報告3.

市大『改革』の現状−行政支配大学から真の自立的大学への道を模索して− 

永岑三千輝

(横浜市立大学)

 

はじめに

 

 戦後、商学部・医学部・文理学部の3学部体制で新制大学として出発しました。途中、市財政危機による学科縮小などを乗り越え、長年の念願であった文理学部の国際文化学部・理学部への発展的な分離独立(4学部体制)を実現しました。それから10年たつかたたないとき、大学院経済学研究科・経営学研究科の25周年を祝い更なる発展を目指していたとき、大学院医学研究科、大学院総合理学研究科に加え、大学院国際文化研究科の創設拡充を達成して、わずか数年にして、全世界的な新自由主義の荒波と90年代-21世紀初めの日本の長期不況・財政赤字累積の重圧が、大学に襲い掛かりました。

高齢多選の市長を批判し新自由主義を掲げる「青年」市長の登場(20024月当選)と市財政危機とが重なって、大学は、「改革」の荒波にもまれることとなりました。市長が私的諮問機関「市立大学の今後のあり方懇談会」を設置し、その答申で「改革」の基本方向を打ち出しました[1]

学長・事務局は、「あり方懇」答申に沿った改革案を作成するため、プロジェクトRを立ち上げました(20035)。すでに、何年も前から、市当局・大学当局によって合理化政策が打ち出されていました。すなわち、3学部事務室の統合、事務の合理化・効率化などをが打ち出されていました。しかし、それは学部廃止に繋がると、各学部教授会の反対等によって頓挫していました。いまやそれが、新たな装いで登場したのです。

 

結論の大枠は前もって決まっていたわけであり、10月に打ち出された「新たな大学像」で、商・国際文化・理の三つの学部が国際総合科学部に統合されることになりました。その中身の具体化のなかで、この大きな学部の中に三つの系、7つのコースが設定されることとなりました。

国際教養系(人間科学コース、国際文化創造コース)、理学系(基盤科学コース、環境生命コース)、経営科学系(政策経営コース、国際経営コース)、融合領域(ヨコハマ起業戦略コース)。また、それぞれの学部の上に設置されていた三つの大学院研究科が一つの国際総合科学研究科に統合されました[2]

 

 三つの学部、三つの大学院の解体・統合という事態だけでも、根本的な「改革」であり、その成功のためには、長い間の発展を踏まえて、じっくりと議論を積み重ねるべきであったでしょう。

しかし、ニュージーランドの新自由主義改革に学んだ市長・市当局・大学事務当局の迅速な行動のもと、大学評議会・教授会の権限を実質的に剥奪ないし抑圧して、新しい大学の構想が纏め上げられました。そして、「大学からの提案を受けた」という形式をつくりつつ、設置者権限の名目のもと、市当局の大学改革本部(本部長は副市長[3])が指揮する形で、「改組」が強行されました。

市当局・大学改革本部は、「改革に協力するか否か」の意思表明を求め、いわば踏み絵によって、協力者を選び出し、抵抗するものを排除し(流出させ)、あるいは沈黙させ、3学部・3大学院・一短大の解体、それらの2学部・2大学院への統合を押し通しました[4]

 

1.             大学自治・大学構成員自治の絶望的解体状況

 この新学部創設・新大学院創設の中身には、従来の3学部のあり方に対する建設的批判を踏まえた側面もありました[5]。しかし、「改組」、「改革」の手続き・手法は、大学構成員の合意を民主的に調達するやり方ではありませんでした。決定的に問題なのは、この過程で、大学の自治が根底から破壊された、ということでしょう。「改革」は、この強行過程で、自治的自主的な改革ではなく、行政主導の「改革」、となったのです。

 

しかし、こうした手法を決定的に促進したのが、国立大学法人法をめぐる日本社会の情勢(新自由主義の跋扈)でした。それを許す社会の状況は、その成立後、短時日のうちに地方独立行政法人化の法律を成立させることとなりました。何事か「目立った改革」をやろうとする首長がトップにいる公立大学に対する包囲網が出来上がったのです。市長・市当局はそれに飛びつき、この法律に依拠して「公立大学法人・横浜市立大学」が創られます。その帰結は、定款に示されています。それは、「独立」行政法人という名目とはまったく反対に、市長・市当局の直属ないし支配を保障するものといえるものです。少なくとも、制度上はそうです。

