6月29日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)のなかでは、不当解雇事件(湘南工科大解雇事件本訴裁判 6月28日横浜地裁判決(速報)教員側の全面勝訴!都立大学の組合大会の情報が私にとってとりわけ重要な意味を持った。不当解雇がまかり通ることになれば、その面から、「大学の自治」、「学問の自由」は決定的に脅かされる。多くの教員が不当解雇の恐怖におびえて、教員組合の活動やその他の言論活動を「自粛」することになれば、もはや大学ではなくなろう。都立大学の組合大会の主張も、教員の身分保障との関係で「大学の自治」「学問の自由」という大学の生命の根幹にかかわる諸論点を提起している。

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6月28日 戦後60年、今改めて第二次世界大戦、15年戦争の正確な理解が問題となっている。他国に対して、その意に反して、武力でもって支配し、その支配を拡大していった戦争であること、侵略戦争以外の何ものでもないことをきちんと見据えなければならないだろう。戦勝国の裁判によって犯罪者として断罪されたことが問題なのではなく、戦勝国であろうと敗戦国であろうと、きちんと歴史を見る人であれば、当然の帰結として日本が侵略行為を行ったという厳然たる事実を見なければならない。日本の戦後政府が、戦争責任者を自ら裁く政府・政権でなかったこと、むしろ戦争責任者をかばいつづける政権であったこと、これが問題なのだろう。「戦犯」というと、戦勝国による裁判の結果しか存在しないことこそ、問題だというべきだろう。たとえば韓国は、過去の大統領の犯罪についても訴追し、罪を裁こうとしている。そうしたことを行うことが、むしろ問われているというべきなのだろう。伊豆氏の「日々通信」を読んで、そのように考えた。

いずれにしろ、政府中枢の人々、政府与党の人々が、このような態度では、「国際連合」における名誉ある地位は、不可能ではないかと思われる。せっかく、アジア・アフリカ諸国でドイツ・ブラジル・インド・日本の常任理事国入りに賛成する国々が多くても、被害国(中国・韓国など)が納得し得ないような態度では、不可能であろう。

 

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韓国再訪 その2

   
前号の記事に対して、自分はその反対の経験をしたというメールがあった。
   
韓国人について<出会う人はみな親切で友好的>で<礼儀正しく親切だという印象
   
>を持ったと述べたことに対する異議なのだろう。
   
同行の友人が韓国語に堪能だったからわかったというから、多分、ひどい悪口を韓
   
国語で浴びせられたのだと思う。
   
それは大いにあり得ることだ。
   
多くの韓国人の心には日本人に対する恨みと憎しみと憤りがあると思う。
   
日本に支配されていた36年の間にどれほどのひどいことがおこなわれたか。

   
それはもう、60年も昔のことになった。
   
加害者はそれを遠い過去の話だと言う。過去は過去として、未来の協力、友好につ
   
いて語り合おうと言う。
   
過去は忘れよと言う。いつまでも過去にこだわるなと言う。
   
しかし、忘れ得ぬ過去というものがある。
   
抑圧と差別、侵略、収奪、虐待の歴史は民族感情に深い傷痕を残すのだ。
   
それが民族的不信として現代の世界史を規定している。
   
それでも、時間はそれを薄れさせるのだろう。
   
遠い昔のことになってみれば、むしろ、その過酷な過去も新しい目で見直され、過
   
去を直接に知らぬ若い世代は相互に直接の交流で新しい関係をつくり出して行く。
   
私はそれに期待した。
   
日本の韓流ブームや韓国の若者のコミックやアニメによる日本に対する親近感はア
   
ジアの未来にとって意味深いことだったと思う。
   
私は日本とアジアの関係について次第に楽観的になっていた。
   
しかし、それが急激に変化して、中国・韓国の反日感情がはげしく燃え上がってい
   
る。

   
韓国の世論調査によれば、<日本を信用していない>が90% 、<北朝鮮支持>
   
40%に達するという。
   
韓国民が<安全に対する脅威と感じている国>は2004年には米国が36.6%、日本が
    3.4
%だったが、今年は米国が18.6%、日本が37.1%、北朝鮮が28.6%であるとい
   
