルカー委員会の『最終報告』とベルジェ委員会の『最終報告』・・・・相対立(矛盾)する内容(?)・・・どちらが本当か?、利用者が意図的に「不正確に利用」(?)・・・検証の必要

P185 ヴォルカー委員会・・・スイスの銀行に対する嫌疑に関して、「組織的な差別、利用妨害、流用、およびスイス法の求める書類保持要件への違反があったという証拠はない」「過去の行動を隠蔽する目的で組織的に記録が破棄されたという証拠はない」と結論。

 

ベルジェ委員会・・・・・コーマンとニューボーンは、ベルジェ委員会の『最終報告』によって、ヴォルカー委員会の重要な調査結果の誤りが立証されたと主張している。コーマンによれば、「今日的意義のある唯一の歴史は・・・・ベルジェ報告にある・・・それは銀行がいかに生還者を妨害したかの歴史である」となり、ニューボーンは、『最終報告』は「銀行が行った組織的欺瞞と悪行隠蔽のための書類破棄への意識的依存」を示していると主張する。

 

ブラッドフィールドは、一方で、「ベルジェ報告はスイスの銀行が、ナチ犠牲者の請求拒絶という多角的政策を積極的に維持していたことを明確に示している」としながら、他方で、ヴォルカー委員会の報告も、「同様の調査結果」に達していたとしている。

 

 



[1] 古典的著作ラウル・ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』望田・原田・井上訳、柏書房