ブレーメン
「Bremen ドイツ北西部の都市。ウェーザー川沿岸にあり、北海に近い。ブレーメン州の州都。大規模な鉄道輸送施設をもつ。外港ブレーマーハーフェンは、ドイツ最大の海港のひとつ。造船が主要産業で、ほかに電気、航空機、精糖、ビール醸造やロープ、化学薬品、タバコ、食品、ジュートなどの製造がある。麻、タバコ、コーヒー、穀物の輸入の中心でもある。人口は54万5000人(1998年推計)。
ブレーメンはウェーザー川右岸の旧市街と、左岸の新市街にわかれているが、この2つは3つの橋でつながっている。旧市街にはまがりくねった道や切妻屋根のある家があり、中世の雰囲気がたもたれている。有名な建築物として、11世紀に建設がはじまったロマネスク様式(→ ロマネスク美術)の聖ペトリ大聖堂や、ゴシック様式(→ ゴシック美術)とルネサンス様式(→ ルネサンス美術)が混在する15世紀の市庁舎がある。商工会議所は17世紀のものである。新市街は本格的な都市計画によって建設され、近代的な建物や商店、それにいくつかの美術館がある。
787年には司教座がおかれ、カール大帝による北ドイツへの伝道の基地となった。
ノルマン人によるハンブルクの破壊にともない、848年にはハンブルクの大司教座がこの街にうつされた。
956年、ブレーメンの大司教は神聖ローマ帝国のオットー1世によって、街の統治と市場の創設の権限をあたえられた。その後450年にわたって、ヨーロッパの主要商業都市としての地位をたもった。
市は1358年にハンザ同盟に参加している。市民はこの時代、はじめは大司教に対して、のちには勃興した富裕な商人階級に対して、自治を要求した。聖職者による統治からの自由は、14世紀中ごろに保障された。長い闘争のすえ、一般市民の抵抗をうちやぶった商人階級は、1433年に街の政治的支配を獲得した。
宗教改革は、1646年に帝国自由都市として承認されていたブレーメンでもかなりの支持をうけた。三十年戦争を終結させた48年のウェストファリア条約によって、ブレーメンはスウェーデンの領土となった。66年にスウェーデンの支配に対して蜂起し自治を獲得したが、完全な独立は1741年まで保障されなかった。19世紀には大規模な大西洋貿易が発展した。第2次世界大戦では、連合軍の爆撃で大きな被害をうけた。」Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.