最新日誌2005年12月

 

12月29日(3)、私の昨日の日誌に関連して、記者会見発表の一週間後になって、「はじめて誰が副学長などの管理職になったのかを知った」という箇所に佐藤真彦先生は、驚かれたようである。

少なくとも私はまったく知らなかった。この間の改革問題では、大学内部の人間が知らないこと(知らされていないこと)が、新聞記者会見で公表されるということがしばしばあったが、まさに今回の大学管理職の任命も、大学の普通の教職員のまったく関知しないところで決められている、決められた後もまずは記者会見で発表し、学内に周知することはなされないということの具体例であり、象徴であろう。

こうした事実は、大学を構成する人々による「大学の自治」を成り立たせるであろうか? 

なお、私の過去の日誌で、先だっての学長候補者2名のうち一人は15人の学内教員の推薦を得たものと思っていたので、「だれが推薦人になったのか、うわさでは一部の人に関して耳にしていたが最終的に誰が推薦したのか」、疑問に思うということをかいた。

この間、この件に関して、次のような情報を得た。

そういえば、学長選考のことで、先生のホームページで15名の推薦人は誰だろうか、ということをお書きになっていたと思いますが、教員の推薦を得た人はいなかったのです。教育研究審議会と経営審議会で、共に、同じ2名を推薦した、ということです」と。

一人の候補については推薦発起人がいて、何人かの教員に推薦人になってくれるよう働きかけていたことを耳にしていたので、集まったのだと思っていたが、そうではなかった(15人集まらなかった)ようである。すべてが闇の中、というところか。今後、本学おける大学自治を考える場合、これも重要な情報となろう。

 

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12月29日(2) 山形大学就業規則の重大な改悪、大学自治破壊にかかわる改悪が行われようとしているようである。大学自治の堤防にひとつの穴があけられれば[1]、それが次第に大きくなり、堤防自体が破壊されてしまう。これまた、重大問題。

大学自治が破壊され、経営支配が貫徹する中で、人事、予算その他で教員を縛ることができることになれば、そして、そこで任期制などが適用されれば、もはや自由な大学など存在しないことになる。憲法9条を「違憲状態の現実にあわせて改正(改悪)しよう」というのと同じことが、大学でも起きはしないか?

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山形大学職員組合、1219日提示の国立大学法人山形大学職員人事規則改定案の撤回を求める

山形大学職員組合
 ●12月19日提示の国立大学法人山形大学職員人事規則改定案の撤回を求める
 ●2006年1月1日改正人事規則改正案についての山形地区事業場過半数代表意見書

2005年12月27日

国立大学法人山形大学長                     
仙道 富士郎 殿
12月19日提示の国立大学法人山形大学職員人事規則改定案の撤回を求める
 
山形大学職員組合
執行委員長 佐々木  実

 貴職は、「本学の研究の活性化を図り、科学研究補助金等の各種研究費助成金(以下「研究費助成金等」という。)、受託研究費、共同研究費等の学部資金獲得額の拡充を図るため、本学の研究プロジェクトの調整及び国内外期間との共同研究を戦略的に推進することを目的」(「山形大学研究プロジェクト戦略室規則案第2条」より)として研究プロジェクト戦略室を設け専任教員1名を配置し、また、「山形大学基本構想委員会が審議し学長が策定した基本方針に基づき山形大学基本構想委員会規則第2条第2号から第6号に定める目標・計画及び点検・評価の取りまとめを行うことを目的」(「山形大学評価分析室規則改正案第2条」より)として、評価分析室に新たに専任教員1名を配置することを決定しました。
 これら規則の制定、改正を受けて、国立大学法人山形大学職員人事規則の一部改正案が、2005年12月19日、山形地区事業場過半数代表、山形大学職員組合工学部支部、同農学部支部に提示され、同22日山形地区事業場過半数代表及び代議員に対して説明が行われました。
 同改正案は、現行規則第7条第2項「選考は、国立大学法人山形大学教員選考基準(以下「教員選考基準」という。)により、当該教授会、研究科委員会又は学内共同教育施設等委員会(以下「教授会等」という。)の議に基づき、学長が行う。」を「選考は、国立大学法人山形大学教員選考基準(以下「教員選考基準」という。)により、当該教授会、研究科委員会、学内共同教育施設等委員会又は役員会(以下「教授会等」という。)の議に基づき、学長が行う。」と、役員会による教員選考を制度化しようとするものでした。
 山形大学職員組合は、この改正案には以下の点で重大な問題が含まれており賛同致しかねます。本人事規則の2006年1月1日改定を撤回するよう要求いたします。

改正案の問題点

1.教員選考における教員自治の原則の空洞化
 改正案に盛り込まれた役員会の議による選考の制度化は、憲法第23条の「学問の自由」の制度的保障としての教員人事における教員自治、すなわち、教員集団自身による教員選考の原則を空洞化するものです。
 大学側は、役員会における選考の対象となる教員は、山形大学研究プロジェクト戦略室規則および山形大学評価分析室規則に規定された専任教員のみであり、既存の部局所属教員の選考を侵害する者ではないと説明しているが、人事規則改正案には、役員会の選考対象がそういった教員のみであるとの規程は何もありません。拡大解釈すれば、当該教授会における選考と並列して役員会の選考も可能である規程とないます。
 役員会には、教員経験者が複数含まれているとはいえ、学外者や事実上文部科学省から派遣されてきている元官僚らも含まれており、それらを含む経営者集団が直接に教員を選考することになれば、教育基本法が禁じている権力による教育、研究への介入を制度化することにつながりかねません。

2.学校教育法59条第1項違反の可能性
 学校教育法第59条第1項は、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」と規定し、審議の対象となる重要な事項には、教員人事が含まれることは、各種判例でも確立されています。この原則に従い、現行の本学人事規則では、全ての教員選考は、教員集団が主体となった組織、すなわち、教授会、研究科委員会、学内共同教育研究施設等委員会で行われる規程となっています。
 今回の役員会による教員選考の制度化を盛り込んだ改正案は、この大原則を覆すものであり、学校教育法第59条第1項に違反する可能性があります。

3.懲戒規則の不備
 「国立大学法人山形大学職員の降任、解雇及び懲戒の手続きに関する規則」では、第2章において教員の降任、解雇、懲戒に関する規定を設けているが、それらは、学問の自由の制度的保障としての教員人事における教員集団の自治の原則を制度化した「教育公務員特例法」に準じた規程となっています。すなわち、教員の降任、解雇、懲戒は、所属教授会等における3分の2以上の同意、教育研究評議会における3分の2以上の同意を条件としています。現行規則では、全ての教員の降任、解雇、懲戒は、この規程の手続きに従って行われています。
 今回の改正案によって役員会で選考された専任教員は、所属教授会等がないため、現行懲戒規程による保護の対象とならなくなっています。同じ教員の身分でありながら、身分剥奪にかんして教員としての正当な手続きが踏まれない事になっています。私立大学においては、教授会での審議抜きでの理事会決定や審議結果に反した理事会決定による教員解雇が、労使紛争の大きな原因になっています。本学において、例え2名であれ、同じ教員でありながら、学問の自由の制度的保障である教員集団自身による選考、懲戒の権利が保障されない教員を制度化する事は、今後に大きな禍根を残すことになります。

 

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12月29日(1) 原稿執筆のため研究室に来て、念のために「全国国公私立大学の事件情報」をみて、任期制にかかわる井上教授の裁判の判決がいかなるものであったかを確認した。井上教授敗訴であり、その根拠が「大学の自治」の論理であった。

現在、首都大学や本学では、理事長、副理事長、学長、学部長など管理職がすべて行政当局の直接(一部、下位者に関しては間接)の任命制であり、学長さえも大学内部の自由で自立的な選挙によって意向調査さえもされていないような状態で、現在の大学は、憲法的に見て異常状態にあると考えるが、そうした状況で任期制が「大学自治」の形式論理でまかりとおることになると、大学はその生命力を失ってしまうであろう。

