最新日誌2005年9月
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9月26日 香川大学の吉田さんが、都立4大学改革と本学との共通性と異質性について論じておられる(「公立大学という病 更新雑記」2005.9.24)。「国公私立大学の事件情報」(9月25日付)で知った。また、本学の改革のあり方に抗議して辞職された総合理学研究科元教授の佐藤真彦先生の「学問の自由と大学の自治の危機」問題HPにもリンクをはって掲載されている。
この佐藤先生のHPは目次等が更新された(9月25日)。大学「改革」を全体として見通すことができる諸文書が、この間の整理を踏まえて、掲載されている。
特に柱となるのは以下の三つのページである。
最近は日々の仕事に埋没して、この数年間の「改革」の経過を振り返る時間・精神的余裕がなかったが、あらためて整理された諸文書をみながら、この間の「改革」の意味、現状を考えなおすいい刺激を得た。
多くの人は、本学の現状に照らし合わせて、これら諸文書の意味・意義を検証できるであろう。日々の出来事、耳に入った情報をそのときどきにこの日誌で書き記してきたが、そのいくつかも採用されて、収録されている。自分でもいつの時点でどのように書いたか忘れているものも多い。佐藤先生による貴重な整理作業と整理を貫く理念(「学問の自由と大学の自治」)によって、鞭撻される思いがする。
--------「学問の自由と大学の自治の危機」問題HP
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9月20日 最後の都立大学総長・茂木俊彦氏の『都立大学に何がおきたのか−総長の2年間−』を一読。行政当局の「設置者権限」による大学の「改革」の問題性は、本学と共通する。真の意味での設置者=地方公共団体の意志は、大学問題のあり方に関しては直接問われることなく(選挙において大学改革が論点に打ち出されることなく)、その他大勢の問題と一緒になり、結果としては、現実に設置者権限を行使する市当局(市長・行政当局)の思い通りのシステムが作られたことになる。
「独立行政法人化」による大学の自立化・自律化は、具体的にどこでどのように実現されたのか? 大学の自律・自立の証拠は? この間のことはむしろまったく逆のことを意味してはいないか?
国立大学はどうか?
私立大学は昔も今もピンからキリまで。いろいろと驚くような、そんな大学があったの、というような「大学」もある。大学危機時代おいて、理事会専横体制の大学が増えてきているように感じられるがどうか? そして、それは結局は、日本の大学の自由で生き生きした発展とは逆の方向ではないか? その帰結は?
これとも関連して、大学における人事問題(誰がどのような権限を持ち、どのような適正な手順と規則で物事を処理したか)は、大学の自治の根幹を成す。その点で、院生の『思惟と聯流』第3号の主張(最新号における編集部の主張)は重要である。「人事委員会」でいったい何が行われているのか。どのような公明正大な学問的議論がなされえいるのか?そもそも、どのような議論がなされているのか?
かつては教授会・評議会が学則上の人事権をもち、人事選考過程は教授会でオープンであった。いまでも国立大学やしっかりした私立大学では教授会の人事権が確立されている。
そもそも学則上の教授会など開かれず、それに代わると位置づけらた代議員会の議事録を見ても「報告事項」だけの会議のようである。これで大学における人事の公平性・透明性が確保できるのか?
少なくともわれわれ一般教員にはこの間の人事問題の決定プロセスが「闇」であることだけは確実だ。大学HPで公開される公募案内程度しか、内部の一般教員にもわからないのだから。選考委員の透明性、公平性、資格(ピア・レヴューの原則)は誰がどのように判断しているのか?
どの機関のどのようなところに、きちんとした議事録が残っているのか? いずれ時が経てば、そのことの検証が必要になろう。
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9月15日 「全国国公私立大学の事件情報」経由で、OECD教育統計の最新版を知った。少子化が進む韓国、日本において、教育費の私的負担が非常に高い。教育負担の重さを考えれば、子供を何人も持てる状況にはない、ということになろう。
その他の指標・統計をみても、今や日本が公的な教育費負担において非常に低いレベルであることが、さまざまの面から明らかになっている。若い人々の就業意欲を喪失させる効率本位・長時間労働と合わさって、国の責任(立法・行政・司法)は大きい。労働法制研究会の報告の性質も、下記のような深刻な問題を持っている。産業の再編が世界的規模の競争の中で必要になるとしても、首切りだけを容易にする「リストラ促進法」では、ますます勤労者の生活と自由はうばわれてしまう。勤労者の生活と自由(余暇)の充実[1]のないところに、経済全体の活性化などありえないだろう。経済を構成する主体(労働力総体=勤労者総体)の問題は、単なる少子化による数の問題だけではないであろう。
新自由主義は、何の自由なのか?