う。
   
対日感情のこの急激な悪化は何によるのか。
   
日本の政府筋やマスコミでは反日教育の結果だというがはたしてそうか。
   
彼らの言う<反日教育>がはたしてどういうものかについては論ずべきことが多い
   
が、それは別の機会に譲るとして、その<反日教育>は戦後ずっとつづいたので、
   
今年になって<反日教育>が急激に高まった理由とすることはできない。
   
むしろ、中国にしても、韓国にしても、いまの政府はこれまでの政府のなかではも
   
っともつよく日本との友好協力を求める態度を取っていたのではないか。

   
いま、EUは一つの行きづまりに直面しているが、それでも今日にいたるその発展
   
には学ぶべきことが多い。
   
そして、アジアにも東アジア共同体、さらには印度もふくむアジア共同体の展望が
   
アジア諸国民に大きな希望を与えるようになった。
   
しかし、このときにわかに<反日感情>が噴出してきたのだ。
   
その原因は<靖国問題>に象徴されるように、主として日本の側に問題があるよう
   
に思われる。
   
日本に対する期待が強まれば強まるほど、それを裏切る日本の態度が<反日感情>
   
を激発しているのではないか。

   
<靖国問題>は小泉首相の偏屈な行動様式が生み出した孤立した問題ではない。そ
   
の根底にはあの19458月にいたる日本の歩みをどう考えるかという<歴史認識>
   
の問題がある。この日本の歩みを反省し、これを否定するのでなければ、アジア諸
   
国民との今後の友好・共同、アジア共同体の展望は開けない。

   
今年は1905年の日露戦争から100年、戦後60年ということで、中国でも韓国・朝鮮
   
でも、あらためて過去の歴史をふりかえり、新たな歴史への展望を求める運動が展
   
開されている。
   
<歴史認識>の問題は、単に過去がどうだったかの問題ではなく、過去をどう考え
   
るか、そしてその上に未来をどう切り開くかの問題である。
   
アジア諸国民の100年の歴史をふりかえるなら、その中心に日本の問題がある。あ
   
の戦争は日本だけの問題ではない。アジア諸国民のそれぞれの問題だ。
   
この戦争がなぜおこり、それはいかに悲惨な結果を生んだか。この戦争といかに戦
   
い、いかにそれぞれの国の独立が獲得されたか。いかにすればあのような悲惨な戦
   
争を繰り返すことなく、アジアの独立した諸国民による友好と共同を発展させ、限
   
りない発展を実現できるか。
   
日本はアジアの味方なのか、敵なのか。それはアジア諸国民にとっていま切実な問
   
題だと思う。

   
小泉首相はバンドン会議で、「植民地主義的な統治と侵略を通じて、過去において
   
日本は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に損害と苦悩をもたらした」と謝罪
   
の言葉を述べ、戦後の日本が「あらゆる問題を力に訴えることなく平和的な手段に
   
よって解決しながら、軍事大国ではなく経済大国になるよう、常にその決意を新た
   
にしてきた」と弁明した。

   
小泉首相の言葉は自分の言葉ではないように思われ、心のこもったものとは思えな
   
かったが、それでもアジア諸国との和解をもとめ、平和の意志を示したものととし
   
て行きづまったにほんとアジアの関係を打開するきっかけとしては評価されたと思
   
う。

   
このあと中国の胡錦濤主席との会談が実現したのだが、胡錦濤主席はこの言葉を実
   
行で示してほしいと述べた。疑いは残るが、とにかく和解と協力へのきっかけにし
   
たいという希望を表明したのだったと思う。

   
しかし、この期待はたちまち覆されることになる。
   
靖国参拝は自分の信念にもとづくもので、参拝するなとか、しろととか、他国から
   
指図されるべきものではないというような小泉首相の発言があり、靖国参拝を正当
   
化し、あくまでもそれを止めるつもりはない考えが表明された。

   
あげくの果てにはあの戦争は正当だった、戦争裁判は勝者の裁判で、A級戦犯は犯
   
罪者ではないというような意見が政府関係者の森岡政務官から出された。細田官房
   
長官はこれを政府見解とはちがうと述べたが、小泉内閣はこれを解任することはな
   
かった。

   
あの戦争は正当な戦争で、侵略戦争ではなかったとする意見はこの数年間次第に広
   
がっている。
   
小泉首相が参拝に固執する靖国神社は公然とこれを主張し、不法な裁判で非業の死
   
を遂げた東条らは殉難者であるとし、これを神として祀っているのである。

   
このような主張は<新しい歴史教科書をつくる会>の主張でもあり、あの戦争を侵
   
