ホロコーストの力学
−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−[1] 

 

 永岑(ながみね) 三千輝(みちてる)

序‐問題の限定‐

 

第1章 ヒトラーの「絶滅命令」とホロコースト−研究史概観−

はじめに

1.418月前半説とその問題点 

2.419月下旬説から411212日説まで 

3.戦時政治力学とユダヤ人抹殺の拡大−地域研究の進展と問題点− 

むすび 

 

第2章 独ソ戦の展開・世界大戦化とホロコースト

−「東方への移送」政策から世界大戦化による絶滅収容所への「移送」へ   

はじめに 

1.方法の検討と課題の設定 

2.「早まった勝利の熱狂」下の戦後移送計画 

3.「冬の危機」・対米宣戦布告とドイツ・ポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅収容所への移送 

むすび

 

3章 「絶滅命令」に関する史料批判と史料発掘の意義

はじめに 

1.ヘース証言の意義と問題性 

2.アイヒマン証言の信憑性の検証 

3.ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人「絶滅命令」−「411212日」説− 

4.ソ連におけるアインザッツグルッペの活動と41年8月以降のユダヤ人抹殺拡大

おわりに 

 

4章 一時回避的移送政策とウッチ・ゲットー問題 

      移送政策再開から絶滅政策への転換期としての4110− 

はじめに 

1.ユダヤ人の東方移送−「フューラーの希望」と部分疎開作戦− 

2.ウッチ・ゲットーの実態−1941年9月ヴェンツキ報告の段階− 
3.ヒムラー、ハイドリヒの強行突破策とヒトラーの承認 

すび 

 

第5章 部分疎開政策とガス自動車「安楽死」作戦 

はじめに 

1.ソ連占領地ユダヤ人殺戮の無差別化と「安楽死」技術転用の検討開始 

               −1941年8月中旬−

2.「特殊自動車(ゾンダーヴァーゲン)」開発とソ連占領地への投入

               −配備開始1941年11月末−

3.西ヨーロッパ各地の不穏状態とユダヤ人東方移送への圧力群

4.ヒムラー・ハイドリヒによるライヒ・ユダヤ人のウッチ移送強行

        −自動車排気ガスによる「安楽死」抹殺へ−

おわりに−総督府問題とラインハルト作戦の展開−

 


6 総力戦の圧力群と総督府におけるホロコースト

はじめに 

1.総督府におけるユダヤ人排出圧力とプレ・ラインハルト作戦 

2.大々的な東方移送強行政策の決定とヴァンゼー会議    

3.ラインハルト作戦加速化の圧力群 

おわりに 

 

7 ヴァンゼー会議からラインハルト作戦終了まで

はじめに

1.会議の重要な確認事項と論点−難問としての混血児問題

2.敗退の断末魔とハンガリー・ユダヤ人の運命−ポスト・ラインハルト作戦−

おわりに

 

終 章 −アウシュヴィッツ否定論の潮流とその批判−

はじめに

1.証言の信憑性問題におけるダブル・スタンダード

2.政治宣伝の武器としての「アウシュヴィッツの嘘」と歴史科学

3.否定論の似非科学的手法

おわりに

 

あとがき

 



[1] ()青木書店2003824日刊

 本書は、『戦争責任研究』、『現代史研究』、『土地制度史学』(現在は、誌名変更により『歴史と経済』)、『ドイツ研究』、『経済学季報(立正大学)』、『横浜市立大学論叢』、『横浜市立大学紀要』等に発表の論文を史料・文献調査を踏まえて大幅に書きなおし、書下ろしの第7章を加えたものである。

 これら本書の基礎とした既発表(19958月以降)の個々の論文については、研究業績リストを参照されたい。