 

 定款・・・横浜市(市長・市議会・市長任命の大学改革本部)の大学に対する「見識」を反映・・・大学構成員・一般教員の自由で自主的な意思表明を一切認めない制度。

 

「法人は、役員として、理事長1名、副理事長2名、理事10人以内、監事2人を置く。」(第8条)。「理事長は市長が任命する。」(第10条)。「副理事長は理事長が任命する。」(同第2項)。「大学の学長は、理事長とは別に任命するものとする。」(11)「学長を選考するために、学長選考会議を置く。」(同第2)

 

 国立大学法人とちがうのは、「学長=理事長」体制ではないことです。市長(行政当局)任命の理事長・副理事長が経営と教学のすべての重要ポスト(管理職)を、構成員の自由な秘密投票(すくなくとも意向調査)を踏まえることなく、任命できる体制となっています。

 学長選考会議のメンバーの選出も、学長候補者の選出も、一切大学構成員(職員・学生はもちろん教員も)の意向が聴かれることはありません。管理職(学部長・コース長にいたるまで)の選挙制度は、完全廃止です。国立大学法人においては、曲がりなりにも、学長選挙制度が、意向調査ということではあっても機能しているが(新潟大、最近の高知大など、選挙結果の「転覆」が起きて問題化した場合でも、一位と二位の間の逆転)、そのようなものは一切ありません。

 

 憲法の標準的テキスト(芦部『憲法』岩波書店)によれば、憲法の保障する(したがって下位の諸法律・条令等や行政当局を制約するものとしての)「大学の自治」とはつぎのような内容のものである。

 

「憲法23条は、『学問の自由は、これを保障する』と定める。……学問の自由の保障は、個人の人権としての学問の自由のみならず、とくに大学における学問の自由を保障することを趣旨としたものであり、それを担保するための『大学の自治』の保障をも含んでいる。」(134頁)

 

大学の自治
 学問研究の自主性の要請は、とくに大学について、『大学の自治』を認めることになる。大学の自治の観念は、ヨーロッパ中世以来の伝統に由来し、大学における研究教育の自由を十分に保障するために、大学の内部行政に関しては大学の自主的な決定に任せ、大学内の問題に外部勢力が干渉することを排除しようとするものである。それは、学問の自由の中に当然のコロラリーとして含まれており、いわゆる『制度的保障』の一つと言うこともできる。
 大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治の二つである。ほかに、近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である。


 (1)人事の自治  学長・教授その他の研究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。政府ないし文部省による大学の人事への干渉は許されない。・・・」(137頁) 

 

 大学構成員の意向・意思を確認する制度的保障のない市大の定款とその運用(学長選考会議規程、それ以下の学部長・研究科長等の諸管理職の上からの任命規程)は、大学自治の見地から、根本的に問題をはらんでいると考えられます。

われわれは、現在、学則等の変更を実現できない総体的な力関係のもとでも、現在の市大のあり方は、憲法違反だとの主張を、ことあるごとに繰り返しているところです。構成員の民主的意思を結集する制度を練り上げていかなければならないでしょう。そうでないかぎり、総力を結集した建設はありえないでしょう。すべては一部のものに任され、秘密のうちに決められる、ということになるでしょう。

 

2.             任期制(評価制)の現状

 大学の評議会・教授会を無視し、その権限を剥奪ないし無意味化する一番の事例は、「全教員任期制」を、大学評議会、教授会、教員組合等の反対を押し切って、「新しい大学像」で掲げたことです。

2003年秋、その当時は、大学教員任期法しか存在しなかったため、法律的には、限定的なポストに対する任期しか設定できませんでした。しかし、市当局(大学内に送り込まれた事務局長以下の管理職)は、あくまでも全員任期制に固執し、「全教員を対象とする任期制」で乗り切ったのです。

 

