2006年1月の日誌

 

 

 

1月30日 最後の都立大学総長・茂木氏の新しい総括が出た( 「第1回都民の大学講座」茂木俊彦さんのご講演内容、参照)。以下にコピーしておこう。

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***都立の大学を考える都民の会ニュース***

***入会など返信はganbare_toritudai@yahoo.co.jpまでお願いします。***

都立の大学を考える都民の会ニュース14号(2006年1月6日)

 

−−目次−−

0 ご挨拶とお詫びとお願い

1 「第1回都民の大学講座」茂木俊彦さんのご講演内容

2 『大学黒書(仮題)』の予告紹介

3 最近の動向と主な資料

 

0.ご挨拶とお詫びとお願い

 新年あけましておめでとうございます。

 今年が、少しでも「よき年」となるよう、互いに力を出し合っていきた

いものです。

 この間、事務局の体制不備にて、ニュースの発行が大変滞っておりまし

たこと、深くお詫び申し上げます。5ヶ月ぶりとなってしまいましたが、14

号のニュースをお届けいたします。遅滞の埋め合わせとはなりませんが、

「第一回都民の大学講座」における茂木俊彦講演の全文ご紹介など、新年

にふさわしい内容を盛り込むことができました。今後、新年度に向けて、

現世話人・事務局体制にも様々な動きが予想され、今後の会の運営体制に

は見定めがたい面もありますが、ともあれ、今年もどうぞよろしくお願い

申し上げます。

 なお、これまで数回お知らせしておりましたが、会の財政事情から、次

号からは、本年度会費をお支払い下さっている方々だけに、ニュースを送

らせていただくことにさせていただきます。(本年度会費とは、2005年3

月の総会案内以降に振込み、もしくは入金下さった一口1000円以上の会費

のことです。)今後もニュースが欲しいが、まだ会費を支払っていないと

いう方々は、ぜひ今月中に下記宛て、一口1000円(個人会員)、もしくは10000

円(団体会員)で会費の納入を下さいますよう、お願い申し上げます。

 <会費納入方法>下記宛て、ご送金ください。

         郵便局口座名義 都立の大学を考える都民の会

         口座番号 00190−5−481324

 

 

1.第一回都民の大学講座 茂木俊彦講演の全内容

 昨年9月19日に行われた「第一回 都民の大学講座」での茂木俊彦さん

(前東京都立大学総長、現桜美林大学)のお話の内容を、ご本人の許可を

得て以下に紹介いたします。

(この後、非常に興味深い討議も続いたのですが、申し訳ないことながら

そちらは割愛させていただきます!)

 *なお、文中の小見出しは、編集者の責任で付けさせていただいたもの

です。

 

■自己紹介と近況

 初めてお会いする方も多いと思いますが、茂木俊彦です。今、お話があ

りましたように、2003年度と2004年度、都立大学の総長の職にありました

。その前の4年間、人文学部の学部長をおおせつかっておりました。更に

さかのぼりますと、これは人事の都合があったのですけど3年間、評議員

をやっておりまして、都立大には23年半おりましたので、そのうちの後半

部分は、いわゆる大学運営に関わらざるを得ませんでした。

 関わらざるを得なかったというのが正直な心境です。総長選挙の際にも

、学部長をやっておりますと、名前が推薦委員会で出ることが多いので、

後に人文学部長になられた南雲評議員に、「もしも名前が出たら、本人は

やらないといっている」と。「なので、おろしてくれ」と言いました。彼

は実際にそうやってくれたのですけど。ご存知の方も多いでしょうが、直

接投票で候補者を選ぶルートが推薦委員会とは別にありまして、そちらの

方で名前が出てしまって、決断を鈍らせている間に選ばれてしまったとい

う、こういう経過があるわけですね。大変な災難でありました。

 その災難が、私個人の災難であればよかったのですけれども、私のよう

な者が総長をやったことで、都立大学全体の災難になったのではないかと

思って、大変心苦しいところがございます。でもとにかく健康で最後まで

やることが出来ました。私は依存性が強く、それを活用する人間でござい

ますので、本当にいろいろな人に依存しながら、考えを伺って、一致する

ところで行動しようと思ってやってきたので、なんとか最後まで体がもっ

たのではないかと思っています。

 その後は桜美林大学というところに移り、学生の教育を引き続きやらせ

ていただいております。

 

■岩波ブックレット刊行について

 この9月6日に、『都立大学に何が起きたのか』という岩波ブックレット

を刊行しました。書いた時期は5月の連休明けから30日間ぐらいの期間で

、その後、もちろん推敲、間違いを正すなどいろいろありましたが、発売

9月6日、ごく最近店頭に出始めたわけです。このタイトル、実に悩んだ

結果、『都立大学に何が起きたのか』、副題が『総長の2年間』と、こう

なっておりますが、当初『破壊された都立大学』というタイトルはどうか

という話もあったのです。私は「破壊されきってはいない」という評価が

ありまして、そのタイトルでは上手く書けないということで、いわばやや

客観的な表現で、『都立大学に何が起きたのか』というタイトルになった

という経緯があります。

 同時に、これもついでで申し上げておきますと、本来ならば、都立大学

2年、あるいはもうちょっと長い目で見ると、数年間の改革の取り組み

、あるいは改革をめぐる東京都との攻防ですね、これについては集団的な

整理・総括をして、集団的に執筆されることが求められると思うわけで、

本来ならばそれがやられるべきだと思いますし、今後、そういうものが出

ることを期待しております。が、集団でやるというのは、これはこれで時

間調整その他だけでも大変でありますので、とりあえず何人かの方にも相

談した上でなんですけれども、個人で出そうということになりました。個

人の著なので、かなりその時々の個人的な判断あるいは個人的な感想や心

境も含めて書きました。集団で書いたら、もう少し落ち着いた文章になっ

たのではないかと思いますが、どうも生来の皮肉の傾向が、こういう文章

にも出てしまったりして、読んだ方からは「皮肉がいっぱい書いてありま

すね」とか、「すっきりしたでしょ」等といろいろ言われています。でも

すっきりするために書いたわけではなくて、今後のために書いたつもりで

はあるのです。参照していただければと思います。

 書いたのは5月から6月の初めぐらいと申しましたが、実はその後このこ

とについてあらためて経過を振り返ったり、あるいは考察をしたりという

ようなことは出来ていないので、したがって今日も、ブックレットに書い

たことから前進した話ができるということではありません。

 その後、私は、「障害者・患者9条の会」というのを何人かの方と立ち

上げまして。このあいだ結成の会を開きましたが、戦争のもとで、戦争に

よって生み出される数が一番多いのが障害者、死者ですね。同時にまた戦

争が起こると、非常に生活困難を加重させられるのも障害者でありますし

、難病の患者でありますので、立ち上がったほうがいいということで、6

月くらいから準備し、先般、結成の集会をもちました。

 それから都立七生養護学校における性教育に対する都教委のきわめて不

当な攻撃がありました。個人的なことを申しますと、私の古くからの友人

が校長をしていたので、この人が降格させられてしまったことや、もっと

一般的には教育内容に対する露骨な介入と教材の取り上げをやったので、

今裁判が引き起こされていますけれど、その裁判を支援する会の代表世話

人の一人になったりもしています。そのため、都立大問題は依然として頭

を去らないし、重要な問題として考えておりますが、大学以外の仕事も増

え始めております。

 

■都立大「改革2000」、東京都「改革大綱」(2001)ができるまで 

 最初に申し上げたい点は2003年8月1日に事態が急変した、それまでと

全く違った状況になったと評価されていますし、ブックレットでも一応そ

ういう書き方をしたんですけれども、どうも昨日あらためて振り返ってみ

ると、完全に8月1日以前のものが廃棄されて、全く新しいものが出てき

たとはいえないのではないかということです。

 改革の内容についても、大学側の取り組みについても、2003年8月にい

たるところを、ひとつには振り返っておかないといけないのではないか。

そして、都立大の「改革2000」というのは、都立大学が2000年よりも

少し前、98年からでしたか、大学の構想を立てて主体的に大学を変えてい

くという取り組みをすべきだということでまとめたわけです。

 他方で都の「大学改革大綱」というものが2001年にまとめられていた。

都がまとめた大綱です。改革大綱が2001年にまとめられて、石原知事のい

わゆる巻頭の挨拶も含めて、署名されたものがでたわけです。そのときに

、わたしは、大学としての対処が、どこまで十分であったのかということ

に対して、終わってから言うのは本当はどうかと思いますけれども、だけ

どちょっと真面目に反省をしておく必要があるのではないかと思いました

。つまり、この2002年度までのこの問題への大学の対処、すでにここまで

のところで設置者と大学、又は4大学の間で矛盾が顕在化していた。

 たとえば法人化問題とか、定数削減問題とか、任期制の問題とか、B類

廃止問題とか、大体、その後も引き続き話題になり、また実際に具体化さ

れる問題について、もう既にこの段階で出ていた。多面的に出ていた。そ

こでの闘い方が、率直に言えば、大学として十分であったかどうか。つま

りこれを真正面から受け止めて、全学的に一人一人の教員まで含めて、事

務職員まで含めて、丁寧な吟味をし、議論を重ねて、問題を提起するとい

う点で、どこまでやれていたのかという点で、非常に不十分さがあって、

ここにその後の困難の根っこがひとつにはあるという風に、いま私は思っ

ています。

 

■都立大学人としての反省

 これは、聴きようによっては、私は2003年度から総長になったのですか

ら自分のせいじゃないよ、と言っているように聞こえてしまうかもしれま

せん。しかし、そういうつもりはありません。たとえば私は、この頃人文

学部長でありまして、人文学部に評議会での議論とか、あるいは部長会で

の議論を持ち帰って報告を致しましたけれども、その報告の仕方、それ自

体に反省があるのです、個人的には。つまり、東京都は「改革2000」

もそうなんですけど、とりわけ「改革大綱」にまで進んでくると、私はこ

こには連続性があるんだと見ているんです。

 人文学部に私が報告するときに、どうも視野が狭くなっていって、「今

度の改革ではB類問題をはじめ、それから教員の定数削減その他、ターゲ

ットが人文に絞られている、よほど注意して頑張っていかないと、人文学

部としての基本的な体裁もまもれない恐れがある。」わたくしは個人的に

は学部長あるいは評議委員として、B類廃止問題は、必ずしも教員の定数

の問題だけでなくて、都立大学には昼夜開講制という形でやってきた伝統

があり、いま新しい形での夜間での教育、B類での教育ニーズが高まって

きているので、これをつぶす積極的な理由は何もない、そういうことはさ

かんに発言したんですけれども。それでもB類廃止問題は教員削減の問題

に結びついているというところに、どうも私の視点が絞られてしまってい

たために、今、日本ではどういうことが大学改革のテーマになっているの

か、都立大学としてはそのテーマをどういうふうに引き受けて、考えてい

くべきか、更に言うと、単に都立大学ということではなくて、公立大学と

しての都立大学はどういうふうに受け止めて改革の構想を練るべきか、こ

ういうことを問題提起する点で、きわめて不十分であったと、学部長とし

て今そのように反省をしております。

 そのために人文だけが孤立しているという防衛の闘いになってしまった

面があって、もっと全学的に打って出て、そして、都立大学がどうあるべ

きかという問題を、もっと徹底してやれるようにリードすべきだったので

はないかと、思っております。

 都との関係では、これはちょっと丁寧に語らないと、特定個人に対する

批判とか受け止められると困るのですけれども、大学全体がそういう傾向

があったということですが、本当にこれが大学全体を破壊に進めていくと

いう受け止め方が弱く、改革がすでに流れになっている、東京都もその改

革をしたがっている、教員定数を減らすのは止むを得ないであろう。それ

をどこまで食い止めるかという防衛の戦い、もしくは落としどころをどこ

にもっていくのかという戦いになるという面があって、私個人の弱さは既

に申しましたけれども、大学全体としても積極的に打って出て、大学構想

を打ち出していくような点においては、最初からどうも守勢に回ってしま

ったのではないかと感じております。

 レジュメで、たとえば法人化問題、定数削減問題、任期制問題、B類廃

止問題とこう書いておきました。他にも問題はあったと思いますけど、こ

れに対して対処は都の提案の承認、是正というところの範囲に、一番弱い

面を言えば、とどまったところにあって、逆に全体構成や詳細設計を打ち

出していく面で、弱さがあったのではないか。ちょっと乱暴ではあります

けれども、この問題は2003年8月1日からことが起こったのではない

という問題意識に立って、私個人だけでなくて、みんなで少し大学の問題

として、お考えいただいたほうが、いい点と問題点をより十分に探り合っ

て、今後に生かすことができるのではないかというふうに思うんですね。

 私は実は2003年10月8日の総長声明とか、あるいは2004年の

3月の卒業式の式辞において、もし2003年8月1日以前で、もっとも

大事な点をひとつ挙げるとしたら、それは、都と大学とが協議が出来てい

たということであったと言いました。それは事実であり、その協議をしな

いと言ってきたので、大問題があるんですけれども。でもその協議の仕方

、あるいはその協議の中に積極的に提案して、逆に押し込んでいくような

取り組み方が出来ていたかどうかというと、はじめからちょっと腰をひき

ながら取り組んだところがあったかもしれないなと。人文については、人

文学部教授たちは怒るかもしれませんが、現体制を守るというところに、

やや関心が集中してしまって、より積極的な人文学部の再編成なり、新し

い大学の構想というものを、作る点では弱かったと思います。

 ですから、もう1回、人文の問題に戻ると、改革大綱が2001年にま

とまりますけれども、そのあと、各部局と東京都でやりとりをしたわけで

す、具体的にどうするかということで。私も評議員もそうでしたけれども

、どうやって、哲学・史学・心理・教育・社会学・社会福祉学と並んで、

英・独・仏・中・国文こういうものを最低限の単位として残すかというと

ころで腐心しまして、全力を挙げたという自負はありますが、最低限のも

のとして残すというのは、ある意味で考えますと、守勢に回っているわけ

で、それも止むを得なかったかもしれないんですけれども、ただもうちょ

っと大きく網を打つという取り組み方が出来なかったかなというのは反省

しているところです。

 

