2002102日 木原研究所の外部資金導入問題で、上記3.緊急アピールで、「最近,理科系の付属研究所で計画されていた巨額の外部資金導入が,事務局の不当な介入により不調に終ったということも耳にします」と情報を提供した。この件に関し、事務局責任者の側は、あたかも導入のために努力した教員研究者にも責任があるかのように発言しているそうである。また、事務担当者から,所長を通じ,「話し合いをしないで緊急アピールの中でこの件に関して情報を流すのは問題がある」と当該研究者に抗議し、圧力をかけたようである。

 

その噂の当否は別として、問題は、製薬協からの2000万円の外部資金を木原研究所が受け入れることができなかったという根本的事実にある。その結果責任を誰がどのように取るのかという問題である。その事実がどのような経緯で、どのような諸問題のために発生したのか、正確・適切に原因を分析解明し、今後の外部資金導入を迅速にかつ合理的に推進することが必要である。ところが、関係教員が6月に出した要望書は無視され、10月になる今日の時点まで、何の公式見解もしめされていないということである。そして、かえって当該教員に責任転嫁しようとしているかのようである。これでは研究意欲はそがれる。

聞くところによれば、評議会(部局長会議?)でながながと説明がなされたようであるが、その口頭説明で済ませてしまっていいのか? 学長の指揮のもとに、事務側の取るべき態度は、原因を適切に解明し、適切な処理指針を公開することが肝要なのではないか? 学長はこの調査を命じたか? 調査の仕事の成果こそ、その公表こそ、われわれは期待する。学長にはその責任がある。それは、われわれ教員研究者に課せられている論文執筆と同じことであり、具体的な成果として示されなければならない。われわれは身を削るようにして研究成果を論文等として客観的検討と批判が可能なように公開している。それと同じことを事務的なことに関しては、事務もやるべきであろう。公には言質を取られない口頭だけの説明で済ませ、後は内々にすませよう(教員が研究教育で忙しく、また事務的処理に関しては事務に頼らざるを得ない、できるだけ事務と悶着を起こしたくない、という心理につけこんで)などというやり方は、許されるべきではない。教員の講義に関する「アンケート」を学長と事務は推進しているが、まずは学長が事務局に関する教員アンケートを実施すべきかもしれない。昨年4月以来のさまざまのやり方は、必ずや多くの批判的意見の表明となって示されるであろう。

 

入試過誤問題の調査におけると同様、原因の正確な解明とその解決策の周知徹底・公表なしには(「臭いものに蓋」では)、教員研究者がせっかく努力して外部資金を獲得する手はずを整えても、今後も流れてしまうことになる。教員の努力にも関わらず、事務的対応のまずさで外部資金導入に失敗した事実につき、責任ある調査結果の公表が必要である。2000万というのは相当な額であり、放置しておいていいものではない。当該関係者だけに「説明」(?)して済ませられるようなプライベートなことではない。

 

積極的に外部資金を導入しようと活発な研究活動を行っている多くの研究者は、なぜそのようになったのか、どこに問題があったのか関心を持っている。上記アピールに対する何人かからの反応でも、その点が明確に示されていた。アピールを読んだ人はそのことに関心を持ちつづけているだろう。どうして、この問題に関して、正確な調査と今後の指針をきちんとまとめないのか、そして、それを公表しないのか? 曖昧にしておくのか?

 

伝えられるところによれば、当該教員、および共同研究者は「学内の混乱に巻き込まれ,研究教育活動に大きな支障が出て」いるとのことである。それを耳にするだけで心が痛む。2000万円もの研究費がだめになり、その事後処理で振りまわされていては、研究ができなくなり、疲労困憊するのは良く理解できる。怒り心頭に発しているであろう。

積極的能動的研究者が意気阻喪するような大学・研究所の事務システムとは一体なんだろうか?

「事務局とうまくやる」などという原則抜きの処世術が平気で語られているのが現実である。なにもしないでじっとして、日常業務で「世話にならざるを得ない」という分業上の関係(したがって本質的に大学の研究教育を推進するという本務の実現において協力関係でなければならない)を逆手に取られるのではないか、いろいろと意地悪されるのではないかなどと事務局の顔色だけをうかがうような研究者が好まれるとすれば、それは大学ではなくなるだろう。積極的能動的な研究などしないで、周囲とぶつからないことだけを心がけて黙っているような人物が好まれるとすれば、そのような沈黙人間を作り出すことに結果としてなっているとすれば、大学はいったいどうなるのだろうか?先の日誌でも触れたが、私の海外出張の旅費が帰国後支払われたことに関しては、まさに個人的いやがらせだ、と解釈するむきもある。嫌がらせなどに屈する気持ちはないが、場合によっては、法的措置を取るべきなのかもしれない。

 

最近の新聞報道では、内部告発を促し保護するための法律を制定しようとする動きすらある。問題の積極的な解決のためには、内部事情を知るものの自由な発言がきわめて重要だということを物語っている。そして、その保障こそは、大学の生命であろう。批判に対しては、公然と反批判をすれば良いのである。堂々とした見解を公表すればいいのである。理性的な議論のぶつけ合いでこそ、大学を発展させなければならない。

 

ともあれ、学長、事務局は早急に適切な行動を取る必要があろう。ただでさえ、研究費削減で研究教育条件が悪化している中で、このようないまいちばんやるべきことをやらないで、「凍結」といった手法で、みずから問題を巻き起こし、紛争の種をまき、研究教育を妨げるようなことを続けていては、本学の研究教育はますます悪化するばかりであろう。事務局に期待するのは、研究教育を支えることであり、妨害することではない。学長に期待するのは、そのように事務局を統率することである。

 

われわれが批判した上記緊急アピールの「学長見解」は改革が必要だからという理由付けで「凍結」を正当化しようとしている。だが、その改革の方向性に関して、この数ヶ月間、学長(それを事務的に支えるのが事務局のはず)はなんら具体的な指針を全学に示していない。「あり方懇談会」にすべてを集中し、問題を外部に投げ出しただけのように見える。将来構想委員会は一度も開かれていないということだ。「見解」においてhが、精神論で、各部局の改革努力が必要だと打ち出しただけで、学長がなにを各部局の問題として発見しているのか、その問題との関連でこのような措置になったのかが明確でない。「凍結」という措置だけが具体的である。

しかも、地震関係とかいくつかに関しては、「市が必要と認めた」とか言う理由で凍結しない。その規準は何か?その場合の「市」とは何か? 公然とした説明があるわけではない。勝手なのである。そうでないなら、凍結措置とそうでないものとの違いに関する明確な理由を示すべきだ。「重大な支障」がどのようなものであったのかを、明確に公表すべきである。

商学部教授会で問題にされたのは、「凍結」、「非凍結」に関する判断の恣意性、勝手さ、その判断主体の問題性である。

これだけ問題になり、何時間も、臨時教授会も含めて5月、6月、7月、9月と何回も教授会で時間が費やされているのだから、その時間的ロスを考えるだけでも、非凍結で進めている人事に関しては、いかなる点で「重大な支障」があると判断したのか、その理由を全学・各教授会にに明確にすべきである。各学部教授会に理由を文書で明示すべきである。

 

ところが、そのような肝心のことはなされていない。凍結するかどうかの判断、「重大な支障」かどうかの判断を、学問内容、カリキュラム、学部・大学院の研究教育体制、入試業務といった具体的な諸問題で検討しての決定ではないのである。具体的な支障を列挙している社会学の教員などの説明書には、耳を傾けようとしないのである。このような恣意性を許していいのか? 評議会ではその妥当性は議論されたのか?