ところがまたしても、国の法律が、それを容認するかのごとく改正されました。すなわち、全員を有期契約にすることを合法化するかのような労働基準法第14条の改正(20041)が行われました。当局は早速これに飛びつき、あくまでも「全員任期制」を方針として掲げ、就業規則にも盛り込んだのです。

 

これにも多くの教員が反対しました。この大学自治破壊反対・任期制反対の運動においては、「横浜市立大学問題を考える大学人の会」に結集した神奈川県の諸大学関係者を中心とする全国的な支援、シンポジウムの開催などが、理論的精神的に大きな役割を果たし、内部の者を勇気付けました。

そうした大学人の支援は、教員組合の力量を補完し、一方では、大学内のともすれば縮小壊滅するかのような自治擁護勢力の踏ん張りに貢献し、他方では、市当局・大学改革本部等の行動を牽制し、違法なやり方を抑止する力を持つものでした。

 

法的にいって、任期制が、各人の同意に基づくものであることを、法人当局は否定することができません。多くの教員は、教員組合執行部の方針に結集し、委任状を組合に集めて、大学当局・法人サイドからの各個撃破(アメと鞭による「同意」調達がすいしんされましたが、総崩れを)を防いだのです。

 

しかし、数の上で非常に多い医学部教員[6] を含む任期制同意割合が公表され、70%とか75%が任期制に同意していると喧伝されました。しかし、医学部でも基礎系を中心に、また、文化系教員の圧倒的多数は、任期制に同意していません。身分継承の法理を主張し、さまざまの圧力・差別に抗して、不同意を貫いて、現在に至っています。

 

 しかし、法人は、公募において任期制を掲げて採用しています。法人成立の20054月以降採用の教員は、有無を言わせず任期制教員となっています。したがって、教員組合は、種々の事情で任期制に「同意」せざるを得なかった教員の身分保障の確立のため、そして、一定の条件(教育研究等の業績蓄積)を踏まえたテニュア制度の確立のため、闘っています。

 

 教員組合は、身分保障を確立し、学問の自由への不当な抑圧を排除するために、任期更新のあり方、その再任基準・再任審査のあり方に関して、大学自治の見地から、当局に不当なことを行わせないよう、努力しています。近く、団体交渉で、その最低限の保障を確定しようとしているところです。自由と民主主義の基盤の上でこそ、「真理探究」における各人の教育研究能力が最大限に発揮されるとの見地です。

 

 当局が任期制(有期契約)を労働基準法第14条に依拠するものとしたため、個々の教員の学位の有無により、3年と5年の有期契約があることとなりました。その3年任期の教員の更新問題(更新に関する通知を任期終了半年前に通知する必要があるため)が、今年、夏休み前に浮上しました。

 

【参考資料・・・・組合の当局への要求書からの抜粋―――別紙】

 

 以上、任期の開始、任期制への同意文書と雇用契約との相互関係、再任審査における大学自治の欠如、その他で、労使間に対立があります、それらの問題につき、団体交渉とその後の折衝で妥協点を見出すべく、努力しているところです。

 

3.             昇任等における差別問題―公務員身分継承の非同意教員への圧力行使との闘い 

 任期制を全員に拡大しようとする法人当局の方針は、昇任人事において露骨に表れています。

20067月、昇任人事問題が公になりました。任期制に同意していない教員3名の昇任を、教育研究棟の業績があっても(学長の諮問機関としての人事委員会に各コース・学部から業績上問題なしとの審査結果があっても)、法人当局が発令しない、という問題です。

 

公立大学時代からの蓄積、すなわち、教育研究のしかるべき業績、十数年にわたる業績の積み重ねがあっても、昇任できるのは任期制に同意したものだけ、ということは、不当不法な差別であり、本人たちおよび教員組合は、断固として抗議を続けました。

その結果、3月になって、はじめて、昇任を認めさせ、発令させることができました。

しかし、その発令時期は、任期制に同意しているものと比べれば、8ヶ月も遅れたということです。それは、精神的物質的に大変なマイナスを、任期制非同意教員に対して加えるものであり、ゆるされることではありません。こうした差別を撤回するように求め続け、やっと年度内に実現したというわけです。