京都大学の場合、所長は選挙制かどうか、所員会議の運営が民主的原則・規則で行われているかどうかの確認も必要となるが、全国の大学で導入されつつある任期制問題を考え、各大学で問題化しつつある非常勤講師の雇い止め問題や、大学の自治 (学問の自由な発展) を考えるときには、「大学の自治」の問答無用の適用は、重大な問題をはらんでいるといえよう。

はっきりしたのは、任期制とは、任期満了に伴う解雇を「大学の自治」を盾にして問答無用で合法化する手段ともなりうるということ、これが決定的な点であろう。

「大学の自治」を実質的にも形式的にも廃棄しておいて、任期制の適用だけは「大学の自治」の論理で、外部から一切の法的判断(手続・制度の瑕疵等について)をしないとすれば、恐るべきことではある。

井上教授の苦難の道は今後長く続くことになろうが、大学のあり方を根底から問い直す全国的な意味を持つものとして、ご健康とご奮闘を期待したい。

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20051229

京都大学任期制再任拒否事件控訴審、大阪高裁不当判決 請求を棄却 井上教授は即日上告

下記の記事は,1228日午後3時ごろ掲載しましたが,トップニュースとしての価値を保持するため,再度日付を変えて掲載します。(ホームページ管理人)

 大学教員の任期制法は,大学の活性化を促すようなものではなく,権力の濫用と学問の自由の抹殺をもたらす悪法であることは,京都大学再生研の井上事件が証明するものであった。大阪高裁は,1228日,井上教授の訴えを棄却するという不当な判決を出した。朝日新聞によれば,判決は「再任の審査を同研究所の自主的な判断に委ねることは、大学の自治を尊重する憲法の趣旨に合致すると指摘」したという。「協議員会の判断が外部評価委員会の報告に拘束されると解するなら、かえって大学の自治を損なうことになる」と判断したとされる。
 そもそも大学の自治は,学問の自由を担保するための制度的保障である。学問の自由の抑圧を本質とする本件事案を「大学の自治」の名によって合法と判断されてはたまらない。井上教授の即日上告は当然である。
 是非,判決文全文の公開を望みたい。

元京大教授が2審も敗訴 再任拒否めぐる訴訟

共同通信(12/28

 教員の任期制を導入した京都大再生医科学研究所(京都市左京区)の井上一知元教授(60)が不当に再任を拒否されたとして、京大学長に処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は28日、元教授の控訴を棄却した。
 任期切れの大学教員を再任しなかったことが、取り消し訴訟の対象となる行政処分に当たるかどうかが焦点だったが、武田和博裁判長は「学長は任期満了による退職を通知しただけで、再任拒否という行政処分があったとは言えない」と判断した。
 元教授は上告する方針。

井上氏の控訴棄却 京大任期制教授訴訟

朝日新聞(12/28

 京都大再生医科学研究所(京都市)で「任期制教授」を務めた井上一知氏(60)が、再任を拒否した大学側の決定の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が28日、大阪高裁であった。武田和博裁判長は「原告の退職は任期満了によるもので再任拒否の処分があったとはいえず、その取り消しを求めることはできない」として請求を退けた一審の京都地裁判決を支持し、井上氏側の控訴を棄却した。井上氏側は上告する方針。

 判決によると、井上氏は98年5月、5年間の任期で同研究所の教授に就任。学外の専門家で構成する外部評価委員会は02年9月、井上氏の業績を審査して「再任可」と判断した。同研究所の協議員会が同年12月の無記名投票で「再任不可」の結論を出したため、大学側は井上氏の再任を認めない決定をした。

 判決は、再任の審査を同研究所の自主的な判断に委ねることは、大学の自治を尊重する憲法の趣旨に合致すると指摘。「協議員会の判断が外部評価委員会の報告に拘束されると解するなら、かえって大学の自治を損なうことになる」と判断した。

 判決後、同研究所の中辻憲夫所長は「主張が認められ満足している」とのコメントを出した。

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 井上氏は教授の任期が満了した03年4月以降、京都市左京区にある同研究所の教官室にとどまっている。

 同研究所は「口頭や文書の送付により立ち退きを求めてきたが、実現していない」と説明している。

 ■大学教員の任期制 97年施行の「大学の教員等の任期に関する法律」で導入された。教員の交流を促進して各大学の教育・研究活動を活発にするのが目的。(1)先端的・学際的な研究などで多様な人材が求められる組織の教員(2)研究活動を主な目的とする助手(3)期間の限られた特定の研究プロジェクトに携わる教員――が対象になる。任期や再任審査の方法などは各大学の裁量に委ねられている。文部科学省によると、98年に99人だった任期制教員は、03年10月時点で約8350人に増えている。

京大元教授の再任拒否を支持・大阪高裁判決

日経

 任期制で京都大学再生医科学研究所教授に採用され、任期満了後の再任を拒否された井上一知さん(60)が、京大に処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が28日、大阪高裁であり、武田和博裁判長は請求を却下した一審判決を支持、井上さん側の控訴を棄却した。

 再任拒否が行政訴訟の対象となる「処分」にあたるかが争点だったが、武田裁判長は「任期法は任期満了時に退職することを前提としており、再任拒否は処分とは認められない」と判示した。井上さんは上告する方針。

 判決によると、井上さんは19985月、同大医学部助教授から5年間の任期で同研究所の教授に就任。任期が切れる前年の200212月、大学側は再任を認めなかった。

 井上さんは「研究所長の個人的感情により、恣意(しい)的に再任を拒否された」と提訴したが、一審・京都地裁は昨年3月、請求を却下した。 (13:40)

元京大教授が2審も敗訴 再任拒否めぐる訴訟(京都新聞2/28
◎元京大教授が2審も敗訴(福島民友新聞2/28
元教授が2審も敗訴 京大の任期制めぐる訴訟(熊本日日新聞 2/28
元教授が2審も敗訴 京大の任期制めぐる訴訟(中国新聞 2/28
京大の任期制めぐり判決 元教授の再任拒否訴訟(中国新聞 2/28
京大の任期制めぐり判決  元教授の再任拒否訴訟(岩手日報2/28
京大の任期制めぐり判決 元教授の再任拒否訴訟(神戸新聞 2/28
京大の任期制めぐり判決 元教授の再任拒否訴訟(大分合同新聞 2/28

 

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12月28日 「全国国公私立大学の事件情報」、および佐藤真彦氏のHPから、今日になってはじめて、「任命」された教員管理職の新しい陣容を知った。目の前にある「難問」(人によって受け止め方が違うであろうが)の解決が、「上から」(かつてならば、教員管理職は教員選挙によるものだったが、それとはまったく違うという意味で、「上から」、「外から」)、これらの人々に託されたわけだ。

大学が生き生きと発展するかどうか(短期的に見て、そして長期的に見て)、それが勝負であり、試金石だが、短期的、中長期的にどうなるか?

