「民情報告」第9巻 194112月-19423


42年第一四半期の特徴・・・新聞やラジオの報道に対する信頼のゆらぎ、疑念の拡大

1月30日のヒトラー演説への失望感(ロシア側の防衛力の強さ)
ドイツ軍の冬季軍備の不十分さへの驚愕

肉、食用油脂、パンの相当な配給削減・・・・民衆、とくに労働者層のなかでの不穏


しかし、民衆のなかで同じような気分で受け取られたのは、
ユダヤ人へのダヴィデの星の着帯義務化・・・それに対する民衆のポジティブな受け止め方





対米宣戦布告の民衆の気分への影響・・・・ヒトラーの国会演説に満足の民衆・・・
「ローズベルトのヨーロッパへの介入の試みに対する唯一可能な返答だったのだ」と。


日本軍の真珠湾攻撃、その他への関心の高まり・・・アメリカとイギリスの極東における支配を当面、完全に破壊できると。


近いうちに日本人は、オランダ領のすべての島を占領することに成功するだろうと、みんなが信じている。

日本のボルネオ占領にも、石油資源確保という点で、満足感。



ソ連がイニシアティヴをとって、ドイツ軍を防衛に追い込んでいる、との噂。(正確な情報!)

アフリカ戦線に関する噂




248号・・・1942年1月5日

冬物収集キャンペーン・・・国民全階層が大々的に寄付行為に参加し、関心の的。

ただ、その冬物収集キャンペーンは、兵士の冬季衣服が十分だと思っていた民衆には驚き。

なぜ晩夏のうちにやっていなかったのか、あまりにも遅い、との驚き。

冬物キャンペーンは、休暇で帰還する兵士のしゃべっていることを立証する形に。






249号・・・1942年1月8日(ハイドリヒが、ヴァンゼー会議を「もうこれ以上遅らせるわけにはいかない」と再召集した日)


民衆の関心は、東部戦線の見通しの聞かないこと。


東部戦線でのドイツ軍の厳しい防衛戦(Abwehrkämpfe)に民衆の関心が集中。

民衆のなかで、東部におけるドイツの戦争指導が相当な困難に直面しているとの感覚が支配。




極東の戦争に関する関心




250号・・・42年1月12日


羊毛収集キャンペーンの継続報道・・・・それに民衆は深刻な印象・・・1938年のオーストリア併合以来、直線的に問題が解決されてきたが、いまや羊毛収集キャンペーンは、本土民衆に、ショッキングな影響。

民衆のなかで、今度の戦争が、ドイツ人の生死をかけた全力投入が重要、一人一人が個人的犠牲をすすんでしなければならない、ということがますますはっきりしてきた。





ドイツ敗退、甚大な被害の噂が引き続き強まる。





253号    42年1月22日

民衆の高い関心は、引き続き東部戦線。
ドイツにとって危機的kritisch、との認識。


負傷した兵士、休暇で帰還した兵士の噂、および野戦郵便の影響。








254号 1月26日




256号  2月2日








総統の以前の発言と今回の演説の食い違いは、ドイツの東部戦線における危機の証拠と受け止められた。





257号   42年2月5日

1月30日のヒトラー演説への関心・・・・「不安感の散逸」、「民衆の気分の高揚」
・・・しかし、


民衆の
「ごく一部には、総統は演説で『ほとんど何も新しいことを言わなかった』と」(期待はずれの感覚)




259号 2月12日




260号 42年2月16日

トット事故死で、戦時中はじめての国葬




261号   2月19日

日本軍の戦果などで後景に退いていた東部戦線の情勢が、ふたたび国民の関心の的に。




263号   42年2月26日


ヒトラーの党創立記念日のメッセージが民衆に安心感を与える・・・・

しかし、軍事的外交的成果は、民衆の個人的心配を一時的に後景に押しやっただけ・・・



264号  3月2日












ヒトラーの42年3月15日の演説・・・・そこから民衆は、ドイツの東部戦線における被害の甚大さの確証を得たと感じる。