紆余曲折を経て、ナショナリズム高揚のもとオーストリア併合を実現
オーストリアの政治経済的危機・・・ドルフースによる権威主義的教権的独裁国家
ヒトラーは、オーストリア・ナチ党による政権奪取の作戦j
オーストリアの抵抗(オーストリア・ナチ党禁止)、
オーストリア・ナチ党のクーデタ計画・・ドルフース暗殺(1934年7月)。
諸外国の批判・・・イタリア・ムッソリーニはブレンナー峠に軍隊終結・・・ヒトラーを威嚇。
フランスは、イギリス、イタリア、オーストリアに働きかけ、対独包囲網。
ヒトラーの「孤立」・・・「オーストリア併合の意図なし」とヒトラー言明(35年5月)
ヒトラーは、ほかの諸課題解決で前進・・・ヴェルサイユ体制打破の諸政策。
35年1月13日、ザール地方(ヴェルサイユ条約による国際管理下)
この帰属をめぐる住民投票
これに勝利(投票総数49万のうち90.8%がドイツへの帰属を選ぶ)
・・・ナショナリズムの高揚・成果・・・「ヒトラーの偉業」・・・ドイツ中が祝賀ムード。
ヴェルサイユ体制打破の決定的一歩・・・ヴェルサイユ条約が禁止する再軍備を公然と宣言。
イギリスと海軍協定(35年6月)・・・・イギリスがこれにより、実質的に、ドイツ再軍備を容認。
1936年3月、ロカルノ条約による非武装地帯ラインラントへ進駐
・・・仏ソ援助条約批准への対抗を理由として。
・・・ドイツ軍を歓迎する熱狂的な国民の支持(ナショナリズムの高揚・成果)
ヒトラーは賭けに成功
・・・フランスは国会選挙の最中、イギリスはドイツ再武装化容認の態度。
国民投票・・・ラインラント進駐に国民の98.8%が賛成。
イタリアは、アビシニアに侵攻。
国際的批判の中、ドイツはイタリア・ムッソリーニを批判せず
ムッソリーニは、ドイツのオーストリア併合への反対を抑えることになる。