「改革」、「中期目標」、「中期計画」はどのようになっていくか、本日誌読者から寄せられた危惧の意味が重くのしかかってくる。

といっても、われわれ一人一人は、こうした不確実・不安定・不本意な環境の中でも研究と教育でみずからなすべきことをなし、現在の学生・院生、そして将来の学生・院生のために、たとえわずかでも為しうることを行うしかない。そういいきかせるしかない。

来年が今年よりもすばらしいものになるように、本日誌の読者・支援者の皆様のお仕事が順調なことを、そしてご健康をお祈りしよう。

 

なお、横浜市の脳血管医療センターの松岡医師の配転問題をめぐって、横浜市人事委員会に対する不服申し立ての公開審理が行われたようである(12月26日午後1時半から5時過ぎまで)。「医療ミス」がなぜ発生したのか、なぜ脳血管医療センターが機能不全をおこし機能縮小に向かわなければならないのか、その問題群のなかで松岡医師とそのほかの医師とはどのような関係にあったのか、松岡医師はどのような理由で不服申し立てを行ったのか、たくさんの衝撃的な事実が関内の人事委員会における公開審理で明らかにされているようである。私が知りえた情報によれば、ここにも、「耐震構造設計偽造問題」と同種の諸要因・諸問題(脳血管医療センターが十全に機能しないこと、「救急ピンチ」の構造問題・設計問題・人事配置問題など)があるといえよう。

すでに朝日新聞、神奈川新聞なども脳血管医療センター問題(医療事故とその後の処分問題などに関して)は報じており、今回の人事委員会の公開審理にもかなりの報道陣が来ていたようだから、今後の新聞報道やその他の情報を注意深く見て行きたい。

次回の審理(2月27日午後1時半から)、今回の証人などに対する反対尋問とのこと。

 

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12月27日 全学生にかかわるトッフル500点問題に関しては、その制定においてタッチしなかった教授会が、実際に目の前の学生の状態を見据えて、きちんと審議して、新しい制度を創出すべきではないか?それは、おそくとも年度末に、一年間の結果が明確に出たときに、きちんとやるべきではないか、それが、現場を知る現在大学にいる人々の責任ではないか?、ということになる。今年度のままのシステムでいいとはとても思えない。

それは、実質的な教授会の審議権の再確認・再確立、同時に責任の明確化ということになるであろう。

これは、すでに大学外に去ってしまい直接的には責任追及を行えない人々に対する責任問題は別に考えるということであり、現在大学にいるものの責任で目の前の問題に対する対策を講じるということである。

現在の学長、副学長、学部長など教育に責任を持つ人々が、その新しい政策を練り上げ、教授会審議で遺漏なきを期したうえで、打ち出すしかないように思われる。現在のこれら責任者がしかるべき検討をしていないとすれば、それはこの人たちの責任ということになろう。全学生にかかわる制度変更の検討は、現在の学長・教育研究審議会がイニシアティヴをとって行うしかないであろう。その際、すでに英語教員グループから出されている複線型の制度が、まずはたたき台になるのではないか?

以上、昨日の日誌に関連して、私の考える現在の責任の所在、問題を検討すべき組織とその責任者について、一言、追加した。われわれ一般教員は、先日の教員組合集会の情報から見ても、上記のような関係責任部署が具体的になにかの検討をはじめている、ということを耳にしていない。かえって、来年度も現在のままの制度を維持して多数の再履修クラスを設定する、といった情報だけである[2]。それでは、大学はもたないのではないか、と危惧する。

多数の再履修クラスの講師はどうするのか?多数の再履修クラスの講師を見つけたとしても、その講師に単位認定権など教員としてのしかるべき権限がなければ、学生の出席・学生の努力などを確認し指導する責任、学生が実際に実力を増進するための援助策をとれないのではないか?

後期においては、トッフルだけをターゲットにした専門学校の教師を470点以上の学生のクラスのために採用したという。教える側も教えられる側も、ある意味でトッフル500点クリアという基準からすれば、非常に理想的な設定だが、このクラスの成績(実績)はどうか?これもひとつの試金石となろう。

 

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12月26日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)に、市大学生新聞のブログ記事(教員組合主催、学生・院生など自由参加)が掲載されている。それで、直接、学生新聞ブログ(12月23日付)にもあたってみた。

新聞記事には、私が聞いていなかった冒頭委員長挨拶などに関する情報をはじめ、一読し、吟味すべき情報が掲載されている。各報告者・各発言者の意見の内容の受け取り方も、私の受け止め方とはニュアンスの違う部分がある。

ということで、できれば、各報告者・各発言者が、正確な自分の発言意図・発言内容などを、市大新聞や教員組合に届けて、それを公開すると、有益だろう。当日、集会に参加しなかった人々でも関心を持っている人は多いであろうから。

ひとつ記憶に鮮明に残っていることとして、書き記しておけば、「中期目標は6年間変更されない」という論点である。教員側の発言のひとつで、その点が指摘された。教員サイドからすれば、まさにこれは市当局が決めて大学に示したものであり、なんともしがたいということである[3]。これに対し、学生が「6年間変更がないなんて、絶望的」といった発言があった。この「絶望的」というのが鮮明に記憶に残っている[4]

 

「中期目標」はどこで決められたか?誰の責任で策定されたか?

すくなくとも、昨年度まで存続した「教授会、評議会」(学則による大学の自治機関)の議事録を見れば分かるが、教授会、評議会では議論になったことはない。それは行政当局のマターだということで、独立行政法人化と平行して、市当局(その大学改革本部)が協力する(せざるを得ないような)教員を選抜して、行政当局のイニシアティヴのもとで策定したものである(だから、多くの教員には無力感、不安感が蔓延していた)。

その策定過程・策定方法における幾多の重要問題(全教員任期制問題など)のひとつとして、しかも全学生に直接影響するものとして、トッフル500点=進級基準問題がある。その肝心のことをきちんと見据えておく必要があるだろう。

「メジャーな変更」、「マイナーな変更」というのは抽象的であいまいになってしまう。「大学外部の試験=トッフル」・「500点=大学内部の進級基準」問題、「プラクティカル・イングリッシュ」講義3コマの担当教員の単位認定権否定問題(教授会権限の否定問題)は、カリキュラム編成(学校教育法における教授会審議事項の最重要事項の一つ)にかかわる根本問題である。私の理解では、これこそは最重要の本来の教授会マターであり、教授会(評議会)審議事項であるべきだったが、それがまったく為されなかった(なされていない)ことに問題発生の根本原因があると考える[5]

6年間変更できない」ということが、具体的な問題のどこに関わってくるのかも、重大である。「トッフル500点、進級基準[6]」は、全学生に対する制度として公表されたが(手許には新聞記事がないが、記憶によれば、記者会見等で改革の目玉として特筆されたはず)、最終局面で、変更があったかのようでもある。国際総合科学部と医学部では取り扱いが違うようでもある。こうした重要なこと(変更があったとすれば、変更する主体はどこで、誰が、どの機関が、いつ決定したのかが問題になる)が、明確な形で公開され、学生に周知されているわけではない。うわさがうわさを呼ぶ。システムの欠陥は、結局のところ、学生・院生にしわ寄せされる。「教育重視」という言葉は徘徊するが、学生・院生が安心して講義に参加できるシステムではないとすれば、一体何のための改革か。

今後、どのようにこの問題を処理するのか(どこで、誰によって、どのように審議し、決定するのか)は、大学改革の今後のあり方にとってきわめて重要であろう。

市大新聞ブログが報じるところでは、教員組合委員長は、「大学は、我々が積み上げてきた文化共同体だ。誰に責任を押し付けることもなく我々の手で立て直していかなければならない」といったという。

「立て直す」ためには、どこをどう立て直すのか、ひとつひとつはっきりさせなければならないだろう。そして、その立て直すべき点に関する「責任」(権限)の所在はどこにあるか(誰が、いかなる責任と権限で審議し決定するのか)、事実関係をはっきりさせなければならない[7]。それが、はっきりすれば、複雑な問題もおのずと解決できるあろう。問題はすでに提起されている。提起されている問題を適切に検討しないとすれば、それ自体が問題となる。

「立て直す」前提としては、問題の所在の明確化、その問題解決のための決定者(決定責任と解決責任)の明確化が必要となろう。それは、「押し付け」とはちがうであろう。

この間、院生と立ち話をする機会があったが、学内の院生ですら、「トッフル500点問題」の所在をはっきりとは認識していないようであった。一般社会はなおさらであろう。このままでいけば、問題が深刻化したときに、社会問題化することであろう。耐震構造の設計問題(設計ミス=設計偽造)は、新聞報道によれば、問題の最初の指摘から社会問題化するにいたるにはすくなくとも1年半ほどかかっているようである。

制度設計の問題、制度運用の現実が提起する問題をどう処理したかのこの一年間ちかくの問題、それぞれにしかるべき責任と権限とが明確にされなければならないだろう。

 

 

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12月22日 「全国国公私立大学の事件情報」で下記の文書「大学に新しい風を」(第8号)を読み、本学とほとんどまったく同じ問題(大学自治破壊にかかわる問題)が、首都大学東京でおきていることが、改めて認識できた。本学教員のほとんどが、「何だ、ほとんどまったく同じではないか」と感じるのではないか? それとも、そんな感じを持つのは教員のマイノリティで、「サイレント・マジョリティ」は別の感じ方をしているのだろうか?

