マンハッタン計画
(オーウェン・ギンガリッチ編集代表・ダン・クーパー著梨本治男訳『エンリコ・フェルミ』大月書店、2007年)
同書、p.87
1942年9月半ば・・・レスリー・R・グローブス少将(1896—1970年)は、コードネーム「マンハッタン管区」と名づけられた原子爆弾計画の責任者に任命された。
P.93 1942年6月、グローブスは、優れた理論物理学者であるJ・ロバー・オッペンハイマー(1904-1967年)を原爆研究の責任者に任命した(オッペンハイマーは、それまでカリフォルニア大学で行われていた爆弾製造に関する集中的な理論研究の指揮を執っていた)。そして、彼らは、新兵器研究所の建設用地として、ロスアラモスに白羽の矢を立てた。秘密研究所にはまさにうってつけの土地だったためである。周囲から隔絶され、たった一本、曲がりくねった急勾配の泥道が通っているだけだった。
p.94
オッペンハイマーは、核物理学と核化学の精鋭をアメリカ全土から選りすぐり、ロスアラモスに結集した。このメンバーがのちに2500人を超えるまでに膨れ上がる科学者集団の中心となる。
p.97
1943年4月には、研究計画をまとめるために一流の科学者が集まった。オッペンハイマー(オッピーと呼ばれていた)が議長となり、激しい議論が交わされた。フェルミもこの最初の計画会議に参加していた。後に彼も常勤となって副所長となり、一部門の責任者となる。
ロスアラモスで彼らが目指したのは、ひとつの兵器−激しさを増しつつある世界大戦の勝利を、アメリカを始めとする連合国側にもたらす爆弾−の製造だった。核分裂は、化学反応による最大級の爆発をはるかに超えるエネルギーを放出するため、原子爆弾が完成すれば、歴史上類を見ない最強の爆弾になるはずである。核分裂の威力は、化学エネルギーの数百万倍である。わずか1キログラム(2・2ポンド)のプルトニウム239ないしウラン235が完全に核分裂すれば、その爆発力はおよそ2万トンのTNTに匹敵する。
p.97f.
原子爆弾では、フェルミの入るでは必要だった減速材の黒鉛を使わないことになった。低速中性子は、原子爆弾には遅すぎるのである。そこで、核分裂を起こしている原子核から放出される高速中性子をそのまま使うことにした。減速材がないため、連鎖反応は爆発的に進行するはずである。その速さは常識的な範囲を超える・・・すべては100万分の1秒もかからずに終わる。これほど短い時間にこれほどのエネルギーが放出されれば、その温度は、およそ100億度という、地球上では誰も見たことのないものとになる。
p.98.
ここで、この爆発の起きる仕組みについて簡単に触れておく。球状のウラン235ないしプルトニウム239で最初の核分裂が起きると、二つの高速中性子が生まれる(実際にはもっと多かったが、話をわかりやすくするためにここでは二つとする)。それから10億分の1秒以内に、これら二つの中性子がそれぞれ別の原子核と衝突し、中性子は4つになる。同じように、さらに、8個、16個、32個・・・・、1024個、2048個と増えていく。各世代の核分裂は、その前の世代の直後に高速で起きる。この過程はすべて、中性子が高速で移動し、速やかに別の原子核に衝突することによって起きる。一キログラム中のすべての原子核が各分裂するのに要するのは、わずか80世代ほど、時間にして100万分の1秒ほどである。核分裂が起きるたびに原子力エネルギーが放出される。これだけ小さな空間でこれほどのエネルギーが放出されるため、温度は数十億度に達する。」
p.99-101
フェルミの建設する原子力発電所で問題発生・・・忙殺
p.101
問題が解決したため、サイトYの設立から一年半が過ぎた1944年の9月に、フェルミは全精力をロスアラモスに傾けることができるようになった。
p.101-102
ロスアラモスは、原子爆弾開発の長い道のりの最終段階、終着駅になる。フェルミはそう思っていた。オッペンハイマーは、フェルミの参加を熱望し、フェルミを副所長にし、さらにF部門という特殊部門の責任者に据えた。この部門は、特殊な状況や厄介な人間を扱うことから、別名「問題部門」とも呼ばれた。その厄介者のリーダーは、エドワード・テラーである、彼は頭の切れる理論家だったが、核分裂の研究を嫌い、原子爆弾よりはるかに強力な水素爆弾の初期研究−コードネーム「スーパー」−しかやろうとしなかった。・・・
p.102−103
重要な問題のひとつに、「臨界質量」があった。臨界質量というのは、爆弾を作るのに必要な核分裂性物質のことである(核分裂物質が少なすぎると、中性子が放出されるにつれて反応が尻すぼみになる。逆に多すぎると、爆発時に貴重な核物質を無駄にすることになる)。
高速中性子の理解を深めるためには、各加速器が必要だった。この「マシン」は、陽子(もしくは適当な原子核)のエネルギーを、それが適当なターゲットに衝突したときに高エネルギー中性子を生み出せるレベルになるまで高める装置である。しかし、新たに建設する時間的余裕はなかった。そこで、ロスアラモスの物理学者たちは、マンハッタン計画にでは恒例になっていた大胆な方法を採った。アメリカ中の大学からトラックで各加速器を運び込んだのである。ハーバード大学からはサイクロトロンが寄贈された。サイクロトロンは、一定磁場内で、陽子ないし軽い原子核に、直径が次第に大きくなる円運動をさせる加速器である。一周するたびに陽子に力を加えて、エネルギーを高める(加える力は、粒子の円運動の周波数に合わせて交流電場を変化させることによって生み出す)。