 

ところが、新年度4月昇任に関しても、同じ問題が発生しました。すなわち、文化系の2名の非同意教員が、大学サイドの業績審査を経た後で、法人によって、「経営的観点から」という口実で、昇任を発令されない事態がつづいているのです。

 

これについても、教員組合は、種々の角度から不当さを指摘して、審査基準の明確化、「経営的観点」の内容の明確化などを求め、早急な昇任発令をもとめているところです。しかし、差別による圧力行使は、続いています。なんら問題は解決していないからです。

 

4.             年俸制―法人化当初の乱暴な制度を撤回させ、新しい給与制度の基本で協定―

 新しい給与制度・・・基本給(年齢に応じた生活給的要素)-職務業績給

 しかし、職務給業績給について、合意書締結段階(今年度)は、「現給保障」で、職務業績給を位置づけました。

当局は、3月に「早急に運用について提示する」と約束していましたが、何も提案がありません。

問題は今後・・・評価制度確立までの過渡段階の具体案の提示を求め、交渉継続中。

 

法人提案のシステムとしての評価制度・・・それへの反発。

SDSelfDevelopment)シート制度に関する闘い。SD制度の未熟さ、多様な問題点。自己評価と客観的評価・相対評価の関連性の問題。

 

5.             「中期計画」見直しの現状―学長案―

 旧来の伝統的な教授会・評議会をつぶし、行政当局(大学改革本部)主導で、短期間のうちに強行したコース設定やカリキュラム編成には、すぐにさまざまの点で問題が出てきました。なかでも、TOEFL問題(Practical English,PE)が、全学生の必修科目であり、進級要件科目として設定されたため、深刻な(?)問題を引き起こしています。少なくとも、多くの学生教員はこれに心を痛めています。

しかし、年一回しか開催されない、形骸化された教授会は機能せず、教授会に代わるものとしての代議員会も、大学管理機構が決めたことの報告を受けるだけの場となり、主体的な検討委員会の立ち上げといったこともみられません。

したがって、PEそれをどのように見直していくか、に関しても、いまだきちんと見通しが立ってはいないといえるでしょう。

一般教員が参加するコース会議は、審議権を形式上剥奪されており、一般教員が積極的に改正作業に関わる意欲が出てこない状況となっています。

教員・教員集団が主体性を確立し、コース会議を実質上の教授会として確立し(内規を定め、それを実質化していくなど)、改正提案等を具体化することが求められていると考えます。しかし、それは、打ちひしがれた大学教員にとっては、なかなか困難なことでしょう。

権利剥奪状態で無力感に陥った多くの教員のなかから、改正への意欲を掻き立てることは、今のところまだ困難な状況にあるといえるでしょう。

 

他方、理科系大学院の新しい構想(国際総合科学研究科からの分離独立)のように、現場の教員たちが、大学院の再編を求める主体的活動を積み重ねたところでは、一定の実現可能性も生まれてきているようです(詳しいことは普通の教員にはまったく知らされません)

 

現場のなかに、どれだけ主体的な勢力が活気を取り戻すかが、鍵となっていると思われますが、すべては、一般教員から遠く。秘密のうちに進んでいるようです。

 

 

 

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【参考資料20070805】  任期更新手続きに関する団体交渉の要求

 

 以下のような諸理由・諸要求により、「3年任期」の対象とされる教員の今回の更新手続きを停止し、改めて「3年任期」の教員に対し、「5年任期と同様の制度」を提案すること、また、任期制度の前提となる教員評価制度を大学の自治の原則に合致する制度として構築すること、そのために教員組合との協議を積み重ねることを要求する。

当局が示す自己申告書の提出期限が824日であり、事態の緊急性に鑑み、824日以前に、第一回の当問題での団体交渉の場を設定するように要求する。

 

 

―今回の手続きの問題点と要求事項―

 

 処遇の中でも最も重要だと思われる雇用身分に関して、とりわけ、任期の適用に関して、教員組合になんら原案を提示せず、一方的に経営サイドで決めることは許されない。このまま強行することは、労使対等原則での雇用関係構築に反するものであり、信頼関係に基づく労使関係を構築する姿勢ではなく、不当であり、大学の発展を阻害するものとなる。

