北方領土に関する
孫崎氏の整理と主張
1945年7月26日 8月2日まで。
ポツダム宣言(米国・中華民国・英国)→ポツダム会談(米英ソ)
ソ連は、日ソ中立条約のもとにあった。 米英は、ソ連を対日参戦させることを追求
米英は、その見返りに、対ソ譲歩の態度。
連合国最高司令部訓令(1946年=昭和21年1月)
「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」
それを踏まえた吉田茂首相の国会答弁
ソ連参戦の見返り…樺太(南半分)と千島列島をソ連に与える
サンフランシスコ平和条約では、
日本は、千島列島全体の放棄を受諾。
国後、択捉は、千島南部。すなわち、千島列島の一部。
米英の態度・・・・日ソ関係の進展を阻む意図
北方領土の解釈の変更…国後択捉は千島列島ではない、との主張を展開。
サンフランシスコ平和条約締結交渉当時は、「国後・択捉は南千島」、との立場。
「南千島は、千島ではない」との主張は、無理。
アメリカのダレス長官の恫喝・・・歯舞・色丹で妥協し、日ソ平和条約を結ぶということに反対。
1956年10月19日、日ソ共同宣言
米国は、「沖縄を併合する」と脅かした。