略戦争であり、アジア諸国民に対して謝罪すべきだという見解を<自虐的>であり、
   
<非日的>だと罵るのである。

   
このごろ、私を憂鬱にするのは、前号で述べた電子版中央日報の一言欄である。そ
   
こには日本に対する夜郎自大的な思い上がりがあり、韓国に対する差別と侮蔑の思
   
想がこれでもかとばかりに書きつらねられている。
   
このような賤しい排外的ナショナリズムに日本の若者が駆り立てられるようになっ
   
たのはなぜだろう。
   
これは、戦後の屈辱的な対米従属の歴史が生んだゆがんだ感情であるかも知れない。
   
私はこのような若者たちを非難するのでなく、それがなぜ起こったのかを明らかに
   
することが大切だと思う。

   
この問題についてはこれから継続的に検討していきたいが、とにかく、いま日本の
   
過去を美化し、過去の戦争を肯定する動きが次第に強まっており、それが、アジア
   
諸国民に対する差別的、侮蔑的言動を生んでいる事実を直視する必要があるだろう。

   
このような動きに対して、中国と韓国・朝鮮は過敏に反応し、それにまた日本が過
   
敏な反応を示して、この悪循環が現在の緊張した関係を生み出している。

   
韓国人が、礼儀正しく、親切だというのは、自分たちに好意をもち、理解しようと
   
する人々に対してそうなので、敵意を感じ、差別的、侮蔑的な態度を感じると、た
   
ちまち敵対的になり、過去の怨恨と反感、反抗的激情が噴出するのだと思う。
   
この民族的反感と敵意、憎悪と怨恨の感情は戦後60年の歴史も洗い流すことができ
   
なかった。
   
そして、日本人のアジアに対する優越意識、差別と侮蔑の意識もきわめて根強いの
   
だ。それが最近の中国の発展に対する対抗意識になり、反中意識を強めさせている。
   
それはまた、韓国・朝鮮に対する侮蔑的態度を呼び起こしている。これに対して、
   
中国・韓国・朝鮮は強烈な民族意識で反応している。特にそれは韓国・朝鮮におい
   
てはげしい。

   
韓国旅行の楽しい記憶を書こうとして、その入り口の所で思わずつまずいてしまっ
   
た。
   
しかし、韓国とか中国を旅行するということは、このような問題と自らの体験を通
   
して対決することだ。

   
ただ、暑さもあり、他にさし迫った仕事もあり、体調が悪いせいもあって、なかな
   
か書き進むことができず、そして、書いたものは読者の皆さんを不愉快にするもの
   
になってしまったことをお詫びしなければならない。
   
しかし、私たちはおそれることなくこの不愉快な民族的感情の齟齬と向き合い、そ
   
の克服のために努力すべきだと思う。

   
今年の梅雨は晴れた日が多く、異常なのではないかと思う。
   
思えば何がおこるかわからない、なにがおこっているかわからない時代だ。
   
心配してもどうにもならない。
   
なにがおこっても驚かない覚悟をもって、可能な限り現実を見つめ、可能な限り事
   
態の打開のために自分のできることを積み重ねて行きたいと思う。

   
皆さん、お元気に、この梅雨の季節をお過ごしください。

    
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

 

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6月23日 久しぶりに学内問題に関する情報を組合ウィークリー・最新号(ファイル・リンク)同Html版)で得た。国会の場でも、市大の問題がどこにあるか、訴えたようで、多くの議員が、研究教育の自由で創造的な発展のために何が重要か、よく考えてもらう契機になればと願う。 

以下にコピーしておこう。

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横浜市立大学教員組合週報

  組合ウィークリー

2005.6.23

 

もくじ

● 理事長らと会見(1面)

● 国会内ポスターエキジビションズに参加(2面、3〜4面)

● 今後のスケジュール 代議員会・総会・執行委員選挙(2面)

 

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理事長らと会見    理事長・学長らと   16日

                      団体交渉を準備

 

 16日、組合四役(上杉執行委員長・中西副委員長・随書記長・山根書記次長)は、理事長ら法人幹部と会見しました。顔合わせと挨拶を目的とするものであり、当組合が4月1日に労働組合として発足してから初めての会見となりました。

