2023年11月15日(水)13:00〜14:30
ホロコ―ストの歴史と記憶〜ナチス・ドイツのジェノサイドに向き合う〜
第2回「ホロコ―ストの開始、進行のプロセスを解明する」
はじめに
配布するレジュメは、下記のウェブページに掲載しています。レジュメ最下行にも明示していますが、
https://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/2023-11-15Holocaust-warum-wann-wie-wo-.html
レジュメの中でリンクを張っている諸資料(文献、地図、その他)は、このウェブ―ページでアクセス可能です。
拙著『アウシュヴィッツへの道――ホロコ―ストはなぜ、いつから、どこで、どのように――』春風社、2022年3月刊。
その後、次の三つの論文で、補充、実証的補強。
「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942‐1945」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐1。PdfPdf.
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「第三帝国敗退最終局面とハンガリー・ユダヤ人の悲劇――1944‐1945大量殺戮の歴史的文脈」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐2・3合併号。PdfPdf
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本日、教材として新しくお渡ししたのは、下記拙稿の抜き刷りです。三つの補充論文の最新のもの。
「独ソ戦・世界大戦とドイツ・西欧ユダヤ人の東方追放――「ユダヤ人問題最終解決」累進的急進化の力学――」『横浜市立大学論叢』人文科学系列、74‐1所収投稿日(2022年8月31日)刊行(Pdf.納品2023-05-18)。
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ロシア、プーチン政権のウクライナ侵攻
・・・これをどう見るか。
勃発当初から、核戦争、世界戦争の危険が多くの人々の不安を掻き立てた。
核戦争・第三次世界大戦の危険は、なくなったか?
しかし、
そもそも、歴史上、「世界戦争」は、いつから始まり、いつ終わったか?
今日までのところ、人類は二つの世界大戦を経験。
戦争が終わったあと、戦争の拡大と長期化・総力戦化の経験を踏まえて、「この戦争は世界戦争だった」と。
しかし、ヨーロッパで戦争がはじまったとき、だれが、その戦争が世界を巻き込み、長期化し、総力戦化すると想定したか?
第一次世界大戦は、常識的・世界史教科書的には、いつからはじまったか?
第二次世界大戦は、常識的・世界史教科書的には、いつからはじまったか?
目の前のウクライナ戦争について、既に『世界戦争が始まった』という書物も見られる。
しかし、みなさんは、世界戦争とは何か、何を基準に、どう考え判定しますか?
ロシアのウクライナ侵攻が世界的反応を引き起こし、多かれ少なかれ世界的影響を与えてきた。
この世界的関連は事実。
だからといって、現在のウクライナ戦争が、「世界戦争」といえるか?
ホロコ―スト(ユダヤ人大量殺戮)も、まさに、実は、こうした問題と密接に関連する諸問題をはらんでいます。
すなわち、戦争はどのように拡大していったのか?
ヨーロッパの戦争とアジアの戦争は、別々に勃発し、展開。
ヨーロッパの戦争とアジアの戦争が結び付いたのはいつか?
世界戦争は、いつはじまったのか?
世界戦争は、どのような経過で、文字どおりの世界の戦争になったのか?
第二次世界大戦は、1939年9月1日に始まったのか?
1939年9月1日、ナチス・ドイツ、第三帝国ドイツは、ポーランドに侵攻。
9月3日、英仏が対ドイツ宣戦布告。
しかし、ソ連は、ナチスのポーランド侵攻直前の8月23日に、独ソ不可侵条約を結んでいた。
ヒトラーのドイツとソ連のスターリンは、いわゆる「悪魔の抱擁」をしていた。
この独ソ両大国の協力関係=平和関係=攻撃しない約束、
これが、ヒトラーのポーランドの短期電撃的な制圧・征服を可能にした。
ソ連も、ドイツと秘密に約束したポーランド東部を占領し、支配下に置いた。
ポーランドの第四次分割。
1. ポーランド侵略・征服とユダヤ人政策
ポーランド征服計画・・・ポーランド西部地域のドイツへの併合、
