ロック,J.

I

 

プロローグ

ロック John Locke 16321704 経験主義を創始したイギリスの哲学者。

サマセット州リントンに生まれる。オックスフォード大学にまなび、166164年に同大学でギリシャ語、修辞学、道徳哲学をおしえる。67年イギリスの政治家アントニー・アシュリ・クーパー、のちの初代シャフツベリー伯との交際がはじまり、その友人、助言者、家庭医として、シャフツベリー伯から一連の官職をあたえられる。69年に公務のひとつとして、北アメリカのイギリス植民地カロライナの地主たちのための法律を起草したが、実施されなかった。

1675年リベラル派のシャフツベリー伯の失脚にともない、持病のぜんそくの治療のためフランスにわたった。79年イギリスに帰国するが、チャールズ2世のローマ・カトリック優遇政策に反対し、83年オランダに逃亡。名誉革命直後の89年までこの地にとどまる。96年に新国王ウィリアム3世により通商弁務官に任命され、1700年に健康上の理由で辞職するまでこの地位にあった。041028日、エセックス州オーツにて死去した。

II

 

経験主義

ロックの経験主義は、知識の探究において、直観的思弁や演繹よりも感覚経験の重要性を強調する。経験主義的学説を最初に擁護したのは、17世紀初頭のフランシス・ベーコンだが、ロックは「人間知性論」(1689)において、この学説に体系的な表現をあたえた。彼は、生まれたばかりの人間の心はタブラ・ラサ(なにも書かれていない板)であり、そのうえに経験によって知識がきざみつけられていくのだと考え、直観も生得観念の理論も信じない。ロックはまた、人間はすべて生まれつき善であり、自立的であり、平等であると主張する。 認識論:西洋哲学

III

 

政治理論


ロックは「統治二論」(1689)において、ホッブズが考えるような王権神授説や自然状態を攻撃した。ロックによれば、主権は国家にではなく市民にあり国家が至高のものであるのは、それが市民といわゆる自然法によって拘束されている場合だけである。自然権、財産権、政府がこれらの権利を保護する義務、多数決原理などについてのロックの思想の多くは、のちにアメリカ独立宣言や合衆国憲法に具体化される。

またロックは、革命は権利であるばかりか義務でさえあるとし、さらに統治における三権分立を主張した。彼は権力の乱用をふせぐために国家の統治権を立法権・行政権・連合権の3つに区別し、そのなかでも立法権を上位においた。彼はまた、信仰の自由や、教会と国家の分離も主張した。

近代哲学におけるロックの影響はきわめて大きい。ロックは、経験的分析を倫理学、政治学、宗教に適用したことによって、もっとも重要で議論の的となる哲学者でありつづけている。上記のほかに、「教育論」(1693)、「聖書に述べられたキリスト教の合理性」(1695)などの著書がある。

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