p.103−104
刺激的な時間だった。原子爆弾製造という難題を解決するために、アメリカ中の物理学者たちが集まったのである。この恐るべき仕事は成功するだろうか?ドイツに遅れをとっていないだろうか? なんといっても、ドイツは、核分裂が発見された国だ。加えて、オッペンハイマー自身も博士号を取得するためにドイツのゲッティンゲン大学に赴いたように、科学先進国でもある。アドルフ・ヒトラーの指揮のもと、核分裂爆弾はすでに実験段階から製造段階にまで進んでいるかも知れない。それを確かめる術はない。機密保持にかけては、ドイツはわれわれにひけをとらない。いや、閉鎖的な独裁者の国だということを考えれば、われわれより上かもしれない。ロスアラモスにいる誰もが、そんな重圧を感じていた。
p.104-106
ウィスコンシン大学のジョー・マッキベンと大学院生のデビッド・フリッシュは、二基の加速器をロスアラモスに移す前に何ヶ月も連続稼動させ、高速中性子の挙動に関する貴重なデータを得ていた。彼らは、フェルミがローマにいた頃に低速中性子について行ったと同じことを、高速中性子に対して行った。いろいろな物質中で高速中性子がどのように振舞うかを慎重に調べたのである。ふたりは、原子爆弾の設計にこのデータが必要なると考え、これをやり遂げると決めた。
1943年5月15日、ロスアラモスで、ウィスコンシン・チームは彼らの二基の加速器のうち大型のほうの運転を開始した。そして、さらに重要な測定である、高速中性子によるプルトニウムの核分裂に着手した。彼らが用いたプルトニウム・サンプルはとても小さく、わずか1億4200万分の一グラムという、かろうじて確認できる大きさだった。しかし、この塵のようなサンプルでも、彼らの測定には十分だった。
この時期、彼らは連日18時間から20時間も作業を行い、ついにこの重要な測定を完了した。この実験で、プルトニウムが核分裂を起こし、十分に短い時間で十分な量の中性子を生み出すことが確認された。むしろ、一回の核分裂で放出される中性子量は、ウラン235よりプルトニウム239の方が多かった(彼らが使った小さなプルトニウム・サンプルは、セントルイスのワシントン大学のサイクロトロンで生成したものである。ハンフォードのパイルが稼動するのは、まだ一年以上も先のことである。ハンフォードの巨大パイルは、プルトニウム239でも爆弾が作れるという家庭のもとで建設が行われていた)。
p.110
1945年2月、いくつかの問題はまだ残っていたが、グローブス将軍は設計の終結を命じた。原爆計画にこれ以上の変更が加えられることはない。7月には、実験に向けたすべての準備を整えることができる。予定では、7月までに、最初の爆弾を完成させるだけのプルトニウムがハンフォードで生産されているはずだった。
その実験は非常に複雑なため、一年以上も前から計画が練られていた。1945年2月には実験に向けた準備も本格的になり、250名もの人が作業を行った。実験は、ロスアラモスのなんぷ210マイルの位置にある空軍の爆撃訓練場の、縦18マイル横25マイルの地区を利用しておこなわれた。オッペンハイマーは、この地区と実験に「トリニティ」というコードネームを与えた。
p.110-111
優れた実験チームであった彼らは、まず予備実験をおこない、計器と計画の確認をおこなうことにした。1945年5月におこなったこの実験では、100トンの高性能爆弾をトリニティ地区で爆発させた。・・・
1945年7月16日午前5時過ぎ
p.111−113
ついに、世界初の原子爆弾の実験を行なう時がきた。プルトニウム爆縮型爆弾がトリニティ地区に慎重に組み立てられ、高さ100フィートの塔のてっぺんに取り付けられた。爆弾は、幾つかの主要部分で構成されていた。まず、中心にイニシエーターがある。これは中性子源としてよく使われるポロニウムとベリリウムの塊である。イニシエーターが最初にいくつかの中性子を放出し、そこから凄まじい連鎖反応が始まる。その周りをプルトニウム239の丸い塊で囲む。これはまだ臨海にならないように密度の低い状態である。それを取り囲むように、天然ウランのタンパーが配置される。これは核分裂は起こさないが、二つの重要な役割を果たせるだけの十分な重さをもつ。役割のひとつは、連鎖反応が開始した後に、中性子を反射して連鎖反応に加わらせることである。もうひとつは、爆弾の威力が最大に達するまでの数十億分1秒の間、爆弾がばらばらにならないようにつなぎとめておくことである。タンパーの周囲を、5000ポンドの2種類の高性能爆薬で取り囲む。この爆薬は、タンパーを爆縮させてプルトニウムを圧縮し、超臨界状態をもたらす球形衝撃波を生み出すように、慎重に設計士、製造したものである。イニシエーターも一緒に押しつぶされ、連鎖反応を開始する最初の中性子を放出する。