人類史の発達が、自由の発達・成熟であるとすれば、その自由と現在支配的な「新自由主義」の自由との違いは? その担い手・主導者は誰か?
リストラ(首切り)を簡単にできるようにすれば、人間を簡単に雇い、簡単に解雇できるとすれば、経営の責任(資本所有の側の社会的責任)はどのようになるか?
むしろ、勤労者の労働力移動の権利を拡大し、勤労者の側の自由度を増やす制度を構築・充実すべきではないのか? そのためには、年金・健康保険などの問題も、労働力移動によって不利にならないような制度設計が必要であろう。
経営者が自由度の高い生き生きと働ける優れた仕事場の環境を創出すれば、人々が自由に集まってくる、というような進歩的な制度こそ打ち出すべきだろう。Kanebo事件ではないが、経営者が権力を持って強権的支配を敷き、内部の事情を隠蔽させるようなシステムとなれば、結局は、その企業は崩壊することになる。 さて、本学はその基準でいえばどうなっているだろうか?
教員だけにかかわる任期制問題や年俸制問題ならば多くの人(社会の人)は、ごく少数者の小さなコップの中のこととみすごすことができるかもしれない。しかし、学生全体にかかわってくることとなればどうだろうか?
現場を知らないまま作られた制度、現場で危機が進行しつつある大きな問題について、大学教員の自由な発言の機会(定期的教授会開催・教授会の審議権)が奪われているとどうなるだろうか?
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一つには2003年の労働基準法改悪の際に法案化前に挫折したはずの「金で解雇を合法化」し、使用者の違法解雇を助長する「解雇の金銭解決制度」の創設、二つ目に使用者に一方的な労働条件の変更権を与える「雇用継続型契約変更制度」の導入、三つ目に労働組合の形骸化、権利破壊を招く「労使委員会制度」の法制化、四つ目に労働者の健康と命を奪う「労働時間規制の適用除外=ホワイトカラー・エグゼンプション」、五つ目に新卒労働者の使いすてを助長しかねない「試行雇用契約」の新設などである。
これらの内容がこのまま盛り込まれるならば、到底、労働者のための労働契約法とはならず、使用者のための「リストラ促進法」といわざるを得ない。
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9月5日 今日もまた、佐藤真彦先生のHPに郵政民営化の背景にあるアメリカ保険業界の対日圧力関連記事が掲載されている。興味深い。郵政民営化の背後にあるアメリカ型新自由主義(それへの日本政府の追随)は、どこまで広く国民の認識(批判的認識)となるか? フランスの新聞が報じるように、国民の多くは論点隠しの小泉戦略に流されるのか。いくらメディアや与党に責任があるといっても、国民一人一人が自分の頭で考えないといけないのだが。
大恐慌のときにドイツ国民の多くはヒトラーを支持し、最後には保守政党、軍部、財界がヒトラーを支持した。そのわずか6年後には第二次世界大戦が始まった。イラクはどうなる? 憲法9条は?
フリーター、非正規雇用を増やす「資本の論理」に抵抗できない多くの人々にとって、少子化は必然ではないか。
そのような「資本の論理」を国民の見地から、ひろく国家百年の計から、規制するのは、基本的な自由主義の下でも必要不可欠ではないか。
「資本の論理」の自由、しかもアメリカ資本とアメリカ追随のわが国の資本の論理にしたがうことで、国民の生存は確保できるのか?
20世紀の福祉国家は今一度、「資本の論理」、新自由主義の跋扈に抗して、練り直されなければならないのではないか?