■2003年8月の事態の性格

 以上に述べたように、2003年8月1日以降は急変ではあった、しか

し改革の内容については、それ以前に根っこをもっている。8月1日、東

京都は改革大綱を廃棄するといったけれども、その内容の基本部分を廃棄

したわけではないと、というようなことが言えると思うんですね。

 その上で8月1日は改革のねらいを一段と明確化して都全体の教育改革

の一環としての性格を持たせる。大学を変えることを含めて、小中高の学

校教育をかえていくんだと言うことです。それから大学の機能を産業の活

性化とか、都政のシンクタンク機能に矮小化するような方向性とか、ある

いは教授会自治を徹底して壊すとか、改革大綱の基本部分、つまり法人化

問題とか、それに関連して教員の任期制問題とか、あるいはB類の廃止問

題とか、そういうものは引き続き、教育改革の一環としての大学改革とい

うことで、産業活性化のための大学作りという、新たにかぶせられてきた

目的の中で、より具体的にその実現がはかられたという関係になっている

のではないかと思います。最後に4つの学部が出来てきますけど、その4

つの学部を見ますと、そういうことが言えると思うんですね。

それが貫徹したかどうかで言いますと、肝心かなめの労働契約の問題等で

何も決まっていないと言っていいぐらいの状態です。先ほど大串さんがお

っしゃった、「トップがダウンした」というのは実に名言だと思います。

私はダウンしていない、フラフラになっているぐらいだと思いますが。そ

んな状況であります。

 

■地方自治体の高等教育行政の力量

 3番目ですが、これは今後の問題になると思うんですけど、言わずもが

なではありますが、地方自治体の高等教育政策、実務的な力量、知識です

が、これが決定的に不足しているという問題です。どういうふうな手法に

おいて、大学を管理することになるか、大学を改革しようとするかという

と、基本的には一般行政のやり方を強引でも何でもいいから当てはめて、

本人達はあんまり強引だと思っていないふしがあるんですね。改革とはこ

うやるもんだと、大学の特質というものを中間においてどうやって具体化

できるのかと考えるのではなくて。行政改革とか制度改革というものはこ

ういうものだというすごく浅い認識があって、そうせざるを得ないという

のがある半面、そうせざるを得ないと同時に、そう考えていたという感じ

がちょっとあるんです。

 今回の改革においては、管理本部は、例えて言えば「1月に入ってから

入学試験の受験準備を始めたようなもの」で、こんなふうに言わなくても

「一夜漬け」と言えばいいんでしょうけど、そういうもので、しかも壊さ

なくてはいけないというものだから、次から次へと、一般行政の改革のよ

うな形で打ち出してくる。ところが大学が言うことをきかないので、「ど

うしてこんな単純なことを大学が文句をつけてくるのか」、彼らは正直な

ところ、疑問だったんじゃないかと思うんですね、大学というシステム、

文化というものが。

 最後の方になって、2年間の最後の方になって、「大学と都の行政とで

は文化が違いますからね」、と改革本部長が言いはじめた。「そんなこと

、最初からわかっているじゃないですか。」というと、「そうですかねえ

」と。意外と話していないようで、話しているんですよ、管理本部長とは

ね。このブックレットの中にも書きましたけど、「ボタンの掛け違いがな

かったらというが、ボタンというのは穴がないと入らないんだといって、

ボタンをいれようと思っても穴がふさがっていたら無理でしょ」というよ

うなことも言ったんですけどもね。

 何しろ、無理があったわけです。しかし教育課程をつくらざるを得ない

。つくらなきゃならないのだけれども、頼むわけにはいかない。大学には

いっさい相談しないとか大学にはやらせないといった手前ですね。それで

河合塾などに頼まざるを得なくなった。河合塾は河合塾でそれなりの実績

のある受験産業というか、企業でしょうけれども、それにしても手に余っ

たわけですね。全く白紙状態で新しい大学をつくるからという感じで、学

部構想からはじめて、カリキュラムまで考えてくれないかと、全面的に委

託されれば、河合塾はもうちょっといいものをつくったと思うんです。と

ころが「「都市教養学部」等という名称を冠する学部を作るから、その理

念を書いてくれ。」これは多くの方が指摘されましたが、「都市」という

限定的な概念と、「教養」という非常に普遍的な概念を、ブックレットで

は接木したと書いておきましたけれども、そういう学部の理念を考えて、

しかも学問の系統にしたがって、カリキュラムを組むというのは至難の業

でありまして。さすがの河合塾も出来なかった。

 これには書きませんでしたけど、河合塾が最初につくったものは、管理

本部は相当不満だったみたいで、真夜中まで都庁の中に引き止めて、「こ

ういう方向でやってくれ」と言われたといううわさは伝わってきました。

全面委託しておきながら注文をつけるというのはなんか変な話ですけれど

も、注文をつけられても、得体の知れない学部の名称と、理念もあんまり

はっきりしないし、ということで本当に困ってしまったのではないか。私

も公式には見せられておりませんが、苦労の跡がわかりました。しかしや

っぱり使い物にならないというようなことになってしまったのですね。

 これは、国の文部科学行政における高等教育政策の蓄積や力量やあるい

は冷静な判断能力と比べると、大人と赤ん坊ぐらいの違いがある。だから

文部科学省の担当者の方がスムーズに話が進むわけですね。私も、大学設

置審の特別委員で、今月また実地調査に行かなくてはいけないんですけど

。当たり前の話は注釈なく通じるわけですね。文科省自身も、それは自分

の権益があるといえば言えますけど、財界・産業界、経産省との関係なん

かで、文科省の権益を守らなくてはいけない動機もありましょうけども、

われわれからみれば大学という特質を知っていて、どこをつぶされたら、

大学がだめになるということを考える力量があるけですね。

 

■現大学のなかに「鎌倉アカデミア」を

 文科省を誉めて批判はなしということはないけれども、しかし相対的に

比較をすると、東京都、この巨大な自治体でさえも、大学行政については

継続的に知識を集積し、経験を集積して、教訓を引き出すような組織がな

いわけですね。ないままに、最後、管理本部を解散して、これはもう法人

化に伴うものですから、ある意味では自然かもしれませんが、東京都の内

部にこういうものが継続的に蓄積される部署は、おそらくなくなっていく

と思うんですね。管理本部ができてから今までのほうが、まだ必死でそれ

なりに考えたわけですから、一夜漬けであれ、それなりに蓄積は出来たの

かもしれませんが、今度はこれがまたなくなってきて、法人事務局に今度

はどれだけ蓄積されていくかということになると、これもまたガタガタし

ているようでありますから、容易ではない。

 事務局長は都の職員の派遣でありますから、長くても3年経ったら戻る

わけですよね。そういう状況の中でいくわけですから、大学の特質なり、

学生のことを考えて何がいいかという提案を、意見は違ってもそれなりに

筋の通った提案をしてくる可能性が非常に弱い。これはこれまでも弱点で

あったと思いますが、今後も継続するということについて、非常に重要な

点だとして、私たちは見ておく必要があると思います。みておく必要があ

るというのは、逆にいうと、大学側が、教員も職員も学生諸君も、自主的

・主体的に大学の運営の原則とか原理原則、具体的な取り組みをあらため

てつくりなおして、つくっていく条件があるというふうにいうことができ

ると思います。

 今のところ私は大学院の非常勤講師として、週1回都立大に行っており

ますので、何となく雰囲気はわかるんですけれども、法人事務局も大学の

事務当局も、あんまりうまく機能していない。教員側からすればイライラ

するけども、しばらくやらせてみようという雰囲気もないわけではない。

だけどこれ放置しておくと、どなたかが、このままいくと、「改革の、本

当の意味での改革の知恵とエネルギーが活性化しないままに根腐れしかね

ない」といわれたのが、大変印象深くわたしは記憶しておりますけど、今

こそちょっと物を考えて、具体的な行動をして、われわれの側で、大串さ

んの言うように、都立大、首都大学の中に、「かまくらアカデミア」のよ

うなものを作らなくてはダメだと。大学の中でやる必要があるんだと思い

ますね。だって管理本部の、東京都の人たちはぶち壊しをしてきましたが

、新しいものを創造する前に、異動でいなくなってしまったんですね。い

ってみれば壊しておいて、責任をとらない体制でありますし、あとから送

り込んできた人が責任を取るのかといったら、それはそうではない。行政

組織というのは変なことは継承していきますけど、いいことについてはな

かなかやらないですね。だからそういう点、私はチャンスだというふうに

ひとつには思いますね。

 ですから、この点で、私が中心になるわけには行かないわけですが、み

んなで力を合わせて考えていくことが大事です。

 

■人文知と科学知、大学と地域社会

 最後5番目ですけど、「基礎研究と実学」という問題ですね。あるいは

人文知と科学知。これはたまたま『学士会報』、これに東北大学の副学長

で文学研究科長の野家啓一(のえけいいち)さんが『人文学は何のために

役立つのか、スローサイエンスの可能性』という文章を書いておられます

 ひとことで言うと、人文学の擁護論であって、見方によっては偏ってい

るという見方もあるかもしれない。ただこの人、非常に長い歴史の視野で

、人文学あるいは人文科学というものが、学問の世界、あるいは実生活の

関係でも、支配していた時代から、科学技術の革命にしたがって、科学知

というものが登場してきて、必死になって科学知の方が人文知よりも有用

性が高いんだというふうに標榜し人文知に戦いを挑んで、こっちの方が優

位に扱われるべきだと主張するようになった。そしてさらに、科学知の中

でも科学技術に関係する知がアカデミズムの科学から産業化科学の知へと

動いている。ですから、人文知から科学知へ、そして産業化科学へと来た

んだけれども、学問の世界とか、人間生活とか、色々見た場合に、人文知

というものがそんなに役に立たないものであろうかという問いを再び出し

ております。

 それはすぐに役に立たない学問であることは間違いない。けれども、と

いうことで、『たそがれ清兵衛』の映画の中の台詞を引用しておりまして

、これは「論語」を読んでいまして長女が不意に素読を止めて、父親の清

兵衛に向かって、「お父さん、針仕事ならって、上手になれば、いつかは

着物や浴衣が縫えるようになるだろう。んだば、学問をしたら、何の役に

立つだろう」と、問いかけた。これに対して、「学問は針仕事のようには

役に立たないかものう」、「いいか、かやの。学問をすれば、自分の頭で

物を考えるようにできるようになる、考える力がつく。この先、世の中が

どう変わっても、考える力をもっていれば、何とか生きていくことができ

る。これは男の子とも女の子も同じことだ」と、そういうふうに語りかけ

た。「わかるか」、そういうふうに語りかけた。私が『たそがれ清兵衛』

の原作を読んだところではこういう台詞はでてこないので、映画の脚本で

たぶん作られたものだと思います、ちょっと暇ができましたら、ほんとう

に『たそがれ清兵衛』に書いてあるか確かめたい、という研究者の変な癖

が出てくるんですけども。

 これはブックレットの中にも書いたのですが、人文の独文の教師で、改

革のさなかに、本当に急病でなくなってしまった方がいて、その葬式に学

部長としてまいりました。そのときに喪主の奥様がこう言っていた、「文

学というのは何か役に立つのだろうか」と言ったら、「「とにかく生きる

力になる」という意味で、文学は実学なんだね」とこういうふうにその方

が言ったと。文学の有用性、ある種のレトリックかもしれませんが、そう

いうのを聞いて、まさにそういう部分ってあると私は思ったしだいです。

 何に役に立つとは言えない、文学に親しんでいく中で、これが役に立つ

、あれが役に立つというわけにはいかないけれども、ただ生きていく、生

き方を考えるあるいは生きていく力を獲得していく、そういう意味で実学

なんだといった。亡くなった岡部さんという方は文学を研究していくこと

と自分の人生をからませて非常に悩みながら生きてきた方のようですけれ

ども、そういうことがありました。

 私は、今だから率直に申しますと、都立大内部の各学部の文化というか

、この違いが、2年間で、相当悩みの種ではありました。面白さでもあっ

たのですけれども、悩みの種でもあったのです。たとえば、人文なんかは

原理的に考える傾向があります。私がレッテルを貼ってはいけないかもし

れませんが。何が正しいかと考えると、状況を見るより正しいものは正し

いというのが人文でありまして。ところが別の学部になると、自分の研究

する場がどこかにあれば、それでいいというふうに考える。そこで有益な

学問的成果を出せればいいと考える傾向がどうもある感じがある。ある個

人がどうだこうだと言う話ではなくて、何か学問の性質や研究の方法論を

はじめ、いろいろなことが影響しているんだろうと思うんですけど。

 私はそこのところをみんな精算主義的に変えて、一致団結しようという

のは無理だと思うんですけども、ただ人文学は原理的に考えるとしても、

本当に都民のニーズにこたえる人文学とは何かということですね。あるい

はたとえば理学や工学の人が、すぐに役に立つとは言ったって、しかし基

礎研究との関係、理学の人はあまりすぐに役立つとは言わないけれども、

人文学との関係、人間が生きることの関係、そこまで行かないとしても、

環境とテクノロジーの関係など、考えるところがいっぱいあり、社会科学

に越境しないと、話が正しく発展しないところがあるんですけど、そうい

うところをそれぞれの学問領域から、越境して物事を考えていく中で、大

学全体における実学と基礎学問の関係、どっちが欠けても上手くいかない

という部分を、どういうふうにリアルに考察して構想していくかが問われ

ていくような気がするんです。そこのところが、お互いにあんまり問い直

しをしないままに、この間、都と対応せざるを得なかったところがあって

、時には足並みが乱れたり、いろんなことがあったわけですね。

 