任期制適用に関して、以下の問題点と要求事項に答え、団体交渉を踏まえて、労使の合意に基づいた協定書を作成することを求める。

 

記  

1.  任期開始時期に関する要求

任期がいつから始まるかは、雇用保障の期間に関係し、とりわけ、助手・助教・准教授の場合、更新回数が限定されていることから、また、分野によっては教授への昇任が教授数との関係で絶対に不可能なことから、重大な問題となる。そうした重要な問題について納得のいく制度を明確に教員側に提示していない。さらに、当局は、雇用契約書が存在しないにもかかわらず20074月を開始時点としている。何重もの問題点をもつ開始の時点に関して、経営サイドが一方的に決めていることは問題である。

当局が根拠としている同意書は任期の開始時期を明確に規定していない。しかも、同意書の文面からすれば同意書とは別に法人化後に雇用契約が行われると読みとれる。期間を明確に定めた雇用契約の締結をもって任期が始まると思っていた教員に、不利益措置となるような任期開始(20074月)を一方的に法人が定めることは重大な問題をはらむ。同意書に任期不記載の当局責任を認め、任期を明記した個別契約書の締結を持って任期開始とすべきである。

教員評価制度」の結果を任期更新の判定に用いるとすると位置付けているにもかかわらず、当局の都合で「教員評価制度」が2年遅れてスタートし、しかも本年度の評価結果は処遇に反映しないとしている。このような当局の怠慢を自ら反省せず、「教員評価制度」の結果を待つことなく、任期更新の審査を別途行うことは重大な違反と言える。

任期制度と評価制度の相互関係から当然の帰結として、処遇に反映される「教員評価制度」が実施されると同時に実質的な任期開始となるべきであると考えていた教員も多い。

以上の問題指摘に対して、教員の納得出来る説明を行うことを求めると同時に、同意書を提出した教員に対して即刻雇用契約書の締結を行い、それをもって任期開始時期を明確にすることを求める。

2.「3年任期」・「5年任期」の同等扱いに関する要求

当局は法人化前の教員説明会での配布資料(添付資料参照)において、「任期が3年となる者については、任期年数の上限を5年任期のものと同様の扱いとなるようにする。したがって準教授の場合、最長15年まで認める」としている。また、職員任期規程の第2条の別表1にも、教員説明会の資料にあると同様、「任期が3年となる者については、任期年数の上限を5年年期の者と同様の扱いとなるようにする。したがって、助教の倍は最長10年まで、准教授の場合は最長15年まで認める」としている。

こうしたことから、該当する教員は、5年任期の教員と同様に運用されるものと考えていた。この「同様の扱い」を反映させた具体的運用方法を示すことを求める。組合に提示された「雇用契約書 労働条件通知書 平成19年 年 月」なる書式を見ると、「任期更新回数」が明記されることになっているが、この運用を実質的に否定するような「任期更新回数」の明記を許すことはできない。「任期更新回数」の項の削除を求める。

3.「雇用契約書 労働条件通知書 平成19年 年 月」なる書式によれば、労使協議の場に持ち出すことなく、任期に関して重大な不利益変更を行っている。すなわち、「任期は年度単位とし、年度途中採用者は採用年度を任期の初年度とする」ということを追加挿入している。対外的に「3年任期」、「5年任期」で募集をかけながら、すべての審査を終えて、いざ採用する段階になると、雇用契約書でそれ以下の任期に削減することを「その他」の条項で示し押し付けるなどというのは、公序良俗に反する。この事項を撤回すべきである。

4.今回、突如「3年任期」該当者であることを知って、不当だと異議を申し立てる教員が、すでに教員組合にも直接訴えてきている。こうした個別の教員の異議申し立てに対して、謙虚・慎重・誠実に対応せよ。任期制に同意したのは、当局が法人化後の任期更新について「普通にやっていれば再任する」システムにすると説明していたからである。制度への同意の条件となった約束(副理事長の教員説明会文書参照)の具体化・制度化が見られないこともあり、「そのようなシステムが作られていないので任期制への同意は撤回する」との教員の意思も、合理的な態度である。