 法人側から出席したのは、宝田理事長、ストロナク学長、清水事務局長、中上経営企画室長、福島人事担当部長、渡辺人事係長でした。

 双方から率直に意見交換を行なっていくことが確認され、当組合からは、事務レベル折衝を経たうえで、7月には、団体交渉の申し入れをする見込みであることを伝えました。

 組合としては代議員会、総会を通じて運動方針と基本要求を策定し、団体交渉に臨むことになります。

 

 

 

国会内ポスターエキジビションに参加  

                             9日・10日

 

 9日、10日、国会内で行なわれた、首都圏ネット(国立大学法人法反対首都圏ネットワーク)主催のポスターエキジビションズに、当組合も参加しました。

 同ネットは、法人化にともなう大学の問題に取り組んでいる団体で、国会内ポスターエキジビションズは、各大学で起きている問題を国会議員に伝えることを目的としています。すでに、昨秋行なわれた第一回のスターエキジビションズにも組合は参加しています。

 今回、組合は任期制導入をめぐる動きなど、横浜市大で起きている問題を訴えました。

 全文を掲載しますので、3~4面をごらんください。

 

 

 

今後のスケジュール

代議員会・総会・執行委員選挙

 

 組合年度も、はや半ばに近づき、総会等の準備が始まります。

 今月16日に開催された執行委員会において、以下のようなスケジュール案を決定しました。

 総会への参加のご準備と、運動方針案等についての幅広い論議をお願いします。

 

代議員会               6月30日(木)

総会                   7月14日(木)(執行委員会日程案として代議員会に提案)

執行委員選挙公示       7月15日(金)(同上)

執行委員選挙開票       7月25日(月)(同上)

                       同日、引継執行委員会、一部執行委員交代

 

 

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                           発行 横浜市立大学教員組合執行委員会

236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号

Tel 045-787-2320   Fax 045-787-2320

mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp

組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

 


横浜市大

        教員の訴え

横浜市立大学教員組合

 

大学自治・学内民主主義の圧殺と

違法な教員労働条件の切り下げに

反対します!

 

横浜市政の誤った大学「改革」

 

 今年4月1日、横浜市立大学は、地方独立法人となりました。

 横浜市は、この独法化を利用して、「改革」と称する、やりたい放題に大学をいじりまわし、戦後つちかわれてきたたいせつな大学の原則を踏みにじっています。

 これらの大学改変は、研究・教育を脅かす不当なものであるばかりではなく、そもそも違法です。

 わたしたちは、このような不当・違法な「改革」をやめさせるために、大学再編攻撃に抗して闘っています。

 

 

大学自治・学内民主主義の圧殺

 

 独法化にともなってできた横浜市大の新しい学則では、人事権・カリキュラム編成権など重要な事項の審議権が教授会にはなく、理事長以下のトップダウン体制で決まることとなっています。

 これは大学の自治と民主主義を否定する、おそるべき制度です。

 教授会に「重要な事項を審議する」権限を与えている学校教育法に違反し、憲法の保障する学問の自由の原則にもとるものです。

 このような体制では、現場の教員の声が大学運営にも反映されず、大学における研究・教育に大きなマイナスでもあります。

 

違法な教員労働条件の切下げ

 

1)任期制

 横浜市大当局は、「原則全教員を対象とする任期制」の導入を図っています。

 大学当局が準備している任期制には、公正さと透明性に大きな疑いがあります。たとえば、もっとも肝心の再任基準について、当局は「ふつうにやっていれば再任される」などと言うのみで、なんら客観的な基準を示していません。

 また、任期制の導入には当然、本人の同意が必要ですが、同意しない教員については、かずかずの不利益を与えようとする不当な措置の導入をもくろんでいます。

 こんなことが許されるでしょうか?

 

2)年俸制、その他

 そのほかにも当局は、年俸制・教員評価制度の導入など、新しい雇用条件の導入を図っていますが、これらも任期制と同様に、公正さの点で、大きな疑義があります。

 教員組合は、これらの問題について、誠実な交渉を求めていますが、納得のいくような説明のないまま、当局はこれらの制度の導入を強行しようとしています。

 労働条件の大幅な変更にあたっては、じゅうぶんな労使間の協議を行なうことが、法的に義務づけられています。

 横浜市大当局にその姿勢があるのか、きわめて疑問です。

 

 

大学自治と大学労働者の権利擁護のために

関係諸法実施状態の監視と改悪阻止を!

