2002年12月9日 市大卒業生が定年退官教授不補充問題で同窓会幹事に要望書提出。矢吹教授からの情報(http://www2.big.or.jp/~yabuki同教授HPを参照されたい)。75年の歴史を持つ市大を思い付き的な「改革」案でひどい教授陣の大学にしてしまっていいのか、根本的なことが問われている。「このような独断専行的なやり方では、いい先生方が逃げていきますよ」と訴える教員に対して、「去るものは去ってもいい」と関係事務局責任者が豪語しているという。商学部では、来年度4月から、吉川教授が早稲田大学大学院アジア太平洋研究科に、新原助教授が中央大学文学部に移る。ばかげた「改革」のやり方に嫌気がさしている教員は多いだろう。漏れてくる情報によれば、当然のことながら、チャンスがあれば逃げ出そうとしている教員は増えているようである。実際に逃げていける人はどのような人々だろうか? 研究教育においてしかるべき実力をもち学界・社会から評価されている人であることは確実だろう。 そのような実力教授陣の流出(いろいろの事情で逃げ出せない場合でも内面的に嫌気が蓄積)という深刻さに気づかない大学責任者とは、どういうものだろうか? ソ連東欧の崩壊において、東ドイツ市民の大量逃亡がきっかけとなったことは記憶に新しいのではないか? 「社会構造論」や「現代中国論」の研究者のいない魅力のない大学になって行くような市大への進学希望者が減ったり、質が悪くなることは、どのようにして回復できるのか? その現実は、目に見えないだけに恐ろしいのである。今朝大学に来てみたら、学生諸君の中でも大学の最近の動きに憂慮を深めている諸君がいるようで、「崖っぷち」という張り紙があった(矢吹先生のHPには私が経済史講義で行ったアンケートの結果も掲載されているので参照されたい)。
さて、この間の強引な政策の責任者である大学当局(強引さは評議会総退場という実力行使に典型的に示された総務部長やそれに引き回される事務局長の態度が証明)はどうするか?
5日の教授会には、将来構想委員会提出の大学改革案と第三回あり方懇談会提出の事務局「資料2」とが配布された。学長は自分の諮問に対するこの答申にどのような反応をするのか、大学の将来を左右するだけに重大な関心がある(関係委員が多大の労苦を費やしたということは委員長から説明があり、納得できることであるが、外からの圧力に押されたという印象がぬぐえない。大学の自主的発展を保証するものになるかどうか、法人の長の権限、運営会議の性格と権限など、重大問題となろう)。突如出された事務局「資料2」も、大学のあり方に関して、これまでの大学の問題をきちんと歴史的に総括し、問題点を整理したうえで構想されたことなのか、その証明のない、説得力のない構想である。
事務局の構想にいたっては、「商学部」を「経営学部」に変えるなどというもので、ワンサイクル古い(30年程前か、戦後すぐの発想であり、現在、「経営学部」を新たに立ち上げるなどというのは誰が考え付くことだろうか、学部の歴史と全国の大学変化・学界状況に疎い人なのであろう)時代錯誤の内容である。また、「国際文化学部」を「国際教養学部」に変えるなどという構想も、10年に満たない国際文化学部の歴史をどのように総括したのか、まったくその根拠がはっきりしない思い付きの様子が濃厚である。拙速主義と非発展性(歴史の批判的総括を発展的にまとめたものではないということ、少なくともその説明が欠如しているということ、大学教員・教授会には定年退職教官ポストの必要理由について何回も説明文書を求め、「理解できない」とあれこれ難癖をつけるが、事務局責任者のまとめた文書は自分はいったい何だというのか?)を特徴とするといえよう。問題提起と問題解決、そのための体制構築がないままでの文書作成というところだろう。