かわさき市民アカデミー:前期エクセレントIコース『世界を旅する⑨ドイツ・ツアー』
第7回2013年6月12日(水)ドイツの歴史⑤20世紀(Ⅱ)

―第三帝国の興亡・東西分断・ヨーロッパ統合と再統一―
                                            永岑三千輝

はじめに

   1919年と1989年との違いは何か? 2009年のワイマールとライプツィヒの記念行事


  *視点:「20世紀の三十年戦争」(チャーチル)としての二つの世界大戦…連続性・関連性

    その帰結としての、米ソ両大国による世界の分断、その中心としてのドイツ分断・冷戦体制


     東西冷戦の世界対抗において、東と西を分断する境界線は、ドイツを東西に分断する境界線が基本にある。 

     冷戦の諸要因の根底からの消滅過程、ヨーロッパ統合とドイツの再統一


  *力点は、ドイツ第三帝国の興亡・・・・そこでのホロコースト



1.ヒトラー、第一次大戦と・ヴェルサイユ体制

  ヒトラー(1889-1945)・・・ハプスブルク帝国の辺境の町(オーストリアとドイツの国境の町ブラウナウ・アム・イン(川の流れ)で
        税関の役人の子供として誕生(オーストリア人)
 
         リンツ→ウィーン・・・・住まい、挫折の日々―女子修道院施設で無料の食事、ホームレス・シェルター

         →(兵役忌避か?)ミュンヘンへ・・・・・その直後に、世界大戦勃発・・・志願(バイエルン歩兵連隊)
           
             ・・・18年目に損傷(入院中、政治家になる決意)

         熱狂的なドイツ民族至上主義者・反ユダヤ主義者・人種差別主義者へ。

   戦後、群小極右政党の一つ(ドイツ労働者党)へ軍(国防軍情報部員)から送り込まれ入党。

   20年2月25箇条綱領、党名を国民社会主義ドイツ労働者党=ナチ党へ、
  
        この党で頭角を現し、ナチ党の党首に。

        (ヒトラーが政治的階段を上るごとに、上昇した自宅・住まい、エヴァ・ブラウンの住まい、など)

   
   苛酷なヴェルサイユ体制・・・戦争責任・領土縮小・植民地喪失・天文学的賠償金

   これらに対する全国民的な怒り・・・・ヴェルサイユ体制をどう変えていくかは国民的課題
 
   ヒトラー・・・「敗北の克服」・・・ドイツを世界強国へ・・・東方大帝国建設

    ・・・『わが闘争』第一巻第二巻、さらに、『続わが闘争』(『第二の書』…非公刊、戦後発掘・公開)における一貫した目標
   
   1923年の危機・・・・フランスのルール占領・ハイパーインフレ・・・・左右の激化
     ・・・11月、ヒトラーのミュンヘン一揆・・・挫折・投獄

   ヒトラーは投獄中に大衆獲得路線(ただし、最後の決着は武力との根本思想)




2. 大衆獲得路線と相対的安定期

    ヨーロッパの安定・ドイツの安定・・・・戦勝国アメリカの関与:ドーズ案

   1924年から1929年まで・・・・「相対的安定期」・世界・周辺諸国との協調・

       ヴェルサイユ条約の履行政策の時代

       ナチ党は基本的に小政党に留まる。


3.世界恐慌とナチ党の躍進
(諸潮流の政治対立の激化から


  賠償金問題・・・ヴェルサイユ条約の根本問題・・・・ヤング案

  ワイマール共和国を担った諸政党への攻撃・・・・安定した議会構成ができない。大統領内閣 


    シャハトの行動(財界とヒトラーの仲介、その功績で後にライヒスバンク総裁、ライヒ経済大臣、のち失脚)

4.ヒトラー政権誕生・再軍備政策・「四か年計画」、
        そして「平和的」ヴェルサイユ体制打破・「主権」回復


   国会解散・・・「議会の圧倒的多数を獲得する」目標・・・しかし、・・・

   国会放火事件・・・ドイツ共産党を犯人としたてあげ、憲法停止・徹底的弾圧(裁判で、犯人とされた共産党関係者はアリバイがあり、無罪釈放・・・・有名なディミトロフ・・・有名な法廷弁論)

      (二つの問題: 誰が犯人か?という問題と 誰が、放火事件を利用したか、という問題、最大限に利用したのがヒトラー・ナチ党幹部であったことは明白・・・ワイマール憲法停止)