■都民と都立の大学

 まあ、そのほかに、もうちょっと別の角度から言うと、先ほどもうちょ

っと申しましたけど、学問の普遍的な性格や、それと他方では極めて直接

的に都民の生活に役立つ、という課題や役割、都民の生活や産業やその他

の役立つというときに、これは、もともとは、どういうニーズがあるかと

いうことを調べあげなくてはならない。私はこのブックレットの中に、現

実にはなかなか難しいことだと思いながら書いたのですけれども、納税者

のニーズというものについて、われわれ自身がもっと直接的に把握する努

力をするべきだと思うんです。

 それは、単にどういう産業が起こり、どういう産業が発展すればいいと

いうだけでじゃなくて、どこにどういう図書館があって、図書館の役割は

どうなんだということなども含めて、いろいろありますね、生活や文化や

科学技術やあるいは多面的な都民のニーズというものをとらえて、ニーズ

に対応して、直接的に対応をするわけにはいかないかもしれませんが、大

学でどういう研究をして、どういうふうに地域、自治体とその住民に返し

ていくかという課題を本格的に考える時代に来ていると思うんですね。

 東京都は中身無しで都民のニーズといいましたけど、私はこれはまじめ

に考えて、やっていくべきだと考えています。税金を出しているのは都民

ですよ、税金をどう使うかは知事の権限です、このように東京都は言いま

したけど、東京都が本格的に都民のニーズをちゃんとつかんだかといいま

すと、そうじゃない。ここに書いたのは正しいかどうかは分かりませんけ

ど、東京都が都民のニーズだと考える、もっと根っこのところに本当の都

民のニーズがあって、東京都がそれをどこまで吸い上げて、まともにそれ

を検討しているかといえば、私は障害者問題や福祉の分野で仕事をしてお

りますから、都民のニーズなんかきわめて不十分にしか考えてくれていな

いと思っております。そういうニーズにこたえるには、どういう学問がど

のように発展しなくてはいけないか、その応用や適用はどうすべきかとい

う、上滑りの都民のニーズと大学の使命というセッティングじゃなくて、

都民のレベルに下りたニーズ把握と、学問的要請ということを考える課題

があるのではないか。それをしながら、大学の人間が、都民とも一緒にな

って、大学はどうあるべきか、とりわけ公立大学と銘打っているのである

から、どうあるべきか、これは法人化したって、公立大学の性格は、伝統

50数年ある以上、残るわけですし、またそれを生かすべきだと私は思う

んですね。

 そういう点では今後の課題としてディスカッションすべきいろいろな議

論がありうると思うんですね。公立大学としての都立大学の地域貢献、あ

るいは地域連携について、どこまで本格的に考えたかというと、不十分で

あったといわざるを得ないと書いたのですが。正しかったかどうか。沼田

稲次郎先生なんかは、公立大学の役割、あるいは都立大学の役割を指摘な

さったこともあるわけで、誰も何も気がついていなかったという話じゃな

いんですけど、しかし全学あげて、そういう問題を考えながら、自分たち

の位置を明らかにするという課題があるのだと改めて思うのです。

 まとまらない話になってしまいましたが、とりあえず話を終わります。

どうもありがとうございました。

 

 

2.「大学黒書」、ただいま執筆中!

 

 「都民の会」の2005年度の活動方針で、私たちは「在学生・院生に入学

時に契約された研究教育条件を保障しているか、学内当事者の自主性を尊

重した大学運営が行われているか、教育研究が都民の立場に立つものとな

っているか、経営や情報公開などの点で「都民に開かれた」運営を行って

いるか等の観点から、新しくつくられる都立の大学について定期的な「評

価」を行い、その結果を公表する。あわせて都立の大学を支える様々な人

たちの意見を集約し「黒書」の内容に反映させる」ということを確認しま

した。

 この活動方針の実現に向けて、ただいま黒書を鋭意執筆中です。

 黒書では、石原都政によって強権的に進められた「都立四大学改革」の

経緯を改めて振り返り、その手法・内容の問題点は何かを明らかにすると

ともに、学内外の運動の到達と、残された課題について考えます。

 同時に、開学1年を迎えようとする「新大学」の研究教育条件の現状や

、大学運営の課題や問題点を鋭く指摘するとともに、当事者である学生・

院生・教職員が、その下でどのように大学を「立て直す」ための努力を積

み重ねているのか、その中で大学はどのように変わりつつあるのか、とい

うことにも触れるような中身にしたいと思います。そして、これまで世話

人会や「都民の大学講座」で積み重ねてきた議論も踏まえて、都民が求め

る新たな大学像、21世紀の「都立の大学」のめざすべき方向を提起できれ

ばと思います。

 

<東京都大学「改革」黒書 目次(仮)>

T.都立の四大学とその特徴―「都立の大学」とはどのような特徴を持っ

た大学だったのか

U.東京都による大学「改革」の経緯―「8・1」以降の大学改革の経緯

とその問題点

V.首都大学東京の虚像と実像

 ―新大学の組織・大学運営上の問題点と研究教育条件の現状・学内当事

者の努力

W.都立の大学「改革」の背景―産業力強化をめざす都の政策と、強権的

な教育「改革」の進行

X.「都民のための大学」はどうあるべきか―21世紀の大学像を考える

 

 ※発行は2006年3月の予定です!

 

 

3.最近の情勢と主な資料

 

 この数ヶ月の間にいくつかの動きや話題・論点がありましたが、ボリュ

ームの関係で、ここでの掲載資料は、最も包括的内容をもつと考えられる

下記1点に留めさせていただきます。その他の関連資料については、以下

に参照先を明示させていただきますので、ご関心をおもちの際には、お手

数ですが何らかの方法でそちらを参照いただければ幸いです。

 

<その他の関連資料・記事>

2005年9月13日 「学長挨拶」について(『事務屋のひとり言』サイトhttp://blog.goo.ne.jp/sugi37/m/200509

 

2005年10月6日 「またもや露呈した法人運営の不透明性と機能不全〜

オープン・ユニバーシティ来年度基本計画をめぐって」( 東京都立大学

・短期大学教職員組合発行『手から手へ』第2365号)

http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/

 

2005年10月13日 「派遣職員・固有職員アンケート結果」(同上『手か

ら手へ』第2367号)http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/

 

2005年12月12日 「教員の新たな人事制度」の交渉経過と合意の内容に

ついて」(同上『手から手へ』第2389号)

http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/

 

その他

*知事のフランス語発言撤回要求訴訟の経過については、下記参照

 http://www.classes-de-francais.com/ishihara/jp/i00.html

 

*都立の大学の経過が丁寧に追跡・コメントされているサイトとして、下

記「だまらん」参照  http://pocus.jp/damaran.html

 

 

<資料一部抜粋掲載>

 新大学を憂える教員有志「新大学のブランドの大暴落の現状とその原因

は何か?―大学の再建策はどうあるべきか―」2005.12.15(東京都立大学

・短期大学教職員組合「大学に新しい風を」編集委員会編『大学に新しい

風を』第8号に所収)

 

 *大変ボリュームのある内容ですので、ここではその一部を抜粋してご

紹介します。

  全文は下記に掲載されています。http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/newwave8.pdf

 

序 大学の危機的状況

 法人は、新大学が抱えている次のような重大な状況の認識に立脚して、

その原因を把握し、抜本的な打開策を考える必要がある。

 

1. 重大な状況の頭脳流出: 多数の就任承諾書非提出者を含む百名以上に

上る教員の大量転出が続いており、有能な教員の頭脳流出は重大である(03

 

7 月31 日以降、今年3 月31 日までに転出した教員数は、学科によって

は、この3 月に12〜40%の教員が退職した)。教員任期制導入後、最近行

われた新大学の公募人事で、これまでの都立の大学の公募人事ではありえ

ないような低調な状況が創り出されていることの背景を充分に吟味する必

要がある。

2003 年度の文部科学省の科研費獲得額が、12.00 億円(採択件数、299

件)(内、都立大11.52億円)、そして今年度配分額が昨年度と比べて、12.5

 

億円から9.8 億円へと2.7 億円も大幅に減少した。採択件数については大

幅な変化はないので、優秀な研究者の頭脳流出によっている可能性がある

。学生たちから「学びたいと思っていた教員が流出し受講が出来ないので

困る」、院生たちからは「国文学では先生が転出してしまった。今後も先

生の転出があり、来年がどうなるか心配、新大学院の新しい構成がどうな

るか不明」などの声が出ている。

 

2. 受験界の評価によると、新大学志望の大学受験生の偏差値が「暴落」

の状態にある。また、大学内部における学部から大学院への進学希望者の

他大学への大量流出は深刻である(優秀な学生が東大、東工大など他の大

学院へ流れている)。大学院説明会への参加者の激減により、新大学院進

学の志願者の大幅減少が予想される。

 

3.教員・院生・学生の研究教育環境の劣悪化

 都立の4大学の教員1人当たりの学生数(10.23 人)や院生数(2.93

人)は、他の公立大と比べて異常に多い(下図参照)。2004年度 学部学

生数 7704人(短大888 人を含む)大学院生数 2049 人教員 753 人(

学長3 人を含む。助手187 人を含む。短大を除くと699 人)公立大学協会

の報告(2004年5月調査)に基づき以下に比較する。

(中略)

 以上のデータは、都民から見て明白に新大学の「ブランド」が大暴落し

たことを示しており、「今後ブランド価値が、一番の大学の価値になる可

能性があります」という第1 回の都の大学法人評価委員会(04 年10/15、

公開の議事録より)の指摘をふまえるならば、新大学は中長期的に見て衰

退を余儀なくされるであろう。またこれらのデータは、人によって成り立

っている大学が、内部崩壊の過程にあることを残念ながら客観的に示して

いる。そもそも大学の最大の社会的貢献とは、真理を生み出し、有能な人

材を世に送り出すことであり、ひとえに、優れた人材としての教員・院生

・学生を獲得して育てることができるかどうかにかかっている。これこそ

が、五十年、百年後の東京、日本の将来にとって大きな富と利益をもたら

す基礎となるのである。この根本的戦略が明確にされる必要があり、その

ための具体化の施策が語られる必要がある。

(以下、略)

 

以上。

 

 

* *   ▲▼▲ *  「都立の大学を考える都民の会」

 *  * │ロロ│*  *  

  *  │ロロ│  *   

*  ▲▼▲ロロ▲▼▲   ganbare_toritudai@yahoo.co.jp

  │ロロ│∩│ロロ│

  http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3113/index.html

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1月27日 全国国公私立大学の事件情報」(本日付)が報じるところによれば、都立大・首大の教員有志が、新しい人事制度(任期制・年俸制)の根本的問題を改めて総合的に解明した文書を発表した:大学に新しい風を第9号(2006年1月25日)。一気に読了し、その内容に全面的に共感を持った。以下にもコピーして我が物としておこう。

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この任期制度では、安心して教育も研究も出来ない
住宅ローンも組めず結婚も出来ない 
任期の付かない制度を選択して、いい人材が集まる、まともな大学の人事制度への転換を図ろう!
2006.1.22  教員有志

2001年に提示された教員の大幅削減目標で、4大学の教員数795名(講師以上の教員590名+助手205名)を720名(それぞれ530名+190名)にすることが計画されていた。しかし、大量の教員の流出によって、予定外の教員補充をしたにもかかわらず0541日現在で704名(各々、528名+176名、短大および学長を含む)へと減少し、法人化以前に削減計画は超過達成された。それにも関わらず法人当局は、給与をベースダウンする新たな人事給与制度を昨年1130日に提案してきた(以下、新々制度と略す)。
この新々制度は、「教員の任用は任期制が原則」とする「全員有期雇用の大学」であり、かつ昨年度の都の教員の給与水準と比べて、生涯賃金が少なくとも2500万円も低下する人事給与制度に変更することである。この様な人事給与制度であるので、教員流出のさらなる促進が危惧されている。
この人事給与制度の実施により、教員流出・在学学生の学習環境の低下・入学生の学力低下・外部資金導入の低下など、大学の質と活力の急激な低下が起きた場合には、この制度選択を呼びかけた理事長と学長など法人の最高責任者達は責任を取る姿勢を明示するべきである。
新々制度の元では、安心して教育も研究も出来ない、住宅ローンも組めず結婚も出来ない、いい人材が集らない、などの問題が発生するであろう。本稿では、これらの問題に触れると同時に、我々教員が任期の付かない制度を選び、大学の再生を図ることを呼びかけたい。

