因果関係の説明はどうなっているか?

 

 


「ドイツは短期決戦に失敗したため、占領地から工業資源や食糧をうばい、また数百万人もの外国人を国内の強制労働に連行して、戦争経済をささえた。
また、
占領地の人びとにも人種主義政策を実行し、ユダヤ人などをアウシュヴィッツをはじめ多くの強制収容所で大量に殺害したので、ドイツ軍に対する武装抵抗運動(パルチザン)が各地で広まった。」

[永岑:注・・・なぜ、ユダヤ人を大量に殺すと、ドイツ軍に対する武装抵抗が各地で広まったのだろうか?

私の研究結果では、ドイツ軍とナチの占領当局が人種主義政策を行い、占領地の人びとから労働力、食糧、資源などを奪ったから、現地の民衆が怒り(食糧難・資源不足・労働力不足などで困窮、生活の全般的悪化)、ドイツ軍・ドイツ占領当局に対する抵抗が広まり、武装抵抗も広まった。そこで、そうした現地民衆の抵抗を鎮圧し、不満のありかをドイツ(軍・占領当局)ではないところに向けるために、あるいは抵抗の原因がわからないときに犯人を見つけ出す必要から、ユダヤ人を大量に殺害した。上の叙述の仕方だと、因果関係が逆]


 

 

世界史B 『詳説 世界史』山川出版社、1997年検定、2004年発行