ハンザの交易路が、ズント海峡経由ではなく、
陸路、すなわち、リューベック―ハンブルク経由であったことはいかなる歴史的事情によるか?
1.ハンザ諸都市、特に中心都市リューベックとデンマーク王国の対立
2.ズント海峡の海上交通・海運の難しさ(今日では想像できな事情)
3.ハンブルク―リューベック間の陸路は、古くから開拓され、距離が短いだけでなく、安全。
4.代表的商品が、東から西へは、琥珀など
西から東へは、毛織物など。
5.リューベックの衰退とも関連するのは、その後の穀物・木材等の大量の重さも容積もある商品の西への輸送
この点では、海路・船の方が圧倒的に有利。
6.それと関連して、オランダ商人によるズント海峡の利用・開拓。
高橋理(たかはし をさむ)『ハンザ「同盟」の歴史――中世ヨーロッパの都市と商業』創元社、2013年
参考文献リスト:スキャンファイル
本文から問題に関する若干のページのスキャンファイル
19世紀における海洋法・国際法
1870‐71年 独仏戦争における私掠行為
飯田洋介『グローバル・ヒストリーとしての独仏戦争』NHKBooks、2021
私掠行為関連の若干の抜粋スキャン:スキャンファイル