<安心して教育も研究も出来ない >
その1.任期制=5年後に「雇い止め」によって実質的な解雇が可能な制度
新々制度の導入によって、法人は再任時において合法的に「雇い止め(契約切れ)」とすることが出来る。「任期制」の最大の問題点は、単なる「雇い止め」でなく実質的な「解雇」が可能という点である。最長15年在職が可能なのであって保障ではない。したがって、解雇に関する就業規則(注1)は無関係であり、何らかの理由も示さずに、使用者は5年ごとに「契約しない権利」を行使できるのである。たとえ、再任評価がS,A,Bであっても、それは単に再任基準を満たしているだけで、使用者側は必ず再任しなければならない義務を負っているわけではなく、京大再生研の例があからさまに示している(注2)。再任が認められるかどうかは、大学の教員組織の判断ではなく、法人(雇用者)によって決められる。「解雇」なら個人も組合も闘えるが、「契約切れ」「契約終了」では極めて困難である(注2)。
 
その2.教員の任期評価を「C」とすれば、容易に雇い止めが可能
新々制度案(11/30)のP.12の「5.教員評価委員会」では、『部局長は、教員評価委員会における評価結果を踏まえて絶対評価を決定する』 と、部局長が決定することが書かれているが、部局長を学長(副理事長)が任命することになっているから、部局長を罷免することにより決定を覆すことも可能である。また、「評価基準及び評価結果については、外部委員による審査を行い、妥当性を担保する」と書かれており、外部委員が部局長の決定に介入し、反古にする可能性が盛り込まれている。
そして、再任時において再任するかどうかの判断材料となる「(2)任期評価」に関して、「評価の段階は、教員評価委員会の評価結果に基づき、部局長が決定する。」と書かれており、任期評価が「C」の教員は、再任されないことが書かれている。任期付き雇用に同意すれば、このような評価が出ることを覚悟しておく必要がある。

その3.「自己都合退職による失業給付」は、雇用者都合による解雇の半分
 任期付雇用は、任期満了をもって自動的に合法的に解雇できる制度であり、解雇された場合には、「雇用者都合による解雇」ではなく、「自己都合退職」の扱いとなることを、法人は言明している。自己都合の退職の時は、雇用者都合による退職と比べて失業給付期間(給付日数)は、雇用保険の加入期間や年齢にもよるが、短くおよそ半分の期間(10年未満で90日、10年以上20年未満で120日、20年以上で150日)であり、従って、給付総額も低くなり、不利である(注3)。

その4.実効性の乏しい「ステップアップ型」という言葉のまやかし
 法人側は、今回の人事・給与制度について、准教授(助教授)に2回の再任機会があるのだから15年間在任することが可能であり、これだけの期間があれば過去の実績から言ってほとんどが教授に昇格が可能である、と説明している。しかし、ここには重大なまやかしがある。  
過去においては、教授・助教授の定数が保証されており、平均的な昇格のスピードが推定可能であった。ところが新大学では、毎年減額される運営交付金による人件費総額抑制という大枠のために、定数が絶対的なものでない。実際、昨年末に情報がリークされたように、1年間に准教授から教授へ昇格する割合は「5%」と法人は考えているようである。そうだとすれば全員の昇格には20年かかることになる。後で、公式見解ではないと打ち消したようであるが、衣の下に鎧が見えた例えにふさわしい。大学改革の過程において数年間人事凍結がされていたことを考えると、人事の停滞を正常な状態にするには20数%の昇格枠が必要である。しかし現在の人件費総枠においてすら5%であるから、将来人件費総額がもっと減額されれば、それが4%、3%にも低下することもあり得ない話ではない。
その場合には、評価「C」が純粋に教員の業績に基づく判断でなく、定員や人件費総額という、教育・研究とは別の経営的視点から「B」に相当する教員を無理矢理「C」に評価させられる圧力が部局長にかかることも十分に考えられる。現在、法人当局はあたかも教員サイドが教員評価の決定権をもっているかのような説明をしているが、現在の法人組織の教員人事は、個別の選考は別にして、定数管理に関連して法人当局のお墨付きを得てから人事がスタートしているので、この大枠がきつくなったときにどのような事態が生ずるかは、想像に難くない。

その5.教員の身分が、法的に不安定化――「学問の自由」の本質的問題
 上記に述べたことは、教員の身分に法的な保障がないことを意味しており、法人の一存でいくらでも就業規則の変更が可能であり、あるいは運用裁量権によって人事雇用制度の変更がいつでも可能であることを意味する。これは学問の自由の保障である教員の身分の保障を根底から崩すものであり、「大学の自治」の実質的剥奪である。このことは、憲法23条(学問の自由)、教育基本法10条(教育行政)、学校教育法591項「大学には、重要事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」などの諸法に反するものである。
さらに、「高等教育の教育職員の地位に関するユネスコ勧告」(9711月)17条(注4)に学問の自由のために必要な高等教育機関の自己管理としての自治の精神が示されている。この自治の中心的なものは、教員の人事権に関するものであるが、法人のやり方は、その否定である。また18条では「自治は、学問の自由が機関という形態をとったものであり、高等教育の教育職員と教育機関に委ねられた機能を適切に遂行することを保障するための必須条件である」と述べられているが、その精神に反するものである。高等教育に関するユネスコ勧告や宣言(9810月)に憲法のような拘束力はないが、我が国は批准しており、我が国の国立大学法人や私立大学における定款または寄附行為は基本的にその精神にのっとっている。わが首都大学東京の諸規則は極めて例外的にそれらに明白に違反している点で、大学の存立基盤を切り崩していると言える。

< 住宅ローンも組めず結婚も出来ない >
その1.任期付雇用は、住宅ローンも組めず結婚もできない
 住宅ローンを任期付教員が借りられるのかについて、ある銀行の融資担当者に質問したら、明白にNOの回答であった。「そのことは言わない方がいい」と行員は忠告してくれたが、虚偽の申請としてローン契約が、破棄にならぬか心配だ。誰が、有期雇用の借り手に30年という長期で有利な条件のローンを貸すであろうか(あったら法人は、示して欲しい)。そのような不安定な身分の若年層は、結婚生活を始めることがより困難になる。昨今、少子化対策が叫ばれているが、不安定な雇用形態は、若年層の生活破壊と婚姻率の低下につながり時代に逆行している。

その2.人件費大幅削減(法人化以前より生涯賃金2500万円減)
 新々制度による給与制度は、昇給率が高い任期付き教員の場合で、かつ順調に昇格することを仮定したモデルの場合ですら、従来の給与制度と比べて、生涯賃金が給与のみで2500万円も下がる点で、経済的損失は重大であることが判明した。昨年4月に実施した給与人事制度では任期付に同意した場合、昇給幅が年間で最大50万円に達する大盤振る舞いであった状況から、一転して、緊縮の給与制度へと転換したことになるが、僅か8ヶ月での方針の転換であり、またいつ変更するかも分からない。制度選択の違いを超えて、この様に極端に賃金水準が大幅ダウンする原因は、年俸制の名の元に、生活関連手当(扶養手当、住居手当、単身赴任手当)を全廃したことが根本原因である。生活の基盤を支えるこれらの賃金要素を削減しておいて、「魅力ある、活力ある人事給与制度」と一体いえるのか。

その3.教員給与の国立大との生涯賃金差は3500万円を越え、いい人は呼べない
 我々の大学は、国立大に比べて基本給が低く、大学院手当(院生を指導する教員に対する手当で、都では特殊勤務手当という名称)も低いだけでなく、昨年度に減額された。さらに問題は、この手当が調整額になっていないことから、ボーナスの算定基準に含まれていないことである。その結果、国立大の教員の年収と比較して、教授30万円、助教授・講師25万円、助手5.5万円も年間給与が低くなっている。そして、この手当が退職金や年金にも反映されないという基本的仕組みのために、これらを含む生涯賃金では、教授の場合で国立大よりも1200万円以上(助教授で1000万円以上)も劣悪な処遇となっている。また、多くの国立大で定年が65才となっている点で、給与の総額はさらに2400万円以上低いことになる。これでは、国立大からいい人は呼べないし、呼んでも来てくれない。

<任期の付かない制度を選択して、いい人材が集まる、まともな大学の人事制度への転換を図ろう!>

 そもそも独立行政法人とは、行政の業務において、企画立案部門から実施部門を独立行政法人として切り離し、行政を効率化するためにそこに大幅に裁量権を与えたものである。公立大学という公教育の実施において、公立大学法人に裁量権が付与され、自律性のある組織としての事業の実施が出来るように、地方独立行政法人法69条(注5)に規定されている。それに基づいて、自治体は大学の特性を配慮する義務があるだけでなく、法人当局は自律的に業務を行うことが求められている。法人当局が自律性のある組織として真剣に大学構成員の声を聞く耳を持たない限り、本当に安心できる人事給与制度ができない。
将来の大学の再生に向けて日々努力している我々教職員にとって、次の大事な立場のあることを忘れてはならないと考える。
1)同意書は唯一の武器(法律上の保護規定がある)であること。任期付雇用(有期雇用)が、教員・労働者に不利益なことが明白であることから、任期付雇用には、本人の同意書が法律上(大学教員任期法、労働基準法)必須条件となっている。同意書がない限り、任期付雇用は、法律で禁止されている(したがって、労働組合が、労働者の立場に立って「任期制の全員への一律的適用」に反対しているが、これは法律上当然のことである)。
2)我々は人事給与制度の継続的抜本的改善を求める立場にあること。
3)我々は法人当局の運営と管理責任を明らかにし、問える立場にあること。
4)我々は学生院生に直接に責任を持つ立場にある。それ故、首都大学東京の現状の報告と共に、再生に頑張る我々教員の立場として、任期の無い制度を選択し、広く国内外の世論、有識者・都民・国民に対して、我々の姿勢を示せること。

(注1):教職員就業規則:「第25条(解雇)1 教職員が次の各号の一に該当する場合は、これを解雇することができる。(1)勤務成績が不良なとき、(2)心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えないとき、(3)その他職務を遂行するために必要な資格又は適格性を欠くとき、(4)業務上又は経営上やむを得ないとき」と書かれている。理事長は、4号の場合は、経営判断で解雇が可能である(しかも、職員の降任及び解雇手続に関する規則によらずに解雇が可能)。上記以外の号については、部局長等から申出を受け、人事委員会(事務局長が長)の審査が必要である。

(注2):京大の再生医科学研究所における井上教授の再任拒否事件
1998
5月(教員任期法施行直後)に5年任期の教授に採用された井上教授の再任について、029月に外部評価委員会が成果の著しい同氏の再任を是としたにもかかわらず、同年12月、同研究所の教官協議会がこれを否決したことに端を発する事件。井上氏は処分を不服として裁判所に告訴したが、「同意に基づく任期満了で、処分にはあたらない」と京都地裁が判決し、井上氏の訴えを棄却した(053/31)。問題は、再任ルールは任期制導入時点で全く不明で、再任審査の内規が4年後の027月にできたが、再任不可への不服申立て制度は最後まで設けられていないことである。さらに、外部評価委員の再任可の結論にもかかわらず、なぜ教官協議会で再任が否決されたかについての納得のいく説明はなく、裁判長が、原告への任期制の説明が不十分であり、再任の否決について「極めて異例ともいえる経緯。恣意的に行われたのであれば、学問の自由や大学の自由の趣旨を学内の協議員会自らが没却させる行為になりかねない」とさえ述べている(054/1毎日新聞)。第三に、今回の判決が訴えを棄却したのは、任期付きポストについて「任期満了時の再任の法的保障は一切ない」と判断したが、いかに十分な研究成果を挙げていても、何の理由も明確にされないまま再任が拒否されることが法的にはありうることを示した。この判決について「人材の使い捨てはよくない」「これが判例となるのはよくない」と尾池京大総長が、被告側の機関の長としては異例といえる見解を表明(054/2京都新聞)。
一律的な任期制が導入されれば、社会的に説明できないような動機に基づく教員解雇制度として機能する危険性があり、自らの将来に対する強い不安を抱えながら研究を進めざるをえず、教員が大学の担い手として、教育や研究の社会的責務を長期的な視野で果たすことも難しくなる。そして、任期付きポストが劣悪とされて大学から有能な教員が大量流出し、創造的な教育と研究が死滅することとなりうる。任期制が、教員身分の不安定化をもたらすだけでなく、大学の学問の自由と自治、そして研究と教育そのものに対し破壊的に作用する危険性をもっている。この事件は決して特殊事例ではなく、任期制のもとでは再任をめぐる深刻なトラブルが頻発する可能性を示している。

(注3):失業給付の基本手当日額 賃金日額×給付率である。ここで、賃金日額 離職日以前の6ヶ月間のボーナス、特別手当を除く収入総額÷180日、給付率は、60才未満で5080%。また基本手当日額に上限額があり、30歳未満6,580円、30歳以上45歳未満7,310円、45歳以上60歳未満8,040円、60歳以上65歳未満7,011円である。したがって、雇用保険の加入期間が15年の45才の研究員の場合は、120日分で給付総額は、高々96.48万円である。

(注4):「高等教育の教育職員の地位に関するユネスコ勧告」(1997.1117条「学問の自由の適正な享受と以下に列挙するような義務および責任の遂行は高等教育機関の自治を要求する。自治とは、公的責任、とりわけ国家による財政支出への責任の体系に沿った、学術的職務 と規範、管理および関連諸活動に関して高等教育機関が行う効果的意思決定、および学問の自由と人権の尊重、これらのために必要とされる自己管理である。」

(注5):地方独立行政法人法第69条(教育研究の特性への配慮) 設立団体は、公立大学法人に係るこの法律の規定に基づく事務を行うに当たっては、公立大学法人が設置する大学における教育研究の特性に常に配慮しなければならない。

 

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1月25日 ホリエモン逮捕に関連して、市大HP一部削除の情報を、佐藤真彦氏(本学元教授で。市大改革のあり方に抗議して辞職された研究者)のHPで知った。それはそれで、本学の改革のあり方や本学が追求すべき学問の方向性を考える重要な素材となるが、今回一番興味深かったのは、「ホリエモンの錬金術」のリンク記事であった。すでに、昨年(2005年)3月-4月の時点で、次のように書いている。

逮捕されたホリエモンに代わって代表取締役になったのが本学出身者だということは、今日の新聞にも出ていた。ライブドアの実態が下記のようなものだとすると、しかも、株式分割に当たっては証券会社出身の本学出身者が中心的に行っていたとすると、一体どういうことになるのか? 