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都立大問題、新大学のブランドの大暴落の現状とその原因は何か?

東京都立大学・短期大学教職員組合
 ●大学に新しい風を(第8号)200512月15

 

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12月21日 昨日夕方の教員組合集会に、用事でちょっと遅れたが出席した。非常に有意義な会合だったと思う。委員長挨拶、及び第一報告の前半(?)はきくことができなかったが、その後は終了まで議論を聞くことができた。

第一報告は、現在の教員がどのような精神状況にあるか、教員の置かれた状況にどのように反応しているかが、緊急アンケートなどを紹介しながら、総括しようとするものであった。ほとんどが「改革」の現状を否定的に感じていることが印象的であり、当局が表向きに言っていることとの落差はひどいものだと感じた。

第二報告は英語(トッフル問題)であった。英語担当教員の現状で可能な改善努力も、制度設計そのものの根本的問題から、ほとんど実りのないことが衝撃的なデータ(うわさでは知っていたことだが)で紹介された。小手先の手直し(昨日配布の資料では、決定の結果だけが示されていたが、ある出席者はどこで誰が決定したかを質問していた、議事録は、決定権者の文書は?)ではなく、メジャーな変更、制度の変更が必要だ、英語クラスにおける担当教員の単位認定を、通常のすべての大学と同じように、また、本学でも他の全科目でそうであるように、行う制度とするべきだ(英語教員の単位認定権の復活)、といった総括(一面的受け取り方かもしれないが)は、あまりにも当然に思えた[8]。英語教員の負担は、教員流出もあって、大変なものであり、さらに来年度は一人減るそうである[9]。人件費削減という行政当局の「中期目標」を貫徹する論理だけが、鉄の厳しさで、進行しているように思われる[10]

第三報告は、非常勤講師組合からの報告であり、冬休み直前の現時点になっても、来年度、非常勤講師に委嘱されるのかどうか不明の状態の講師の人々がいるようで、身分と生計が不安で苦しんでいる専業非常勤講師のこと、「非常勤講師を人間扱いしていない」、「使い捨ての態度」など、報告はわれわれでも知らないようなひどい状態があきらかとなった。現在のシステムは、非常勤講師に対して実に破廉恥な対応となっている、と[11]

 

委員長挨拶と3報告の後、報告者と会場参加者との総合討論となった。

教員の発言も印象的なものが多かった[12]が、なんといっても今回の討論会で一番印象的で有意義だと思われたのは、学生・院生の参加であり発言であった。英語授業に対する不満(トッフル高得点を目指す意欲的学生の立場、大学案内をそのまま信じて裏切られた、騙されたと感じている学生の見地)が、「ディープインパクト」だった。院生も、日常的な「事務当局の無理解、不感症」を述べたが、文字情報(「思惟と聯流」)でなく直接の発言だったから、そのインパクトは大きいものだった。

勇気ある学生・院生諸君に敬意を表したい。怒りや不満を持っている学生・院生は多いであろうが、それを文章化したり発言したりすることには、大変な勇気がいるのではなかろうか?

何人もの人から出されたのは、どこに怒りをもって行けばいいか、どこが受け止め、対応してくれるのか、それが不明だ、という点だった。学生課も教務課もなくなった。かつてならば、いろいろな問題が学生課に寄せられたはずだが、その事務担当はどこに行ったか?

 

学生の一人の発言は、ポジティブな感想のものであり、教養ゼミAがよかったということだった。報告とそれに対する批判・反批判の場として設定され、大変だったが、今になってみると、むしろ後期も教養ゼミAがあったらもっとよかったと思う、というような発言だった。そうしたポジティヴな学生からの評価は、担当する教員を大変力づけるものであり、教養ゼミを充実させていくものであろう。いろいろアンケートなどがあるが、ポジティヴな感想・反応は、どのようなものがあるのか、それをとりまとめ、提示する努力も必要だろう。

 

現在の大学の中で、自主的自立的な組織は数少なく、そのなかで教員組合、非常勤講師組合は数少ないそうした自立的組織である。そうした組織が今後も討論の場を設定し、学生や院生の声も合わせて、真の意味での改革を推進していく必要があるだろう。会場からも、教員組合執行部に対するそのような期待の発言があった。

いずれ、教員組合ニュースで、正確な会議の模様は報告されるであろう。

 

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12月20日(2) 千葉大学公共哲学関連ネットワーク経由で、「イーホームズ社長からのメール」なるもの(「きっこのブログ」掲載・・・はじめて知ったがこのブログはものすごいアクセス数のようだ)が紹介された。それを一読。今回の偽造事件の背景にある「闇」の諸関係、許認可権を持つ官庁の動き(責任)など、いずれは刑事告発と法廷で争われるであろうような事実が、イーホームズ社長から語られている。ごく一部の人間や機関に責任を押し付けて、問題が広がらないようにしようとする支配の構造も浮かび上がっている(イーホームズの主張は、その会社HPで公開されている[13])。

大学問題も、最近ではたとえば新潟大学の学長選挙問題(学内の意向を無視する選考結果)が出てきている(Cf.「全国国公私立大学の事件情報」[14])。「独立行政法人化」の実態は、財政削減・大学予算削減・大学教職員削減と結びついた行政による大学支配(大学管理)の強化ではないか。そう受け止めざるを得ないような事態(大学自治の原則を破壊するような諸現象)が進行しているのではないか?法とその運用の両側面で、憲法、学校教育法などに抵触する事態が進行しているのではないか?

耐震性において問題となるのが、鉄筋の質量であり、鉄筋の量が決定的に少ないと耐震性がないというのは素人でも理解できる。問題は、適切な科学的基準であり、そのデータの改竄、偽造である。

その改ざんの事実は、専門家が見れば直ちに分かるということが、今回の問題露呈の後では多くの専門家が語っている。素人が専門外の検査などをしてはだめになるということは、だれにでもわかる。

だが、大学の人事においては? 学長のもとに「人事委員会」が設置されて、そこが決定権を握るようになっている。その人事委員会はどのような構成か?学長は、どのような手続で、誰が任命したか? 誰の意向が反映するようになっているか? 実際にやっていること、そして、その構造設計が問題になろう。

 

人事が、大学自治において決定的に重要であることは、多くの人が知っている。それでは、具体的な人事案件の提起・審議・決定のプロセスが学問の自由、科学研究のあり方から行って合理的であり適切であり、憲法以下の法体系に合致しているか、と問われて、どれだけの人が問題をきちんと検討しているであろうか?

 

現在のシステムは、かつて何十年にもわたって、憲法と学校教育法にしたがって教授会に与えられた審議権をもとに行われていた手法・手続(旧学則参照)とはまったく違うこと(しかも全国の国公立大学で行われているやり方とはまったく違うこと−学長選考の仕方ひとつとってもそうであり、学内の15名の推薦人による推薦だけが許されるという特異なやり方、学内の意向調査は一切行わないというやり方、15名の推薦人が誰だったかということさえも公表されていない[15]というやり方-)だけは明らかである。公立大学法人の許認可に関しては、文部科学省、総務省が許認可権をもつが、はたして、現在本学で行われていることを、どこまできちんと検査しているであろうか? 建築基準法問題と同じようなことを危惧するのは、私だけか?

