マーストリヒト条約 Maastricht Treaty 

EC(当時)は、1990年7月からドロール報告に基づいて3段階からなる通貨統合計画にのりだすことになったが、この計画の完全実施のために必要な条約改正と、その批准は第1段階のうちにしておく必要があり、また単一ヨーロッパ議定書で政治協力も共同体の目標とすることをうたったため、この点でも条約をさらに改正する必要があった。

そのため91年12月9、10日、EC首脳はオランダのマーストリヒトで基本条約を再び改正するための会議を開き、そこで合意されたのがマーストリヒト条約で、条約は92年2月7日に調印され、93年11月に発効した。域内の協力を政治分野にまで拡大したという意味でECはもはや経済通貨同盟(EMU)ではなくヨーロッパ連合(EU:European Union)なった。

マーストリヒト条約の重要な特徴は通貨同盟結成の目標をローマ条約のなかに明示したことと、日程表を欠いていたドロール報告の段階的接近方法に期限を付し、見送りや後退をほぼ不可能にした点である。

すなわち第2段階移行は1994年1月と明示し、そのときには、ヨーロッパ中央銀行の前身としてのヨーロッパ通貨機構(EMI:European Monetary Institute)を設立することになった。また経済通貨主権の共同体機関への移譲が行われる第3段階に移行するためには各国の経済パフォーマンスが収束していることが必須の条件であるが、協定は収束状況をみるための4つの収束の判断基準を示した。

そして第3段階への移行に関してはEC委員会とEMIが蔵相理事会へ報告書を提出するものとされ、(1)中央銀行の独立性その他に関する各国の国内法の規定が、この条約と矛盾することがないか、(2)各国経済が収束の判断基準を満たしているか、などにつき報告するものとされた。報告を受けた蔵相理事会は96年末までに適格国が過半数に達しているか否かを判断し、条件が満たされている場合は97年1月から第3段階移行を決定しうるとされていたが、これは実現しなかった。

条約によれば、適格国が過半数に達していない場合でも適格国は99年1月には第3段階に移行するとされており、11カ国で予定どおり通貨統合が実現した。
→ ユーロ:ヨーロッパ通貨制度
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