ポーランド人指導者層の殲滅
独ソ不可侵条約でポーランドを手に入れたソ連も、進駐時に捕虜にした将校など2万人を1940年に射殺。
悪名高い「カチンの森」(テキスト127ページ)に、軍服を着たままの射殺状態で埋葬。
18世紀後半にプロイセン、ロシア、オーストリアによって分割され、地上から存在を消したポーランドは、
強い独立志向、翼初をはねのけようとする革命意識・熱情
(パリに亡命していたショパン「革命」・「軍隊」を作曲)。
辛酸をなめ、革命・独立を目指す運動がいつも鎮圧されていたが、
第一次世界大戦の結果、独立を果たし、共和国を建設。
その悲惨な歴史から、ポーランド・ナショナリズムが強固。
第一次世界大戦の結果、ポーランドを分画支配していた三つの強国(ドイツ、ロシア、オーストリア)が敗戦国に。
この力関係のなかで、やっと独立達成・共和国建設。
第一次世界大戦後のヨーロッパで、最大の軍を持ち、独立を守ろうとしていた。
ポーランド共和国の指導層・支配層における強い独立意志と努力。
ポーランド回廊など、ドイツとの紛争でも、強固な態度。
そうしたポーランド指導層を殲滅することが、ヒトラーの最初からの戦争戦略
(実際に「犠牲者は6万人にものぼる」石田,332)。
ポーランドを支配し、ポーランドの民を「労働奴隷」にすることが、目標。