 

 

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「きっこのブログ」にイーホームズ社長から来たメールが載っています。
一読の価値あり。
まだ読んでいない方は是非。
19
日付けのところです。

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

 

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12月20日(1) 今日は教員組合主催の公開討論会。今年4月以降、すくなくとも普通の教員は学校教育法に基づく審議機関としての教授会とのかかわりが間接的なものとなってしまい、年度当初の正式の教授会以来、一回も教授会は開かれていない。そのようななかで全学的に何が起きているか、まったく間接的な情報しか入らなくなっている。大学の研究教育を担う教員たちが、このような状況で、大学の活性化は期待できないことは明らかである。それとも、みんな生き生きとして教育研究にまい進し、しかるべき教育研究の業績を上げているのであろうか。私だけが全体の状況を見誤っているのだろうか?

現状の確認のためだけにでも、あるいは現状のより詳しい情報の収集のためにも、多くの日が公開討論会に参加し、それぞれの持ち場での情報を公開してほしいものである。

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教員組合 緊急企画「横浜市大は立ち直れるか?」!
 (週報記事抜粋)

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緊急企画「横浜市大は立ち直れるか?(12/20)を開催します

 
 別途、掲示などでお知らせしていますように、教員組合の主催により、緊急企画として「横浜市大は立ち直れるか?――独法化後の状況を検証する」を下記の通り開催いたします。


 横浜市大が独法化してから早くも一年が過ぎようとしています。教員の士気低下や流出、TOEFL500点などカリキュラム上の問題、大学管理運営にみられる混乱――課題山積の「新しい市大」は一体立ち直ることができるのでしょうか?
 今回の集会では、各分野の教員パネリストによる現状報告と参加者による議論を行う予定です。  
 教員、非常勤教員、職員、学部生、院生どなたでもご参加自由です。

 万障お繰り合わせの上、どうぞふるってご参集ください!!

日時: 20051220日(火)  18002000

場所: 八景キャンパス ビデオホール

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 横浜市立大学教員組合執行委員会

236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320   Fax 045-787-2320
mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

 

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12月15日 構造設計におけるデータ偽造(設計ミス)問題が、世間を騒がせている。昨日の国会証人喚問で、一級建築士は、「いやなら他にいくらでも建築士はいる、設計事務所を変えることはできる」と脅かされて、耐震設計における建築基準という法律を破る偽造を行ったという。「生計の道を奪うよ」といわれて、それに抵抗できる人がどれだけいるだろうか? 市場競争は、法的基準=競争ルールを踏まえたうえでなされなければならないのではないだろうか? 「サービス残業」の横行、不正規労働の大幅雇用などは、まさに「代わりはいるよ」との隠然・公然の圧力のもとで(その圧力手段として)行われているのではないか?「規制緩和」=ルールなき資本主義か?

「大学の自治」、「学問の自由」の憲法的保障(それに基づく学校教育法など)は、まさにここにかかわってくると思われる。大学間競争もまた、適切な法的基準の上で行われる必要がある。

人事と予算を握ったものが、大学の外部のもの(それと結合した人々)であれば[16]、「大学の自治」や「学問の自由」はなくなる。大学の自治を守る組織体としての教授会や評議会が、人事や予算において自立的自治的に機能しなければ、いったいどれだけの人が自由に意見をいえるのか?

たんなる報告事項だけを聞くだけの会議がいくら開催されても意味はないのではないか? 現在のシステムで、「責任の所在が明確になった」という人もいるのだが、いかなる意味か?

ともあれ、構造設計問題は、ひとごとではない、と考えるべきだろう。これはたんに私一人の危惧ではないだろう。(Cf.教員組合緊急アンケートによせられた意見アンケート結果集計、および教員組合ウィークリー12月6日号に掲載されたある教員の意見:投稿記事「教員は大学にとって何なの?」)。

講義負担の変化、教員数減少に伴う問題、管理職は別として事務局一般職員の削減に伴う事務作業の教員負担など、耳に聞こえてくることはいくつもある。かつて事務が担ってきた仕事を教員が担うようになって、教員の研究教育の時間(精神的余裕)を圧迫している現象もでてきているようである。教員組合主催の集会が開催される(12月20日、火曜日夕方、ビデオホールにて)というので、そこではこの4月以降の具体的諸問題が、多様な角度から明らかにされるのではなかろうか。みんなが元気が出るような方向性が、教員組合集会の議論から生まれてくると素晴らしいのだが。

 

構造設計問題、ということでは、うわさでは「専門職大学院」設立構想が進んでいるという? どこで、誰によって? どのような組織的審議機関によって? 誰が人事を?どれだけの増員?国際総合科学部ではまたまた何人かの教員が去っていくといううわさも耳にしたが、その補充はしないで、新しい「大学院」はつくるということか?いずれにしろ、普通の教員には情報を一切与えず、「設置者権限」ですべては、行政(経営)が取り仕切るということか? うわさしか聞こえてこない以上、疑心暗鬼とならざるを得ない。

 だが、「よらしむべし、知らしむべからず」か?

 

 

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12月12日 学術研究会の委員長から、12月8日の総会の議論を踏まえた適切な臨時総会の開催、およびその議題(限定的で明確、かつ必要最小限)が提示された。総会の議論を民主的に処理したものとして、安心した。

この間、あまりにも民主主義的原則が無視され続けてきたので、もしかしたら、12月8日の議論の経過などは無視して、またまた事務局(経営サイド)主導で超法規的な措置が行われるのではないかと危惧したのだが、それは杞憂に終わった。ひとまず、当問題における原則的民主的処理をよろこびたい。

先週土曜日、政経史学会の新理事会(第一回)が開催された。理事代表に伊藤正直氏(東京大学大学院経済学研究科教授)、研究委員長に谷口信和氏(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)などがきまった。編集委員長候補もきまったが、ご本人との確認のうえで、次回理事会(1月14日)で最終決定することとなった。ともあれ、これで、3年間の編集委員長職を無事終えることができ、ほっとした。

レフェリー制雑誌としての『歴史と経済』(旧『土地制度史学』)は、文科系の他の学会誌に比べても審査が厳しいといわれ(少なくとも2人、ないし事情によってそれ以上の複数審査者の審査所見とそれを踏まえた編集委員会での審議)、また、経済の理論と現状、日本経済史、西洋経済史、農業土地制度史、アジア経済関係などの研究者の集まる総合的学会として、論文の評価をめぐってはときに内部での議論も熾烈なものになる。冷戦体制解体の激動期には審査問題をきっかけに深刻な問題も発生した。「土地制度史学会」から「政治経済学・経済史学会」(政経史学会)への学会名変更、それと同時に行われた学会誌の名称変更(『土地制度史学』から『歴史と経済』へ)も、この世界的激動と関係していた。世界の中では局部的なことだが、ユーゴ内戦など地球上でも旧秩序「解体」から新秩序への移行期において内戦が勃発した。「冷戦解体」は、過渡的に「熱戦」をわが学会内にも引き起こした。そうした前々期の危機と激動を乗り越えた前期に続いて、今期も、あまり大きな問題は発生せず、したがって微力ながらなんとか3年間の職務を全うし、肩の荷が下りた。

他の学術雑誌もそうであろうが、ますます、学会、および日本の研究の対外的発信の重要性がはっきりしてきた。そのための英語論文企画など、この3年間で一応の制度化を見た企画が、次期以降、着実に具体化され、政経史学会(会員)の研究成果が対外的に発信され、文科系における学問の評価がさらに世界的になることを期待したい。

 

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12月8日 今日の昼休み、学術研究会の「臨時総会」があった。議論は紛糾し、2時過ぎまでの会議となった。

出席者11名、委任状70名であった(単純合計には問題があるが、仮に合計しても81名)。「規則改正」という重大な問題が提起されたが、それに単純に必要な形式数(関係総教員数の3分の2=112名)という点からだけでも、重要規則(いわば学術研究会の「憲法」にあたるもの)の改正に必要なものとしての総会は成立しなかった。

そもそもこれほどに重要な改正に関して、その重大きわまる原案が事前に一般の教員にはまったく知らされていないことが問題となった。制度の根本を変更するような「改定」に関してならば、しかるべき情報をきちんと知らせ、周知徹底した上で、賛否の議論を行うべきである。