残りのポーランド(総督府)の隷属化
・・・総督府による支配、「労働奴隷としてのポーランド人」
ユダヤ人は集めて、後に追放・強制移住
その一環として
強制追放政策⇒「ユダヤ人居留地」構想
(Cf. インディアン居留地・・・強者がマイノリティを狭い地域に閉じこめる)
ユダヤ人を主要都市に集め、その一区画ゲットーに閉じ込め、次の政策「ユダヤ人居留地」創出計画、そのの前提を創り出す。
ポーランド制圧直後に始めたドイツへの併合地から総督府への移住政策
・・・順調には進展せず。難問群・・・受け入れ地の事情(住宅・食糧その他)
ポーランド総督フランクが受け入れに拒絶反応
・・・自分の担当地域総督府に大量の移住者は受け入れられない。。
ヒトラーは、対英で、1939年戦争終結を模索・・・国会演説
ヒトラーの手前勝手な和平提案に英仏は乗ってこない。
⇒対英仏戦を決断。
約8か月(1939年9月〜40年春)の「奇妙な戦争」(英仏との戦闘なし)
1940年5月、西部戦線の戦闘勃発。
2.電撃戦勝利(独ソ不可侵体制によるヨーロッパ分割の成功)、
フランス占領・・・(ユダヤ人をマダガスカル島に追放する計画「マダガスカル計画」)。
しかし、対英戦争(バトル・オブ・ブリテン)では挫折・・・戦争長期化
1940年夏、ヒトラーは、ソ連奇襲攻撃を計画し始める。
対ソ戦の準備を軍部に命じる。
数か月後、
1940年12月18日、対ソ奇襲・征服作戦「バルバロッサ」指令。
対英戦中でも、ソ連を短期に征服する計画(ソ連においても電撃戦勝利の構想)。
41年5月15日までに、準備を完了せよ。
そのソ連占領・征服政策の一貫として、
対ソ戦における警察機構・治安機構の準備・・・・A, B, C, D4つのアインザッツグルッペの編成
3.「バルバロッサ」指令発動、電撃的領土征服
1941年6月22日から1941年12月までの半年間に急拡大し広大な占領支配地(地図)
激戦の連続・・・撤退しつつも、ソ連の反撃の高まり
1941年3月ユダヤ人移送計画を中止・・・全力をソ連征服の計画に集中。
緒戦・電撃的勝利の段階から
長期戦化・総力戦の泥沼・敗退へ
(拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941―1942』目次)
4 電撃戦戦略の挫折と開戦後半年間の占領実態
ソ連=「ユダヤ・ボルシェヴィズム」の支配体制
ソ連の電撃的征服の一環としてのユダヤ人政策(ソ連ユダヤ人の絶滅政策)
軍事的侵攻・前線の背後で、「ボルシェヴィズムの源泉としてのユダヤ人」射殺
アインザッツグルッペ(治安警察保安部の特別出動部隊)によるユダヤ人殺戮の急激な展開
拙著『独ソ戦とホロコースト』(目次)
拙著『アウシュヴィッツへの道』(目次)
4.東方占領地における抵抗・苦境・ソ連の反撃
⇒「冬の危機」
しかし、1941年11月末までは、なお、モスクワ攻撃中、
その成功を目指し、ソ連制圧の「展望」、「確信」をもっていた。
この時点は、未だ、文字通りのグローバルな世界大戦には突入していなかった。
(これが、本日配布した拙稿抜き刷り論文の肝)
1941年晩夏までに電撃戦戦略の挫折明確化・・・ユダヤ人の移送作戦を臨時的に再開。
ユダヤ人の東方への臨時的移送政策とその挫折過程
(拙著『ホロコ―ストの力学――独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』目次:)
第4章 一次回避的移送政策とウッチ・ゲットー問題
第5章 部分的疎開政策とガス自動車「安楽死」作戦
とりわけ、ドイツ占領・ドイツ戦時経済への諸負担累積の、
ポーランド総督府の苦境・・・ドイツとソ連の中間地、長期の占領支配。
「来年春まの臨時的措置」として移送しようとしても、それが不可能。
5. 軍事同盟国日本の対米戦争開始、
それに伴うヒトラーの対米宣戦布告
(1941年12月11日国会演説)(ドイツ語・世界戦争Weltkrieg)
・・・ここから、文字通りの世界戦争への突入。
総督フランクの閣議発言(拙著『アウシュヴィッツへの道』該当ページ)
総督次官ビューラーの要望・・・ヴァンゼー会議議事録(該当ページ)。
6.ヴァンゼー会議・・・議題「ユダヤ人問題の最終解決」
1942年1月20日
議事録・・・ヴァンゼー記念館(ベルリン郊外)の展示資料
そのなかに議事録、山根徹也・清水雅大訳『資料を見て考える ホロコ―ストの歴史』
1942年1月1日の26か国連合国宣言、これを受けて、
ハイドリヒが、「もはや延期できない」と、1月8日に召集。開催が、1月20日。
