絶滅収容所の立地
(参照:ラインハルト作戦に関する最初の本格的実証研究の書)
ガス室ということでは、アウシュヴィツが有名だが、
早期に建設され本格的に大量殺害が始動した絶滅収容所は、ポーランドのつぎの三つの収容所であった。
すなわち、
ヘウムノ(クルムホーフ)・・・移動型
ベウジェッツ(ベウゼッツ)(英語)
ソビブル(ソビボール)、
トレブリンカ(英語HP)である。(トレブリンカ収容所長クルト・フランツの証言)
アウシュヴィッツの場合は、1942年始め、最初は農家改造(BunkerT、BunkerU)、そして、42年初夏以降に本格的な火葬場(ガス室と死体焼却炉)の建設開始