地道な研究教育を軽視するような姿勢(教育重視といいながらその裏づけとなる研究を軽視するような風潮はないか?)と、「ライブドア」取締役を持ち上げることとは結びついてはいないか?

 

 

-------No.1---- 

      ライブドアが証取法に従って、平成16年12月27日関東財務局長に提出した、第9期有価証券報告書(表示を含めて133枚。以下、有報といいます)をライブドアのホームページから引っ張り出して印刷し、分析開始。

同時に、一期前の第8期の有報も印刷して手許に。
 その結果判ったことは、公表されている決算書ではもっともらしく利益が出たように繕ってはありますが、実際の業績は極めて悪くいわば自転車操業に陥っているのではないか、ということでした。
 私はライブドアの帳簿とか証憑などをチェックしたわけでなく、また堀江さん本人に直接問い質したわけでもありませんので、現時点では粉飾決算とまでは断定することはできません。
 しかし、会社が公表している第8期と第9期の有報を私なりの方法で分析した限りでは、粉飾の疑いが極めて濃厚であると言えるようです。

    ・・・・・(中略)

株式市場の盲点を巧みにくぐり抜けていく手法は、今回問題となっているニッポン放送株の時間外取引と同工異曲のもので、奇策、あるいはトリックともマジックともいうべき奇怪なものでした。詐術といってもいいかもしれません。

 

-----No.2-------- 

日本の超優良企業グループ(フジ・サンケイグループ)に対して、ホリエモン率いるインチキ虚業集団(ライブドアとその関連企業)が、ハゲタカ・ファンド(リーマンブラザーズ)の手先となって、仁義なきケンカを仕掛け、一般投資家とフジ・サンケイグループを食い物にしようとしているだけのことです。 ・・・・・・中略・・・・・・ 

ところが彼の言っている企業価値とは、いったいなんでしょうか。どうやら株式時価総額と言われているものらしいのです。
 株式時価総額とは、株価に発行済株式総数を掛けた金額のことですから、ホリエモンがあちこちで「ライブドアの企業価値は2,000億円」と臆面もなく喋っているのは、この株式時価総額のことだと判ります。
 なるほど、ライブドアの株価を330円とすれば、発行済株式総数が606,338千株(平成16年9月30日現在)ですので、ピッタリ2,000億円という計算にはなります。
 しかし、ここには大きなトリックがあり、ごまかしがあるのです。それは、企業価値イコール株式時価総額としていることで、この2つは似て非なるものなのです。このすり替えこそ、ホリエモン・マジックの中核となるものです。
 この点では、ホリエモンだけでなく、現在マスコミを通してコメントしている有識者と言われている人のほとんど全てが間違っています

-----------No.3--------

一つ目のトリックは、5年前のマザーズ上場に際して、会社の評価額を、なんと1,440倍にもつり上げていることです。目を疑いましたね。
 上場前8ヶ月の間に行なわれたこのトリックは、現在東証一部に上場されている株式会社光通信と株式会社グッドウィル・コーポレーション(東証一部のグッドウィルグループ株式会社の当時の子会社。平成13年7月、全株式が譲渡されており、現在は同社の連結から外れています)とが深くかかわっているようです。
 この2社とホリエモンによっていかがわしい上場シナリオが創り上げられた形跡があり、そのシナリオをもとに、株式会社オン・ザ・エッヂ(ライブドアの前身)という零細企業を、かご抜け増資(私の造語です)によって、いかにももっともらしい会社に仕立て上げ、ヘンシンさせているのです。
 1,440倍という法外なまでにつり上げられた会社の評価額は、ひとたび会社が上場され、株式市場という信用機構に乗ると、会社の株価形成の目安となっていきます。
 ホリエモンが、口を開けば会社の価値についてもっともらしいことを喋り、「現在のライブドアの企業価値は2,000億円だ」などとホラを吹いていることのルーツは、まさに、フーセンのようにふくらませた作為的な評価額にあります。実体が全く伴っていないのです。つまり、上場時の公募価格の値決めが、極めていいかげんなもので、ゴマカシそのものであった、ということです。・・・・中略・・・・

二つ目のトリックは、常軌を逸した株式分割です。法外なまでにつり上げられた評価額をスタートとして形成された株価を維持、あるいは更につり上げるためになされたとしか考えられないもので、ここまでヒドイ株式分割は前代未聞であり、これをもって適法であると強弁することは難しいでしょう。
 上場後、平成13年7月23日の1対3の分割を皮切りに、わずか3年の間に4回にわたって行なわれた株式分割は、通算すれば上場時の株式を3万にも分割する破天荒なものです。
 ちなみに、上場直前になされた12分の1の株式分割を加味すれば、36万分割にもなります。あまりのことに、言葉を失ってしまいました。
 確かにおかしいが、株式分割自体は違法ではないから仕方がないと考えている向きもあるようですが、トンデモありません。
 これらの株式分割は、きまって公募増資の前後になされており、なかでも平成16年4月24日の公募増資の2ヶ月前に行なわれた100分割とそのわずか4ヶ月後に行なわれた10分割は、余りにも見えすいたヒドイものでした。この期間のライブドア株の売買手口を克明に洗ってみると、あるいは、株価操作とかインサイダー取引といった問題が出てくるかもしれません。
 ホリエモンが行なった、上場直前を含めて5回にわたる通算36万分割の胡乱(うろん)な背景を考えてみれば、適法性が大きく揺らぐのではないでしょうか。この異常な分割による最大の受益者は、会社の筆頭株主であるホリエモン自身であることを忘れてはいけません。

さらに、上場以来続けてきたいかがわしい決算(第3のトリック)を背景に加えれば、異常な株式分割の適法性は更に揺らぐことでしょう。

--------------No.4---------

ホリエモン・マジック・ショーのメイン・イベントは、光通信とかグッドウィルとか大和証券SMBCを仲間に引き入れて、幻の優良会社をデッチ上げることでした。ホリエモンの第1の、しかも中核となるトリックです。
 この幻の優良会社を、幻が消えてしまわないように支え、補強するために繰り出されたと考えられるのが、通算3万分割にも及ぶ株式分割であり、株式分割とセットのように行なわれた2回にわたる公募増資でした。ホリエモンの第2のトリックです。

 3つ目のトリックは、法外な株式分割あるいは公募増資とセットでなされた決算数字のお化粧です。上場後の株価を維持、あるいは更につり上げるためのものでしょうか。
 一見急成長している優良会社のような決算書になってはいるのですが、連結、単体とも、じっくりと分析してみますと怪しげなところが随所に見受けられるのです。上場会社の決算書で、有報の上から数々のいかがわしさがこれほど透けて見えるものは、めったにありません。

----------No.6-------

書類に記された事項の真否について改めて検討してみたところ、株式公開情報の中の「特別利害関係者の株式移動状況」は単に虚偽の記載が部分的に存在するのにとどまらず、全体が全くの捏造ではないかということが判明してきたのです。
 つまり、上場の準備段階で、堀江さんの所有株式数が遡って捏造されたものである可能性が高まってきました。資料Bの中の注(3)、注(4)、注(6)が架空のもので、つじつま合わせに後から創り上げられた形跡があるのです。
 このデータの捏造を行なったのは、ホリエモンと税理士の宮内亮治の二人であると考えられます。二人ともなんとか懸命になってつじつま合わせをしたようですが、会社の資本金とか増資に関する基本的な知識に欠けていたために、ついポロッとボロが出てしまったというのが真相のようです。

 

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マスコミがはしゃいでホリエモンを持ち上げている時に、ホリエモン錬金術のいかがわしさに気づき分析していた人がいたのだ。結果がでてから、マスコミで得々としゃべる人、それを受け売りするのは多くの人のやることだが、まだ結果が分からないうちに、職業的感覚[1]から問題を感じ、公開情報で財部会計構造を分析していた人がいること、これはなかなかすばらしい。

さて、大学改革に関しては?

 

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124日 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、都立大の教員組合は一定の前進面を確認しつつ、厳しい現状を打開するための声明を発表した。以下にコピーしておこう。教員が安心して、自由にそして精力的に研究と教育に専念できる環境をつくることこそ、経営の責務だと思うが、「全員任期制」に固執し、新任その他に対する差別的措置をとりつづけるようで、その差別的措置は当然にも優秀な人材を集め、活気ある大学をつくる上では障害となろう。

教員の個々の仕事振りがまったく同じではなく、学問研究分野の違いと特性もあって、一定の仕事の成果のあり方・出し方に違いがあるのは厳然たる事実だが、それがどのようにすれば適切に評価されるか(誰によってどのようにか?)、これは難問である。「任期制」などというものが、その適用と運用を誤れば、大学の競争力の壊滅的破壊につながるだろう。

 

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20060124

都立大・短大教職員組合、声明「教員の新たな人事給与制度選択にあたって」

■東京都立大学・短期大学教職員組合

 ●教員の新たな人事給与制度選択にあたって(手から手へ2394号、2006123日)

 

 

《声明》教員の新たな人事給与制度選択にあたって

          

 

2006123

東京都立大学・短期大学教職員組合中央執行委員会

 

任期制を受け入れるか否かは、教員の自由な判断で!

任期制選択は、権利縮小につながる選択です!

任期制不同意教員の権利と処遇改善の運動を展開しよう!

公正で透明な評価制度の確立を!

教育と研究の持続的な発展を保障する人事給与制度の再確立を!

「全員任期制」方針の撤回まで組合は闘い続けます!