抜本的制度改正は、時間をかけて検討していくこと、当面必要最小限の変更のみを行うこと、その場合も、規則改正なので評議員(大学教員)の3分の2の投票と、その投票者の過半数の賛成を必要とするという原則が確認された。必要最小限の微修正箇所(確認されたのは学生の入会金に関するもの)に関しては、いずれ明文化した形で全教員(=全評議員)に提示し、賛否を問うこととなった。

学術研究会は、会員の研究の成果を発表する場として、しかも、きわめて自由な自主的自立的組織として、今日の大学の中では数少ない大学らしい組織である。論叢の刊行、シーガルブックスの刊行などが、仕事の中心になっている。レフェリー制の雑誌が大学教員の仕事の客観的な評価のために、学界のなかでの評価をみるうえで重要性を増している[17]が、逆に、そのようなレフェリー制の枠組みには入らない研究成果の適宜自由な発表という点では、レフェリー制雑誌は、問題がある。レフェリー制雑誌と紀要・論叢等の雑誌は、適宜、学問分野の状況などに応じて活用すべきものである。

レフェリー制雑誌においては、投稿→審査→書き直し→再投稿といった手順とそれに必要な期間は、研究成果の適時の自由な発表という点では限界がある。その意味では、レフェリー制などの枠組みには拘束されず、自由に執筆できる論叢の存在意義は、きわめて大きいといわなければならない。自由さと質の低さが相関しているとみるのは、一面的過ぎる。文科系の歴史上の偉大な著作のほとんどは、レフェリー制雑誌などに投稿されて審査されたようなものではない。

論叢は、研究業績としては、今日的な基準では点数で評価されないということもいわれる。しかし、文科系を中心に、論叢掲載論文が一定の学術上の意義を持っていることもまた周知のことである。なによりも、教員のホットな研究成果を教材として時宜を失しないで学生・院生に示すことが可能である。長大な構想の連作論文なども、論叢のような発表機会があれば、投稿可能である。そうした論叢の存在意義をしっかり踏まえて、これを維持し、育てていく姿勢が必要であろう。

 

 

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12月6日 教員組合ウィークリー最新号を掲載しておこう。 匿名教員の意見は、ほとんどの部分に共感する。特に重要な点は、次ぎの箇所であろう。

 

「当局は、教授会から人事権を取り上げただけでなく、学務教授の採用、専任スタッフの新人採用についても、一般教員に対して辞令交付程度の情報以外、被採用者の経歴、業績、採用理由などいっさい提供していない。」

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横浜市立大学教員組合週報

 
組合ウィークリー

2005.12.5



もくじ

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学長選考結果について

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教員集会「横浜市大は立ち直れるか」(仮題)を開催

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賃金交渉の予備折衝開始

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投稿記事「教員は大学にとって何なの?」





学長選考結果について

去る11月28日、ブルース・ストロナク氏が横浜市立大学次期学長として選考されたと発表されました。

当組合は、10月11日の「学長選考・任命に当たっての教員組合の見解」において、今回の学長選考は、現場教員の声の無視、民主主義の後退などの意味において非常に問題があることを強調しました。また、「学長選考緊急アンケート」の結果に示されたように、大学教員の多くはこの問題に強い関心をもっており、現行のやり方に対して厳しい見方をしています。

いずれにしても、このような時期に横浜市立大学の学長の任に当たる方には、失った人心を取り戻すために、これまでのように現場教員の意見を無視するような大学運営を大きく改めるための努力が望まれます。既定路線とされていることでも、大学の価値を損なう部分に対しては、勇気をもって修正してもらいたいものです。

教員組合は、大学を真の意味で良き教育・研究の場とするために、引き続き、教員の権利が尊重され、一般教員の意見が反映される民主主義的な大学運営を行なうことを、大学当局に求めていきます。



教員集会「横浜市大は立ち直れるか」(仮題)を開催

 教員組合では、教員集会の開催を企画中です。

日程時間:1220日(火)18002000

会場:ビデオホール

(日程と場所は調整中)

今年4月の独法化後、横浜市立大学では「改革」の名のもとにいったい何が起きているのか、特に教育の現場ではどのような事態が進行し教員は何を感じているのかを、報告・問題提起に基づき話し合っていきたいと思います。詳細については正式に決まり次第、近くお知らせいたします。

 年末の極めてご多忙の時期ではありますが、教員による数少ない意見表明の場としても、多くの皆様のご参加とご協力をどうぞよろしくお願いいたします。



賃金交渉の予備折衝開始

 賃金交渉は労働組合として取り組むべき基本的な事項の一つに属しますが、独法化後初めての経験でもあり、教員組合としてはさまざまな情報を集めながら交渉を準備していく方針です。特に教員の給与は「年俸制」がうたわれており、どのように運用されるのか極めて不透明な点が多々あります。現在、教員組合では、当局との予備折衝を開始して情報交換に努めており、今後の正式交渉に向けた準備を進めています。



投稿記事 

 以下のような投稿があり、組合執行部の正式見解ではありませんが、組合員の討論の素材として提供します。



教員は大学にとって何なのか?

一組合員

顧客と責任者

まず言葉使いを定義しておこう。ここでの「顧客」は、組織(企業や会社)と深い利害関係をもちながら、組織の運営に権限と責任を持っていないものを指す。

そういう意味で、教員は大学の顧客であるべきではない。むしろ大学の運営や組織改革について、当事者として責任と権限をもって行わなければならない。しかし、横浜市立大学において、当局によるこれまでの教員に対する扱い方を振りかえれば、教員は大学運営や組織改革において十分な権限と責任を与えられていない。また、良心的な企業や会社であれば、サービス提供において顧客に対する十分な意見聴取や事前説明を行うが、市大の一般教員はこういった意見聴取や状況説明も受けていない。



学生への見せかけのケア

改革が打ち出されてから、大学は学生に対して懸命にサービス提供の姿勢を見せてきた。200310月に学部統合等について学生向けの説明会があった。2005年度、新入生向けの詳細なアンケートが実施された。アンケートでは、学部生があまり利用しない専門雑誌の充実度まで感想をもとめた。他大学の状況も知らないし、これまでの削減経過も知らなければ、多くの学部一年次の学生がこの項目に答えようはないのではないかと想像する。しかし、サービスを受ける「顧客」に対する気遣いは別に悪いことではない。

しかし、講義担当の多数の重要ポストを長期にわたって補充しないあるいは受験倍率が急激に下落した理由などは、決して学生には説明しないから、この程度のケアは見せかけのものといえよう。



教員は責任者と見なされていない

大学改革において、どうみても教員は責任を持つ者として見られていない。学長、コース長はいずれも教員による選挙ではなく、基準不明の指名によって決められた。学部統合、TOEFL500点などのような大学の浮沈に関わる重大事項に関して、事前説明もないから、当然教員から意見を申し立てる機会もなかった。「1140億円負債」からスタートした改革はいつの間にか、従来の教育実績を判断せず、担当者全員に「とにかく従来通りの授業の進め方をしてはだめだ」、「嫌だったら、おやめになれば」(200411月、総合講義ワーキング・グループの会合における副学長発言)と求めるようになった。

学部を統合して何になるのか、「オンリー・ワン大学」自体は意味があるのか、TOEFL500点は他のすべての学問よりの優先度を高く設定する必要はあるのか、といった教員の素朴な意見や疑問がことごとく無視されてきた。



教員は「顧客」にもなっていない

一般教員を意思決定プロセスから外すなら、せめて意見表明の機会あるいは説明を受ける機会を十分与えるべきであるが、これもこの大学においては見られていない。大学改革(学部統合の必要性、TOEFL500点の重要性など)について一般教員に対して上記のアンケートに類似するような意見聴取は今日に至るまで一度もなかった。任期制・年俸制の実施について、制度に関する説明会は二回ほどあったが、教員側の意見・苦悩・疑問・心配などを聞く機会はこれまで一度もなかった。当局は、教授会から人事権を取り上げただけでなく、学務教授の採用、専任スタッフの新人採用についても、一般教員に対して辞令交付程度の情報以外、被採用者の経歴、業績、採用理由などいっさい提供していない。

教員は、いったい大学にとって何なのであろうか?



