ナショナリズム論配布資料20100707

 

前回・小野塚教授の講義への感想・・・ほとんどすべてに共通して、「面白かった」、「興味深かった」、「期末レポートのテーマ選択に参考になった」など、ポジティヴ。

 

 「ラ・マルセイエーズ」の戦闘性、「ラインの護り」の情緒性なども、刺激的であり、政治目標・政治利害、その歌詞による表現と感性・身体感覚との関係も、強烈であると同時に、音楽がもたらす感性への刺激・身体感覚は、歌詞を変えれば、別の文脈で、全く違った効果を発揮することも、多くの事例から示され、そこに示唆を得た感想も多かった。

 

 「ラ・マルセイエーズ」や「ラインの護り」と共通性があるのは、極右の宣伝カーやカラオケで流される「軍歌」(戦闘の歌、戦闘への高揚の歌、戦闘意欲喚起の歌、戦闘の正当性を賛美する歌など)だ、という指摘も多かった。

 

近代的ナショナリズムが、国民国家成立過程で発生し、場合により過激化。防衛的ナショナリズムから攻撃的ナショナリズムへ。

 

以上のような諸国民国家の成立、その成立過程の諸民族・諸国家の対立抗争と密接不可分であることも、音楽を通じて明らかになった。

 

産業革命・市民革命・ナポレオン戦争諸革命時代

 

国民国家群が形成されなければならなかったのだろうか?

イギリス国民国家形成とイギリス・ナショナリズム

アメリカ合衆国建設・国民国家建設とアメリカ・ナショナリズム

 フランス国民国家形成とフランス・ナショナリズム

 ドイツ国民国家形成とドイツ・ナショナリズム

 日本の国民国家形成と日本ナショナリズム、などなど。  

 

 以上のような諸国家は、19世紀末―20世紀ともなると、世界で競争・対立・局地戦

 そして、ついには二大陣営に分かれて世界戦争へ突入。

 世界を二分する戦い。

 植民地、商品と資本の市場、原料基盤、領土などをめぐる争い、 

 総力戦

 

 

 大きな国民国家のなかで、それら国民国家の争いの中で、それぞれの国家の中に生活する少数民族のナショナリズムの自覚化、民族の独立・国家の建設を求める大きな流れ。

  

 第二次大戦・・・日独伊  英米仏ソ中などの連合国

 

 第二次大戦の帰結・・・戦勝国の内部での社会・経済の編成をめぐる原理的対立(市場か国家か)・・・米ソ二大陣営の成立

 

  「自由主義」・「資本主義」の陣営   「社会主義」、中央集権主義的統制経済の陣営

 

   世界的な二つの陣営の形成・相互の競争・「冷戦」のなかで、小さな枠組みの国民国家の相対化。

   それぞれの陣営内部では、諸国家のナショナリズムの抑制。

        陣営内部での、大きな枠組みでの協力体制。

        それぞれの陣営のなかでの、インターナショナリズム・・・西側意識、東側意識

 

   二大陣営のはざまにある旧植民地・従属地域の民族独立運動・民族解放戦争

     アルジェリア・・・フランスからの独立・・「アルジェの闘い」

     ベトナム・・・・フランスからの独立、アメリカ支配からの独立・・ベトナム戦争

     アフリカ諸国における独立運動・独立戦争

 

 

  冷戦体制の解体・・・・二大陣営の崩壊・・・・旧ソ連・東欧におけるナショナリズムの顕在化・・・自由・資本主義・市場主義にもとづく国民国家群の建設

 

  冷戦体制の下で構築され、維持されてきた社会主義圏におけるインターナショナリズムの崩壊・・・特にユーゴスラヴィア・・・・民族紛争・民族浄化の血で血を洗う戦争。スロヴェニア・ナショナリズム、クロアチア・ナショナリズム、セルビア・ナショナリズム、ボスニア・ナショナリズム、アルバニア・ナショナリズムなど。

  クロアチア、セルビア、コソボなど、「各国」の中に、マイノリティが存在。その帰属をめぐる争い。

 

  ばらばらの小国家は、経済的にきわめて不利・・・・スロヴェニアはまず最初にEU(地域統合)に加盟申請・・・承認。

 

  現在、それ以外の小国も、EUへの加盟を申請。

 

  現代社会・現代経済・・・・広域的開放的システムが不可欠の条件・・・市場・交流の広さと自由の必要。

 

  閉鎖的な国家システムは、経済・社会の発展の阻害要因・・・・その具体例は、北朝鮮。

 

 

 

 

 

最新(20106月刊)の経済史の教科書:金井雄一・中西聡・福澤直樹編著『世界経済の歴史−グローバル経済史入門−』名古屋大学出版会(2800円)を紹介しながら、その問題を考えてみよう。

 

本書の最新の見地は、つぎのようである。

 