 

********************

 

 去る117日未明の団体交渉で、組合が14日に提出した「教員の昇任問題に関する緊急要求について」に対する 当局側の回答が出された。組合は「全員任期制」という法人の方針、そこから導き出される措置については認めない 立場を明らかにした上で、一定の前進をみた部分について合意に至った。

 すでに120日午後から制度選択関連の書類が配布され、210日までに回答することとなっている。任期を受け入れるかどうかは、あくまでも教員ひとりひとりの判断によるべきであり、かつ本人の同意が無い場合は無効であることを改めて確認したい。また、決して不当な圧力のもとで任期制の適用が行われるべきでないことは、いうまでもない。この点を組合は厳に注視して行く。 

      

*         *         * 

 昨年までの交渉で、給与構造の一本化、任期のつかない教員の限定的な昇給制度、今年度昇給分の反映など、非常に不十分ながら、現状の一定の改善と今後の闘いへの足がかりが作られた。その上に立った今回の交渉の結果については、『手から手へ』第2393号(1/17付け)に掲載したとおりである。

 要点を確認すると次のようになる。

第1に、2005年度昇任者については、昨年度の「新制度」選択者と同様に任期がつかない制度に戻ることができる。

第2に、現在の「講師」職にある教員については、従来の助教授審査に相当する審査を経た後に昇格することが可能、 かつ任期制は2005年度昇任者と同様の扱い、という点が前進面である。

3に、昇任と任期の関係については、まず任期のつかない教員も昇任審査の対象となることが確認された点は評価できる。ただし昇任後は任期制を適用するとされており、後者について我々は認めることは出来ない。

4に、2005年度新規採用者への任期制の適用に関しても、今回の交渉では撤回させることが出来ず、任期の1年延長にとどまった。

5に、今後採用する教員についての一律任期制適用という方針も残念ながら撤回させることが出来ず、今後の課題として残っている。

 これら課題として残った点は、任期のつかない教員に対する昇給の改善(時限措置の撤回)、正当な基準による扶養手当・住居手当等の復活などと共に今後の交渉において譲れない問題として、改めて要求してゆくことを決意している。

 組合は、法人当局が「全員任期制」という方針を撤回し、あくまでも大学教員任期法で定められ、他大学で実施されている様に、限定的に任期制を運用する立場に立つべきであると考え、繰り返し主張してきた。当局は、法人発足後、「全員任期制」への執着によっていかに大学にマイナスの効果をもたらして来たかを反省すべきである。さもなくば大学の再生と持続的発展はありえないであろう。また、強行することによりもたらされる大学の疲弊と衰退については、法人の代表者の責任を厳しく問うことになる。

      

*         *         * 

 以上のように、人事給与問題をめぐる待ったなしの時間制約の中での交渉において、限定的ではあるが、今回昇任問題について一定の前進と今後の闘いの足がかりが得られた。そうしたなかで、昨年1130日に基本的に合意した人事給与制度の枠組みによる、制度選択が始まることになった。先に述べたように、任期制を受け入れるかどうかは、あくまでも教員ひとりひとりの自主的判断によるべきであり、管理監督権限を持つ部局長などからの要請や圧力のもとで、 任期制を取らざるを得ないという事態が発生することは、絶対にあってはならないし、明白な不当労働行為として断固反対する。個人の意思においてどうしても任期制を選択したい、と考える教員がとればよいのである。また残念ながら 今回の交渉では制度選択の自由が獲得出来なかった2005年度新規採用者や、これから始まる制度選択で任期制を受け入れる教員がたとえあったとして、それらの教員に対する任期制の運用は、教学組織において民主的に行われるべきである。

        

*         *         * 

 組合は、任期制の濫用は、「解雇によらず使用者が首切りの出来る制度」で労働者の権利縮小につながる道であると認識しており、ましてや「全員任期制」という方針は大学を崩壊に導くもので必ず撤回させる必要があると考えている。来年度以降、新規採用者も増えるなかで一定数の教員が制度面から任期つきとなることが予想されるが、教学組織を含め現在の大学の停滞を打開し、学生や都民に責任を負うことの出来る教育と研究の持続的な発展を行える大学を再生する動きを、より全面的に展開して行かなければならないと考えている。

 その最初の課題として任期のつかない教員の昇任など人事上および差別的賃金の撤廃など給与上の処遇改善を必ず達成し、また任期つき教員の権利擁護の運動に取り組む所存である。  

         

*         *         * 

教員の皆さんに訴える

 組合の交渉において、人事給与制度が、不十分ながらも一定の前進が出来たのは、昨年行われた制度選択において、過半数を超える教員が法人の圧力に屈することなく,また短期的な自己の利益に拘泥することなく、大学人としての良識・見識に基づき、「新制度」の選択を拒否したことによる。

 法人当局がどの様に喧伝しようとも、学生・都民に責任ある教育研究を進めるには、私たち教員が必要な時間を費やさなければ、その成果の実は得られない。必要な時間は、任期という無機質な尺度でなく、教員が団結し相互に支え合い切磋琢磨し合って、現場で学生と厚い共同作業の結果で決まるものである。

 本学の将来を担う若手・中堅の教員各位はもちろん、定年を間近に控えた教員各位こそ、自らの定年後の本学の教育・ 研究環境の行く末を真摯に憂え、次世代を育て支援する価値ある仕事について、今一度、教育従事者にとって一番大事な 物差しが何であるのか、誤りの無い選択をしていただくことを強く訴える。

 我々が選択する制度は、今後に採用される教員の人事給与制度に大きな影響を及ぼすことにもなる。今回の交渉を通して労使の間には、給与体系について今後も交渉する道が出来ている。「全員任期制」という、大学の発展につながらない制度に固定するのか、安心して教育研究に専念し得る制度に変える一歩を踏み出すことが出来るのかが問われている。

 闘いの新たな段階を迎え、教員の皆さんのご理解とご支持、教職員の運動への参加を改めて呼びかけるものである。 

 

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123日 千葉大学公共哲学CEOの中心である小林氏などは、現在の憲法を守る見地で、自民党の憲法改悪案を批判する学問的討論の場を設定したようだ。下に、案内をコピーしておこう。

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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 ◇◆◇◆◇
 ◆◇◆◇ 第15回平和公共哲学研究会
 ◇◆◇  

     
「自民党憲法改正案批判ーー憲政擁護の有権者同盟(仮称)を」
◆◇
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 昨年末に自民党憲法改正案が公表されました。今年は、いよいよ憲法改定を

許すかどうかという剣が峰の年となります。

 そこで、地球平和公共ネットワークでは、今年最初の平和公共哲学研究会とし
て、この改正案を批判することにしたいと思います。


 この改正案は、奸知に長けており、マスコミなどはだまされて穏和な改正案に
なったとしていますが、実際にはそうではありません。
9条2項の改定は平和主
義の放棄を意味します。また、主権在民・基本的人権に関しても深刻な改定が

なされることになり、日本国憲法の3大原理が、放棄されるか修正されることになっ
てしまいます。


 このような事態を許せば、戦後憲法の成果が失われ、戦前の大日本国憲法の

方向へと戻ってしまいます。これは、「近代的憲法に基づく政治=憲政」の危機
す。そこで、このような危険を見抜き、明治憲法下で民主化を進めた「憲政擁護
運動」のように、
戦後憲法を守る憲政擁護の大運動を起こす必要があると思いま
す。


 活発に展開を準備しつつある「平和への結集」と関連して、報告者たちは、具
体的に政治に働きかける「平和への有権者同盟」(仮称)を結成することを構想
しています。私達は、(選挙権を持っていない人たちも含めて)みな、平和を享
受する権利を持っており、「平和への有権者」です。「主権在民」の原理が危機
に晒されている今、
一人ひとりが主権者であるという自覚を持ち、「公共民」と
して主権を行使する必要があります。憲政
の危機に対して、「平和への有権者」
として、私達の主権を行使する運動を起こしましょう。

坂野潤治・新藤宗幸・小林正弥編『憲政の政治学』(東京大学出版会)

  刊行されました。小林の報告内容は、この本の内容に立脚していますので、

  ご関心の方は是非どうぞ。


開催日時 2月5日(日) 13:30〜18:00 (開場: 13:00)

会 場 : キャンパス・イノベーションセンター(CIC)
                        5階リエゾンスペース 509
   
<アクセス>
       JR山手線・京浜東北線 田町駅下車東口徒歩1分
            
http://www.ccr.chiba-u.jp/forum/tamachi_l.jpg
   
JR田町駅東口階段降りてすぐ右側の近代的な建物の5階です。東京工業大学構内です。

プログラム


    ・13:30〜14:30

       小林正弥 (地球平和公共ネットワーク・代表、千葉大学)

      「自民党憲法改正案の奸知を見抜くーー3大原理の危機」
     ・14:30〜15:00  <討論>
    

    ・15:10〜15:50

      きくちゆみ (地球平和公共ネットワーク・副代表、グローバル・ピース・キャンペーン)

      「9条改憲のアメリカの狙い」
    ・15:50〜16:20  <討論>

     

     ・16:30〜18:00

   小林・きくち

      「『平和への有権者同盟』構想ーー主権在民の原理による大運動を」

    <総合討論>
    

参加費 500円(当日受付にて)

問い合わせ先 「地球平和公共ネットワーク」事務局
                <千葉大学公共哲学センター内>
           
TEL・FAX043-290-3028
            e-mail: cpp1@shd.chiba-u.ac.jp

主催: 「地球平和公共ネットワーク」

 

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120(3) 教員組合ニュースが届いた。団体交渉を要求するということで、大学らしいいい交渉が進展することを期待したい。

              下記でも問題になっている人事の件だが、昇任人事の基準はどうなったのであろうか?

勤務年数、勤務実績、論文・著書の判定評価と本数など、その基準の公開がなければ、そしてまたそれが説得的でなければ、業績評価のあり方を通じて深刻な問題(不公平、非科学的情実、その他)が発生しそうである。かつての三学部の昇進基準とどう違うのか、それら三学部の昇進の相互調整はどうなるのか、経営者が人事委員会の構成を左右することを通じて審査などに介入すれば、大学の研究教育への影響は恐るべきものとなりうる。教育研究審議会と経営審議会がどのように基準策定に関わるのか、学則等制定権を教授会からとったわけで、その実際のやり方が問題となる。

文科系と理科系の研究と業績の出し方の違いも慎重に合理的に明確にされなければならないだろう。かつてならば、教授会がそうした基準を制定し、議論して修正し、そして判定・判断においても重要な(決定的)役割を果たした。それが、どのように変更されるのか、下記の組合要求のようになるのかどうか、これまた大学の命運を左右するものであろう。

 

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横浜市立大学教員組合週報

 
組合ウィークリー

2006.1.20

もくじ

l        
団体交渉要求書


 
2月1日に三回目の団体交渉を行う予定です。要求書は下記の通りです。団交において特殊勤務手当等の問題についても当局と話し合う予定です。その結果は、交渉終了後に皆さんにご報告します。

 

 

公立大学法人横浜市立大学理事長宝田 良一殿

                 団体交渉要求書  

横浜市立大学教員組合執行委員長 上杉

2006112

 

本組合は、本要求書を作成し、公立大学法人当局に提出いたします。

以下の要求事項について誠実に交渉に応じるよう求めます。なお、一昨年秋以来、当組合が当局に要求してきた「基本的要求事項」に関しては、基本的に変更はありませんが、今回は特に以下の要求を交渉の課題として取り上げるよう求めます。

(1)   教員の待遇、勤務条件、教員の人事制度に関する要求

1.          教員の昇格人事に際し、任期制を受け入れる旨の新規雇用契約を強制しないこと。

2.          教員人事の透明性を保障するために以下の措置を要求する。

@教員人事の審査と推薦候補者決定を当該コース所属教員の互選により選定された専門教員に任せること。選考過程に専門的学問以外の要素が入らないように工夫すること。

A審査の結果およびその過程等について全教員に周知すること。

B最近検討されていると言われている「特任教授」の制度上の趣旨を明確にするとともに、その採用に当たっては、その必要性を十分に吟味すること。なお、その際にも「透明性・公平性・公正性」の原則が貫かれるべきことを確認すること。

 

3.          教員人事評価制度のあり方を教員独自の組織で具体的に検討し、評価は同僚評価に基づく「能力向上」を目的として行えるよう工夫すること。評価を処遇に安易に反映させないこと。もし、処遇に反映させる場合にも、試行期間を十分にもって行われるべきことを確認していただきたい。

4.          これまで講師だった者の年俸算定基準を旧来の助教授の給料表に基づくものに移行させること。

5.          サバティカルの制度化を早急に実現させること。

(2)   教員の教育研究条件に関する要求

1.          キャリア支援センターの職員を充実させ、本来の事務的な教育研究補助の業務を教員に押し付けることを止めること。旧来事務で行ってきた学生に対する教務上の個別連絡、事務手続きを個別の教員に行わせないこと。

2.          雑誌購入をカットしたために、電子ジャーナルで入手し得ない雑誌が激増している現状に鑑み、研究機関にふさわしく、その復活・拡充に努力すること。

3.          いわゆるTOEFL500点問題において、危機的状況の責任を英語教員に押しつけないこと。

4.          研究費の配分基準をより明確にすること。

5.          教員の担当コマ数の基準を明白にすること。

(3)   教員の大学運営への参加(大学行政)に関する要求

1.          学長選考に現場の教員の声が反映する意向投票のような制度の導入を検討すること。その他のいわゆる管理職の選考に当たっても現場教員の意向を取り入れる仕組みを考案すべきこと。

2.          現場の意見や苦情を直接学長及び理事長に届けることができる仕組みを確立すること。

 

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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会〒236-0027

 横浜市金沢区瀬戸22番2号

Tel 045-787-2320   Fax 045-787-2320mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp

組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

 

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119(2) いろいろ噂に聞いていたが、MM21「専門職大学院」(150,2年間で100)を創設する計画に関する案(A41枚のもの・・誰が責任主体か、文責が誰なのか欠如した文章、「特認教授」などという見慣れない表現もちりばめてある、「特任」とどうちがうのか?[2])が本日の大学院国際文化研究専攻の会議に出された。「中期計画には言及がある」そうである。

本来、大学の発展は喜ぶべきことである。しかし、この間の経過からすると、素直によろこべない。むしろ、大学の外で新しい組織を創出すれば、その犠牲(しわよせ)はこれまでの大学予算・人員の削減に結びつくのではとの危惧がよぎる。行政当局が自由にできる大学院を創設する、ということか。「行政管理職の天下り先を作るだめのものでしょう」、という意見があった。行政職の人が大学教員(教授、准教授)になるチャンスが増えることだけは確実のようである。問題なのは、大学本体の教員数の大幅な減少だろう[3]

代議員会にもこの案が示されたようだが、そこでも審議する権限はない、という処理のようである。

専攻コースの会議にも、「議論する権限も責任もないが、情報だけは流しておく」ということのようである。しかし、その一部にはすでに国際文化研究専攻のコースにある「まちづくりコース」などとの連携や一体化を構想するという一文がある。また、学部の「起業戦略コース」との連携も示唆されている。そうであるなら、直接関係する教員の負担にはかなり関係してきそうである。その直接関係しそうな教員も何も知らない、という現状のようである。議論はさせないが、人事権、予算権はすべて実質的に行政当局がにぎり、いずれ協力はさせる、ということなのだろうか?今の法人と大学のシステムではそのようになりそうである。

「独立採算制でやる」ということのようだが、さて、本当か?