 

わたしたち横浜市大教員は、教員組合をおもな拠点として、このような不当な大学改悪攻撃に対して闘っています。

 国会議員諸氏には、このような横浜市大「改革」の問題を理解され、学校教育法、地方独立法人法、労働基準法など関係法規が横浜市において遵守されているかを厳しくチェックされ、また、これら関連法規が、勝手放題の大学改悪を許すようなものに改変されないよう、闘ってくださるよう、お願いいたします。

 

 

 

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6月9日 教員組合ウィークリー6月9日付を頂戴した(6月10日・教員組合HPに掲載:統計・グラフが見やすい)。貴重な情報でありがたい。学生に対する回答にも同感する。

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横浜市立大学教員組合週報
                
 組合ウィークリー      2005.6.9

もくじ
●学生の質問状への回答 「改革」についての組合の見解(1面)
●大学当局、任期制同意状況を公表 同意の教員、新学部でも半数を下回る(1〜2面)
●「ご質問への回答」(学生の質問状への回答)(3〜5面)

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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320    Fax 045-787-2320
mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
教員組合ホームページ http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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学生の質問状への回答 
「改革」についての組合の見解

 ある学生から、大学改革について各関係者の見解を調べる一環として、当組合の立場についても質問がありました。
 組合書記長名において回答しましたが、当組合の大学「改革」に対する立場を示し、あわせて今後の学生との連帯に関する考えかたを公表するよい機会ですので、本号において公開します。
(3面以下をご覧ください。)



大学当局、任期制同意状況を公表
同意、新学部で半数下回る

 最近、大学事務当局は、任期制への同意状況として、
任期制を受け入れた教員の先月30日現在の人数を、下記のように発表しました(次面へ)。


                               
  教員数      同意数             同意割合
国際総合科学部(注)    167人    79人                47.3%
医学部                        227人    163人             71.8%
付属病院                     93人       64人              68.8%
センター病院                129人      104人          80.6%
                                616人     410人         66.6%


 「国際総合科学部」(注)において任期制に同意した教員の数は半数を下回っています。
 当組合執行部は、3月末の段階で、任期制に同意した教員の数は金沢八景キャンパスにおいては半数を下回っていると推定していましたが(本紙324日号)、現段階においても基本的にその状況は変わっていないことが明らかになりました。
 病院の教員と医学部教員の多くの部分は医師であり、他の教員と条件が大きく異なっていますので、そこですら7割程度しか同意がないのは、むしろ予想を下回るものです。
 なお、この件は今月6日付け『東京新聞』神奈川版でも「統合の新設学部『同意』半数届かず」と報じられています。

(注)当局発表の「国際総合科学部」教員数は、金沢八景キャンパス勤務の専任教員(135名)に、舞岡キャンパス(14名)と鶴見キャンパスの教員(18名)を加えた数となっています。

 このうち国際総合科学部の授業を担当していない教員は学部教授会メンバーではありませんので、同教授会の構成員は144名です(学部長口頭報告による)。なにゆえ医学部・病院以外の全教員すべてを「国際総合科学部」に含めているのか不明です。
 なお、新しい国際総合科学部には、旧3学部(商・国際文化・理)教員のほか、総合理学研究科・経済研究所・木原生物学研究所の教員、および新任教員が含まれています。

 

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ご質問への回答

・・・・殿

 貴殿の質問に対し、以下のように回答いたします。
 学生のみなさんに当組合の立場をご理解いただき、また、大学の現状について正確な認識を得られるための材料としていただければさいわいです。

2005
年5月23
横浜市立大学教員組合
    書記長 随清遠


Q1.今回の改革に賛成or反対、またはどのように思うか?