この二年間の経験を総合的に踏まえて、任期制への同意を撤回するとの教員の意思表明を認めよ。教員によって理解と態度が異なるのは、まさに、当初の同意書調達を踏まえて、当局が各教員に明確な契約の提示をしなかったことが、そもそもの原因だからである。

 

―本質的な問題の指摘と要求―

 

 上述と重なる部分もあるが、以下、時間をかけてつめていくべき本質的な問題に関わる指摘と要求を提示しておきたい。

1.本来の教員評価制度が未確立の段階で、経営側の一方的な審査制度を適用することは、大学自治破壊である。教員評価制度が出来上がっていない段階で、法人当局が、任命権を持っている管理職で構成した「人事委員会」において、教員に不利益となるような判定を出すことは、すでに述べたこととあわせ何重にも不合理であり、不法である。

また、当局がその任命権限にもとづいて組織している現行の教員評価委員会も、一般教員の自由な意思表明によって編成されたものではなく、あくまでも便宜的試行的なものと見るべきであり、これをもって教員の不利益となるような審査を行うとすれば、大学自治の原則から逸脱し、憲法的にも根本的に問題をはらむものである。

   ところが、現行のものとして教員組合に提示された「雇用契約書 兼 労働条件通知書 平成19年 年 月」なる書式によれば、「更新の有無」の項目に、「更新する場合があり得る」となっている。この文言は「原則は更新しない」ことであることを明確に示している。このように重大極まりない決定を、経営審議会は承認したのか。この文言を撤回せよ。そして、従来繰り返し明言してきたとおり、すくなくとも「普通にやっていれば更新される」、「普通にやっていれば再任する」と明文で記載せよ。

   同時に、その項目において、「任期更新回数」が明記されることになっている。その更新回数はいかなる原則で明記されるのか。労働契約通知書の段階で一方的に雇用者側に示されるのは不当である。教員組合の基本要求からすれば、何回かの更新後は、「定年までの期限の定めなき雇用」に移行すべきであり、その意味でのテニュアを制度化すべきである。したがって、この観点からも「任期更新回数」の項目を削除せよ。

2.このことと関連し、「普通にやっていれば再任」と説明してきたことと、今回の「雇用契約書 兼 労働条件通知書 平成19年 年 月」における原則非更新の規定とは身分保障の上で根本的に重大な不利益変更である。同意書を取り付けるまでの説明と今回の更新時の契約書の文言との齟齬は、当局に対する不信感を決定的なものとする。これにより、教員が、同意書を提出した時点での態度と今回の更新手続きにおける態度とを変更することは合理的な根拠を持つことになる。そのことを認めよ。

3.経営側の一方的で恣意的な審査を許容する文言は、今回示された「再任基準」の文言からも明らかである。その基準は、きわめて主観的なものであり、曖昧なものである。なんら客観的な基準がない。その判定を行うとされる人事委員会のあり方とも関連して、この再任基準は、いかようにでも適用できる危険性をはらむ。再任基準を提示するに際して、客観的基準を明記せよ。さらにその基準を判断適用するため、大学自治に基づく審査体制を構築することが、公正妥当な本来の任期更新手続きの前提として必要である。ピアレヴューの原則にもとづく審査体制を早急に構築せよ。また、公正で透明な異議申し立て制度を構築せよ。

4.この間の団体交渉の記録確定においても確認したように、処遇に反映させる教員評価制度に関しては教員組合との交渉事項であり、それはいまだ確立していない。他方、今回のように杓子定規に3年任期を適用するとすれば、まさに適用された准教授以下の教員は何年か後には更新回数制限で失職という重大な身分変更を受けることになる。

