19-01-20〜02-01史料文献調査:
     ドイツ博物館(ミュンヘン)のアルヒーフと図書館

               
ユンカースとソ連、ユンカースとスウェーデンを中心に。


科研費・基盤(C)「ドイツ航空機産業の世界的転回―世界の勃興期航空機産業との関連の解明―」による史料・文献の調査。

ユンカースアルヒーフの文書群のうち、今回はまず、ロシア(ソ連)を。
その間に、スウェーデンとユンカースの子会社A.B.Flygindustriの史料を調査。

約7000枚ほど、史料を撮影。

このアルヒーフ作業は、平日のみ可能。土・日閉館。

ところが、図書館は、土・日も開館。
そこで、ユンカースの1919年から1933年に関する文献を調査。かなりの文献を発見し、撮影。




この10年ほど調査を続けている。
最初は、ナチ体制下ドイツの原爆開発の進展状況(その挫折)を調べるため、このアルヒーフを調査した。
その後、このアルヒーフにある企業文書のうち、ドイツ航空機産業の史料、特にユンカースのそれが、1919年から1933年までに関して非常に豊かであることがわかってきたので、その調査を何度も行ってきた。今回も、その延長線上の仕事である。

アルヒーフにはこれまでに20回近くも訪れているのではないか。

 しかし、その10年あまりの間に、アルヒーフで日本人と会ったのは一度だけ。その方は、祖父の明治時代の楽器製作関係の史料を調べていた。

 もう一人は、 日本語を流暢に話すドイツ人。

 この方は、慶応大学経済学部でドイツ語を教えているクナウプ教授。
 クナウプさんには、一度、市大でアルヒーフでのお仕事について、公開講座でお話していただいた。
 その時のテーマは、シンチンゲル(明治から大正にかけて、クルップの社員として日本に滞在)とドイツ航空機産業との関係。
 クナウプ教授の航空機関係の文書館史料紹介が2008年に慶応の学術雑誌に発表されている。


 このシンチンゲル氏は、クルップの社員から第一次大戦後は日本の領事として活躍するほど「日本びいき」(拙稿「ユンカースの世界戦略と日本」でも、若干言及)。

 クナウプさんがなぜシンチンゲルのことを調べているのか?

 実は、クナウプさんは、ドイツ語辞書(独和・和独)で有名なシンチンゲル(上のシンチンゲル氏の息子、いや孫だったか、ともあれ東大教養学部で教鞭をとっていた)の教え子であり、辞書作成協力者。


もう一人は、ドイツと日本の航空機の技術関係(日本によるドイツ技術の輸入)を中心に研究している若手研究者の西尾隆志さん(明治大学博士課程3年)で、彼は私がアルヒーフを案内した。

 そんなわけで、アルヒーフも図書館も、訪れた日本人(日本関係者)はほとんどいないわけで―少なくともこの10年間の私の経験からすれば―、ここにアルヒーフと図書館のことを写真で紹介しておくのは、関心を持つ人には意味があるだろう。


アルヒーフは、図書館の建物の中の最上階にある。
 
 
建物の中心的機能は図書館だが、管理棟としての機能などもここにある。
 下記の写真中の案内板が示すように、この中には、ドイツ博物館の管理部や「友の会」の事務所など、多様な部屋がある。


 ドイツ博物館ー図書館の建物



    真正面が、図書閲覧室Lesesaalへの通路。
    写真では小さくてわからないかもしれないが、真ん中にグーテンベルクの胸像が置かれている。




図書館の建物玄関(Frauenkirche聖母教会の古い時計の置物がガラスの箱の中に)。


       アルヒーフなどへの案内板


玄関から二階へ


二階フロアから玄関を見下ろしたところ



   二階フロアから三階への階段(右側に見える入り口から)

   二階から三階への階段

  二階から三階への階段


     階段を上がって、Archiv。 アルヒーフ閲覧室入り口ドア



アルヒーフの閲覧室・・・この日も利用者はほとんどの時間、私一人。




ーーー土・日も開館の図書館・閲覧室ーーーー













イーザ(Isar)川


















ーーー中庭側閲覧室ーーーー


    中庭側の閲覧室から中庭を見たところ







   ユンカースとロシアに関する博士論文とユンカース死去50周年記念コロキウム記録





イーザ(Isar)川から閲覧室などを見る。アルヒーフ(最上階)↓図書館閲覧室(2階)↓の建物風景

私の連続写真3枚を、グーグルがパノラマに仕上げたもの・・・直線が曲線になっているが、およその位置関係を確認できる。

博物館は、Isar川の中洲の小島(Museumsinsel)の上に建てられている。