 これまでの大学には、研究教育水準をさらに高め、またそのための制度・環境を整備することなど、果たされるべき課題はたしかにあったと考えていますし、そのための改革であれば、また、わたしたち教員の声を尊重するような適正な手続を踏まえたものであれば、そして、教員・学生の権利をじゅうぶんに尊重したものであれば、組合としても積極的に参加・協力したいと考えています。
 しかし、今回の「改革」は、こういった課題を正しい方向で解決しようとするものとはいえませんし、そのプロセスも適切なものではありませんでした。そして、教員の権利を著しく侵害する一連の制度変更を含んでいます。
 そのプロセスについて言えば、今回の「改革」は、はじめから市政主導の上位下達のかたちで行なわれ、教授会などにおいて表明された教員の意思は無視されました[1]。また、具体的な改革内容の決定も、閉ざされた場においてなされ、公開の議論すら、はばまれました。学生の意思がまともに問われることもありませんでした。
 また、そもそも「改革」が必要であることの理由についても、まともな説明が行なわれたことはありません。
市長の諮問機関として設置された「横浜市立大学のあり方懇談会」は、2003年、市大が「1140億円の累積負債」を抱えているなどと、センセーショナルな「答申」をしていますが、これはまったく虚偽に満ちた、あるいは不正確きわまりない表現です。
 実際には、横浜市がおもに大学病院建設や医療関連設備の整備のために市債を発行した残高が1140億円となっていたのであり、病院や関連諸施設は横浜市民の貴重な資産となっているものです。
 したがって、この資産の存在を考慮するならば、横浜市立大学が赤字を抱え込んでいるかのような誤解を与える表現は慎重に回避されるべき性格のものです[2]
 「市大は赤字を抱えているから合理化が必要だ」というような誤ったイメージが、一連の大学再編の地ならしに利用されたのであり、ほんとうはなぜ大学がこのようなかたちで「改革」されねばならないのか、まともな説明はなされていないのです。
 改革の内容も、多くの、賛成できない点があります。
 大学運営制度についていえば、「改革」のなかで定められた定款(大学のありかたの大枠を定めるもの。市会で制定)、学則など一連の制度規定は、教授会の権限を著しく制限し、他方で大学運営体制を徹底的にトップダウン体制化し、大学の自治と、民主的運営制度を葬り去ろうとしています。このことは、大学の教育・研究活動に、現場を担う教員の意見が正しく反映されなくなることを意味しており、当然、教育・研究に悪影響を及ぼします。教員ばかりではなく、学生の権利と意見もまた軽視する体制となっています。
 また、教員の勤務条件の面では、ご存知のように、任期制・年俸制・教員評価制度を中心とする、新しい制度が導入されようとしています。

 当組合は、勤務条件にかかわるすべての制度を決して変更してはならないと主張しているわけではなく、合理性のある変更であれば認める方針を持っています。また、教員の既得権益に固執しているのではなく、労働者としての権利が尊重され、かつ公正な教育研究の発展のために必要な制度が保障されることを求めているのです。

 しかし、現在、大学当局が提示している新制度は、その公正さ、透明性・客観性において大きな疑いがあり、また、任期制を受け入れさせるために、それを受け入れない教員を差別するきまりを設けるなど、実に不当・不公正なものであり、またそればかりではなく、違法です。
 こうした「改革」は、主体的に教育・研究に取り組もうとする教員に大きな不満を持たせることになっています。ここ1〜2年のあいだに多数の教員が流出していることの原因について、組合は特定しておりませんが、このような「改革」のありかたへの不満があったとしても不思議ではありません。
 また、商・国際文化・理3学部の統廃合と、それに伴うカリキュラムの改変においても、現場の声と、幅広い議論を無視した拙速で、一方的な改革が裏目に出ており、かずかずの問題を引き起こしています。今年の入試において、受験倍率が昨年までに比して著しく低下したことも、こうした改変と無関係と考えることはできないでしょう。
 このように問題を多く抱えた一連の大学再編をもし「改革」というなら、これはあってはならない改革だと言わざるをえません。

Q2.学校運営に対して望むこと

 まず、大学運営の自律性の強化と、民主化を実現すべきです。学校教育法にあるとおり、教授会の重要な事項についての審議権を回復し、これを中心に、大学構成員の運営参加と発言権を保障すべきです。もちろん教員ばかりではなく、学生の自主的な参加の権利の保障もたいせつですし、教員・学生・職員のパートナーシップを構築し、自律的な大学運営を実現することが目的とされるべきでしょう。
 次に、改革の結果については、「改革」を主導した市、大学改革推進本部(すでに廃止)、あるいは、市長に改革の方針を提言した「横浜市立大学のあり方懇談会」メンバーは、 この「改革」の結果に責任を取るべきです。大学構成員の自主的改革の道を排除して、 トップダウン方式で「改革」を行なった以上、「改革」の結果には必ず責任を取らなければなりません

