ナショナリズムとは?
バルカン半島―多数民族の混在・混住ー
19世紀末から20世紀初頭、ナショナリズムの高揚
20世紀初頭「火薬庫」、
第一次大戦の前夜、二度にわたるバルカン戦争
現在は?
ブルガリア―ルーマニアの現在・・・EU加盟(2007年)
バルカン半島へのローマの進出・ローマ帝国支配、ローマ人移住・入植・・・ルーマニアの形成
ローマ帝国によるキリスト教公認以降、キリスト教化・・・キリスト教の教会建設
ローマ遺跡(公衆浴場跡)とその向こうに、初期キリスト教教会(十字架の形の端緒形態)
ブルガリア…ブルガリア第二の都市プロブディフのローマ遺跡
バルカン半島は、ローマ帝国の東西への分裂後は、東ローマ帝国の支配下・勢力圏
ギリシャ正教系のキリスト教(ブルガリア正教、ルーマニア正教)の普及
ソフィアの南にあるリラの修道院(世界遺産)
・・・オスマン帝国時代、イスラム支配の下でも宗教活動容認
この修道院領は、最盛期、周辺の沢山の農村を領内に包摂
この修道院領だった村(町)は、渡り鳥コウノトリ(鸛)の飛来地(村・町)
アフリカからやってきて、バルカン半島を経由して、北のヨーロッパへ。
たとえば、北仏・ドイツ国境近くのシュトラスブルクは、コウノトリ飛来地の一つとして有名。
ルーマニアのトランシルヴァニア
13世紀、モンゴルの襲来
ハンガリー国王に辺境防衛のため招聘されたドイツ系入植者(職人・商人)の建設した町
市壁(ブルクBurg)は、町のギルド(ツンフト・同職組合)が、市の門を分担して防衛。
靴職人の門、仕立て職人の門など
オスマン・トルコの勢力拡大・・・オスマン帝国の形成・・・バルカンもオスマン帝国の支配下に置かれるようになる
その最初の過程・衝突でのキリスト教勢力の抵抗・反撃・・・その象徴としての「ドラキュラ伯爵」・ドラキュラの城「ブラン城」(ルーマニア、ブラショフ西南の町ブラン)
シギショアラ(トランシルヴァニア)・・・ドラキュラのモデルとされる「串刺し公」ウラドVlad(ヴラド3世)の生誕地
生誕の家・・・父がハンガリー王に幽閉されていた数年間の家・・・・ここで反オスマンの残虐果敢な敵対で有名な「串刺し公」生誕
(ブラン城内の壁にある家系図)
「串刺し公」ヴラドIIIの誕生の家
(父がここに幽閉されていた間に生まれた…現在はレストラン)
ヴラド・ツェペシュVlad Zepes 1431-1476
(シギショアラの町・歴史地区にある記念碑)
「串刺し公」ヴラド・ツェペシュVlad Zepes、1431-1476
攻めてくるオスマン軍(イスラム兵)を串刺しにしてさらし者にする、
オスマン軍の士気を沮喪させる、その残虐非道ぶり、反撃意思の強烈さ!
吸血鬼ドラキュラは、イギリス人作家ブラム・ストーカーの創作
バルカン半島へのオスマン帝国支配・イスラム教勢力拡大の象徴モスク
ブルガリアの首都ソフィアのモスク(町の中心地・大統領官邸前)
現在の大統領官邸(衛兵)
オスマン支配下では、キリスト教会は地下にのみ建設が許される。
赤い屋根の教会…地下に建設。
向こうに、地上にそびえるモスク
19世紀末葉、ロシアの支援(ロシアのバルカン半島への勢力拡大)によるブルガリア独立・・・その記念の教会
アレクサンドル・ネフスキー寺院(ロシア正教)・・・ロシアの勢力拡大。影響力拡大の象徴
ソフィア市の一番高いところに位置
ブルガリアで影響力を増すロシア、
ロシア人居住者の増加、ロシア正教の教会のさらなる建設
第二次世界大戦・・・ソ連によるナチスの撃破・・・・ソ連のバルカンへの勢力拡大
ブルガリア、ルーマニアの社会主義化
社会主義の時代のソフィア中心部の官庁街・・・・「スターリン様式」の建築
ブルガリア、中心部、スターリン様式とされる建築
ナショナリズムの建物(国民劇場・・左手赤い壁の建物)と
社会主義時代の機能中心の(安価な)建物(写真中央奥)
ブルガリア、ソフィア中心部
ーーーールーマニアナショナリズムの表現ーーーーーー
ルーマニア統一・王国成立(1881)の記念・顕彰
カルロ一世の騎馬像と大学本部
シナイヤにある城(ルーマニア国王、夏の離宮)とシナイヤ駅(貴族等が別荘建設・避暑)
国民的統一の中核をなす「国語」(ルーマニア語)、
その辞書の制作記念、教会付属のルーマニア語の学校(ブラショフ、聖ニコライ教会)
ルーマニアの戦勝記念碑
兵士慰霊(ブラショフ)・・・第一次大戦で連合国側で参加、犠牲の兵士追悼
戦勝記念碑(ブラショフ)
第一次大戦の戦勝と犠牲の兵士慰霊の記念碑(1939年)
ルーマニア、ブカレストの凱旋門・・・第一次大戦における戦勝記念
第二次大戦後、ソ連圏、社会主義化
1964年から1989年までの25年間にわたるチャウシェスク独裁
記念建築物としての「国民の館」(未完成で、独裁体制崩壊)…現在、予約制で全館の5%程度を見学できる。
以下、内部の様子をいくつか・・・・
コンサートなど催し物会場、会議場
5トンのシャンデリア
エントランスホール (壁に絵画)、うーマニア各地の民族衣装の像
ーーーーーーー1989年以降、ソ連東欧崩壊過程とルーマニアーーーーーーー
チャウシェスク独裁体制…チャウシェスクが最後に円雑下バルコニー、大統領府前の広場
革命記念広場
独裁体制下に自由を奪われ、作品・活動が抑圧、切り刻まれたことを象徴する像
革命派が抑えたテレビ局(バスの中から走行中撮影)