伝染病を媒介するノミ、シラミ(19世紀後半以降の科学的発見、それまでは伝染病の原因不明)
中世パンデミック・・・・濱田篤郎『パンデミックを生き抜く――中世ペストに学ぶ新型コロナ対策』朝日選書、2020年7月
(参照箇所スキャンファイル)
中世、黒死病(ペスト)大流行の媒介者としてのネズミ(→ノミ)、シラミ
・・・・・19世紀末の北里柴三郎などの医学的発見によりペスト菌が明らかとなり、
そのペスト菌を運ぶ媒介者としてネズミ、その血を吸うノミが明らかになる。
濱田説では、シラミも媒介者(これがどこまで確立した医学的見解かは懸賞の必要あり)。
第三帝国戦時期のゲットーと強制収容所・・・・拙稿「第三帝国の戦争政策とユダヤ人迫害――ポーランド1939年9月〜1941年6月」『横浜市立大学論叢』第72巻 社会科学系列 第1号、2021年他、参照(スキャンファイル)。
発疹チフス・・・戦争チフス
シラミ
マクニール下、111‐112
「断続的に発疹チフスは発生し、その都度、軍隊を壊滅させ、あるいは、監獄、貧民救済所、その他文字通りシラミだらけの施設をからにするなどし続け、第一次世界大戦ではこの病気で二百万人から三百万人が死んだ。」(同、111)
「発疹チフスは結局、集団と貧困の病気だったのだ。発疹チフスで死んだ貧民のほとんどは、たとえ菌を保有するシラミが彼らの誌を促さなかったとしても、他の病気によって遅かれ早かれ片付けられてしまったであろうことは、統計学的な確率からも間違いない。特に都市のスラムやそれに近い環境、つまり栄養の悪い人々が惨めに蝟集している場所では、無数の他の、感染症――結核、赤痢、肺炎などが獲物を奪い合っていた。発疹チフスはほかの多くの感染症よりも速やかな死をもたらしたというだけであって、発疹チフスによる死者数の大きな数字を一目見たとき想像されるほどには、人口に大きな影響を与えなかったのだ。」(同111‐112)
ツィクロンBは、青酸ガスによるシラミ駆除剤・・・・これが、ユダヤ人大量殺害に転用された。
反ユダヤ主義(中世の宗教的反ユダヤ主義と第三帝国の人種主義的反ユダヤ主義の違いはあるが)
ユダヤ人→戒律に従って積極的に入浴→清潔→「これが幸いしてかペストにかかる者が少なかった可能性もあるが、逆にそえがそれが反感をかい、流行を起こした原因にされた」148ページ (該当箇所前後スキャンファイル)
果たして、そんな言説があったのか?
検証が必要。
また、ユダヤ人=清潔、といったことが、本当に反感を買った理由か? これも検証が必要。
1349年シュトラスブルク・ポグロム Wikideリンク
この説明を読む限り、都市内部における階級的な激しい対立。
それと、伝統的なキリスト教界に支配的な宗教的反ユダヤ主義といった要因が、ポグロムの原因。
パーリアとしてのユダヤ人に税金を課している都市(行政・支配者)の側は、課税に見ある保護をユダヤ人に与えていた。
そこで、都市支配者とこれと対するする手工業者などとの対立の渦中で、ペストの流行・大量死の原因をめぐり、ユダヤ人が
スケープゴートにされた。
さしあたり、Wikipedia.deより
Judenhass war in der damaligen Gesellschaft tief verwurzelt und fand vor allem in religiösen Ressentiments (Hostienschändung, Ritualmord,
Viele Juden hatten als Kreditgeber eine wichtige Position in der städtischen Wirtschaft, wurden dafür aber im Volk schlecht angesehen.[5] Dabei waren die Juden wirtschaftlich durch enorme Abgaben und Steuern belastet, die ihnen vor allem für die Gewährung von Schutz abverlangt wurden. Formal gehörten die Juden zwar noch zur Kammer des Königs, die Rechte hatte dieser faktisch jedoch schon längst an die Stadt abgegeben (die Bestätigung der betreffenden städtischen Rechte durch Karl IV. erfolgte bereits 1347.[6]) Straßburg nahm also den größten Teil der jüdischen Steuern ein, hatte dafür aber den Schutz der Juden zu übernehmen (die genauen Steuerleistungen regelten Verträge, z. B. der Trostbrief des Jahres 1338, als Reaktion auf die antijüdische Armlederbewegung
Vor dem Hintergrund der drohenden Pest wurde im Volk den Juden die Schuld am Schwarzen Tod durch Brunnenvergiftung
ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』上、下、中公文庫、2007(初版は、新潮社から1985年)(ペスト関連中心に抜粋スキャンファイル)
蔵持文三屋『ペストの文化誌――ヨーロッパの民衆文化と疫病――』朝日選書533、1995(ユダヤ人迫害関係スキャンファイル)
ノーマン・F・カンター2001『黒死病――疾病の社会史』青土社、2002(ユダヤ人迫害関係スキャンファイル)
ジョン・ケリー2005『黒死病――ペストの中世史』中央公論新社、2008(ユダヤ人迫害関係スキャンファイル)
宮崎揚弘(Miyazaki Akihiro)『ペストの歴史』山川出版社、2015(ユダヤ人迫害関係スキャンファイル)