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9月2日(3) 佐藤真彦先生HPに、「郵政民営化」論批判の醍醐教授の第二弾がリンクされた。ここにも佐藤先生経由でリンクしておこう。この議論のなかには、今日の(1)で触れた郵貯・簡保資金のアメリカへの流出問題(当然にもそれは双子の赤字を抱えてイラク占領を続ける「帝国」アメリカの国債の信頼度にも関わってくる)については、言及していないようだ。アメリカの膨大な赤字を日本の郵貯・簡保の資金で買わせれば、アメリカの資金市場は一息ついて、政府への圧力(財政赤字削減圧力)も、弱くなるのではないか。アメリカ政府の意図は、そのあたりにもあるのでは。(3)以降に期待しよう。
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9月2日(2)「市民の会」(ブログ)経由のニュースによれば、本学医学生の自発的な人命救助のとっさの働きが、愛知万博会場であったようだ。感動的であり、心が温められる。リンクをはっておこう。現場でのこうした自主的自発的な活動がいたるところから出てくるような雰囲気が醸成されれば、すばらしい大学となろう。緊急の救命活動を可能とし有効にしたのは、蓄積された医学的能力。
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9月2日(1) 佐藤真彦先生のHPに、「郵政民営化でだれが一番儲かるか」に関するウォールストリート・ジャーナルの記事
(8/26/05 |
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WSJ |
Who
Gains From a Japan Post Split?) |
が紹介されている。Subscriberではないので、報道されたものをみるかぎりでは、アメリカ政府とアメリカの資本、そして日本の銀行資本にとって都合のいいことがかかれている。自分たちに有利だと判断するから「郵政民営化賛成」。郵貯・簡保の資金が有利な投資先(高金利)を求めてアメリカやEU等の国債に流れるという。
その結果は? 日本の国債から巨額な資金が引き上げられる。したがって、他の条件が同じならば、必然的に日本の国債の金利は高くなる。その高金利を負担する国民の財政負担が大きくなる[2]。しかし、そこまではウォールストリート・ジャーナルは言わない、郵政民営化賛成、アメリカにとって有利だ、儲かるぞ、と。誰かが儲かれば、その儲けを負担するもの(生み出すもの)がいるわけで、その根底がまったく問題にもされない。
巨額の資本が、日本の雇用機会の創出・雇用増大に振り向けられなければ、増大する租税負担の支払能力の基礎も縮小する。このあたりの連関をきちんと統計と理論を使って解明してくれている論文はないか? 経済学はどうしているか?
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9月1日(2) 関東大震災の記念日にあたって、伊豆先生が書かれた「日々通信」を頂戴したので一部抜粋ておこう。テロにおびえる民衆意識の深層は、イラクの今回のシーア派の宗教行事の只中で流れた噂(「自爆テロ」)とその後のパニックの被害が暴き出す。昨夜だったかのテレビ討論で、イラクからの年末までの撤退を主張する民主党代表が、「現在、日本がテロの危険にさらされている」と主張して小泉首相に責任を問いただしていたが、日本の現在のようなメディアの画一的状況からすれば、ちょっとしたテロでも発生するといったいどのようなパニック状況となるのだろうかと、空恐ろしい感じがする。日本中、自由などというものが一挙になくなってしまう雰囲気になるのではと。
今回のイラクのパニック状態も、それに先立つ不穏状態が長く続いているし、スンニが合意しない憲法草案の採択の後だから、テロの比ではない被害者を出している。
-----「日々通信」-----
いま、あらためて、1923年9月1日、いまから82年前におこった惨劇を思い出す。
日本は朝鮮民族に対する苛酷な強制支配をおこなっていて、その反抗をおそれていた。その恐怖が、大震災で、あなお恐怖の大殺戮を呼び起こしたのだ。
