第3回 深める:なぜホロコーストは起きたのか

      
目次
(全体の流れの概観)

まえおき


  ホロコースト否定論と歴史科学
     歴史科学は、ホロコーストの筋道を丁寧に実証的に解明。その過程での論争
     歴史科学における一つの論争点:がヒトラーの「ユダヤ人絶滅命令」の時期をめぐる論争
        1939年1月国会演説
        1941年7月31日ゲーリング令(ハイドリヒに対する命令書)
        1941年12月対米宣戦布告・世界大戦化におけるヒトラー言明 

本論

    ヒトラー・ナチス・ドイツの膨張政策(一貫した目標と段階的実現への道)・その必然的結果としての戦争政策
     膨張政策の根底を流れる一貫した理念=ドイツ民族支配の世界強国の建設
     ・・・膨張的ナショナリズム=弱小諸民族の支配の正当化=人種・民族の階層的位置づけ
     ・・・アーリア人種の世界的優位性
        ドイツ民族の優秀性・優位性
          世界の他の諸民族の階層的位置づけ・・・最底辺にユダヤ民族

第三帝国膨張・戦争の諸段階とユダヤ人迫害

強制移送の時期

1.オーストリア併合
2.ズデーテン併合
3.チェコスロヴァキア解体・・・プロテクトラート・ベーメン・メーレン保護領の創設

強制移送・ゲットーへの集中化の時期
4.ポーランド侵攻・・・ソ連とポーランドを分割  
     ドイツに併合する部分と総督を置いて支配する地域
5.電撃戦における西部ヨーロッパへの侵攻・占領支配
     デンマーク、ノルウェー
     オランダ・ベルギー・フランス

西部からのl移送中断・戦闘後方地域における射殺・無差別射殺への過激化の時期
6.バルバロッサ作戦・・・ソ連侵攻・ソ連占領・ソ連の分割支配計画・東方全体計画
  その全体戦略のなかでのユダヤ人政策

  移送政策の中断
   1941年3月、移送政策を中断。戦争勝利に全力

  ソ連の抵抗の高まり、戦闘の過激化とユダヤ人射殺の無差別化
   1941年6月〜8月 ユダヤ人殺戮の無差別化

臨時的回避策としての強制移送政策への転換その難問群
  電撃的ソ連制圧の挫折と西部・南東部ヨーロッパ・ユダヤ人の「東方移送」・・・臨時的回避策
    1941年9月の転機

    臨時的回避策としての西方ユダヤ人移送の直面する難問群
    
    占領下全ヨーロッパのユダヤ人問題解決の必要性
     ・・・会議招集(当初、12月9日)

     深刻な「冬の危機」

真珠湾攻撃・文字通りの世界大戦化とヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅政策への急進化
     12月7日(ドイツ時間)の日本の真珠湾攻撃

     12月11日 ヒトラーの国会演説・・・対米宣戦布告

     12月12日 ヒトラーのナチ党最高幹部会議での演説(ゲッベルス日記)
   
     12月16日 ポーランド総督府長官フランクとの会談・・・・フランクの12月初めの閣議における発言

   1942年1月1日 26か国連合国宣言・・・単独講和をしないで最後の勝利まで戦い抜く宣言

         連合国 対 枢軸国の世界的対抗関係・・・・文字通りの世界戦争 (それまでは、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争は、一体化していなかった)

      1月8日 ハイドリヒのヴァンゼー会議招集:議題「ユダヤ人問題の最終解決」

「ユダヤ人問題の最終解決」を議題とする中央官庁次官級会談・・・基本方針確認
7.ヴァンゼー会議・・・・記念館資料集(邦訳・山根徹也・清水雅代、市大叢書8)
    移送政策と絶滅政策の体系化
    最初のターゲット・・・総督府ユダヤ人・・・250万人・・・「そのほとんどは労働不能」と。 
       絶滅収容所・・・ソビボール・トレブリンカ・ベウゼッツにおけるガス殺(CO)
       
ラインハルト作戦

    西方ヨーロッパ占領下のユダヤ人の「東方への移送」、「東方への疎開」・・・・労働収容所と絶滅収容所
       最初のガス殺は、農家改造の建物で。
       アウシュヴィッツ郊外ビルケナウの広大な労働収容所にコンクリート製ガス殺設備・死体焼却棟の建設開始
         1943年になって完成

8.最終段階のハンガリーユダヤ人のガス殺
   1944年春から夏・・・40数万人を数か月で。
   死体焼却能力を超えた殺戮・・・・屋外で償却

   映画『サウルの息子』の描いていること。


まとめ: 証拠隠滅作戦 
     絶滅収容所の解体・破壊
     死体を掘り返し、粉々にして焼却

     アウシュヴィッツ・ビルケナウのガス室・火葬場の破壊・証拠隠滅は、不完全・・・たくさんの証拠の残存