18世紀から19世紀の
戦争(覇権争い・侵略・解放)と革命


イギリス産業革命の進行中の欧米諸国の戦い(同盟・対立)と

アメリカ独立革命(戦争)とフランス革命・ナポレオン体制
     


先立つ重商主義戦争の連続・・・・関係国への巨大な軍事負担・財政負担・・・租税はだれが払う・負担する?、

ヨーロッパにおける勢力均衡・不均衡・再均衡の転変


中立国として世界的に著名なスウェーデンも、領土をめぐる争い・戦争を繰り返していた。

1700−21北方戦争

           ロシア・ピョートル大帝のl勢力・領土拡大



七年戦争(1756−63):英仏植民地戦争(1754・55ー63)
   インドを巡る英仏の戦い ; 北アメリカを巡る英仏の戦い



1763年以後のロシアの政治的成果・西への膨張
  ポーランド分割(1772−95)・・・三次にわたる分割で、ポーランドは国家としては消滅(第一次大戦後に再生・独立国家形成)。

  強大な国家(プロイセン・ロシア・オーストリア)に取り囲まれたポーランドの悲劇
  ナポレオンが、これらプロイセン、オーストリアを屈服させ、ワルシャワ公国を創出(180709)。
  ナポレオンの敗北、ウィーン体制の中で、再び、ポーランド王国として同君連合でロシアに統治された。
  1830・31年のポーランド革命の失敗後、ロシアの州の位置に格下げ。、 





16世紀−とくに17世紀
ロシアの東への膨張・・・シベリア開拓・極東まで進出。
  「史上最大の征服事業が
ヨーロッパの知らぬ間始まる」
              
(もちろん、日本の徳川幕府も知らない間に) 

アムール川・・・1644年
カムチャツカ半島・・・1679年






18世紀 イギリスにおけるマニュファクチャーの成熟と
    機械発明の一般的発酵状態


 アメリカ独立・フランス革命・ナポレオン戦争の過程で、
 イギリス産業革命の圧力、それとの対抗、
   結果・波及:ヨーロッパ大陸諸国の工業化




北アメリカ独立運動(共和制革命)・独立戦争・・・1763−83

18世紀の北米植民地 :   1783年の合衆国
 →インディアン領域への領土拡大


ルイジアナをフランス(イギリスと戦う軍資金調達のため)から買い取ったのは、1803年。




アメリカ合衆国(憲法・基本的政治統治システム)
  の成立、仕組み

  ・・・・基本的に現在まで2百年以上にわたり変化ない。
     世界の自由で民主主義的な政治体制の模範の一つ。

   (ただし、1960年代になってはじめて黒人に公民権が与えられたように、黒人差別などの人種差別を長い間、社会の基礎に持っていた。その意味では白人系移民のための自由と民主主義、ということが20世紀半ば過ぎまで続いた)
   (古代ギリシャのアテネなどの民主主義も、アテネ市民が支配する奴隷制を基礎にもっていた。古代ギリシャの民主主義は、アテネ市民の民主主義だったという限界があった。)

   現代世界経済の制度的枠組みとしての自由と民主主義(基礎にあるグローバルな商品貨幣経済・グローバルな資本主義的市場経済)は、人類史・世界史において、きわめて新しいものといえよう。



フランス大革命前夜

 イギリスとの重商主義戦争で、国家財政は軍事費の重い負担(33%)。

スペイン継承戦争・・・7年戦争(オーストリア継承戦争







フランス革命(政権・勢力)を鎮圧しようとする干渉諸国(イギリス・プロイセン・オーストリア・スペインの軍隊)と
 フランス内部の反革命勢力(王党・貴族の勢力)の
蜂起・騒乱

   ・・・これらに対する革命政権・勢力の反撃・・・戦争。

1793年 革命の危機・・・ジャコバン支配・恐怖政治



ナポレオンのイタリア(オーストリア支配下)遠征と
        エジプト(イギリスのマルタ島拠点の
              海上覇権の影響下)の遠征


  



絶対王制を倒した革命の国フランス、
 これを取り巻き革命をつぶそうとする周辺列強・周辺諸国

 戦争の継続の中で勝利の英雄ナポレオンが1804「フランス人の皇帝」に。


1792・93−95・97
第一次対仏同盟(フランスは東西南北から攻め込まれる)
           (フランスの反撃、ベルギー方面、イタリア方
            面で領土拡大)
1799・1802
第二次対仏同盟


1805
第三次対仏同盟


1806
ナポレオンによる大陸封鎖令(ベルリンで布告)
      ・・・フランス帝国の拡張
1806・07

第4次対仏同盟


1809
第5次対仏同盟
     



ナポレオンのヨーロッパ大陸支配   



ドイツ帝国(神聖ローマ帝国)の解体



世界各地の植民地を巡る争奪・・・ナポレオンの構想・計画


ナポレオンのスペイン・ポルトガルへの侵攻


 ナポレオンのロシア遠征とその挫折
     遠征軍出発時点の兵士の激減





ナポレオン帝国支配下からの脱却を求める諸国
      プロイセンなど、反撃、解放戦争


1813年秋
1814−15年




ナポレオン帝国崩壊後・
ウィーン会議体制
    …1815年のヨーロッパ新秩序

   ドイツはまだ多数のちいさな国に分かれていた。
  そのなかで一番大きかったのが、プロイセン。
  そのプロイセンが、ウィーン体制の結果、工業的先進地ライン地方を手に入れた。


 
復古と革命の時代(1815−1830)

オスマントルコ帝国からのギリシャの独立・解放戦争(1821−29





復古と革命の時代・・・ドイツ(1815−48)

 自由と統一が、時代の課題に。

 まずは、経済的統一の前進。
  経済的統一の枠組みとしての関税同盟、その拡大。
  全国をむすびつけるものとしての鉄道網の建設。 

 そこで進行する産業革命。

 機械制大工業の会社設立を実現するための資本集中=その手段としての株式会社、銀行と企業の結びつき。   



スペイン・ポルトガル植民地帝国の終焉
1800−1830