2002611日 本学の大学の改革努力はどこまできているのか? どのような枠組みか? 慌てず、その確認が必要。 

人事「凍結」の暴言について。

萎縮した従来型の構想ではないか? どのような理念に基づく改革か? 

現行の学部編制・カリキュラム体制をそのままにしてできる改革構想か?

教員の補充だけをストップして出きる改革か?

 

 今回の「人事凍結」の発想の背後には、「貝のように動かない」大学の勢力を鞭でたたいて、「改革」の必要性を認識させ、目を覚まさせようというねらいがあるようである。少なくとも大学の一部にはそのように解釈する人々がいる。

 そのように大学「改革」を内在的な議論の積み重ねではなく、外在的な枠で縛り付けて教皇しようという発想の人がいても不思議ではないが、しかし、大学の「改革」方向がどのようなものかはっきりしない段階で、拙速に、「補充凍結」といった強行策でしゃにむに「改革」案を出させることが果たして、実り豊かな改革となるであろうか?

 将来構想委員会での長年の検討結果は年度末ごとに報告され、その他の機会にも紹介がなされているが、商学部ではまだ真剣な検討の素材となったことはない。なぜなら、たくさんの案が併記されており、十分に案として成熟していないからであり、また、大枠として、商学部と国際文化の人員をそのままにして行おうとする改革案だからである。

 ここでもまた、「改革」はやるが、「ひと、もの、かね」はつけないという方向性がはじめから前提されているようである。

しかし、それは、現在の学生院生を抱えながら、新しいメニューを盛りこんで、実際に行えることであろうか? 私の狭い経験を語れば、2年ほど前にある国立大学から声がかかったが、それは、「「院」と「学府」への組織再編改革において新しいポストが一つ取れたので来て欲しい」というものだった。つまり、改組・改革はその国立大学においては発展的改革として、カリキュラムの充実・人員増・予算増を伴うものとして推進されているのだ。そうのような前進的発展的なものであってこそ、大義に対する多くの同意調達が可能だろう。「人事凍結」などという全体構想から見れば単なる一環でしかないこと(まさそれくらいしか思いつかないという構想力の貧困を意味するのかもしれないが)をまず最初に持ち出すなどということは、拙劣なやり方である。

 これまで私が耳にしている本学の大学改革のあり方、方向性は、またまた従来型の「ひと、もの、かね」の基礎の欠如した構想なのであり、商学部のなかで真剣にそれを検討しようというものがいない(少ない)のは当然ではないだろうか? 誰がそのような狭い構想を前提にすべきだといったのだろうか?

 横浜市で調査予算のついたという今問題になっている「大学のあり方研究調査事業」は、このような「ひと、もの、かね」をつけない「改革」を前提にしているものであろうか?そのようなこれまでのあり方こそ見なおすことも調査課題の一つなのではないだろうか。横浜市はいったい大学に何を期待し、何を21世紀の課題として提起し、どのような「ひと、もの、かね」をつけようとしているのか? 医学部の鶴見における先端研究センターには調査予算がついたということなので、これは予算的措置を講じて、しが計画を前進させるということだろう。また、看護短大の4年生大学化も一歩前進するようである。これまた予算措置が具体的につくということだろう。そして見ると、文科系はますます縮小しようというほう新がしの方針として決まっているということだろうか?

 現状では、学内では実に狭い枠組みで改革構想が練られているようであり、あかるい構想が見えてこない。

 評議員会、およびその下部機関としての将来構想委員会の検討においては、文科系学部に関する「ひと、もの、かね」の裏づけまでも含めた構想を期待したい。