英国で、テロと無関係な青年が犯人と間違えられて、警察に射殺されるという事件がおこった。テロにおびえる、米国や英国では、アラブ系移民や留学生を中心に多くの人々が逮捕されたり、さまざまな圧迫を受けている。
この恐怖は、これからますます拡大し、市民の自由が奪われることになるだろう。
これに反対する、社会主義者や民主主義者、平和主義者は非愛国者として圧迫されるのだ。
あの時も、無実の朝鮮人が軍が流したデマ情報がもとで、市民が恐怖に駆られ、多数の朝鮮人を殺戮し、社会主義者も多数殺された。
無実の朝鮮人を擁護しようとして激昂した自警団に国賊、売国奴呼ばわりされ、乱暴された社会主義者もすくなくなかった。
日本政府はあの殺された朝鮮人や社会主義者にきちんと謝罪しただろうか。
靖国に参拝する小泉首相や閣僚は、この人たちのことをちらとでも考えただろうか。
この事件については、日本ペンクラブ:電子文藝館に今井清一さんの記事が掲載されている。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/sovereignty/imaiseiichi.html
また、半月城通信には朝鮮人の立場からの記事がある。
http://www.han.org/a/half-moon/hm059.html
私の過去の「通信」の記事も参考にしていただければ幸いである。
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@114.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@72.htm
文学にみる戦争と平和 第十七回
越中谷利一 一兵卒の震災手記 『戦争ニ対スル戦争』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh17.htm
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9月1日(1) 鹿児島経済大学の3教授は、理事会・法人側が控訴の意向のようだから、もしそうなってしまえば、まだまだ長く苦しい日々が続くことになるのだろう。理事会・経営独裁体制のもとでは、教授会がなく、あってもその自主的決定は踏み潰され、解雇で脅かされ、無権利状態で声もあげられない大学。そこでは、自立的自治的な自由な研究と教育など考えられない。大学の自治の憲法以下の諸関連法規で保護されているはずの大学で、研究教育者の身分・生活を守るために、これほどの苦難を耐えなければならないとは。下記の経過を見ると、教授会の自治の破壊のありさまが良くわかる。
翻って?
経営サイドが予算・人事を自由にできれば(それと一体になった教員と連合して)、学問の自由、大学における自由な言論などありえない。芦部憲法がいうように、人事・予算は大学の自治・学問の自由の核心なのだ。
--「全国国公私立大学の事件情報」9月1日付け----
1. 教員選考での学問的判断などを理由とした懲戒解雇処分
鹿児島国際大学を経営する津曲学園が三名の教授に対する懲戒解雇処分を決定したのは、2002年3月のことである。大学教員の学問的判断などを理由にこれほど大規模な懲戒処分が行われたのは前代未聞であろう。
学園当局が「処分通知書」で示した懲戒解雇処分の主な理由は、1999年度に経済学部が行なった教員公募での採用候補者の審査と決定が不当であったというものだが、当局側はその後「教員採用で不正」などと喧伝した。
この公募には10名の応募者があり、経済学部教授会は教員選考委員会を設けた。教員選考委員5名は応募者の中から研究業績が群を抜いていた候補者を全員一致で選定し、本人面接後にも異論がなかったので投票によって同候補を採用候補者と決定した。ただし投票で主査が突如反対票を投じたため以後の委員会審議は長引いたが、委員会は決定された採用候補者を教授会に推薦し、教授会もその提案を承認した。
ところが当時の学長(03年10月からは学園理事長に就任)はこの決定を拒否し、教授会が決定した採用候補者を採用不可とした。その上で理事長の下に調査委員会を設け、次いで懲罰委員会を設けて、2002年3月29日の理事会で、田尻・馬頭・八尾の三教授を「懲戒退職」、1人の教授を「減給6ヶ月」とする懲戒処分を決定した。(さらに教員選考委員であったもう1人の教授についても03年12月に「減給12ヶ月」の懲戒処分とした)。