・経済現象や社会現象の「グローバル化」が、今やいたるところで使われるが、大きな段階的な違いを区別すべきである。

・国民国家が成立する以前のグローバル化と国民国家が成立した後のグローバル化は、質の異なったもの。

 

  国民国家が成立する以前のグローバル化は、それまでの地域的なまとまりが域際的な広がりを持つにいたったインターリージョナル化

  国民国家成立後のグローバル化は、国際世界の枠踏みのなかでの主権国家の主体としての強さを基本とするインターナショナル化

 

・現代世界・・・国家の枠を相対化する地域経済史や統合史。

   地域経済史にしろ統合史にしろ、克服すべきものとしての国家は意識されており、現代は、「国境を超えるものないしは国境を跨ぐものとしての、トランスナショナル化」

 

・ローカル・ヒストリーの時代

(第1章 東西文明の興隆)

 →ローカル・ヒストリーからインターリージョナル・ヒストリーへ

(第2章 東西世界の対決と交流)

→インターリージョナル・ヒストリーの時代

(第3章 東西世界の融合)

ナショナル・ヒストリーの勃興

(第4章 資本主義の生成と「近代」社会の登場)

ナショナル・ヒストリーからインターナショナル・ヒストリーへ

(第5章 資本主義による世界の再編成)

       →インターナショナル・ヒストリーの時代

(第6章 資本主義世界経済体制の転回・・・19世紀末から1945年)

→トランスナショナル・ヒストリー(第7章 第二次世界大戦後の経済社会の展開)

 


ナショナルヒストリー出現前の世界の地域間・域際間交流

           13世紀の世界
   


    8つの地域的まとまり・・・せいぜいその隣の地域との交流



        「商業の復活」とヨーロッパ内部の交流


ナショナル・ヒストリーの勃興からインターナショナル・ヒストリーの時代

(そこでの世界各地・各国におけるせめぎ合う諸潮流・政治支配圏をめぐる闘い)

 

イギリス17世紀のピューリタン革命から名誉革命の二段階市民革命と国民国家の形成)、

     資本主義の発達、マニュファクチャーの発達・・・18世紀初めには、機械を生み出す「発明の発行状態」

     18世に6070年代から「産業革命」…19世紀20年代くらいまでに、機械制大工業の確立。鉄道建設。

1825年には最初の資本主義的過剰生産恐慌、その後10年ほどの周期の経済恐慌。

機械制大工業の生産物(綿製品など)の市場を求めて、世界市場への進出、世界各地に売り込む。

1850年頃には、「世界の工場」へ。

 

アメリカ合衆国18世紀70年代の独立戦争・独立革命と共和制の国民国家の形成)、

 

フランス18世紀末葉の市民革命・英仏戦争など国民国家防衛戦争からナポレオンの膨張的国民国家の形成)、

 

ドイツ(数十の小領邦国家群の統一を目指す潮流、小ドイツ主義・大ドイツ主義など国民国家形成への多様な流れと18483月革命・反動・プロイセン主導の軍事的統一国家建設)

    その過程で、工業化=機械制大工業の導入・樹立、

    機械制大工業のための市場枠組みの構築・・・・関税同盟(プロイセン主導の関税同盟、南ドイツ・バイエルンなどによる関税同盟、北ドイツ・ハノーファーなどによる関税同盟)・・・それら関税同盟をひとつにまとめた大きな領域の有利性・必要性・・・ドイツ国家の建設へ。

 

日本(幕末明治維新の諸潮流の闘い・・・幕藩体制維持派、攘夷派、尊皇派・・・それらの闘いとせめぎ合いの中で、天皇を中心とする近代的国民国家建設)

 

 

 

 

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世界各地の極右勢力・極端な排外的ナショナリズムの諸潮流

 その現象は、「過去の反省」が最も顕著とされるドイツにおいても。

 

 最近の本:平野洋『ドイツ右翼の系譜−21世紀、新たな民族主義の足音−』現代書館、20097月刊。




場合によっては、デンマークで製作されたテレビドキュメンタリーを見る。

 アウシュヴィッツやガス室を「否定する」人々・・・ちょうど、日本における南京事件否定論者のように。

 

 ドイツの隣国・小国デンマークにおける危機意識・・・ドイツにおける不穏な潮流の動きには、敏感にならざるを得ない。

 

 ドイツは、そうした周辺諸国の危惧・不安感に応える意味でも、自国の過去(特に汚点)を、直視し、つねに教訓として、相互に確認し、若い世代にも伝えていく必要がある。

   ベルリン中心地につくられた「ヨーロッパユダヤ人の犠牲」を記念する石柱群

 

 

 

 
最近のホロコースト否定論

平野洋『ドイツ右翼の系譜−21世紀、新たな民族主義の足音−』現代書館、20097月刊,106-107ページ。




















 


  

                    
            旧ソ連からイスラエルに移住したユダヤ人
                  1989年から2007年に、98万5400人