-----------------新生ベルリン都心------------------

次々と新しい建物が建つポツダム広場PotzdamerPlatz駅の周辺

駅構内の彫像(頭で立つ人間

地下の駅構内から地上にでるところ






Potsdamer Platz

    
















ポツダム広場片隅にひっそりと残されている
カール・リープクネヒト記念碑・土台
ポツダム広場には何度も行っているが、「何かな」と近づいてみて、今度初めて、このことに気がついた。


Grundstein eines Denkmals für Karl Liebknecht


第一次大戦下1916年5月1日 ここで
カール・リープクネヒトが
帝国主義戦争反対と平和のための戦いを呼び掛けた
、と。




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ベルリンのいろいろの駅にユダヤ人は集められ、
列車で強制収容所・絶滅収容所に送られた。
フリートリヒシュトラーセ(Friedrichstr.)駅の
「ユダヤ人移送」の記念群像
今回初めて確認

沈痛な面持ちで連行される家族(東方に向かっている)






解放後の子供たち(子供だけ)
西方に向かっている
明るい色調








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二つの世界大戦の悲劇を経て
人類は、帝国主義・植民地主義を否定する水準に立った。

しかし、そのためには、19世紀末から、第一次大戦期を経て、第二次大戦に至るまでの全期間、そして、第二次大戦後も、
帝国主義・植民地主義に抗する人々が声をあげ、すこしずつ大きな潮流となって、人々の共感を獲得していく苦難の道があった。




カール・リープクネヒトは、ローザ・ルクセンブルクとともに、1919年初めに暗殺された。