2. 採用候補者の研究業績についての経営者側の判断が根拠
学園当局は三教授に対する「処分通知書」において、教員選考委員会が教授会に推薦した採用候補者の業績は公募科目に「不適合」であったとした上で、教員選考委員会委員長であった田尻教授は「不当な委員会議事運営を主導した」、副査であった馬頭教授は「業績評価報告」でこの候補者が「適任である」との「虚偽記載」をした、経済学部長であった八尾教授は「教授会審議を誤った結論に導いた」と主張している。これに対して三教授は裁判で全面的な反論をし、当該分野の代表的学者たちも教員選考委員会による業績評価の妥当性・正当性を証言した「意見書」を提出した。教員選考委員会が審査して推薦し教授会も承認した採用候補者の研究業績を、学園経営者側が「科目不適合」であったと断定し、そのような学問的判断の違いに基づいて3名もの大学教員を懲戒解雇処分したのは異常である。
3. 不当解雇の撤回を求める教職員組合と支援団体の活動
この不当解雇処分に対しては鹿児島国際大学教職員組合が一貫して三教授支援の活動を進めてきた。未曾有の大規模処分による恐怖が大学内に広まり自由な言論が憚られるような状況下でさまざまな支援活動を展開した。節目節目での団交申入れ、地労委への斡旋申請、「支援集会」「組合集会」「昼休み集会」「学習会」「組合フォーラム」の開催、非組合員を含む多数の教職員の協力を得た支援カンパ、裁判への物心両面からの支援などである。
県内の大学関係者、市民、団体も「鹿児島国際大学教職員の身分を守る会」を結成して地道な支援活動に取り組んでいる。「守る会」には233名の個人と連合鹿児島や県労連を含む33の団体が参加し、集会、宣伝、署名、裁判傍聴などの活動を行い、2003年5月には1万2468名の署名を鹿児島地裁に提出した。なお組合と「守る会」の活動に対しては、九州私大教連が助言者・支援者の派遣や広報など様々な形での支援を続けている。
この不当解雇事件については全国の大学関係者も大きな関心を向けている。「鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会」では、580名の学者が「呼びかけ人」として「不当解雇処分の早期撤回」を訴え、全国4000名以上の方々がこれに賛同している。同会は京大会館で設立集会を開いたあと、新聞に意見広告を出し、ポスターを作成して全国に送付したり、シンポジウムを開催するなど多彩な支援活動を展開してきた。同会の事務局は昨年、『いま、大学で何が起きているか』という本を編集して「かもがわ出版」から刊行した。
4. 仮処分裁判など5つの裁判で全面的に勝訴
この解雇処分をめぐっては仮処分裁判をはじめとして6つの裁判が行われてきたが、昨年9月までに下記5つの裁判が決着し、すべてについて三教授側が勝訴した。
・ 地位保全等仮処分申立裁判 (2002年4月提訴、地裁での4回の審尋を経て同年9月に三教授側全面勝訴)
・ 仮処分決定への学園側の異議申立裁判 (02年12月提訴、本訴の中で審理、04年3月に三教授側全面勝訴)
・ 異議申立を却下した地裁決定に対する学園側の福岡高裁宮崎支部への保全抗告裁判
(04年4月提訴、04年9月に学園側が提訴取下げ)
・ 03年10月以降の賃金仮払いを求めた仮処分再申立裁判
(5回の審尋を経て04年8月三教授側勝訴)
・ 南日本新聞社と八尾教授に対する学園側の名誉毀損・損害賠償訴訟
(03年4月提訴、4回の口頭弁論を経て04年1月に三教授側全面勝訴)
なかでも、仮処分決定に対する学園当局の異議申立裁判において、裁判所が「学問的立場の違いを理由に懲戒処分」すべきではない旨を説示した上、「債権者らには懲戒事由に該当する事実は認められない」から「解雇は…無効である」という判断を示したことの意義は極めて大きい。
5. 本訴の判決は8月30日
