この部分に関連して、つぎのような意見をいただいたので紹介しておきたい。
---------
大学問題日誌で「あり方懇」のレポートを拝読しました。倉持委員長の報告と合わせて、あり方懇の議論のようすがよくわかりました。
いくつかの点で異なりますが、大方先生のご意見に賛成です。
ただ、末尾に「学長その他の執行部は懇談会委員の著書などを検討し、いかなる論理で攻められるか、これまでの発言も含め、きちんと検討し、反論の素材を準備しておく必要があろう」については、永岑先生を含めてすべての教員が可能な限り行うべきだと思います。(なお、この「執行部」とは事務局も入るのでしょうか。あり方懇のメンバーを選んだのは事務局ですから、当然事務局は入らないと解しました[1])。
教学側の代表者、教員側の代表者である「学長その他執行部」が、教員に支えられることなくして「きちんと検討し、反論の素材を準備していく」ことなど到底不可能な状況にあるというのが当方の認識です。むしろ「われわれ教員」が「懇談会委員の著書などを検討し、いかなる論理で攻められるか、・・・・きちんと検討し、反論の素材を準備し」、それを学長その他の執行部に伝えることこそが必要であると考えます[2]。
[1] その通りです。
大学側が責任を持って大学人らしい見識をまとめるべきだ、その指導性を学長と各学部長・研究科長が発揮すべきだ、と言うことです。つまり、「事務局」はこの場合対象外です。
この方への返信としては、次のように書いておいた。
-----上記教員への返事---------
メールありがとうございました。
私は、本日誌を通じて、私なりに、自分の出きる範囲でヴォランタリーに、やっているつもりなのです。
その意味で、他の人に対する批判として、あるいは、注意を促すために、ご指摘のように書いたわけです。
余分なことを付け加えたかもしれません。
ただ、教学側の管理職は、私のこれまでの指摘で繰り返していること、本格的な改革にはきちんと「ひと、もの、かね」が必要で、それを整えながらやらないとだめだ、そうしないと結局は何も知らない落下傘部隊の事務局に大学らしからぬ改革を押しつけられるだけだ、ということをきちんと認識し、主張していくべきだ、ということです。
機構改革案、すなわち「学部事務室の廃止」「二人の嘱託秘書」といった無茶な提案でも、理学部長のように「既定事実」として受け入れ、それを下に押し付けるためだけに教授会を開くような姿勢では、大学はだめになってしまう、と言う危機感を持っています。
-------
もし大学らしからぬ改革を行えば、結局のところ、本当の大学の発展はなく、研究教育ですばらしい活力のある大学とはならないだろう、ということです。大学の研究教育の本当の発展とは何か、そのための前提となるシステムとは何か、これが根本問題だということである。
事務機構改革案が示すように、大学論を抜きにした単純な行政改革の発想では、長年市民が血税を投じて維持してきた大学を結局は破壊してしまうことになる、と言う危機感をもっているということである。
[2] 私の知り得たかぎりでは、国際文化も理学部も教授会審議でかなりたくさんの危惧の表明、批判的意見が出たようで、商学部のように教授会見解をまとめるにいたらなくても、学部長執行部が聞く耳を持っていれば、このような反論の素材、反論の出発点の論理はすでに出されていると思います。問題はそれがいいっぱなしになっている(単なるガス抜きのシステム、したがって議論が建設的に発展させれられず、教員の無力感や投げやりな感覚を増長するだけ)ということだろう。それらをとりこんだ意見集約がなされるシステムになっていない。
いろいろな危惧や批判を十分に咀嚼吸収する検討をこそ、学長・学部長の「学議」で行うべきでしょう。その際、「学議」において学長を補佐し、学長とも打ち合わせながら、種々の意見を取りまとめる補佐的仕事をする教員が必要だろう。
学長は、大学改革を本当にやっていくためには、学長補佐が必要だと主張し、事務局に他大学の事例などを検討し、改革検討の大前提にまずは学長補佐を2名以上おくようにと、予算措置などをきちんと求めるべきだろう。紛糾、錯綜する議論を整理し、学長の頭を整理し、具体的集約案を創り出すには、そのくらいは最低必要ではないか?