「トッフル500点問題」でもそうだが、大学教員の意見をしっかり聞こうとする姿勢(システム)がないのだから、結果はどうなることか?

直接には多くの教員に関係ないが、ひとたび同じ法人が新しい組織を立ち上げ、しかも、「独立採算」などということを貫こうとすれば、そして、きちんと需要予測などができていないときには、たいへんなことになりそうである。しかし、そうした疑念などは聞く耳持たない、議論はさせない、議論しても意味がない、ということか。若干の疑念と質問が出ただけであった。しっかりした構想を練り上げてもらいたいものだ。

 

 

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119(1) 「横浜市立大学を考える市民の会 blog(2006117日付)に、一楽氏の下記傍聴記が掲載された。医療行為の正確さ・適切さにはわれわれ市民の命がかかっているだけに、あいまいにすることは許されない。「執刀例11例中6例に後遺症が残り、死亡例が2例ある。全国の統計では後遺症が残る割合は4.2%であり、60%近いのは、端的に言って執刀医師の腕が悪い。術後の症例検討会は、一度しか開かれたことがない。」、「初めての手術であったが、講習を受けたり練習したりすることもしていなかった。」「カミングスロイド氏の手術も事故」、といった箇所を読むと、恐ろしくなる。脳の手術だからもともと大変難しいのだろうとは思う。それだけに、医学的な検証こそがきちんとなされなければならない。

ところが逆に、もしも、そのような問題をきちんと指摘した医師が、疎まれ左遷されるとすれば、市民の健康・生命はどうなるのか?

     

       問題は、医療事故かどうかである。医療事故を隠そうとしたのかどうか、医療事故を起こさないような周到な措置・準備・検討をしたのかどうか、これが問題である。市当局は、「医療事故ではない」との態度のようである[4]。そうかもしれない。

しかし、「事故でない」という医学的判断は、どのように検証されたのだろうか?

緊急の大変な病気の場合、その処置の適切さには非常に微妙な問題があろう。しかし、

検証はどのような人が行ったのか?

検証する人は誰が任命したのか?

誰の費用で任命したのか?

どのような経歴の人が検証したのか?

中立公正な人が検証作業を行ったのか?

大学自治の場合もそうだが、経営者、管理者(大学の場合、理事長、副理事長、大学の学長その他管理職)を誰が任命したのか、これが決定的に重要である。人事権と予算権は、人を沈黙させるもっとも強力な武器だからである。

 

市当局側の証人は、松岡医師に関するマイナスイメージを提供している。

しかし、もしも医療事故だった場合、それを隠そうとする人々を批判するのは、大変勇気の要ることであろうし、場合によっては口調もきつくなるかもしれない。きちんと患者が直らなかった、その原因はなにか、どこに問題があるのか、その諸問題の発生源こそきちんと見据える必要がある。

もしも、それを隠すために、権力(人事権)をもってその人を医師の職務から普通の事務に移すような差別(報復)的措置がまかり通るとすれば(ほとんどの医師が真実よりも、自分の身の安全だけを考えて行動するようになれば)、結局のところ、市民のための医療体制は空洞化し、内部崩壊してしまう。

       人事問題は、大学自治だけではなく、医療においても決定的に重要なことがわかる。審理の結果はどうなるのだろうか?

 

 

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2006117 ()

松岡滋子先生不当人事不服提訴 第1回口頭審理傍聴記

 

関内の横浜市人事委員会で表記の公開審理が、1226日午後1時半より行われた。
この証人尋問を傍聴して、私はこの事件がすっかり分かったと思った。また、証言内容の事実の重さは衝撃的であった。中田市長が、白を黒、黒を白と言いくるめようとしている実態が明白になったように思う。市大で経験した合理性のない「改革」と同質のことが、脳血管医療センターでも同じように、あるいは、もっと悪く行われようとしていることがわかる。取り急ぎ、印象に残った内容を報告したいと思う。
傍聴席は、ちょうど満員であった。恐らく患者さんとその家族の方と思われる、比較的年配の方が多かった。報道陣も10名程度であろうか、席を取り、最初から最後まで取材していた。始まると、すぐに、後ろの席の方が「聞こえません、マイクを使ってください」という声があがった。事務局は、マイクを用意しておらず、井上審査員長は、「今日のところは、席の配置を変え、証言者が傍聴席に背を向けるのではなく、横向きで証言することでやらせて欲しい」ということであったが、横浜市の人事委員会にマイクがないわけもなく、丁度、始めようとした頃にマイクが到着し、この件は一件落着となった。これまでに約20分の時間を浪費した。ちょっと気になったのは、井上審査員長が事務局をかばったことだった。

証人は二人、最初が提訴側の証人で脳血管医療センター脳神経内科副医長の栗田医師である。栗田氏は、一見「かよわい若い女性」であったが、その証言内容たるやすさまじいものであった。証言は長時間に渡りいろいろな内容が含まれていたが、ここでは印象に残ったことのみを報告する。特徴的なことは、証言がすべて具体的であったことである。

脳外科の医師の処方が不適切。血圧が高いとアダラード舌下錠、発熱すればインダシン座薬、尿が少ないとラシックスというように機械的な処方を繰り返し、個々に十分な診断をしなかった。蜘蛛膜下(くもまくか)出血の手術は緊急を要するものだが、金曜日の午後に入院した患者は月曜日まで待たせて手術をしていた。このことに松岡先生は改善を促したが、改善されなかった。
脳外科での血管内治療の成績が悪い事。中森、梅川医師の執刀例11例中6例に後遺症が残り、死亡例が2ある。全国の統計では後遺症が残る割合は4.2%であり、60%近いのは、端的に言って執刀医師の腕が悪い。術後の症例検討会は、一度しか開かれたことがない。
2003
2月くも膜下出血の患者の手術で、術中に血管梗塞を起し小脳梗塞を起こした。
2003
728日に「内視鏡による血腫除去手術」がなされた。朝のコンフェランスで、カルテが患者さんに説明中でないということでカルテなしであった。翌日、患者さん家族と脳外科医が言い争っているのを聞いた。看護師から話を聞いた結果、内視鏡の手術から開頭手術に切り替えたことが分かった。倫理委員会にもかけていない。
11
19日診療科会議。26日にインシデント・レポートをあげる。1227日午後6時から症例検討会。この手術は、高梨医師小島医師にとって初めての手術であったが、講習を受けたり練習したりすることもしていなかった。
梅川医師、中森医師が執刀したカミングスロイド氏の手術も事故であり、植田医師が112日にインシデント・レポートを出している。これについて、8日に衛生局から「技術的に問題なし」と記者発表があった。畑先生を委員長にこの問題の調査のための小委員会が作られ、6回の委員会を開きヒアリングも終わる。畑先生は副センター長から担当部長に127日に降格された。
リハビリ科のいまよし氏は、実際に患者を担当しないのに診療報酬を請求している。不正請求である。
共通の友人を通して、中田市長が松岡医師と証言者に会いたいと言って来たことがあり、2002112日プリンスホテルで共通の友人と4人で会った。その後も合わせて3回会った。今証言したようなことをすべてメールで私設秘書に送った。秘書は、プリントアウトして市長にすべて見せたといった。その後、2004816日のラストメールで「自分が任命したのだから、すべて岩崎(病院経営局長)にまかせるとのことだ」と秘書が書いてきた。裏切りと感じた。その後、松岡医師の配転があった。
現在のセンターは、病床も60%くらいしか埋まっていない。松岡先生や畑先生を呼び戻し、よい先生を集め、病院が再生されることを願う。

次に、2番目の証人は、現在はセンターから転出している飯野医師でした。
松岡医師は、職員に対する言葉や態度が悪い、また、自分の考えを絶対とし他人の意見を聞き入れず、人格まで否定する。そして、患者を分けて接し、議員関係者など権力者には手厚く、そうでない患者にはカルテなども書かない。
松岡医師は問題があると看護士をナースステーションや廊下に監禁した。それは毎日のように日常的に行われた。松岡医師が看護士などを詰問する内容については、一件しか分からない。今回の配転人事は、松岡医師の職員に対する態度が悪かったこと、そしてまったく反省しないことの責任を取らされたもので、医療過誤の告発に対する報復ではないと思う。
松岡先生のこのような態度を問題にする多くの人がいて、センターに文書も出されている。それを具体的な証拠として私が転記して陳述書に書いた。陳述書を書くように、センターから頼まれた。転記した文書は、自分が今年センターの看護部に行ってもらったものである。元職員だからおかしくはないでしょう。

まるでドラマのようにと言っては不謹慎かも知れないが、こんなに精神的に興奮する経験は、久しぶりであった。
松岡、栗田両医師の勇気に、心から拍手を送りたい。飯野医師には、人間の持つ弱さを感じざるをえなかった。「センターから頼まれたから陳述書を書いたが、証人喚問までされ追求されるとは思ってもいなかった」という趣旨の発言は、本当の気持ちであったろう。

横浜市は飯野証人から「松岡先生の言動がよくないから、異動はその責任を取らされたのだと思う」という証言を得たわけだが、皮肉なことに、これ自身が今回の異動が中田市長の言うように「通常の人事」ではないことを物語っている。

227日午後1時半からの次回の審理には、栗田医師に対する反対尋問、畑元副センター長に対する尋問が行われるとのことである。ぜひ、傍聴に行きたいと思う。

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1月18日 「全国国公私立大学の事件情報」は、四国学院大学の組合つぶしの不当な教員解雇が高裁で否定されたことなど朗報を伝え、さらに都立大・首大に関しても一定の前進を示す文書を紹介している。

すなわち、首大・都立大教職員組合ニュースによれば、任期制・昇任昇格に関する人事問題などで重要な進展があったようである。当局側(総務部長)も、明確な文章でみずからの立場を述べ、また、組合側も同意できる点を同意できない点などを明確にしている。

「全員任期制」などという大学教員任期法の趣旨に反する制度(法の濫用)は、当然のことながら、理性的に検討する時間があり、それにふさわしい経営陣でさえあれば、無理強いできないことがますます明確になってきているといえよう[5]。いやむしろ、不当・不法な「全員任期制」などをあくまでも掲げる限り、大学教員の研究教育意欲はそがれ、流出が続くことが、次第に現在の大学経営者にも分かってきたように思われる。すなわち、「大学の活性化」という本来の趣旨とは違った結果を、「全員任期制の強引な制度化」がもたらしていることが明確化している。

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1月16日 「池子の森」に関する住民アンケートなどを紹介し、区民の要望に背く中田市長の姿勢を批判する集会の様子が、『神奈川新聞』に報じられている。本学元教授・佐藤真彦氏のHPで読むことができた。以下にコピーして紹介しておこう。

横浜市民が、米軍基地強化と連動する「池子の森」破壊にどのように反応するのか、これが問われている。神奈川県民、逗子市民などが米軍基地再編強化・「池子の森」破壊の拡大にノーと言っていることははっきりしてきているが、横浜市(市民・市議会)はどうか?

自然破壊に抗してどのように地球環境を守る先頭に立つのか?

そのような点でこそ横浜市は先頭に立たなくていいのか?

そのような点でオンリーワンの国際的姿勢を鮮明に打ち出してもいいのではないか?

それを日本国憲法の平和原則(軍事力によらない平和の構築)と結びつけることで、世界のオンリーワンの主張をもっと打ち出してもいいのではないか?

これまでの情報による限り、その点では中田市長はまったく政府とアメリカの言うなりの姿勢のようである。

それとも自然環境保護・日本国憲法平和原則堅持の鮮明な態度を示しているか?

 

もううひとつ、佐藤真彦氏HPで読み、とりわけ印象に残った記事(日本の天皇制に関する天木氏の議論)も、コピーしておこう。天皇の戦争責任、戦後憲法の問題性に関する議論である。日本国憲法が日本国民の手によって独立的自立的に制定されなかった深刻な問題性は、指摘のとおりである。先日も学生が、「小さいときからの疑問ですが、なぜ天皇だけが特別なのでしょうか?」と日本国憲法、日本の民主主義の矛盾について話していた。

18世紀末にアメリカ合衆国憲法が打ち上げた理念(市民平等理念)と現実の黒人奴隷制の長期的存続の矛盾のように、憲法の革新的先端的理念と現実との乖離はしばしば見られる。フランス革命の理念とその後のフランスの現実もそうであろう。

その意味では、理念と現実の乖離を指摘するだけではなく、現在の日本国憲法の世界に誇るべき理念を強固にし現実化するために、そしていずれの日にかそのような世界最先端の理念にふさわしい憲法を制定するために、前進し続けるしかないのであろう。現在、自民党によって打ち出されている改正案は、保守的後退的な一部手直しの提案にすぎないもので、アジア諸国民や世界の人々の尊敬をあつめるものではないのではなかろうか?

