20021129日 事務機構改革に伴う改修工事の図面を教員組合委員長倉持先生が入手とか。事務機構統合による研究教育条件の悪化が各方面で危惧されている。この間の問答無用のやり方は、教員サイドの問題提起がどこまできちんと反映されるか、深刻な疑念を抱くに十分である。入試委員会などの事務作業について、職員によるこれまでのバックアップが従来と違うことになれば(削減されてしまえば)、種々のミスが続発することになろう[1]。その点、この場でも明確に指摘しておきたい。職員の削減、効率主義がかえって大学全体をだめにしてしまう場合もあろう。

着実な研究教育(条件)の改善の積み重ねが、いつのまにかそうとうの蓄積となって、社会的評価が高まっている大学と、その反対の大学があることを、心有る人びとは幾つかの具体例ですぐに指摘できよう。はたして本学は、いずれか? 

 

研究教育の責任を負う大学人は、教務関係の電算機システム導入など、「効率化」を名目とした[2]機構改革や改築が、本当に実現されるのか、あるいは逆なのか。多くの教員が不安を抱いているように、実質的な研究教育条件の改悪となるのではないか。そのことを見逃してはならない。研究教育はますます外部評価や点検が厳しくなるのであり、その点からも研究教育の条件悪化には十分な警戒が必要である。研究教育条件の悪化に抗し、研究教育を改善向上させていくことは研究教育を担う主体としての大学人の義務である。入試教務等、各種委員会の事務バックアップの削減など、条件悪化に対しては、目先のことだけを考えて事勿れ主義に陥らないようにしなければならないだろう。長期的にとり返しのつかないような事が起きないよう、適切に対処しなければならないだろう。一つ一つは細かくても、少しずつの条件悪化が積み重なれば、大変なものとなる。



[1] 職員の側も、これまで自分たちが大学の業務として遂行してきたことを、事務機構「改革」で行わないことになると、業務量=仕事量の削減になり、ひいては全体としての人員削減につながるのではないか? 

機械ができる作業に関しては機械を導入し、作業を合理化することは大切だ。しかし、それが大学の使命=研究教育の発展・充実に結びつかなければ、何のための合理化か。

教員が遂行すべき研究教育のための時間を削減し、教員の負担を増やし、事務職員の人員を削減することは、大学の研究教育条件の全体としての改悪以外の何物でもない

  

[2] 新しい機械などの導入によって事務職員の事務処理・作業が真に効率的になるのならば人間にしかできないきめこまかな作業に職員を配置できるはずであり、むしろ、教員の研究教育条件は、あるいは学生の教育条件は、すくなくともある程度はよくなるはずのものである。ところが、現在、従来と違った成績入力方式などが導入されるようであるが、そのような機械導入による効率化のプラスがあるとして、そのプラスの影響をどのように教員の研究教育条件に具体的に還元するのかは、示されていない。むしろ、新しい入力方法による教員負担(精神的肉体的)の増加のみが、「効率化」に伴うものとされている。字事務機構「改革」が、プラスの方向であるとするならば、そのプラスであることの説明責任が事務当局に求められている。改悪することなら、誰でもやれる。事務当局による研究教育条件の改悪を大学人はきちんと指摘し批判しなければならない。