ドイツ第三帝国最初の「冬の危機」
1941年12月6日、ジューコフ将軍は、100個師団の新鮮なソ連軍をモスクワ戦線に投入。
その中には、50個師団の装備の良い、防寒十分の軍服を着たシベリア兵と7万の騎兵Beritteneがいた
これが、甚大な被害を被っていたドイツ軍に襲い掛かって、撤退を余儀なくさせた。
ドイツ中央軍Heeresgruppe Mitteは、深刻な危機に陥った。
ヒトラーの総統大本営では、世界の没落の気分が広がった。
カイテルはピストルをそばに置き、自殺の考えがよぎっていた。彼は、ヨードルにより、ヒトラーのそばで持ちこたえるべき義務を思い起こさせられた。
ブラウヒッチュ陸軍総司令官は、これまでもたびたびではあったが、12月7日、ヒトラーに辞任を申し出た。
(Max Domarus, Hitler. Reden und Proklamationen 1932-1945, Wiesbaden, S.1791)