最も重要な裁判は2002年11月に三教授側が提訴した本訴(「解雇無効・地位確認等請求裁判」)であるが、これも途中3回の円卓審理を挟んで計15回に及ぶ口頭弁論が去る5月17日に終結した。このうち、第6回から第9回の口頭弁論では被告学園側3証人と現理事長(前学長)本人への尋問、 第9回から第12回の口頭弁論では証人1名を含む原告側4教授への尋問が行われ、それらを通して本件処分の不当性は一層明らかになった。
1999年7月31日 経済学部教授会の決定に基づいて「人事管理論および労使関係論」担当教員
〈教授または助教授〉が公募された。
10月13日 全国から10名の応募があり、教授会は教員選考委員会を設置し、委員会は12月17日までに応募者中で研究業績が抜群の候補者を面接対象者に選定した。
(のちの裁判における菱山前学長の供述によれば、学長は応募締切後に旧知の教授から特定の大学院生について宜しく頼む旨の電話依頼を受けていたという。)
2000年1月14日 第4回委員会で本人面接が行なわれ、その後とくに意見もなかったので投票に入り採用候補者が決定された。ただし、投票後に主査が反対票を投じたことを告げて採用反対の意思表示をし、委員会決定を踏まえた業績評価報告書の作成を断ったので、教授会への報告書作成などのため更に4回の委員会が開かれた。
2月22日 経済学部教授会への選考委員会の報告と提案が行なわれ、長時間の論議を経て承認された。ただし副査による業績評価報告等を批判して主査と6名の教員が投票への参加を拒否して退席。後に彼らは理事長と学長宛に上申書を提出した。
3月13日 菱山学長は津曲理事長と連名で、教授会が決定した採用候補者に採用不可の文書を送付し、その後この人事についての「調査委員会」を理事長の下に設ける方針を示した。ただしこの方針は教授会や大学評議会の承認を受けていない。
〔4月 5日〕 〔学長を委員長とする「大学問題調査委員会」が、学園理事長、大学事務局長と2名の外部委員(共に学長の前任大学における後輩同僚、うち1名は上記の大学院生やその指導教授らと共同研究を進めていた教授)を含む5名で発足した。この委員会は11月25日までに計5回開催され、7月に上申書を提出した7教員からの事情聴取を行った上〕、8月と11月に経済学部長と委員会関係者に対する事情聴取を行なった。 (なお〔 〕内は被告学園側が提出した裁判資料による。)
2001年〔7月23日〕 〔上記調査委員会での審議と聴聞を総括して、菱山学長が「調査委員会報告」を作成し委員らに「報告」した(それが承認されたかどうかは不明)。〕
〔10月 1日〕 〔この「報告」に基づいて学園理事会が懲罰委員会を秘密裡に設置した。懲罰委員会は理事長、学長、学者理事(学長の前任校での後輩同僚)、学園事務局長、大学事務局長の5名で構成された。教授会を退席して「上申書」を提出し、その後学長秘書室長に任命されたH氏もオブザーバー参加した。〕 委員会は三教授とK教授宛に「懲戒理由書」を発送し11月に弁明聴聞を行なった。
〔12月17日〕 〔大学評議会の下に学長を議長とする「採用人事調査委員会」が秘密裡に設けられた。委員は教授会審査を経ずに新規採用された教授らで構成された。〕
2002年〔3月12日〕 〔懲罰委員会が三教授を「懲戒退職」とする懲戒処分案を決定した。〕
3月29日 〔学園理事会が上記処分案を承認し〕三教授らに「処分通知書」を送付した。 〔この決定に際して、懲罰委員会と理事会は懲戒処分の就業規則上の根拠を明示せず、就業規則に定められた労働基準監督署長の認定も受けなかった。〕
2002年4月 5日 三教授は鹿児島地裁に地位保全等の仮処分を申請。同裁判の審尋は4月30日、6月7日、8月2日、8月30日に行われ、9月30日に仮処分決定が下された。「懲戒解雇は無効」と判断、「地位保全」と以後1年間の賃金仮払い等を命じた。
10月25日 学園側、裁判所が懲戒解雇を「無効と判断」しても「解雇する」との「処分通知書」を三教授に送付した(「予備的解雇」通告)。
