2002911(特別付記) 

96日の本日誌のつぎの記載部分、すなわち、

 

「夏休みの間に進展したことは、学部将来構想であり、高度専門教育学科と高度教養教育学科(学部内再編により創設)に区分するということである。昨日、それが学部将来構想委員会から教授会に報告され、了承された。これは決定的な前進である。もう後にはひけない。学部教授会の建設的で発展的な決定事項である。わたしの理解では、細部の詰めは今後、来週の学科会などで議論を積み上げることになるが、経済学科、経営学科、そして国際地域社会学科という3学科体制とするということである。」

 

という箇所に関して、学部将来構想委員長藤野教授から、教授会報告の内容に関して不正確な表現,誤って受け取られる表現があるので訂正してもらえないかとの要請があった。

 

1.     学科会,および学部教授会で報告した資料には、「高度専門教育学部と高度教養学部」という二つの学部を創設するという案が出されてきているということであり、商学部内での歴史関係者などが集まって議論した第三学科構想とはちがうものである、ということだった。藤野教授が94日の学科会で配布した資料にこの「学部」という言葉を見つけたとき、私は「学部ではなくて学科ではないか」と確認した。そのさい、「学科ということもありうる」という返答だったので、歴史関係者会議で出た発想も組みこまれた案だと考えた。藤野教授の説明では、そうではなかったということのようである。学部将来構想委員会の委員長として,訂正願いたいということなので、「学科」という言葉を配布文書どおりの「学部」に訂正することにする。そして、「学科」となぜ私が書いたかということの説明も以上のことで理解していただけるであろう。

2.     もう一つの論点は、学部将来構想委員会からの報告・了承は、「あくまでも報告事項であって,審議事項ではない」ということである。私の文面から審議事項のようにうけとるむきがあるようで、表現に配慮してほしいということだった。しかし、私の文章からは、審議事項だということは読み取りえないはずだが、そのように受け取るむきがあるとすれば,それは誤解なので、その誤解は解いて頂くしかない。すなわち、「・・・教授会に報告され、了承された」という文言通りである。審議事項として審議され決定されたものではない。書いていないことまで読みこまないでいただきたい。

3.     ただ、これに関連して、「決定事項」という言葉の「決定」という部分が多分審議決定の雰囲気に受け取られたのであろう。とすれば、この箇所を「報告了承」事項という文言に訂正することにする。

4.     以上のことから明らかなように、「決定的前進」という私の表現をもしも審議事項と解釈するのであれば、それはまちがいである。そのように主張したつもりもない。ただしかし、ある種の前進的方向性は出て,それが承認された。これはこれまでとちがって「決定的前進」だと私は感じたのである。しかし、藤野教授によれば、「この先どうなるかわからない」ということだ。しかしこれでは,主体的な方向性は何もないことになるのではないか。なにをどのように進めようとしているのか。こうなると、これは感覚の違い,現状判断の違いである。何事か前進させようとする,そのような決定的な飛躍があったというのが私の把握だったが,そうではないようである。他の学部と話してみないと「なにがどうなるかわからない」という立場では、主体性がないといわざるをえない。他の学部に対してある主体的な態度をとるためには具体的な提案を纏め,それを提起し、相手の議論とすり合わせる必要がある。こちらが一定の案を持たないでは,主体性がないといわざるをえない。私の考えでは、従来通りの学科,学部編成にとどまりえない、この改変を具体的にどのようにやるかだけが選択肢である。ともあれ、今回の報告了承がある「決定的前進」を意味するとみていいかどうかは,今後の商学部や国際文化の議論の進展次第だろう。

5.     大学の文科系二学部をつぶし、その意味で完全に再編し、新しくまったく別の二つの学部を創設するという案は、カリキュラム体系,人事体系,歴史の重み、その他の諸事情を考慮すると、私にとっては実現しそうもないことである。

6.     国際文化学部は創設一〇年に満たないで消えてしまうというのだろうか?それはあまりにも無定見なやり方ではないだろうか?一体国際文化学部を創設するとき,どのような将来構想だったのか。一〇年程度で潰れる発想だったのか? 商学部と国際文化学部をつぶして、二つの学部、すなわち「高度専門教育学部」と「高度教養学部」に分けるという案は、私の理解からすれば、到底多くの合意は得られないだろう。それは不見識そのものだろう。このような案は、前進的で着実な将来構想をつぶすための案のようにすら感じてしまう。大博打を打つような構想ではないか。大学の実情など考えず派手な案だけを出そうと功をあせる人の言説に振りまわされているだけではないのか。私の全体的な判断からは、そのように受け取らざるをえない。学科再編程度が最も無理のない理性的な,しかも時代の変化に対応した漸進的改革ではないか。あるいは,私の判断は、大幅に現在の他学部の意識状態を誤解しているのか?今後のプロセスが,その意識状態を明確にしていくであろう。

7.     実現可能性のあるものとしては、歴史関係者会議や社会学、語学関係者のなかで長らく胚胎して来た案であろう。すなわち、学部内での第三学科構想であればまだ実現するだろう。いずれにしろ、明日、歴史,社会,語学関係者会議があり、その関係者一七名の意見はその場で確かめることができるだろう。

8.     学部将来構想委員会の委員長(評議員)は、私の表現のニュアンスについて気を配りわたしに個人的に訂正を求めることも結構だが、それよりも正確な情報提供のためには、評議員として、委員長として,あるいは教授会メンバーの一人の個人として、この間どのような政策を推進してきたかを、オープンに、御自身のホームページで御自身の言葉で明確に示すことが必要だろう。そのことによって,私の見解との違いも,学部内部、大学内部,社会に対して明確になるだろう。それによって私の理解も明確になる。このようなやり方こそ,なにが論点であるかを関係者と関心ある人々に周知させることになろう。オープンな誰にも開かれた議論を通してこそ,学部と大学をよくしていく必要があろう。評議員であり,当問題委員会の委員長という職責はそれを求めていると考える。社会学担当教員のこの数ヶ月の苦労、経済学科会の5月の決定、それを踏まえた6月教授会のから7月教授会(定例と臨時)の審議と諸決定、その間に払われた関係者全員の何時間もの労苦を無駄にしないで発展的に活かすためには,建設的な議論,オーピンな議論が求められるであろう。学部長と他の評議員にもそのようなオープンな議論と論点の整理・提示を公開するよう希望したい。

 

現在は、大学・学部の各メンバー・各関係者の意見の社会的アカウンタヴィリティを確認する手段は、このようなホームページを通じた公然たる見解表明をつうじても行うことが可能になったのであり、その手段を学部や大学の改革に活かすべきだろう。