      (犯人に関する二つの説・・・リュッベ単独犯行、ナチ党突撃隊・警察など秘密謀略グループ

    →解散時の目的「議会で圧倒的多数の獲得」は実現せず

     ・・・・「全権委任法」を強行成立させる。

 
   秘密再軍備・・・軍需発注・・・受注で潤う重工業・化学工業などをはじめ、経済の急速な回復・・・・・1936年ころにはに「完全雇用状態」

   過度の「景気過熱」・・・資源・食糧・労働力における諸問題露呈

     →四カ年計画(1936年9月党大会)・・・第三帝国のアウタルキー政策(重要原料・食糧等の自給政策)


   「国民的課題」の「平和的解決」・・・ライン左岸への進駐(主権国家としての平等の権利の見地)

     →オーストリア「編入」(同じ民族が一つの国家を形成する…民族自決の正当化論理)

     →ズデーテン問題・危機(1938年夏―10月)・ズデーテン地域(ドイツ系住民300数十万の住む地域)の併合

         ・・・・「民族自決」原理・・・国境によって分断されドイツ人(ドイツ民族)の統一・・・・ナショナリズムの一段の高揚


        1938年11月9./10.「帝国水晶の夜」(ポグロム) ・・・突撃隊員・ナチ党員がシナゴーグ放火破壊、全土で約7千のユダヤ人商店を破壊。

             公表で91人のユダヤ人を殺害。商店略奪。約2万6千人をブーヘンヴァルト、ダッハウ、ザクセンハウゼン強制収容所に。

           この時点でユダヤ人を助けることはできなかったのか?

              ユダヤ人の子供を助ける運動・・・キンダートランスポート(ベルリン・フリードリヒシュトラーセ駅の記念碑)(ウィーン西駅の記念碑

                 (ごく少数のユダヤ人の子供がイギリスに,そこからさらにアメリカに逃れることができた)

              オットー・ハーンによる核分裂発見(12月クリスマス)・・・連鎖反応・・・原子力エネルギー(発電と爆弾の可能性)
     
                   ・・・1939年はじめ(論文公表)から世界中へ衝撃 

                   ヒトラーのもとで原爆開発? 
                  
                   イギリス、アメリカにおける危機意識→段階的なプロジェクトの拡大・予算の拡大、原爆開発へ。(マンハッタン計画は1942年夏から本格化)


     →1939年3月プラハ進駐:プロテクトラート(保護領)・ベーメン・メーレンの創出・・・・チェコスロヴァキアの共和国の解体

       1939年5月の会議で「9月1日までにポーランド攻撃準備を完了せよ」とのヒトラー命令


5.独ソ不可侵条約・ポーランド侵攻・電撃戦勝利・西ヨーロッパ主要部分を軍事支配下に

  1939年5月から9月、極東・シベリアでの軍事紛争(ソ連と日本・・・ノモンハン事件・・・ゾルゲ情報)・・・飛行機・戦車などを使った大量投入した本格的戦争

      ヨーロッパと極東・ノモンハンでの二つの戦線を回避したいスターリン、

      西での英仏と東でのソ連との二正面の戦争を回避したいヒトラー 

   独ソ不可侵条約(秘密協定で、ポーランド分割・・・・第4次

  1939年8月23日→9月1日奇襲攻撃開始 ・・・・9月3日英仏の対独宣戦布告

  ・・・1940年4月デンマーク・ノルウェー占領、5月西部戦線の火ぶたが切られる

  ナチス・ドイツ軍の破竹の進撃

  1940年6月下旬、・・・・パリ進駐


  対英戦・・・・見通しが立たない(海上覇権、防空体制・大軍の輸送体制)

           ・・・・『わが闘争』以来の一貫した目標「東方大帝国建設」・・・そのためのソ連征服

   1940年12月18日 バルバロッサ指令「最も迅速な進軍でソ連を蹂躙せよ」





6.独ソ戦・世界大戦・総力戦とホロコースト


  緒戦・・・奇襲攻撃で連戦連勝・・・・急速なドイツの進軍・・・・占領地拡大・・・最初の半年で、レニングラードを包囲し、モスクワに迫る。

  ソ連軍の抵抗・反撃・・・・次第に激化・・・・・ドイツ軍の被害も次第に増加


  急拡大する広大な占領地を迅速に平定し、現地から必要な食糧ほかの物資、資源を獲得する必要

      ・・・・ドイツ警察長官・親衛隊最高指導者ヒムラー、その部下ハイドリヒ、そのもとに編成されたアインザッツグルッペ(特別出動部隊、機動部隊、行動部隊等の訳)