11月19日 三教授が「解雇無効・地位確認」等を鹿児島地裁に請求し本訴開始。第1回口頭弁論は2003年1月20日。以後2月24日、4月7日、5月26日、8月11日、(9月24日と10月29日の円卓審理をはさんで)、12月22日(第6回)、 2004年2月2日、5月17日、6月7日、8月9日、9月13日と重ねられ、11月16日の第12回口頭弁論で証拠調べ(尋問等)を終了した。うち第6〜9回は被告側3証人と被告代表菱山泉理事長(前学長)本人への尋問、第9回〜12回は証人1名をふくむ原告側4教授への尋問。 尋問修了後に被告側が予備的通常解雇について追加準備書面を提出したいと要求したので、それについての口頭弁論が2005年2月1日に設定されたが、被告側はこの準備書面を提出しなかった。3月1日の第14回口頭弁論では裁判所による事実整理案が示され、(4月25日の円卓協議をはさんで)、5月17日の第15回口頭弁論で弁論は終結、判決は8月30日と決まった。
12月25日 学園側が地位保全などを命じた仮処分決定に対する異議を鹿児島地裁民事部に申立て異議申立裁判開始。その審理は本訴裁判の中で進められ、2004年3月 31日に学園当局側の主張と請求を全面的に却下する決定が下された。 三教授らには「懲戒事由に該当する事実は認められない」との判断を示し、学園当局が通告した予備的普通解雇も「解雇権の濫用に該当し無効である」とした。
2003年4月22日 学園当局が、本件処分と裁判をめぐる新聞報道および「教授」の肩書記載が学園の名誉を毀損したとして南日本新聞社と八尾教授を鹿児島地裁に提訴、総計645万円の損害賠償等を請求した。この名誉毀損・損害賠償訴訟については、6月4日、8月20日、9月24日、11月26日と計4回の口頭弁論が行われ、翌2004年1月14日に学園側の請求をすべて棄却する判決が下された。
10月15日 三教授が2003年10月以降の賃金仮払いを求める新たな仮処分を申請。その審尋は10月29日、11月26日、12月22日、2004年1月14日、5月17日と5回にわたり行われ、8月27日に同年6月から本訴第1審判決月までの生活費などの仮払いを命じる決定が下された。
2004年4月17日 仮処分決定への異議申立を鹿児島地裁が全面却下したことについて学園当局が福岡高裁宮崎支部に保全抗告したが、9月13日にはこれを取り下げた。
2005年8月30日(火)13:10 鹿児島地裁で本訴(解雇無効・地位確認等請求裁判)の判決言渡しが行われる。その後14:00頃から「鹿児島国際大教職員の身分を守る会」による報告集会が県文化センターで開催され、17:00からグリーンホテル錦生館で立食パーティーが行われた。
[1] たとえば、かつて成長期にあったアメリカ自動車工業の代表ヘンリー・フォードは、労働の生産性の向上と労働者の苦役の大幅な軽減、そして余暇の充実を一体のもの・相互連関するものとしてみていた。現代の経営者の多くは、こうした基本的スタンスをまなんでいるか? そのために努力しているか? 若者や中高年の弱みに付け込んで、無償労働を絞りとってはいないか?
日本の現在の経営者は、果たしてどうか? リストラ(再構築)という名の首切り簡単化を求める声を強めているとすれば、真の意味での経営者の失格ではないか?
首切り役人に心から服する人などいない。
経営者による首切りをむしろ困難にすることこそ、経営者の経営責任をきびしく問うことになるのではないか? それでこそ、経営者は勤労する者の熱意と総意を結集して、市場競争にたちむかう、新しい仕事・新しい職場の創出に励むことになるのではないか?
経営者が雇用者の首切りを容易にできるようにしたら、勤労者の奴隷化は進む一方ではないか?
勤労者の奴隷化を大手を振って進めようとする経営者(経営と資本の論理)を、全国民的な見地、将来世代と人類や地球の将来の見地から、きちんと制御することこそ、国家(法・行政・司法)の役割ではないのか?
[2] すでに来年度予算では、金利高を組み入れて、国債費がたしか2兆円も増えると報道されているはずだ。国債費は、国民の税金によってまかなわれる。どこから、2兆円を稼ぎ出すのか? 消費税? 法人税? 所得税? いずれにしろ、根底は日本国民の仕事で生み出す価値のなかからまかなわれなければならない。空中から価値が生まれてくるわけではない。
日本の銀行業界も郵政民営化賛成の意見書を繰り返し提出している。その結果が、国債高金利となっても、利ざや稼ぎに成功すれば、国民の税金負担が多くなろうがそんなことは知ったことか、と。
法人税を上げさせなければ、税金の負担は、法人企業ではなく国民大衆に行くだけだ、ということではないか?