第二次世界大戦におけるドイツ難民・非追放民
この地図の著者の立場は、すくなくとも1950年当時、領土問題は決着が付いておらず、
東プロイセンやシュレージエン、ケーにヒスベルクは、ソ連やポーランドの「管理下」にあっただけ、との立場。
1989年の壁の崩壊後に成立した統一ドイツは、現在の国境を、正式の国境として承認。
世界戦争の混乱による難民・非追放民は、ドイツが一番多かったが、世界各地で発生。
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アジアにおける難民