200273日 大学創設学部・商学部は創立75周年記念とともに消え去るか?

 

標記の件に関し、私のところに漏れ伝わってくる情報をもとに、自分なりに若干の論点をまとめておこう。

1.    学長の諮問機関である「戦略会議」には、商学部からは新原助教授だけが任命されているということである。

2.    正式な戦略会議の構成は、周知徹底されていないが、小島理学部教授、布施国際文化学部教授、山本医学部教授など教授陣はすべて商学部以外から選ばれている。学長自身が総合理学研究科の出身であり、全体としてみれば商学部排除の構造になっている。

3.    大学の将来の「戦略」を考えるという学長の諮問機関に商学部教授が一名もいないというこの事態は、何を意味するか? 商学部がかなり深刻な意見対立の歴史を持っていることが原因か?

4.    商学部の将来を憂える人々は、この戦略会議の構成からして、商学部廃止、あるいは商学部の縮小(人員、予算など)を学長が打ち出すことにつながるのではないかと予測し、危惧している。

5.    理学部・総合理学研究科や医学部はみずからの存立と存在意義を「独法化」時代に鮮明にするために、必死の努力をしている。商学部が縮小されようが、廃止されようが、そんなことに配慮はない。大学全体の発展を見据えた発想が、各学部・各研究科から出てくることは当然にも期待できないし、これまでの歴史を振り返って、考えにくい。

6.    国際文化もまた新設学部として、その存在意義を明確にし、社会的承認を確実にすることに必死である。したがって、商学部の人員が「凍結される」との今回の問題にかんしても、みずからの利害にさしあたり関係ないので、一般論に終止し、教授会自治などの歴史に関する原則的問題・本質的に重要な問題を配慮することなく、かなり冷ややかに、商学部の対応を横目で見ていると思われる。場合によっては、商学部の人員削減で国際文化の人員削減の鉾先をそらすことができると実利的に見ているのかもしれない。さらには国際文化の人員増を目指しているのかもしれない。このような実利的分断的精神構造の存在が事実とすれば、それだけで大学の発展は危ういものとなるのではなかろうか。そうではなくて、堂々たる発展的構想があるのならば、それはすばらしいし、それをこそ期待したい。

7.    「戦略会議」が、新に大学全体の発展の方向性を打ち出せるかどうか。それぞれが自分の学部、研究科の問題意識を超えて、現代の大学の抱えている科学・学問・社会に対する使命・責任を把握して、従来型の狭い枠組みを乗り越えた斬新で説得力のある構想・戦略を打ち出せるか。商学部は、戦略会議の検討の動向を注目しなければならない。

8.    商学部は大学創設学部として、また社会が求める実業界の人材を長年送り出してきた学部として、全国的に著名度の高い学部である。現在も大学の学生数の過半を担っている学部として、学生と社会に対し重大な責任を負っている。大学の発展を構想するとき、商学部をどう位置付けるかを抜きにしては、「戦略」はありえないであろう。その商学部の教授陣代表が「戦略会議」のなかで1人もいないというこの現実とその諸原因は、沈思黙考すべきものである。若手も一人というのはどうであろうか?

 

9.    それはともあれ、商学部も各構成員ひとりひとりが、自分なりに学部と大学院の将来構想をたたき台として提起することが求められているのではないか。叩かれることを恐れては行けないのではないか。商学部のひとりひとりの自主性が試されている。あくまでも、その観点から、これまでの歴史を踏まえた若干の論点を備忘録的にまとめ、提起しておきたい。

 

10.商学部は、学部のうえに2つの研究科を持つ独特の学部である。また、学部は、経済学科、経営学科からなるが、経済学、経営学、社会学、法律学の社会科学4分野を柱とする学部である。その総合性もまた全国有数の独自性だろう。

11.これまでの商学部の発展の歴史と独自性を踏まえ、時代のニーズを加味して、改革構想を練っていくのが筋だろう。そこでは、せっかくの総合性が本当に生かされているか? 蛸壺型になっていないか。これが問いなおされなければならないだろう。はじめから、経済学科、経営学科の小さくて狭い枠に新入生を押しこめ、とじ込めてしまうようになってはいないか? 若い人々の思考と能力の自由な発展を、せっかくの総合社会科学ファカルティとしての土台がありながら、狭く窮屈に押しとどめてはいないか? 時代の流れに合った総合的で柔軟な高度の能力を要請するように編成替えを行うべきではないか? 

12.たとえば、総合社会科学部として、入学当初一年間は全員を学部所属とし、経済学、経営学、社会学、法律学、それに外国文化系の諸分野を総合的に学ぶ機会を与え、これまでの最初の半年間の教養ゼミに加えて、専門プロゼミを開設し、1年後半の半年間と2年前半の半年間、それぞれ別のゼミナールを履修するようにし、最後に卒論を書く本ゼミナール2年後半から選ぶようにする、こういった方向での充実も考えられる。少人数教育、ゼミナール教育を抜本的に重視し、それを実現すべきではないか。

13.しかし、このような少人数教育の実現一つ取っても、問題は「ひと、もの、かね」である。これがこれまで忘れ去られ、なおざりにされてきた。 

14.建設的発展的構想の前提は、商学部の歴史に含まれていた問題性をあらゆる角度から摘出することである。学部全員が建設的意欲を持ちうるような改革構想としなければならない。

15.すでに経済学科・経済学研究科では、一橋大学などの先進例を踏まえて、和田助教授が中心となって、一年修士制度が検討され、すでに入念な叩き台が作成されている。まさにこれは、時代のニーズ(学問諸分野の高度化・実業界や国際機関・行政機関などが求める高い能力水準の人材養成の必要性、少し時間がたてば無駄になるような特定専門に小さく凝り固まった人材ではなく総合的な柔軟な発展能力を身につけた人材現代社会のダイナミックな発展・展開に柔軟強靭に対応できる人材)を反映した発展方向を政策化したものであろう。

16.この学部の優秀な学生をさらに大学院でも育てあげること、優秀な1割程度の学生に対しては学部4年で修士課程の科目も履修可能にし、高度の専門知識と能力を身につけさせて、学部卒業後一年で修士号を取得させて、社会に送り出すという構想は、是非とも実現していくべきものだろう。

17.このすばらしい着想の実現が停滞しているのは、これまでの商学部の構想に対する事務局・市当局の態度である。すなわち、建設にあたって努力すれば、負担だけが増えるという構造である。人員も増えず、予算も増えない、設備も増えない、それでメニューだけは増やそうという、この長年のつけが、すばらしい着想の実現を阻んでいる。人員増、予算増がみこめないならば(その隘路を突破するだけの力量が大学の学部と事務局にないならば)、学部定員を削減し、そこから浮いた余力を振り向けるということしかないだろう。学部の定員100人ほどを減らして、200人定員の1割・20人ほどの一年修士を送り出す制度を創出するか?

18.もしも、市当局・事務局がすばらしい着想を育て発展させようとするのならば、これまでの市当局・事務局の態度を再点検し、きちんと「ひと、もの、かね」を総合的に配慮して、改革構想、建設構想が学部・大学院構成メンバーの喜びを持っておこなわれるように持っていかなければだめだろう。これまでの上層建築のプランにおいては、不満が蓄積するというやり方だった。

19.商学部の中にすばらしい着想(その萌芽)とその担い手・若手が存在しないわけではない。着想をはぐぐみ、その実現に向かって前進させることを阻止する諸要因が蓄積してきているということである。ひとびとのやる気に冷や水をかける諸要因の排除が必要だろう。