バウハウス Bauhaus 

ドイツの有名な美術工芸学校。近代の建築、工業デザイン、グラフィック・アート、舞台装飾にはかり知れない影響をあたえた。

 

1919年に建築家グロピウスは、19世紀イギリスのウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動の理念にもとづき、ワイマールの美術学校と工芸学校を合併してバウハウスを創設した。その理念とは、芸術は社会の要求にこたえるべきであり、美術と工芸を区別すべきではないとするものであった。彼はさらにそれを一歩前進させて、産業界の要求や影響にも積極的に対応し、美的基準と技術的基準を同時にみたすデザインをめざそうとした。

 

この学校には、彫刻、絵画、建築のほかに、工芸、印刷美術、広告、工業デザインなどのクラスがもうけられた。国際様式の名でも知られるバウハウスの建築様式は、建物の装飾や華美なファサードを排し、芸術的・技術的手段と機能性の調和をはかろうとするものであった。1925年にはデッサウ市に移転したが、グロピウスのデザインによる新校舎は、ガラスとコンクリートでできた厳格な長方形の建築群であった。

 

デッサウでは、素材そのもののもつ美しさと適合性がいっそう強調され、バウハウス様式はさらに機能重視の立場を強めた。グロピウスのほかに、スイスの画家クレー、ロシアの画家カンディンスキー、アメリカの画家ファイニンガー、ドイツの画家シュレンマーなど、著名な画家や建築家が教授として活動している。その中には、ハンガリーの造形家モホリ・ナギもふくまれ、のちにバウハウスの理念をうけついでシカゴ・デザイン研究所を創設した。

 

1930年、建築家ミース・ファン・デル・ローエが校長となったが、32年にはナチスの弾圧によってベルリンへ移転、さらには33年、閉鎖を余儀なくされた。

しかし、そのころバウハウスの理念は世界じゅうに知れわたり、やがて教授陣の多くはアメリカに移住した

以後数十年間、バウハウスの教えはアメリカの建築・美術界で主流となり、国際様式の普及に大きく貢献する。

 

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国際様式

国際様式 こくさいようしき International Style 192030年代のヨーロッパの建築を主導した潮流バウハウスの考え方を基軸に、ロシアの構成主義、ファン・ドゥースブルフやモンドリアンによるオランダの美術運動「デ・ステイル」、都市計画の要求の高まりなどによって形成された。

 

幾何学的で非対称性を強調する作風と、コンクリート、鋼鉄、ガラスなど現代の素材の重視が特徴である。ドイツのグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、スイス出身のフランス人ル・コルビュジエなどの建築家たちが推進した。伝統を脱して、利用者の基本的なニーズにそった簡潔で装飾性を排した建物をつくりだそうとした。機能的で論理的な平面図、質素で無装飾なガラスやコンクリートの壁面が強調された。最大の功績は高層ビル、工場、公共住宅の設計にみられる。1932年のニューヨーク近代美術館における「国際現代建築展」で脚光をあび、20世紀中ごろには世界中の建築の主流となった。

 

建築:現代美術と現代建築

 

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