教員意見の無視、非民主的学長選挙、正当理由なしの学部統合、急激な受験倍率の低下、このいずれをみても、横浜市大はすでに「オンリー・ワン大学」になっている。しかし、大学の将来を危惧する教員にとって、これはあってはならない悪しきオンリー・ワンだ。これまでのように一般教員に大学運営への参加権を十分与えないようなことがさらに続けば、10年後市大は価値のある大学として存続することは難しいだろう。



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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会

236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号

Tel 045-787-2320   Fax 045-787-2320

mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp

組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

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122日 耐震構造に関する欠陥マンション・欠陥ホテルの話題で全国は騒然としている。その陰に隠れて、社会の中ではたくさんの構造的欠陥、設計ミスの問題がいまのところ水面下で増殖中、とみるのが、多分まっとうな見方だろう。

他人事ではない、と襟を正さなければ成らないところはおおいのではないか。今回の設計ミスも、すでに1年半以上も前からある設計事務所による指摘がなされていたという。しかし、それは無視され、もみ消された。その間に、たくさんのマンションが建設され、たくさんの人々が構造的欠陥を知らないままに入居・宿泊していたのだ。

      大学の問題はどうか?

 すでに学生新聞でも、学長候補者所信表明会(新聞記者などもこの場にいたことは、新聞報道から明らかであるが)における候補の発言をとらえて、トッフ500点問題などで「認識甘い」発言に批判的コメントを加えている。学生、そしてその学生と接触する現場の教員と一般の職員の多くは、現在のシステムには構造的欠陥があると気づいているのではないか?少なくとも問題としては、代議員会などでも繰り返し提起されているという。

しかし、現実には、たとえば最新情報では、来年度時間割編成においても、むしろ、通常の講義やゼミのシステムに影響を与えるような「決定」が下されようとしているという(「下された」ともいわれる)。どこで、だれが?その決定文書は?その署名者は?

何も正式にオープンに議論しないと、決めるのは簡単だが、じゅうぶんな議論を経ていない限り、実際の執行においては難問噴出ということになろう。教授会(代議員会)は時間割を審議決定していない以上、どこか管理部門において(?・・・教育研究審議会?)「決定」がなされているのであろう。

学校教育法は、教育に関する重要事項の審議権を教授会に与えているのではないか?

「制度設計の責任」、さらに、その「制度」を現実に運営してみて構造的問題が現場から噴出しているとすれば(ほぼ一年間の講義期間の主要部分を経過し、だいたいの問題は鮮明にでてきているとみるべきだろう)、それを直視し、早急に打つべき手を打たない場合の「不作為の責任」といったことも、問題になりうるだろう。

今の審議決定のシステムでは、行きつくところまで行ってしまう、ということにならざるをえないのか。

現在進行中の制度では、一般教員は、審議決定権のないコース会議(学則上、正式に位置づけられていないため、したがって無力・無権限なため、参加しない人も多い)という場で情報を耳にし、ただ発言するチャンスがあるだけである。

現在世間を騒がせている偽造設計による構造欠陥問題になぞらえていれば、決定権などにかかわりのない部外者設計事務所の建築士(ただし一人や二人ではなく相当数・・・・教員組合の種々の文書がはっきりと指摘しているので、また学長選挙緊急アンケート72名の教員がこたえているところから見ても関心は高いと考えられるので・・・)が構造計算の不適切さ・偽造問題に気づいて、「ここはおかしいですよ」、「うまくいきませんよ」、「制度設計のミスですよ」、「制度を決めるときの問題が露呈していますよ」などと間接的に伝えている、といった有様、ないし段階か? 

 

 

-------------------市大新聞ニュースブログ---------------------------

      2005年11月20日

【論評】認識甘い所信表明

 先日行われた、学長候補の所信表明演説は、両候補ともに、学内の「現状」を踏まえた具体的展望に乏しく、本来主役であるべき学生・大学院生への配慮を欠いたものだった。本学では一昨年来、「改革」を理由にした教員の転出が相次ぎその補充は、金沢八景キャンパスに関しては皆無に等しい。一つの研究分野のゼミが消えてしまった例もある。改革によって学生からゼミが奪われることは「仕方がない」という言葉で済まされる問題ではなく、所信表明では最優先で扱われるべきだった。

 布施候補は「TOEFL500点は高いハードルではない」と述べた。しかし同候補がどのように思うかとは別に、制度設計の責任が追及されて当然である。合格点未取得者が大量に生じているのは、学生の意識以前に、構造自体に無理があるためだ。ストロナク候補は「英語授業に力を入れる」と述べたが、しかし英語の比重が大きすぎる現状を改善するべきだ。英語以外の言語は授業が大幅に削減されており、TOEFLをクリアしないと第二外国語の選択もできず、同候補の言う「国際化」とはほど遠い現状である。

 また教員組合は、学外の3人を含むわずか6人の選考会議によって進められる学長選考そのものに疑問の声を上げている。現在の選考方法を継続すれば、教員の信頼を得ないまま選出されることになり、新しい学長にとってはむしろ不都合だろう。教員と大学運営側との摩擦は学生・大学院生にも多くの不利益をもたらす。かつての通り学内自治の選出に戻せないのなら、せめて選考会議に教員から代表を加えるなどの折衷案を提案しても良かったはずだ。

 現実に起こっている問題の改善なしに、大きな理想を述べても空虚に響くだけである。どちらの候補が新しい学長に選ばれるにせよ、現場の声を取り入れて現状の問題点を改善するよう、まずはその意識を改革することが必要ではないか。  

 

 



[1] しかし、すでに、「大学自治」には大小さまざまの穴があけられてしまっている、いまさら何を、という人もいるかも知れないが。

 要は、学問の自由、その基礎となる精神の自由、それなくしては諸科学の自由で多様な創造的な研究はありえない、自由な諸科学が窒息してしまう、ということである。

 急激な少子化の進展と人口減のように、価値あるものの存続、といったことが、さまざまの現実的な目先の利益で台無しにされてしまうのではないか。

 

 

[2] 学生の市大新聞が報じているように、報告者(岩崎准教授)によれば,下記のようである。

下記のニュースが物語るように、英語担当者は、当局を「糾弾」などはしておらず、事実関係を静かに語っただけである。

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英語担当の岩崎徹準教授は、新一年生の問題点として、進級要件の英語のハードルの高さを指摘した。国際総合科学部が3年次への進級条件として設定したTOEFL500点は大部分の学生が到達できず、来年度には600人程度が再履修する予定だという。英語授業は出席状況が極めて悪く、状況を聞いた参加者からは「ひどい」との声も上がった。

 岩崎準教授は、TOEFL500点という目標は「必ずしもはっきりしたデータに基づくものではない」とも指摘。どのようなデータを基に、なぜ500点か、大学当局側から明確な回答はなかったという。同じTOEFL500点を高い水準で達成した国際教養大学(秋田)の例もあるが、それは国際教養大学の全授業英語、全員留学のシステム、少人数教育の結果だと紹介した。

 来年度は、週3コマのpractical Englishを引き続き行なう予定だ。来年も上位得点のSクラス所属者には業者派遣の講師による授業を提供。また、470点に満たない学生に対してはTOEFL対策に関わらず基礎力をつけるための授業を行なう。岩崎準教授は「学校そのもののメジャーチェンジも大切だが、細かい所のマイナーチェンジも考える必要がある」と語った。

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[3] 本日誌読者から、「中期目標の変更の可能性はある、ただ、むしろ改悪の可能性がある、その見直しの結果、いまよりも状況が悪くなる可能性もある(むしろ、その可能性が高い)という意見も寄せられた。恐るべきことではある。

 教授会構成員の意見が正式に反映されないシステムで、変更された場合、ますます事態が悪くなる可能性がある、と。

 学生の希望はどうなるのだろうか?

