第三学科構想(学部再編・学科新設の構想)
更新日:2002年8月2日(金)
7月25日の歴史系教員会議ででた発想を深め具体化して、新学科構想=学部再編構想を一歩前進させることが大切だと考え,同僚から寄せられた賛同意見を踏まえて、自分なりに覚え書きをまとめておきたい。
従来のわくぐみでこのままいくのか、それともこのような新学科設立,それに伴う学部再編まで踏み込むのか、「公立大学法人」が成立したとすればその対応をどうするのかの問題とあわせて、商学部の教員全員に問われているように思われる。
二一世紀の初頭の学部改革と学部の発展に関して、現在、「人事凍結」のような外在的事務的強制という手段が用いられているが、このような禍を転じて福となすためには、私がくる以前から浮かんでは消えていた構想,しかし,水面下で執拗に育まれてきた構想、すなわち第三学科新設構想を、歴史、社会,語学・文化の教員たちが大同団結して、今回こそは本気になってきちんと打ち出し、万難を排して実現すべきではないだろうか。
経済学科では、大同団結の対象となるのは、社会(藤山、新原、小玉,そして長尾後任=「社会構造論」の新人,計4人)、文化・語学(矢吹、河野、石川、立木、片山の計5人)、歴史(千賀、松井,只腰、影山、本宮、それに私の計6人)である。これに、経営学科の関係分野の人々(私の計算では3名だが現状では他学科のポスト・主権に属するものであり、他学科の判断にもよることなので、あえて具体名は挙げないで置こう)が考えられる。まだ上記具体名はあくまでも、社会、文化・語学,歴史という専門研究・担当科目の枠で対象となりうる人々という意味にすぎず、私の一方的独断的判断であり、関係各位の意見・ご意向を個別に伺ったものではまったくない[1]。見落としとか計算にまちがいがなければ、私の見積もりでは上記関係者を合計すると、商学部51人のメンバーのちょうど3分の1くらいになる。新設・第三学科としての構成としては、ぴったりの感じである。
これに対応して,経済学科からは大量に新設学科に移ることになるので、必要条件というわけではないが(またそこまで合意を得るのは難しいかわからないが)、バランス上は、3学科17名程度にするとすれば、経済学科の補充・補強のため,経営学科から若干の構成メンバーないしポストの移動が必要になるだろう。
また,現代の多様化し流動化する専門領域や担当教員と学生のダイナミックな問題感心の展開,研究力点の移動などからすれば、非常に狭い枠=足かせになってしまっていた既存のコース制は廃止,ないし再編が必要となろう。三つの学科という大枠のみを一つのまとまりとし,内部の細かなコースは廃止するのが妥当ではなかろうか。現在の学部学生の問題感心と力量などからすれば,はやくから細かなコースに固定するのは非常にまずいように思われる。
この新しい学科の諸科目で教育される学生は,現代社会、現代世界で必要とする教養を立体的に身につけ,ジェネラリストになることがめざされることになる。
この新学科の教員は、専門も語学も担当する。私で言えば、経済史や西洋経済史などを持ちまわりで担当するほか,ドイツ語原書講読を担当する。他のメンバーも,専門科目のほかに英語やフランス語を担当する。語学はツールとしてみんなが一定の教育をし,専門教育もみんなが担当する,といったことが歴史系会議で出された。細部は今後詰めていく必要があろう。
新しい学科は,二年間で新たな学位・学士(学術)が取得できる制度として、市民のなかで理科系などの学士号を持つ人たちの学士入学なども積極的に受け入れる。
また、大学院修士課程(修士・(学術))も教養の蓄積の課程として、高齢化社会のなかで人生の纏めを学問的に考えるような人々を含め、広く社会人から院生を求める。通学の可能性からして,横浜市民のウエイトが高いことになろうが、近隣諸都市にも高学歴でさらに教養を磨き、生涯の仕事として論文等を纏めておきたい人々も多いだろう。
学士入学してきた意欲ある学生は積極的に推薦入学制度を活用してで大学院に進学させる。
さらに、博士(学術)も、創設するものとする。上の構想どおりなら、この博士(学術)=PhDの課程の創設も,構成メンバーの陣容からして、無理はない。すぐにも、あるいは短期間にでも可能であろう。
二一世紀社会は、必然的な傾向として、グローバル化が進展し、世界はますます緊密に結びつけられ、日本人が世界中で,世界中の人々が日本で活躍することになろう。競争はますます世界規模になり、諸個人は常に「世界を見据え」(加藤前学長のモットー)ながら、自らの道を切り開いていかなくてはならないだろう。そのためには、従来のような経済学,経営学の専門的知識を身につけた専門人だけでは不充分だろう。広い教養(社会,文化・語学、歴史に関する教養・知的能力)をもち経済・経営・法律に関する基礎能力を持った強靭で柔軟性のある自由な精神を持った若者が次々と育っていくことが必要不可欠となろう。
世界規模の競争は、機械制大工業の誕生以来、資本主義が世界諸地域で支配的になる諸段階をつうじて拡大進化してきたものであり、その過程は同時に不断のリストラクチャリングの歴史であった。世界の諸企業の激烈な競争とその武器としての急激な生産力の発展は,それぞれの分野で遅かれ早かれ生産過剰を引き起こし、大小規模の恐慌を引き起こし、淘汰を推し進め、新たな生産分野を求め,開発し、新たな分野に挑戦し、乗りこんでいく人々を必要とし、古くなった分野のリストラクチャリングを必然的なものとしてきた。この必然的傾向が今後,グローバル化のなかでいままで以上に進展することはまちがいない(「自由とは必然性の洞察である」ヘーゲル)。そのような激動する世界と日本で生き抜くためには、従来型の狭い勉強のし方では不充分であろう。