Q3.今後の横浜市立大学の生徒に望むこと

 大学の主人公として、大学の変化に関心を持ち、また学生同士、話しあって、主体的な意見を形成し、表明してほしいと思います。学生の意見が反映されない改革には大学の将来はありません。そして学生のみなさんと教員のあいだで大学をあるべき方向に変えるための連携ができればと願っています。
 当組合としても、学生との対話や連携を重視したいと思います。

Q4.今の一年生の授業のカリキュラムについてどう思うか?

 ここでも学生の権利を軽視し、現場の教員の意見を無視した無理な改革が、さまざまな問題を生んでいると思われます。
 たとえば、英語教育では、TOEFL500点取得を進級要件とする制度については、その非現実性が教員の側からすでに指摘されてきました。このまま強引に進められれば、 学生の進級・卒業等に関して、大きな問題が生じると予想されます。

Q5.横浜市に対する要望、意見など

 おもに以下のとおりです。
 一連の改革の結果について明確に責任を負い、
他方、大学の自主的・民主的な運営を保障すること
大学の自治と民主的運営を阻害する、定款を見直すこと。
教員の労働条件については、法人が誠実に労働組合と交渉することを尊重すること。


[1]
当時の教授会の意見・決議は、下記の当組合サイトでご覧ください。
 http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
[2]
市大債部門別の起債累積額を示すグラフは組合HPでご覧ください。
病院建設・医療関係の起債は、大学債全体の8割以上を占めていました。


 

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6月8日 この間、本学における「任期制」同意教員の割合が公表された。国際総合科学部は、47%程度という(「全国国公私立大学の事件情報」6月7日記事、元総合理学研究科教授・佐藤真彦氏HPに引用された東京新聞記事)。

47%という数値は、文科系理科系をあわせた国際総合科学部の場合、ある意味ではミスリーディングな数値である。

文科系は、一部管理職を除いて[1]、圧倒的多数が同意していないはずだからである。それは、文科系における研究のあり方、文科系がもつ価値判断の問題(「評価」の難しさ)など複合的な多元的要因によるものと思われる。国際化が進み、国際的学術雑誌等の国際基準がものさしとなりうるであろう理科系の場合とは、違うのである[2]

理科系でも、たとえば医学部の場合、臨床系が高い割合で任期制に同意しているのに反して、基礎系は逆に同意しているものが少ないという。医学部において「30%が任期制に同意しないことは非常に大きな意味がある」ということも耳にした。基礎系と30%とが大体対応するのかどうか、現時点では不明である。

「任期制」「評価のあり方」等をきちんと考えていくためには、本来はこれらの専攻分野別数値をきちんと公開すべきだと思うが、さてどうなるか。

また、年齢層別の「同意率」もきちんと確認し、公開すべきだろう。普通に考えれば、定年近い教員にとっては3年とか5年の任期制を受け入れるのは、その個人にとっては何ら害になるものではなく、むしろいろいろと「優遇」されるかもわからないと考えれば(実際に「優遇」されている?)、若い人々がどう反応するかといったことや制度そのものの将来的全体的問題などを考慮することなく、「同意」率が若い人々より高くても不思議ではない。

しかし、長期的な大学の活性化(これまで以上に優秀な人材の採用をいかにして可能にするかなど)や豊かな発展を本当に考えるなら、総数だけを公開するのではなく、数字の秘密、数字に隠された内実をこそきちんと分析しなければならないであろう。

 

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6月3日 昨日は、国際文化創造コースの全体会議があり、代議員を選出した。大変な時期の大変な仕事だが選ばれた人々には、大学の自治の再生のためにご奮闘いただきたい。この間の改革が行政当局の改革推進本部の手で行われ、新しいカリキュラム体系を練り上げる条件が未成熟ななかで時間的に制約されたこともあって、さらに協力教員の参加決定は行政当局の選別によるものであったことから、さまざまの問題が発生している。そのひとつの重大問題が全学生一律のトッフル500点進級(卒業)要件(そこでの講義の位置付け)であることは、当時、英語担当教員をはじめとして各方面から文書その他で指摘された[3]。そうした指摘(構造的な問題、制度の問題)がまさにそのとおりであったかと思われる現象が発生し始めているようである。それが制度とその運用について、結果としてどこに導くか、今のところはっきりしない。しかし、その議論は始まったようである。忌憚なく議論して[4]、対策を練っておかないと、2-3年のうちに取り返しのつかないような事態になろう。しかるべき会議はきちんと議事録を残し、なすべき対策、それに関する責任の所在がわかるようにしておく必要があろう。

