2002917日 伝えられるところでは、来年度予算も大幅カットで、非常勤予算などもその対象となっているという。全体の市の予算が厳しいなかで、いかにして大学の存在、その教学(教育研究)を維持していくか、これはまた秋の大テーマになりそうである。「米百俵の精神」を大学政策でどこまで生かしていけるか、これが今後問われることになろう。適切に処理されないとまたまた研究教育が阻害されることになる。

 

さらに別のほうから伝えられるところでは、8月以降、市長と大学事務局との間では、都立大学方式や大阪府立大方式が横浜市大の改革の方向性において主要な参考モデルにされ、民営化の方向性が主たる内容となり、大学教(職)員に関しては、その民営化時点での再雇用非公務員型雇用システムが採用されるのではないかということである。また、教員評価にあたっては、高知工科大学方式が参照され、そうした方式による数値化した評価と「質的評価」を組み合わせて、「不用」(?)な学科・科目・教員のリスト作りを事務局が作成するということのようである。つまり、学問体系や学問内容、学界の動向、世界の学問状況などに関して素人の事務局が、「不用」かどうかを判断するということのようである.

 

事務局の案が大学においてどのように検討されるのか、今後、重大な問題となろう。予算枠に応じてしかるべく削減をすることは、ある意味では誰でもできる。削減の仕方、材料の料理のし方は多様でありうる。問題は、その削減,料理の仕方がどのような論理と規準と説明によってなされるかであり、その説明論理が大学の歴史と今日の大学の使命や課題との関連で説得的であるかどうか、市議会、市民の納得するものであるかどうか、21世紀の横浜市が採択する政策として、日本と世界に発信できる豊かな内容であるかどうかであろう。社会的アカウンタビリティがまさにここでこそ問われることになろう。これまで横浜市が大学、とりわけ文化系諸学部にどのような政策をとってきたのかが問われることにもなろう。

 

いずれにしろ、はじめに「スリム化」の発想があるという。大学を発展させるというのではなくて財政状態に合わせてスリム化するという発想が基本にあるとすれば、出てくる結果はかなり貧弱なものとなろう。大学における研究教育の発展をどのようにして実現するかの説得力と夢のある基本的スタンスがないかぎり、小手先の惨めな改革に終わってしまうであろう。「横浜市に大学を持つ資格なし」とささやかれていることが、そのまま実現することになろう。

 

全国的な大学の発展傾向、研究教育体制の大きな流れは、主要大学における大学院大学化の方向性であり、大阪府立大学なども大学院大学化を推進しているという。この方向性は、学部教育よりも大学院教育に重点をおくというやり方であり、主要国立大学が採用している方向である。お隣の横浜国立大学もその大学院大学化を実現した。私自身の考えでは、横浜市も、最近できたばかりの地方公立大学とは違って、古い伝統を持つ公立大学の方向性としては、大学院大学を目指すべきではないか,と考える。かつて、70年ほど前に大学の前身となる学校を創設した際、それは先進的な試みだったのではないか? 戦後、すぐに大学への移行を実行したのも、時代の先進的潮流を担うものではなかったか? 

 

ところが、伝えられるところでは、文科系の場合、むしろ大学院を廃止して,学部教育に重点をおくとか。そもそも,文科系は大学費120−130億円の一体どれだけの額を占めているのか? この日誌の冒頭でふれた随助教授の財政分析(詳しくは随助教授のHPを参照されたい)が示すところをよく見ていただきたい。

 

この文科系のわずかな額を削減することが,横浜市の大学政策、大学の研究教育政策においてどのような意味を持つのか? 横浜市クラスの巨大な国際都市で、文科系分野を欠如した大学というのはあるのか? しかも、大学院を持たないような大学があるのか?

 

これは、横浜市がこれまで進めてきた大学院充実の路線に逆行することであり、問題だろう。学部教育はむしろ、全国的な動向を見てもわかるように、過剰化している。全入時代に来ている。そのような学部教育において、私学などと競争するというのは、公立大学(公設民営化?独立行政法人化?)の取るべき姿ではない様に考えられる。非効率的だが,時代の最先端を担うためには公的資金を投じて、低い授業料で学生市民に研究の場を提供し、高度な研究教育を主導していく,そのような大学を構築していくというのが公立(公設民営化? 独立行政法人化?)のあるべき姿のように考えられる。単純な競争原理なら、普通の私学となんらかわりがないことになる。

 

学部は定員を削減し、大学院にこそ重点を置いて、大学院における先端的な研究教育を担う体制をこそ目指すべきだろう。学部は専門的教養・教養的専門の学部として、少数・厳選主義でのぞむのが時代と市の財政状況に合っているのではないだろうか。

 

大学院廃止と学部教育だけに重点をおく方向性、学部の狭い専門教育に特化する方向性は、けっきょくのところ、学部までも廃止する方向性ではないだろうか。七五年にわたって存続してきた学部教育を廃止するのは市民の希望か? 今日的段階で高度に発展させるのが市民の希望ではないか?