もちろん、経済学,経営学の専門的知識をしっかりと身につける人々も社会は必要としている。それに対して、ジェネラリストとしての多様な発展の可能性を持った人々をも求めている。商学部は本学の伝統的な学部として、総合的社会科学の学部としての性格・独自性・個性をその発足以来、現在まで維持し発展させてきた。しかし、二一世紀初頭の現在、それにとどまることなく、歴史学,社会学、語学・文化の3分野の大同団結による第三学科の新設によって,商学部の総合的社会科学部としての個性と独自性をますます明確にすること,学科編制において直接的に明示的に社会に訴えることが,現在では求められているのではなかろうか。そのような新学科は,既存の経済学科,経営学科に属する学生諸君にも、広く深い教養の必要性を具体的に示すものとして大きな影響を与えるのではないだろうか。また、第三学科(ネーミングはいろいろとありうるだろう、実際にこの第三学科構想に結集する教員たちの諸専門の構成により、今後の検討によるが、たとえば、現代社会学科、現代教養学科、その他がありうるだろうが、いずれにしろ個性と独自性が一目でわかるもの,社会的メッセージ力のあるものが求められるだろう,新学科構想の検討を深める中で名案が出てくることが期待される)の学生諸君には、広く深い教養を基礎にした経済・経営・法律の専門知識の必要性と重要性を認識させることになるのではなかろうか。そのようなことを新学科設立によって目指すべきではなかろうか。
社会系や文化・語学系の人々からも積極的な新学科の理念と構成,希望と抱負が提起されることが望ましい。それらをつき合わせ,発展進化させて新学科の理念、体系を豊かに練り上げふくらませていけばいいだろう。建設的ベクトルの集合・融合によってこそ,構想は実現するだろう。参加しようとする人々からの大小にかかわらず積極的提言が期待される。
この積極的提言(その原案・素材)を夏休みに纏めることになれば、かなり暑い夏になることはまちがいない。しかし、各人は新しい学部メンバーでも半年ほどの経験があり,多くは数年以上の経験がある人々である。この間の激動する大学情勢とそれをめぐる熱い議論の渦中にいた人々の内面には、さまざまの改革構想や希望が浮かんできているだろう。無からの創造ではない。それをまとめることだから、そんなに大変でないかもしれない。激動期・革命期の1ヶ月は平穏な10年にも相当するとの天才的洞察もある。夏休み明けには、建設的発展的な構想・アイデアが自発的なかたちで次々と発表されることを(あるいは私に寄せられることを,公開してもいい場合はその旨つけてくだされば,HPに公開します)期待したい[2]。
[1] 私の見解表明に対し、「第三学科新設」に賛同する意見はすでに何人もから寄せられている。いずれ纏めて,発表することになろう。
若干の意見を紹介すれば、「まったくわたし個人の意見ですが、第三学科の話は大賛成です。・・・ツールとしての語学以上のことを3、4年生に教えることに意味があると思っていますし、たしかに学生にもそうしたニーズはあると思っています。・・・学生にものを教えるのでも、本当は学際的な視点を養ってもらうのが究極の目的ではないかと感じています。つまり、いろいろな知識を組み合わせて自分の役に立てられるような視点です。・・・なかなか積極的には動けませんでしたが、ご提案はたいへんありがたいです」と。
また、「学部教育の方向としては教養教育に重点をおくべきだとのかねてよりのご主張に賛成です。歴史系、語学系、社会系の3系列による第3学科の実現は商学部においてリベラルアーツに基礎を置いた新学科の形成となると考えます」と。リベラルアーツ復権は、日本と世界の閉塞状況を打ち破る上で、知的ルネッサンスの上で、重要なことではないか。
また、あるメンバーからは、「ここでお示しになられている第三学科新設構想は、先日の歴史系統メンバーの会合で議論され、基本的な方向性としては出席者全員が合意できたと考えられる内容だと思います。もちろん、私も基本的に賛成です。キーワード的なものは、教養教育、学際的研究・教育、高度教養人育成といったものになりましょうか。ここしばらくの将来構想にかかわる我々の議論は、志願者数・入学者数が減少傾向にある大学院経済学研究科をどうするかというレベルに止まっていましたが、ここに来て、もっと大きくあるいは広く、学部・大学院の問題を十分に連携させながら我々の組織全体の未来像を模索していこうとする動きが始まったと評価して良いのではないでしょうか」と,別の角度から会議の雰囲気を伝える前向きの感想・意見が伝えられた。今後も「歴史系統メンバーでの議論を続けていくことになりましょうが、と同時に、適宜、話し合いの輪を社会学や語学・国際社会系統のメンバーの方々にも広げていくために、合同の会合を設定していくことが必要だろうと思います」と。
[2] 私は、短期海外出張を学部・大学の理解を得ておこなうことができるので、8月4日成田を立って,ミュンヘン,ベルリン,コブレンツ(その文書館)を中心に、ホロコースト関係の記念館、ヒトラー関連博物館などをみてまわり(新設ではじめてのもの、再訪のものも)、「ホロコーストの力学」の草稿を纏める仕事に励みたい。9月1日帰国することになっている。不在中にいただいたご意見等は、帰国後掲載したい。
学期中は,今回の騒動もあって、ほとんど1次史料に没頭する精神的肉体的時間的余裕がなかった。ドイツでも、大学問題、改革問題のことが念頭を去ることはないだろうが、しばし,専門研究に没頭できることをうれしく思う。