2002722日 「凍結」に関する「学長見解」の性格は何か?

 

その問題性を広く訴えるため「緊急アッピール」が準備されている。私も案文を見て、同意し、賛同署名することにした。横浜市立大学の大学自治は今やまさに文字どおり内部崩落の危機にたたされているのではないか、そのことを痛感している人は多いと思われる。大学人は危機認識を共有することが必要であろう。多くの大学人は、日々の研究教育を邪魔されるのを恐れ、危惧し、さまざまの配慮から賛同署名には躊躇するであろう。しかし、昨年来、そして今後ますます強まるであろう大学への圧迫を考えるとき、自由な研究教育、大学の自治と自主的発展をのぞむ人々は増えているのではないかと思われ、「緊急アッピール」の内容にかなりのひとが賛成するのではないか、と思う。

 

1)「最近大学で起こっていること」の中につぎのことを確認調査して必要なら追加をしていただきたい,という意見が寄せられた。

国際文化学部では大学院研究生の入学時期を慣例で必ずしも年度初頭でなくてもよいものとして弾力的に扱ってきたそうです。今年も中国からの研究生に関しそのような扱いをすることを研究科委員会で決めたそうです。しかし、研究科委員会が正式に決定したこの方針に関して2階が判を押さないという事態が生じたようです、と。

その後のやり取りでどのようになったかは聞いていませんが、これは、結果がどうであれ教学権に関する重大な侵害です。このことに関して果たして国際文化学部では構成員全員の共有する情報と成っているかどうかわかりませんが、学部構成員の全体がことの重大さを認識すべきだと思います。(仁川大学との交換留学生事業について研究交流課がその内容に関して国際交流委員会を無視して重大な干渉が行われたようです。これについての情報収集が必要だと思います)。

 

これに関しては、ある国際文化の評議員に確認したところ、研究科委員会決定ということで文書を書き、提出して、了解を得たとのことである。当然のことであろう。教学に関するさまざまの問題点を熟慮した上での研究科委員会の決定であれば、それを事務局が正当な明示的理由を示さず「受け取り拒否」などすれば、大問題となろう。  

中国人留学生問題では、学費減免措置をめぐる昨年の問題に懲りて、事務当局が経営学研究科などの入学生に関しても、予算措置との関連でさまざまな抑制措置をとっており、研究科と事務当局との間で問題化した。学費減免措置に関してもきちんとしたルールとその公開が必要であり、改正の場合もきちんとした大学の委員会での審議など、手順が大切であろう。(ここでも、学生への周知徹底のし方などが問題となった。大学の非常勤講師問題と同じところに起因する。)

 

学長見解に関し、寄せられた意見としては、つぎのようなものがある。

 

2)「学長見解」の性格とは何でしょうか。評議会でこれが承認されたとは報告を受けていません。また、商学部教授会でも「学長見解」への反対意見が多く出はすれ、これを決して承認したものではありません。そのような性格の「学長見解」だけで大学の基本方向か水路付けられていくとしたら、自治の内部崩壊の始まりとなります。

3)「凍結」に関しての恣意性は出所不明の「凍結」がなんら「方針」となっていないことを示しています。典型的には、7月2日付け学長名での今回の短大人事の進行です。これはご丁寧に横浜市立大学HPに最近になってのせられています。再公募の人事であることがその理由として学部長から示されましたが、再公募ならなぜよいのでしょうか。そして、再公募ならよいとどこで決めているのでしょうか。この一事をとってみてもこの「凍結」は統一的な「方針」ともなっていないものです。まったく不明朗極まりなく思います。

また、木原研究所、総合理科の「凍結」は教授会決定でしょうか。調査が必要と思います。

 

商学部、教授会はこれまで事務局の一員の「凍結」という「ひとり言」や今回の「学長見解」とは連動することなく、従来どおりの後任人事を粛々と進める立場をとってきたものだと理解します。ですから、「社会構造論」の必要性の説明文や教授会の議を受けて現在準備されている「改革との関係での必要性」に関する文書も、「学長見解」との関係抜きに展開されているものと理解しています。教学権は教授会に属し、この教授会が「社会構造論」の「凍結」は学生の教育に決定的な否定的影響をもたらし、学部学科の基本的な性格に大きな影響を与えると判断したからこそ、「社会構造論」後任についての現在の方向性が認められてきていると思います。

 

 

凍結かどうかの決定の基準、その場合、誰が判断主体かの基準、誰がどこに対して説明・立証するのかの基準、その他、商学部教授会では、「学長見解」の問題性が多方面から指摘された。

この「見解」は、教授会をもつ各部局長(理学部長は欠席)と数回相談の上でまとめたられた模様であるが、学内における混乱をこれ以上避けるためのルールづくりという主観的意図とは別に、客観的には学則に違反する(実際に適用されれば)たくさんの問題を孕み、各学部内、大学内に無用の混乱と紛争をもたらす可能性のものである。

 

古来の多くの悲劇が示すことは、上に立つものが危険信号をきちんと受けとめず、危険信号に対して目を閉じたままで、突っ走ってしまったことにある。関係各位が警告信号に十分配慮されることを切に願う。