日本の帝国主義膨張政策
対華21カ条要求
• 第一次大戦中の21か条要求・・・1914年、対独宣戦布告、山東半島に出兵。
• 1915年1月、袁世凱政権に対し、
@ 山東省のドイツ権益の日本への譲渡、
A 関東州の租借期限および南満州鉄道、安奉鉄道の権益期限をさらに99年延長すること。南満州および東部モンゴルにおける日本の独占的地位の承認。
B 漢冶萍煤鉄公司の日華合弁。
C 中国沿岸の海湾島嶼の他国への不割譲、不貸与。
D 中国中央政府への日本人顧問の招聘、武器購入、鉄道敷設についての勧告。
・25回の交渉の後、5月に最後通牒を発して受諾させた。
関東軍
• 日露戦争によって獲得した関東州と南満州鉄道の守備や諸権益確保を目的とした駐屯軍。
• 1919年天皇直属の司令部が旅順に置かれ、対ソ防衛の役割を担う。
• 武力を背景にたびたび中国の内政に干渉し、28年の張作霖爆殺や31年の満州事変勃発などの謀略を企てた。
満州事変
• 1931年9月18日の柳条湖事件から32年3月の満州国建国までの期間における日本による中国東北部、内モンゴル東部への武力侵攻.
• 満州における反日運動の激化は関東軍になんらかの対策を必要とさせ、関東軍は奉天(瀋陽)工鍵の柳条湖付近の南満州鉄道を爆破. 張学良軍のしわざとして奉天城およびその周辺を攻撃占領. 翌日には全満鉄沿線から張学良軍を駆逐.ついで、吉林など各地に進駐.
• 国際世論悪化…リットン調査団…その到着前に満州国樹立
盧溝橋事件−日本の中国侵略拡大−
• 1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で起こった、日中戦争の発端となった事件。
• 盧溝橋付近で深夜演習中の日本軍は、中国軍から射撃を受けた。日本側は中国側の陳謝と将来の保障、責任者の処罰などを要求。
• 停戦協定が成立。
• しかし当時の緊迫した日中間の情勢のなかで近衛文麿内閣は派兵を決定。ついに現地解決の線は崩れ、全面戦争へと拡大(1945年まで)
ノモンハン事件−日ソの激突−
• 1924年モンゴル人民共和国、成立。安全保障をソ連に依存。
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• 日本の満州国建設(1932年3月)・中国東北部支配の拡大強化。
• これに対応して、ソ連もシベリアの軍事力増強。モンゴル支援強化。
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• 1939年5月 小競り合いから、本格的戦争へ。