フライブルク
軍事文書館・軍事経済文書調査
(RW29のルーマニア・ブルガリアにおける防衛経済部局の文書)
第三帝国ドイツの勢力圏・軍事経済の補完地域Erganzungsraumとしての東南欧
EU統合の原理としての自由・民主主義・人権尊重・地球環境保全との対比
(歴史的位相差の確認)
その際、地球的人類的課題に先進的に取り組むEUの模範としての
フライブルク市新都市開発地区ヴォーバンおよびリーゼルフェルト・
環境住宅Heliotrop・太陽発電団地の視察
環境=地球・人類=自由・民主と共同・協力・現状変革
(Innovation Academyのシュルツ氏の案内)
(フィールドワークの可能性の調査)
ルフトハンザLH711便で出発
Stadthotel Freiburg Nr.213
Karlstrasse
ホテルの部屋から城山Schlossbergを見る。 二日目は霙交じりの雨
城山からホテルを見る。
軍事文書館(遠方から) および 閲覧室入り口
以下で見るヴォーバン地区の建物群の背後に見える軍事文書館の建物
両者がすぐそばだということがわかる
この文書館も軍関係施設であることからわかるように近くに軍関係施設
かつて、第二次大戦後、1992年までフランスの占領軍が駐屯していた兵舎Kaserune地区(Vaubanヴォーバン地区)も近く
その兵舎の一部は、そのまま(補修改修を施して)大学の寮などとして活用されている。
左:壁に、「ここからヴォーバン地区」と。
右:「ヴォーバン大通り」の標識・・セバスチャン・ヴォーバン1633-1707年、
フライブルクにフランスの要塞を作った責任者(1677-1687年)
兵舎のときの建物がそのまま普通の住宅に転用されているところ
旧市街の南の郊外
ヴォーバン地区
1989年のベルリンの壁の崩壊→
1990年の東西ドイツの統一
ドイツの地からソ連・米・英・仏の4カ国軍の最終的撤退。
1992年のフランス軍撤退後、新都市開発地区に。
モデル都市。
住民ヴォランタリーを活用した都市づくり。
屋上の太陽発電設備に船の帆をイメージして、太陽船(ソンネンシッフSonnenschiff)の愛称
屋上に太陽光パネルがたくさん
新しい都市づくりのコンセプトを感じさせる通りの名称が多い。
最初驚いたのが、この通りの名前。
ヒトラーを暗殺しようとして失敗し、スイスへの逃亡の途中つかまり,
1945年に強制収容所で処刑されたゲオルグ・エルザーの名前。
その解説文。
ドイツ平和協会(1905年)設立者の女性を顕彰し記念するとおりの名前
路面電車の線路と緑の芝生
路面をできるだけ緑に!!
ヴォーバン地区発電所(Regiostrom):木材(Holz)チップ利用
badenova発電所名
エネルギー節約型モデル住宅
路面電車vauban線・終点で、電車が方向を逆転するところ
電車の終点から先はバスで。
終点からヴォーバン住宅団地(路面電車の両側の建物群)を見る。
フライブルクの婦人運動の活動家を記念する通りの名前
太陽光ガレージSolargarage
Solargarage太陽発電利用ガレージ・スーパーのREWEも一階に。
太陽発電利用(屋根一面、太陽発電パネル)
マーケッティングに活用するスーパー・アルディAldi
回転式個人住宅
建築中
個人住宅屋上の太陽発電パネル
Solarasiedlung
太陽船Sonnenschiffの後ろ側にある太陽発電団地Solarsiedlung
屋根はすべて太陽発電用パネル
自宅で使用する以上の電力を太陽発電で生み出し、電力会社に販売。
壁の色による個人住宅が別(つまり住宅の大きさも別々)
ここでもまた女性革命運動家として世界的著名なローザ・ルクセンブルクを記念する通りの名称
1871-1919年 社会主義政治家
ベルリンのスパルタクス蜂起の際、射殺された、と。
市(旧市街)の西の郊外
リーゼルフェルト
Rieselfeld地区(フライブルク市浄水場があった広い場所)
浄水場が30キロ離れたところに移転。
跡地に新都市地区開発と自然保護地区。
新都市開発モデル地区
リーゼルフェルト地区の中央駅(路面電車)にあたるマリア・フォン・ルートロフ・プラッツ
リーゼルフェルト地区文化センター・図書館、およびその前の広場(週末には市が立つ)
文化センター内玄関に設置された太陽発電量を示すプレート
現時点 2.1kW
一日発電量 6.1kWh
これまでの発電総量 79780kWh
文化センターの左手・広場の向こうに小学校の円形(半円形)の建物
小学校拡大写真
街路樹・花を世話するボランタリーの名前を書いたプレート
中央広場に建てられた教会
(カトリックとプロテスタントの協会が合同ではいっている)
内部は、可動式コンクリート壁があり、週末などの宗教行事のとき、壁で区切る。
しかし、壁をとり払えばひとつの空間。
全空間を市民のための大ホール(音楽会その他)としても利用できるようにしてある。
マリア・マグダレーナ教会
可動式の壁で仕切られた 左側にカトリック教会 : 右側にプロテスタントの教会
教会の開いている時間帯も少し違う。別々の掲示。
リーゼルフェルト地区市電中央駅とその向こうの建物群
リーゼルフェル市電中央駅そば
カール・フォン・オシエツキー通りのプレート
(彼はノーベル平和賞受賞者、しかし・だから、ナチに逮捕され獄中で死亡)
リーゼルフェルト地区にもナチの犠牲者を記念する道路名が多い。
ノーベル平和賞受賞者:1889年-1938年
KZ(強制収容所)に囚われ、死亡、と。
リーゼルフェルト地区中心を流れる小川、その住人(?)ヤツメウナギ
(ドイツ語では9つの目となっている)
案内してくれたInnovation Akademyのシュルツ氏の後姿
日本にも10回ほど来たことがあるという。
1970年代半ば以降の環境運動家・原子力発電所反対運動の担い手
太陽発電推進運動の担い手・市の北部公園に環境教材施設Ecostationを建設。
日本の中津川市長と懇意の中とか(中津川市でも講演したと)
Vauban地区を紹介する本を最近書いた村上氏とも親しいとのこと。
また、今泉女史とも親しいとのこと。
建物群のコンセプトが、道路近くに建物群を配置。
建物群で囲まれた内部=地域公共空間・公園に。
小川の上に建てられたマンション
緑に覆われた住宅(マンションのひとつの住まい)
建てた教授はアメリカに行ったと。
真正面のものは、社会住宅とのこと。
Geschwister Scholl Platz
ショル兄妹記念広場(CF.ミュンヘン大学本部前の記念広場)
シュルツ氏によれば、学校時代、ショル兄妹の英雄的犠牲的行為を学び感動したと。
「白バラ」グループ
ナチの戦争政策に反対するビラをミュンヘン大学本部で1943年2月にばら撒いてつかまる。
すぐにギロチン処刑
ショル兄弟が撒いた反戦ビラをイメージした敷石群
アウシュヴィッツ強制収容所で殺された(1942年)
ユダヤ人女性法律家を記念する通りの名前プレート
中央にリーゼルフェルトの市電終点駅。
ここから向こうは、自然保護地区が広がる
Haid地区にある太陽発電プレート製造工場SolarFabrik
会社案内パンフレットの表紙