エフェソスEphesos,Ephesus





エフェソス教会会議(山川・世界史小辞典による)
 431年、テオドシウス2世の招集によってエフェソスで開かれた教会会議。

 
マリアを「神の母」とするトス当時一般化していた称号に反対したコンスタンティノープル大司教ネストリウスと、これに挑戦したアレクサンドリア大司教キュリロスとの紛争の解決を目的とした。

 会議は分裂したが、結局ニケア信条の再確認、「神の母」の称号の承認がなされ、ネストリウスは解任、破門された。
 追放されたネストリウスは、エジプトで死んだ。

 ネストリウス派・・・ネストリウスの支持者はシリアのエデッサを中心として活動し、その後正統派の圧迫を逃れてペルシアに移り、ニシビスを中心として発展した。5世紀以後、セレウキア、クテシフォンに総大司教座を設け、教学、社会施設に力を注いだ。
 さらにアラビア、トルキスタン、インドに宣教師を送り、アラホン(阿羅本)によって中国にも伝えられ、景教と呼ばれた。
 のちイスラーム教に圧迫され、衰退と分裂を招いたが、今日なおアッシリア教会として、イラン、イラクに信者を持っている。