アヘン(阿片)戦争(イギリス 対 清朝)と
アロー号事件(イギリス・フランス 対 清朝)
アヘン戦争・・・イギリスのアヘン密輸に端を発した、
イギリスの中国に対する最初の侵略戦争
清朝中国、17世紀末から、外国貿易開始。
茶、生糸などを輸出・・・・・・中国へ多額の銀が流入し続けた。
中国の経済繁栄。
イギリスは、銀の代わりに、インドで手に入れたアヘン輸出を開始。
中国の銀獲得は減少・・・むしろ、中国から銀の流出。
清朝は、1796年にアヘンの輸入および吸飲を禁止して以来、頻繁に禁令を繰り出した。
しかし、広東の地方官や軍隊の保護または黙認。アヘン、密輸、半ば公然と。
1830年代以後、毎年大量の銀が中国から流出。
中国経済は深刻な不況。国家財政危機。
清朝、実行力に富み熱心な禁煙論者・林則徐を起用・・・広東に派遣。
1839年3月、林則徐は、イギリス領事および英米のアヘン商人を商館に監禁。
所有アヘンの引き渡しを強要し、2万余箱を没収して廃棄。
この措置を不当としたイギリスは、中国との外交・貿易の懸案を一挙に解決すべく、40年遠征軍を派遣。
イギリス全権が天津に迫って清朝に要求を突き付け、広東で交渉。ついに武力行使。
条約の締結には失敗。
1841年7月から、イギリス軍は、アモイ、舟山、寧波を占領。
42年にはさらに、上海、鎮江を攻め落とし、南京に迫った。
清朝は屈服し、8月29日南京条約に調印。
外交関係の改善、開港場の追加、アヘン賠償金の支払いなどに関するイギリスの要求は全面的に承認された。