労使協定に基づく教員評価制度の存在しない現在の任期は、その意味で、本来の任期(制限された更新回数に含まれる任期)ではないことを確認せよ。

また、法人化後に採用の教員に関しても、早急に定年までの身分保障を確立していく制度(移行条件、その審査基準、審査体制など)を構築せよ。

5.大学の教育研究の発展のためには、安定的な強力な教授陣が必要であり、そのための雇用の安定が必要である。法人化後は任期制を掲げて公募しているとしても、採用された教員の定年までの任期の定めなき雇用保障があってこそ、教育研究に専心できる。将来が保障されない不安定な任期制度では、定年までの雇用保障のある安定した大学を目指して多くの教員が去っていくのは必然となる。大学の教育研究体制の発展の見地から、本来のテニュア制度の構築を行うべきである。その方針に関して、経営サイドの責任ある表明を文書で求める。

                                             以上 

 

 

 

 



[1] 中田宏市長の私的諮問委員会「市立大学の今後のあり方懇談会」(座長・橋爪大三郎・東工大教授)の答申(2003227日)・・・「市の財政状況を踏まえれば現状のままで市大が存続する道はまったく考えられない」。「借金漬け」(委員の一人の発言)。組織・人事については、「年俸制・任期制」、費用対負担の関係から「学費値上げ」etcを提言.

  学長・・・「今後市立大学が策定する『中期目標・中期計画』に答申に掲げられた具体的内容を反映」と。(2003228日付、『神奈川新聞』) 

 なお、資料としては、一貫して大学の自治を破壊するやり方に抗議して、「学問の自由と大学の自治の危機問題(横浜市立大学問題)」を立ち上げ、膨大な資料を整理して掲載している元総合理学研究科教授・佐藤真彦氏(法人成立を前に抗議辞職)の次のHPを参照されたい。http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/kikimondai-index.html

また、どのような事態が展開したかに関しては、大学内の独立サイトに開設・執筆している私の「大学改革日誌」(20025月以降、現在まで)を参照されたい。   

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Nisshi.htm

こうした大学内部からの必死の努力を支えてくれる全国の動向は、「全国国公私立大学の事件情報」を通じて得られる。http://university.main.jp/blog/ このHPには、市大問題、任期制問題など、問題別に整理されたアーカイブがあり、その内外に対するインパクトは大きいものと考えている。

[2] 理学部には、数理科学科があり、プロジェクトRでの議論の過程で、数理科学コースの設定を最後まで主張したが受け入れられず、解体され、その所属教員は理学系の二つのコースには配属されず、学部レベルではしかるべきコースへの配属がなされていない。看護短大は、医学部に統合され、医学部には、医学科と看護学科が設定された。

[3] 副市長は、一期で解任された。大学改革本部長としての仕事の成否と関係があるのかどうか、町田市長選への市幹部の公選法違反事件等に関係するのかどうかなど、その理由は不明である。一説には、議会対策の力量がなかったためともされる。

[4] ただ、現在までを見てみると、一律の削減ではなく、結果的には、医学系(医学科・看護学科)、理学系の人員を維持ないし増加しつつ、文科系の教員を削減する、ということになっている。

改革に先立って、鶴見に、200億円をかけて連携大学院を創設していたが、それによって膨れ上がった「借金漬け」も、総定員を維持削減しようとする市全体の方針のなかで、大鉈を振るう背後事情となっていた。

[5] たとえば、商学部には、一般教養関係の教員、すなわち、英語・第二外国語等の語学教員、社会学関係教員、さらには歴史学関係教員など、経済学・経営学の学部よりも、教養・文化系の広い学部構成を求める人々がいた。したがって、商学部という枠組みよりも、「国際教養学部」、あるいは、「国際総合科学」というあり方に共鳴する教員もいた。そのような新しい学部への再編を求める動きもあった。その点だけから言えば、私も、狭い「商学部」というあり方よりも、総合的な学部を構築することに一定の積極的意義を見出していた。現在、私が所属している「国際文化創造」コースも、その理念(コース名称にこめられたものを私が理解する限りにおいて)には、共鳴している。

[6] 医師(教員)・・・3年ほどで大学と現場とを行き来する仕事のスタイルで、身分が保障されている。それだけに教授との関係では、立場が弱い。身分保障と立場の表裏の関係。また、そもそも一定の任期で移動していた(今後も移動する)というのが実態だから、文化系教員などとちがって、実害を感じない。任期制には、教授の求めがあれば、サインすることになる。