拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994年
表紙写真・・・「最初の食糧 ウクライナからベルリンへ」
ドイツがソ連に侵攻して、最初の半年間に侵攻・占領地他地域
スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチが、女性や子供の体験を聞き出した地域は、ミンスクを中心とする白ロシア(ベラルーシ)
中央軍集団がソ連の首都モスクワに向けて進撃し、占領した地域。
バルト三国の一つ・ラトヴィアの犠牲者の割合が一番高く、
ついで、白ロシアの犠牲者の割合が高い。
白ロシアの場合、人口の約4分の1が犠牲になっている。
戦時捕虜(兵士たち)の数と犠牲者数は?
最初の半年間に、約335万人が捕虜に。
そのうち生き残っているのは、116万人ほど。
死亡したり、逃亡したり、一部釈放されたり、200万人。
有刺鉄線だけで囲われた空き地に、大量の捕虜が詰め込まれ、厳しい寒さを迎える中、満足に食料も与えられず、多くが餓死・病死。