「任期制」問題や「評価」制度のあり方がこれに深く関わる。資料(発行部署など責任の所在が明記されていない文書も多いが)と議事録をきちんと残して置くことは、とりわけ重要だと思われる。

昨日の国際文化創造コースの会議のあと、現在の重要な情勢から、教員組合のコースごとの下からの議論の積み上げや認識の共有が大切だという問題提起があり、今後、コース全体会議後、短時間でも情報交換・意見交換の場を設定することが提起され、参加者の合意をみた。

 

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6月2日 首大では研究費配分で、都立大学・短大に残ることを選択した教員を今年も差別しようとしているようである(「全国国公私立大学の事件情報」)。移行過程の問題をすべて無視し、また研究の内容、申請者の学問的内容に応じたピア・レヴューによる採否の決定ではなく、門前払いの差別措置のようである。こうした非学問的差別措置に対しては、首大に移ることを選択した多くの教員も(400名とか500名の抗議声明を出した人々もいるわけだから)きちんと対処しなければならないのではなかろうか。人事や予算を直接的に行政当局(その任命した理事長・学長)が握ることの恐ろしさ、「大学の自治」「学問の自由」への侵害(その破壊)を感じる。

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61日 教員組合週報がでたようだ。いくつかの重要文書とあわせて、教員組合集会の議論の中身が紹介されている。

 

 



[1] 任期制同意と「管理職」任命を結合させた文書が、前年度中に出された。すなわち、大学改革推進本部がまだ存在した時代に、そうした文書が出たことを記憶する。この日誌をさかのぼって調べれば、任期制への強制のひとつの手段としてのそのようなやり方に疑問を感じ、批判的にコメントした部分(「管理職」任命時に条件として提示したのではなく、後からそのような条件を持ち出すのは「だまし討ち」とでも言うべきことではないか、と)が出てくるはずである。どこまでの「管理職」がそれに従ったのかは不明である。

 

[2] しかし、そうした状況から、また理科系の教員には同意にむけての強い圧力(さまざまの意味での)がかかった可能性もある。理科系における「同意」率の高さがいかなる諸要因によるのかは、また検討するべきものであろう。

 

[3] トッフル500点以上を達成したものが、一定単位を承認されることと、普通の講義を受けたものがきちんと講義での学習の達成度を評価される(A,B,C等の評価を受け単位を取得できる)こととの両方が、これまでのシステムだが、あたらしいのはそうではない。単位取得が「トッフル500点以上」という単一条件に限定され、各人の能力や努力・達成度には違いがあるのに、評価が一面化され単純化されている。評価問題、評価のあり方は、学生の行動を決定的に左右する。

 これは、教員「評価」においてもそうであろう。どのような評価の仕方か、どのような基準か、だれが行うか?など。

それだけに、「評価」のあり方は重要である。

 「全国国公私立大学の事件情報」が紹介する岡山大学(『月刊私学』掲載記事)や北見工業大学の例は、ひとつの参考になろう。ただ、その場合、注意しなければならないのは、主体があくまでも大学であり、法人(理事長)と大学(学長)とが分離された本学のような場合(とりわけどちらも市長任命という現状では)、大学の主体性(自治性)がどこまで発揮できるか、大問題となる。

 北見工業大学の場合、「大学が定めた目標値や全教員の平均値を目安に、どこまで達成できたかを係数化。」とある。

 また、「大学が定めた」ということの実質的意味も問題になる。

 EU憲法批准をめぐる国民投票を見てもわかるが、フランス、オランダのような国民の直接投票による意思決定と議会による間接的な意思決定とではギャップが出てくる。

 本学の場合、たとえば教育研究審議会をとっても、現状は、すべて「上から」の任命という例外的過渡的状態となっている。

 

[4] そのときに問題となるのが言うべきことを言える雰囲気であり身分保障である・・「学問の自由」「大学の自治」。