2002615日 「大学改革のあり方」懇談会の意味と位置について、横浜市の懇談会にはじめて補正予算で予算がついた。

 

ということは、これではじめて、市側が能動的に「大学をどのように改革していったらいいのか」検討を開始したということを意味する。

これまで長年にわたって将来構想委員会を中心にさまざまの改革構想が検討されてきた。大学の検討の到達点をまとめて、市の検討委員会にしかるべき構想を提起していくことが必要となろう。

 

大学側としては、市(市民、市議会、市長)とともに、この間だけでも文理学部の改組、大学院博士課程の創設、鶴見キャンパスの創設など、拡大的発展の路線を歩んできたのではないか。この延長線上に発展を構想しなければならないのではなかろうか。

それを発展的に建設的にやっていく手順を考えてみるとき、今回の「凍結」政策は、十分な見とおしと根拠とを持ったものとは思われない。またそのようなものとしては提示されていない。

学長は大学の最高意志決定機関である評議会で意志と明確にする前提として、きちんと手順を踏んで構想を具体化し、評議会に提案すべきであろう。

学長のリーダーシップは、このような手順を固めていくことで発揮されるべきであろう。学長は個々の事務局提案を大学サイドの全体的構想・検討(教授会と評議会がその基本的な検討機関)を踏まえ、すり合わせ、調整しないままで学長提案とする事は、その学長の職務の本質からして、問題となろう。学長=事務局なら、大学は事務局の大学になってしまう。

学長は事務局が選んだものではない。教育・研究の全体に責任を持つ各学部・大学院・研究所の代表として選出された学長職の意味合い、選出母体がどこであるかという本質的に重要なこと、大学政策が依拠すべき現場がないがしろにされては、学長の意味がないであろう。

 

いずれにしろ、大学全体の発展的傾向のなかで、相対的には商学部の地位が低下して来た。定員三五〇人という枠組み、大学院定員の枠組みその他が変更される事なく、今回のような「凍結」の発想が出てくる事は、現状の商学部の研究教育条件を悪化させるのを当然とするメッセージであり、それがはたして「大学改革のあり方」をいまやっと研究調査しようと予算をつけた段階で、その改革の検討も始まっていない段階での市の方針なのであろうか?

市の方針がなにも決まっていない段階で、なぜ上記のような発想が可能なのであろうか?商学部に関しては、拡大的質的発展ではなく、縮小を決定しているというのであろうか?

 どこで? だれが? どのような責任で?

明かにすべき点は多多あるように思われる。

現在の三五〇人定員で1700名ほどの(大学の在学生の半数ほどの)商学部生の教育、そのための研究などの人員と予算が十分だというのであろうか?

すでにこれまで若手の教員を中心に、経済学概論その他、200人規模の大講義がかなりたくさんあり、これでは決して「少人数」教育とは言えないので、非常勤講師を増やすべきであるという要求は出ていなかったであろうか? サバティカル制度によって研究に没頭できる期間を確保したいという強い声が出ていなかったであろうか?

つぎつぎと図書費など研究費が削減される中で、自然科学系と違って図書費がいちばん重要な支出項目に属する学部で、一律の削減は致命的になると悲鳴が上がっていなかったろうか?大学院教育は海外の最新の研究成果を乗せた学術雑誌が必要不可欠だが、それがないので大学院教育はできないと怒りの声が出ていなかったであろうか?このような教育研究の向上のための措置はいっさい市当局には届いていないかのようである。

その一方で、教員の研究教育の成果に関しては、一般の大学と同じように要求は高くなっている。

もしも学生教育の質を維持しながら人的物的措置を削減しようとするならば、学生定員削減、商学部の学部定員縮小という政策をとるべきだということになろう。

少子化の時代を迎えて、それも一つの政策であろう。

それならば、学部定員削減政策と一体の人員凍結政策ということなら、まだ一つの筋が通っていることになろう。