1942年1月30日国会演説――「ユダヤ人が思っているようなヨーロッパのアーリア諸民族が根絶されるのではなく、この戦争の結果はユダヤ人の絶滅だ。」
7.ラインハルト作戦
ポーランド・ユダヤ人約200万人を中心とする総督府絶滅収容所(総督府東部に三つ建設)での殺戮。
ベウゼッツ、ソビボール、トレブリンカ
(先取りすることになるが、1943年春以降に死体を掘り出し、焼却…徹底的証拠隠滅)
8 世界大戦⇒西ヨーロッパ諸国からユダヤ人移送
1941年9月〜10月からの「臨時的移送政策」開始。「総統のご希望により」。
その挫折‥‥ハイドリヒによる急場しのぎ策=ウッチにおけるガス自動車作戦の開始
(作戦開始と進行に関する極秘文書…1941年12月から半年間の活動報告・ガス自動車改良提案)
12月7日(現地時間)日本の真珠湾攻撃…対米戦争・アジア太平洋戦争勃発
・・・文字通りグローバルな世界戦争の口火を切って落とす
12月11日ヒトラー国会演説・・・対米宣戦布告
12日 ナチ党幹部へのヒトラーの演説・・・「世界戦争だ、ユダヤ人に命で償わせる」
(1939年1月30日国会演説での予言
・・・「世界戦争」を引き起こす責任を「国際金融資本」とし、
ボルシェヴィズムと合わせともに串刺しで批判し、絶滅を宣言)
1942年1月1日米英を軸とする26か国連合国宣言
これを受けて、ハイドリヒ、1月8日、ヴァンゼー会議招集・・・1月20日開催。
本日配布の下記抜き刷り(目次)
拙稿:「独ソ戦・世界大戦とドイツ・西欧ユダヤ人の東方追放―「ユダヤ人問題最終解決」累進的急進化の力学―」
『横浜市立大学論叢』人文科学系列、74‐1所収投稿日(2022年8月31日)刊行(納品2023-05-18)。
9.アウシュヴィッツにおける応急的ガス室、
1942年はじめ、ビルケナウ収容所にあった二軒の農家の改造。
西ヨーロッパなどから強制移送(ガス室への道)政策により、大規模施設必要に。
⇒コンクリート製クレマトリウム(火葬場・ガス室併設)の建設へ
⇒アウシュヴィッツ・ビルケナウにおけるクレマトリウム建設終了・稼働は1943年春から
拙稿:「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942‐1945」
『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐1。Pdf.
10.戦争=ナチス・ドイツ敗戦・最終段階
国境に撃退されたドイツ国防軍接近・・・ハンガリー・ユダヤ人の運命
(1938-41年ハンガリーの領土拡大⇒逆に44年春ソ連赤軍接近:地図Pdf)
1944年春から夏、40数万のハンガリー・ユダヤ人のアウシュヴィッツ・ビルケナウへの
連行・ガス室殺
・・・完成した4つのクレマトリウム、フル稼働。
拙稿:「第三帝国敗退最終局面とハンガリー・ユダヤ人の悲劇――1944‐1945大量殺戮の歴史的文脈」
『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐2・3合併号。PdfPdf
しかし、死体焼却は、キャパシティーを超える。
屋外で、処理へ。(『アウシュヴィッツの巻物』拙稿書評『週刊読書人』掲載)
むすびにかえて
ホロコ―ストは、ジェノサイドの一形態。
政治的軍事的に絶大な権力を持つ側・イスラエルが、
政治的経済的軍事的に軍事的に弱体極まりないガザ市民に多大の犠牲を与えている。
イスラエルは、ホロコ―ストを持ち出し、「ホロコ―ストの犠牲者」をいわば演出しているが、
実態からすれば、「ホロコ―スト」をもてあそぶように感じられる。
現在のイスラエルがガザ地区に対して行っていることは、ジェノサイド。
国際批判の高まりを受けて、民間人の犠牲をださないように、どこまで実際に考慮さてているのか?
イスラエルは、ハマス掃討・殲滅を掲げ「大義」としながら、ガザ地区の住民を無差別に殺戮している。
イスラエルの犠牲者は1400人(最初からほとんど増えていない)。
それに対して、ガザ地区の人的被害は、1万人を超えるまでに。
しかも、半数近くが子供(無差別性の典型)。
さらに、ガザ地区市民220万余に対する無差別な加害
(食糧、医療、住宅、その他生活諸条件の劇的悪化)。
イスラエルのガザ侵攻・軍事占領・民間人大量犠牲は、今後どうなるのか?
ネタニヤフ首相は、長期占領をにおわせる発言をしている。
誰も、正確なことは言えないであろう。
イスラエルとアラブ諸国の戦闘?
Cf:
ホロコ―ストの論理と力学