 「大学案内で履修が自由だと信じて入学してきたのに、不自由だ」と嘆いている学生諸君の悲鳴に対して、さらに厳しい縛りがかけられるということか?そのような動きがすでにあるということか?

 そうすると、この改革の筋道は、ますますわけが分からなくなる。

 

 

[4] もうひとつ、受験生向けの大学案内では、3つの学部がひとつになったので、科目履修が非常に自由になる、コース選択なども自由になる、と受け取っていたが、蓋を開けてみれば、コース選択の縛りが厳しい、主専攻・副専攻の縛りなども厳しい、といった発言も記憶に残っている。

 これは、われわれ教員にとってもそうである。

 商学部、国際文化学部、理学部の三つの学部の垣根を低くすれば、学生の履修は自由になり、また入学後の学部変更も容易になり、わざわざ学部をひとつ視統合してしまう必要はない、という3学部統合反対論に対して、それでは不十分・不徹底だ、ひとつの学部にして、入学後自由に針路変更できるようにするのだ、と3学部統合が進められたからである。

 実際には、コース間の移動がきわめて不自由に設定されている。コース間の履修の自由度が、かつてよりも狭く厳しくなっている。

 これは、研究院(教員の所属)と教育組織(実際の科目担当先)との分離という当初理念とも食い違うものであり、古いシステム(コースなどへの教員の縛りつけ・貼り付け)がむしろ狭く固定化されている、ということでもある。

 

[5] 科目を担当している教員の単位認定権を剥奪するということを教員が提案するわけはないので、問題の所在ははっきりしているであろう。その点は、各種文書によっても確認できよう。

英語の教員は、他の科目の教員がもっている単位認定権(英語教員でもプラクティカルイングリッシュ以外の担当科目では単位認定権をもっているが)を、プラクティカル・イングリッシュの科目(しかも、全員必修科目)に関しては、剥奪されでいる。

 

 

[6] 「TOEICなら600点」という基準も、集会の場で言及された。

だが、その換算基準は、どこで、誰によって、いつ決められ、いつ学生に周知徹底されたのか?その証拠文書類は?

 知っている人だけが知っているのでは、不透明・不公平きわまる。

 

[7] 「大学」とは、何を意味するか?

「文化共同体」を構成する大学人は、どのような人々か?

法人と大学との権限・責任関係は?

今発生している問題は、何が原因か?

法人経営者(理事長・副理事長など、あるいは事務局全体)を市長(行政当局)が任命しているが、われわれ一般教員も学生院生もその任命にかかわりがない。大学の長である学長についてすら最初はまったく行政当局任命であり、次期の学長選考に関してすら、一般教員にごくごくわずかの「推薦権」が与えられた他は、そうである。

それは事実関係である。

 

[8] 大学教員の講義課目における単位認定権を否定する現在のシステムが、合法的であるかどうか、これを文部科学省は検討しているのであろうか?

 行政当局任命のカリキュラム編成委員会で「トッフル500点制度」(進級要件としてのトッフル=外部試験、3コマの英語授業は開設しても、そこでは単位認定は行われない、否定されている)

 

[9] 私の知っている情報が正しければ、非常に優秀な人である。引き抜いた大学は素晴らしい若手人材を得たことになろう。大切にされ、生き生きと働けることを祈ろう。

 

その人の今年度の、そして「予定」されている来年度の担当コマ数の多さ。後で問題になったときに、その人の今年の担当コマ数を計算し、検証してみればいいだろう。厳然たる事実として、過酷なコマの負担数が見えてくると思う。いろいろな意味で抵抗力の弱い人への圧迫(「文句を言うなら、外注だ、アウトソーシングだ」、「いやなら、他へ行けば」などの脅かし)が、どのようなものであったかがわかるであろう。

「担当コマがなくなるくらいなら、負担が増えてもいい」と、その人はひそかに漏らしていた。昨年度の「改革」の圧迫の中で行われたカリキュラム編成過程で、いろいろな意味での「地位」を守るために、いかに「自発的な」過剰負担を余儀なくされてしまったかが痛いほどわかるであろう。

 

[10] 建築士の姉歯氏が追い込まれたような状態を、どうしても想起してしまう。

 

[11] 「全員任期制」などという制度もまた、大学教員任期法(明確な制限条項を規定)に反し、したがってそれを直接適用できずに、その「精神」を活用するものとして(論理的脈絡なく)、労働基準法改正条項を適用するというやり方も、「あり方懇」路線に従う「役人の論理」として、専任教員の精神を冷え込ませている。

教授会の権限(人事権)を剥奪した上での「任期制」は、恐るべき結果をもたらすことになる。それは、専任教員の身分を不安定化(その不断の脅かし)することを通じて、専任教員のいろいろな意味での従属性を強めることになる。それが、さまざまの教授会決議・抗議声明に反して、今回の公立大学法人の「就業規則」にも盛り込まれている。いかに、市長諮問委員会「あり方懇」の路線が現在の大学を縛っていることか。

 こうした専任教員の置かれた状況(ある種、追い込まれた状況、無権限化の状況)からして、非常勤講師の現状に対する認識と連帯感が、普通の教員サイドにも希薄になっていたのではないか、その点を鋭く指摘されたような感じを持った。

 

[12] 大学教員の研究と教育のための時間の使い方にまったく無理解な事務当局(管理職)の姿勢、普通の事務職のような勤務時間でないことへの無理解(無神経な発言)が、今でも繰り返されているようである。入試手当て廃止問題のやり取りででてきたようである。

 

 大学教員が、講義担当において、演習指導や論文指導において、さらに、論文や著書の発表、学界(学会や研究会)活動、地域貢献の活動などにおいて、自らの名前・自らの責任で、どのように時間を使っているか、そうしたことにまったく無理解な発言が、教員組合との折衝などで繰り返されているようである。

 

大学とはなにか、大学教員とは何かについて、しっかりした認識を持っている経営者と事務職でなければ、いたずらに教員の精神を逆なでするだけであろう。そうした基本的訓練さえも行われない人間が、大学の外から送り込まれてくるのが現状のようである。

 

 大学教員は、匿名・無名の陰に隠れて行動しているのではないことが、意図的に隠蔽され、「理解されない」。

 

[13] ポイントは、イーホームズの責任がないことを明らかにするところにあり、偽造を可能にするプログラムに問題あり、というところか。「審査ミスはなかった」というのが、検査機関の社長としての主張のようである。

 

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2.審査ミスはあったのか?
今回の事件が生じたシステムの不備は、確認検査制度ではなく、大臣認定の構造計算プログラムの認定評価制度における不備です。従って、審査ミスという問題ではないと考えます。大臣認定の構造計算プログラムにおける不備(=改ざんできるシステム)について、国土交通省とこの認定評価を行った財団法人日本建築センターは改ざんが可能であることを公表しました(12/8,12/13)。

[14] 20051220

新潟大学職員組合、第11回学長選考会議の決定に関する公開質問状

[15] それとも、公表されているのであろうか?

 

[16] 上記、設計事務所の例で言えば、建築主など発注主体が設計士の生殺与奪の力を持つということだが、建築主・発注主体にあたるのは市立大学・公立大学の場合、地方公共団体(その執行権限を担うもの)、大学の事務局・経営関係・さらに学長などの任命において実質的権限を持つ関係行政当局・責任者ということになろう.

 

また構造設計との関連で検査機関・監督官庁ということで言えば、大学の場合は設置審、あるいは文部科学省、そして総務省などということになろう.

 

 

[17] その点もあって、理系教員には、学術研究会刊行の論叢、シーガルブックスは魅力のない、必要性のないもののようである。

しかし、理系教員が必要とするレフェリー制学術雑誌への投稿(研究成果発表)の一定の援助は、論叢やシーガルブック巣の印刷発行費(それにかかわる教員数)を踏まえ、適切な合理的な額が可能であろう。希望者が多い場合は競争的にならざるを得ないであろうが、それは会費の制限の枠内でしかたのないことであろう。