ミュンヘン市のナチズム関連展示物・博物館
ミュンヘン市も、市立美術館・博物館で、ナチズム時代のミュンヘンの写真・プラカードその他の展示をやっていた。
市立博物館ナチズム特別展・会場案内
市立博物館ナチズム特別展・会場案内
また、このミュンヘン市美術館博物館(ミュージアム)の後ろてに、新シナゴーグがある。
1938年11月9日の「帝国水晶の夜」でミュンヘンのシナゴーグが焼き討ち・破壊されたが、そのシナゴーグがモダンな建築様式で約1年前に再建された。
さらに、ユダヤ記念館(ミュージアム)も建設された。これらも、今回初めて、訪れた。場所は、市中心部、ヴィクトアーリエン・マルクト(市場)すぐそば。
--------白バラ抵抗運動の関連-----------
ミュンヘン大学本館玄関ホール。
白バラ抵抗運動のショル兄妹が、ナチへの抵抗を呼びかけるビラをまいた場所。
すぐに逮捕され、民族法廷(ミュンヘン、裁判長フライスラー)で、死刑判決。ギロチン処刑。
玄関ホールのバイエルン王たち・・・大学創立者
玄関を出た広場の噴水が見える
玄関と玄関前噴水
この玄関前広場は、ショル兄妹記念の広場Geschwister-Scholl-Platz。
そこから、市内中心部、オデオンプラッツ・英雄廟(ヒトラーが1923年一揆を起こして行進し、逮捕された場所)を見る。
大学本部から、少し市中心部より外に離れたところにある凱旋門から、上と同じオデオンプラッツ・英雄廟の方向を見る。
左手建物はミュンヘン大学法学部棟。 右側の建物も、社会経済史研究所などが入ったミュンヘン大学の建物。
第三帝国の抵抗で、白バラは非常に有名。
しかし、そのことは逆に、抵抗勢力・運動が極めて微力だったことも示す。
「魅惑と暴力」(ニュルンベルク・ドキュメントセンター展示物解説書のタイトル)によれば、
ゲシュタポの見積もりで、体制への抵抗者は、人口の1000分の2。
抵抗には、極左から極右にいたるまで、若いものから老人まで、クリスチャンから無神論者まで、実に多様な形態があった。
しかし、実に数が少なかった。
逆に言えば、ヒトラー独裁体制の大衆的基盤が強大であった。
抵抗派は、厳しい条件下に置かれていた。
抵抗は、3段階に分かれる。
第一期、1933-36年・・・・労働者の抵抗(共産党、社会民主党、労働組合の抵抗)・・・
ゲシュタポは1936年までに、非合法化した組織をほぼ例外なく破壊・鎮圧。
第二期、1936-1941・・・中間期・・・個別分散的抵抗・・・ヒトラー暗殺の企て。
ユダヤ人学生ヘルムート・ヒルシュは1937年ナチ党大会でヒトラー暗殺を企て、失敗→処刑。
ゲオルグ・エルザーは、1939年11月8日、ミュンヘンのビュルガーブロイケラーでヒトラー爆殺を計画、失敗→逮捕、ダッハウ収容所に→1945年処刑
第三期、1941―1945・・・
1943年2月 ショル兄妹逮捕処刑。
1944年7月20日に決行され(失敗した)軍人・保守派政治家等のクーデータ計画・・・・ヒトラー爆殺に失敗。首謀者たちは、逮捕・投獄・強 制収容所送り。
ゾフィー・ショルと白バラのビラ:ヒトラー政府の犯罪的戦争を糾弾(1943年2月)
2004年ベルリンの抵抗博物館展示物からの写真