  ホロコースト
    ユダヤ=ボルシェヴィズム、「闇商売の元凶」、「大食漢」とされるユダヤ人の抹殺・・・・最初の半年だけで、アインザッツグルッペにより約50万が犠牲に

      射殺・・・最初は、男性ユダヤ人だけ、

         すでに41年8月ごろからは婦女子・老人をも含む無差別射殺(Cf.イェーガー報告書


  この過程で、
     移動型ガス室」の開発 (開発の理由・投入地域地図

   
 1941年11月〜12月
   「冬の危機」・第三帝国最初の危機・・・・ナポレオンの敗北を連想させる

 1941年12月7日(日本では8日)真珠湾攻撃・・・日米戦争・・・・ヒトラーの対米宣戦布告・大演説:
                ヨーロッパの戦争とアジア太平洋の戦争が結合して、文字通りのグローバルな世界大戦
 

 
 1942年1月1日 連合国宣言・・・・・日独伊枢軸対連合国の文字通りのグローバルな(世界的・地球的)対決・死闘の開始

 1942年1月20日 ヴァンゼー会議・・・・議題:「ユダヤ人問題の最終解決」
    (帝国保安本部長官ハイドリヒが招集、議長で会議をリード)

 ポーランド東部に絶滅収容所建設(ベウゼッツ、ソビボール、トレブリンカ
 
   1942年5月末、ハイドリヒはプラハで出勤途中、襲撃され、手榴弾の破片が突き刺さり、6月初め死去。ヒムラーが計画(ラインハルト作戦)遂行。

    1942年のうちにポーランドの圧倒的多数のユダヤ人はガス室に(1943年初めのヒムラーの調査結果→ヒトラーへの報告書)  

       Cf. 拙稿「ユダヤ人移送(疎開)と特別処理(ゾンダーベハンドルング)」(論文Pdf)


 ドイツに編入したアウシュヴィッツにも、巨大プラントと巨大な収容所・・・「労働と絶滅」

       アウシュヴィッツの本格的な「ガス室」(火葬場)は、1943年から稼働 



 
7.連合軍の全土占領・ドイツ無条件降伏・米英ソ仏による全ドイツ占領
 
   最終局面: ベルリン攻防戦・・・・全面敗退: ヒトラーの最後: 

   ヤルタ協定: 東方のドイツ人1千数百万人の追放・・・・ドイツ領土の大幅な縮小 1945年ドイツ

   連合国共同のニュルンベルク主要戦犯裁判、アメリカ単独の継続裁判
   
       ・・・西ドイツにおける厳しい姿勢・ナチ戦犯い対する追及の継続(今に至るまで)

   米(英仏) 対 ソ連  ・・・冷戦
 
   ドイツの東西分割占領の固定化

   1949年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立




     
8.米ソ二大陣営のそれぞれの優等生としての西ドイツ・東ドイツ

  二大陣営とも、ドイツを取り込んだ経済復興

  西ドイツ・・・・米英仏の占領地区の早期的統合・・・・通貨改革、マーシャルプラン

    西ドイツへのアメリカの積極的な介入・・・ヨーロッパ復興の見地(アメリカの政治的経済的軍事的利益)

  ドイツ復興と西側全体の復興の融合・・・・石炭鉄鋼共同体
                             →ヨーロッパ経済共同体
                                そして、ヨーロッパ連合

  1961年ベルリンの壁(1989年崩壊後の様子



  戦後期(1945-49・50)
     
     →高度成長期(50年―70年代初期)・繁栄と冷戦

         →高度なレベルでの低成長:ヨーロッパ諸国の融合




むすび 

  
連合国の第一次大戦から第二次大戦の反省・・・・・米英大西洋憲章→国際連合


  
ドイツにおける「過去の直視」・・・数多くの歴史博物館・記念碑(ex.ベルリン)・・・・次回講義の佐藤さん主要テーマ


  平和革命としての1989年10月・11月・・・・平和的な市民の意思表示・教会での集会とデモ、その全国的拡大・
       
        ヨーロッパと世界の平和秩序の安定化との相互関係


  東西統一・EU成立→各国の国民的主権の可能な限りの希釈化
       
  



文献:
     本講義に関する拙稿・拙著等