国連改革において日本の主張が世界の人々から認められるためには、主体的になすべきことが山積しているように思われる。

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金沢区民の7割なお反対/池子米軍住宅追加建設 《中田宏市長は森の保全に全力を尽くすべきだ》『神奈川新聞』(2006.1.14)

http://www.kanalog.jp/news/local/entry_17499.html

 

 

金沢区民の7割なお反対/池子米軍住宅追加建設

 池子米軍家族住宅地区の横浜市域への住宅追加建設計画について、同森周辺の金沢区民の七割がなお反対していることが十四日、関東学院大学の安田八十五教授らが昨年十月に行ったアンケートで分かった。同日、区内で開かれた報告会で同教授が結果を説明し、「住民は反対の意思を持ち続けている。中田宏市長は森の保全に全力を尽くすべきだ」と強調した。

 報告会は、同教授の研究室と「米軍住宅増設をやめさせ、基地返還と池子の森を守る会」の共催で六浦地区センターで開かれた。

 アンケートは二〇〇四年秋に続き二回目。同区東朝比奈、六浦、六浦南で、〇五年十月中旬に七百七十世帯に調査用紙を配布し、四百七十二人から回答を得た(回収率61%)。

 追加建設に対しては、回答者の71%が反対し、賛成は3%。前回アンケートと大きな変化はなかった。さらに教授は、専門の環境経済学の評価手法を用い、同森の経済価値も試算。「池子の森を守るための基金があれば、いくら払うか」という仮想の設問に対する回答などを元に、日本全体での経済価値を年間二千二百六十三億円と算出した。同教授は「屋久島と近い額であり、池子の森は世界遺産レベルの価値がある」と力説した。

 続いて、横須賀基地への原子力空母の配備計画について、「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」共同代表の呉東正彦弁護士が報告。事故の危険性や秘密主義などの問題点を挙げた上で、「米軍再編も同様だが、政府は米政府の言いなり。住民・自治体と、日米政府が綱引きする構図にある。多くの人たちがノーの意思表示をしていくことが大事だ」と指摘した。

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天木直人・メディアを創る (06/01/14) 統治されることに馴れすぎた日本人2006.1.14)

http://amaki.cc/bn/Fx.exe?Parm=ns0040!NSColumnT&Init=CALL&SYSKEY=0180 より

 

参考資料

 

■【抜粋】 『天皇の玉音放送』 小森陽一 (五月書房 2003年8月15日 第1刷発行)(2005.8.3)

 

 

統治されることに馴れすぎた日本人

 

これも人の言葉の借用である。1月13日号の週刊金曜日に作家、映画監督の森達也が強烈な文章を書いていた。それはこの国の天皇制に対する問題提起であり、体制にあまりにも従順な日本人に対する警鐘である。彼の言葉を断片的に引用させてもらいながら私なりの思いを伝えたい。

「・・・ムッソリーニはパルチザンによって愛人とともに射殺され、その遺体はミラノの広場で逆さ吊りにされ市民たちによって辱められた。自害したと伝えられるヒトラーも、もし遺体が見つかっていたならば、おそらくはベルリンの市民たちに、同様の仕打ちを受けていたであろう。しかし昭和天皇は生きながらえた。それだけではない。皇居広場には大勢の人が集まり、『陛下に申し訳ない』と号泣し、割腹した人も大勢いた。国を破滅に導いた指導者に対してこの圧倒的な差異は日本人の精神性と結びついているのだろうか・・・

もっとも、この国は、アメリカの占領統治に対しても実に整然と従属した。米軍が警戒していたテロや叛乱など、殆ど起きなかった。民族主義を標榜する右翼も率先してGHQの走狗となっていた・・・当たり前のように統治されること。この国はその意識がとても強い。だからこそ歴史を通じて、市民革命は一度も起こらなかった・・・

発布された日本国憲法のいちばん最初の単語は何か。『日本国民』ではない。『朕』である。前文の前に、以下の勅旨が掲げられている、

 朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が定まるに至ったことを深く喜び・・・枢密顧問の諮詢および・・・帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる・・・

(天皇制とは)憲法が「法の下の平等」の原則に反する例外を認めていることである。人間であることを宣言すると同時に、人間とは異質な存在にならざるを得ないという状況を、皇室は選択せねばならなかった。何のために?生き残るためだ・・・

天皇制は擬似求心力としてのフィクションだった。為政者が統治のためにこのシステムを利用してきたことは、歴史を見れば明らかだ・・・

日本国憲法が施行された時(47年5月)、日本は連合国の占領下にあった。東京裁判が終わったのは48年11月。つまり日本の戦争責任を裁いているその真っ最中に、日本国憲法は『朕』を自称する昭和天皇によって公布され、施行されたのだ。天皇の戦争責任を追及しようとする姿勢など米国にはまったくなかったことがよくわかる・・・天皇制というヒエラルキーは残し、一段高いところに占領軍が位置する統治政策を米国は選んだのだ。

人はこれを国体護持という。ポツダム宣言の受諾が遅れた理由は国体護持の明記がなかったからだといわれている。その間に広島と長崎に原爆が落とされることになった・・・

 

 

 

 

 

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1月11日(5) この間、たくさんの大学を知るある人から、「HPを見ています。公立大学は日本の大学の中で相互交流の一番ないところだということが分かりました」といった意味の貴重な感想・情報をいただいた。公立大学協会はあっても十分に機能していない、それぞれの公立大学を設置している地方自治体の思い思いの大学政策で、それぞれの公立大学が孤立した状態にある、といった意味かと理解した。多分全体としてはそうなのであろう。ただそれにしては、都立大学・首大と市大とは非常に共通項が多く、二つの大学の設置者間で密接な連絡・連携プレーが行われているように思われるが・・・・。

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1月11日(4) 横浜市立大学教員組合週報が届いた。会場の雰囲気、議論の内容を確認する貴重なニュースである私の感受性、あるいは理解能力によるのか、個々の発言に関しては、「あれ、そういう発言だったかな」と思うところがある。その意味では、先日も本日誌で書いたが、発言者が自分の言葉で発言の趣旨をよりくわしくのべてくださるといいのではないか、それが教員組合で集約されれば、と感じる。特に、学生・院生諸君で言いたいことが言えない人、もって行き場のない怒り、不満をもっているひとがいるようなので(かつてならば、そして他のほとんどの大学では学生部、学生課などがあるがそれが本学ではなくなっているので)、そうした人々にも理性的な討論素材として、意見発表の場が与えられるといいのではないか、と。

 

---------------横浜市立大学教員組合週報---------------

 

  組合ウィークリー:2006.1.11

 

● 教員集会報告

 

『横浜市大は立ち直れるか?―独法化後の状況を検証する』

 

2005年12月20日(火)18:00〜20:30

 

ビデオホールにて

 

 

 

2005年12月20日、教員組合主催の集会がありました。出席者は、専任教員、非常勤教員、大学院生、学部生などのべ50人以上でした。近年において組合主催の集会としてはかなり大きい規模です。大学の行方に対する関心の高さを反映したものでしょう。

 

 

 

 

集会はまず組合委員長の開会の言葉から、始まりました。

 

改革後の大学において、教員の帰属意識が著しく低下しました。多くの教員が感じているこの深刻な事態は当局が認識すべきです。大学の基本管理運営についても、教授会があったときよりもずっと非効率になっています。責任者が不在のままの状態を放置してはいけません。学生のパンフレットにだまされたという声に答える必要があります。今日の機会にぜひ活発な意見を出してもらいたい。

 

 

 

委員長挨拶の言葉の中で何より耳に残ったのは、「我々は歴史の中で生きています」という表現です。改革へ反対すること自体が組合活動の目的ではありません。横浜市立大学の長い歴史における一コマとして、健全な大学作りにエネルギーを集中させ、問題点を確認し、状況改善のために努力すべきだという意味でしょう。

 

 

 

 

その後、執行委員から、2005年7月実施したアンケート調査の結果について報告しました。

 

報告は、労働条件、教育活動、研究環境、学内運営、改革プロセスへの評価などにわけて詳しく紹介されました。いずれの項目についても、改革に対して厳しい意見が出されており、よい方向に進んだ点は「教授会の時間が短くなった」ぐらいです。アンケートの詳細は、組合のHPに掲載したとおりです。

 

 

 

 

続いて英語担当教員から、英語教育の現状について報告しました。

 

独立法人化された後の新入生に全員一律にTOEFL500点以上クリアしなければ、進級させないという目下の至上目標の由来は、現場担当者の立場から改めて報告されました。提案は語学の意義を必ずしも十分わかっていない人の思いつきによってされたこと、一般教員の意思を無視したこと、目標達成の無意味さをわかってありながら、突進しなければならないこと、その目標のために、学生が語学学校の会話講師を「プロ」と呼び大学の英語教員を無能に思っていたこと、などの問題点が明白になりました。

 

この議論から、考えさせられた点は多い。市大の問題は必ずしも研究教育に関する知恵を欠けているために発生したものではありません。むしろ、これまで蓄積された知恵がことごとく無視され、否定されており、ごく一部の人の思いつきに近い提案は、正常な意志決定過程を経ないでそのまま金科玉条になったところに問題がありました。このようなシステムでは、大学はよくならないでしょう。

 

 

 

 

その後、非常勤講師の代表から、発言がありました。

 

市大の「改革」が発表されてから3年経つが、当時から抱いていた危惧がそれ以上になっています。その前年には非常勤講師の時給が減額されるなどして、講師のプライドを傷つけるようなことを市当局は平気で行っていました。この改革で、非常勤講師を使い捨ての道具としてみなしているように思います。12月になっても来年度継続して雇用されるかわからないケースは珍しくない。こちらとしては誠心誠意勤めているし、非常勤講師も人間なのだということをわかってほしい。TOEFL問題もこのままでは新一年生の半分は500点に到達しないでしょう。今後このような生徒をこの大学はどのようにフォローしようとしているのでしょうか。学生と真摯に向き合いながら、すこしでもくみ上げる、少しでも現状を改善していってもらいたいというわずかな希望を持っています。

 

 

 

 

自由討論

 

発言A:学生の勉強・研究環境も悪くなっています。今年からコピーの年間枚数制限は、修士や博士論文を出すときにも足りない枚数です。また大学院のシラバスさえなく、時間割表1枚だけ渡されました。ホームページに掲載しているとはいわれたが、紙媒体でなければ具体的にわからず、授業料を払っているのにもかかわらず、院生はばかにされているのではないかという気持ちになりました。とくに大学院担当の専任の職員もいなくなり、毎日事務と喧嘩している状態です。職員の方々は院生の生活や訴えに対する想像力が欠如しており、いかに責任を逃れるかという態度で、むなしいやりとりが続いています。大学院自治会としては一部の先生とのつながりしかありませんが、今後は、学部生の自治会との連携も考えており、その際先生方が私たちの意見を受け止めてアドバイスをいただければとても助かります。学校全体を盛り立てていく方法をみなさんと考えていける場を作っていきたい。

 

 

 

発言B:市大の中期計画は市議会に出しているものなので、6年間はこの仕組みは変わらないのは役所の論理です。中期計画に対してもう少し教員側も真剣に取り組むべきでした。6年後には、そうした大学の大激震がもう一度やってくるでしょう。教員は教員が負っている責任を、個々の責任に限らず大学に勤めている者としてどのように責任を負うのかを考えるべきです。大学のなかでの知のあり方が一番大事です。科目の名前が勝手に変えられてきましたが、これは「おかしい」と表明し広く訴えていくべきです。大学の評価は今後外部評価が入るので、数学科を廃止したりするのは大学評価の上でどういう問題なのか、その基準を作るべきです。リベラルアーツを標榜したいのであれば、学問を保障していく仕組みを真剣に考えるつもりがあるのかを問うべきです。

 

 

 

発言C:教職免許の科目で、社会と国語はなぜ廃止になったのか。「専門の垣根を低くする」というカリキュラムが魅力で入学したが、だまされたと思いました。正直なところ高校生には、市大受験を勧めることができません。教員や学生あってこその大学であり、先生方も積極的に学生の声を聞く場を作ってほしい。

 

 

 

発言D:大学は権力機関でも会社でもなく、文化共同体です。法廷で責任追及する場合がありますが、大学改革では、当時の責任者はみな他の部門に移っており責任の所在がわかりません。やはり、われわれが一つ一つ解決していくしかありません。市大のアイデンティティが失われていますが、教員が他の大学へ流出するという解決策だけでなく、本当に市大を立ち直らせなくてはいけません。

 

 

 

発言E:大学全体がおかしいということは明らかです。専任教員、非常勤講師、学生などそれぞれ立場も違うし、手一杯になりがちですが、解決のための運動をどうするか、実行に移していくことが必要です。今後は学生が主導する場も設けるべきでしょう。

 

 

 

発言F:

 

市大改革問題に対しては、市民の声が大事です。「市大と当局がやりあっているだけ」という構図では、運動は広がらないでしょう。もっとアピールしないと、市民が助けてくれません。

 

 

 

発言G:教養ゼミAは有意義でした。学生アンケートが実施されましたが、親の収入の実態や奨学金受給など細かくお金のことを聞かれました。この結果をもとに、学費の値上げをしようとしているのではないかと不安を感じています。改革というのであればとことん改革すべきで、どんぶり勘定ではなく、アメリカのように単位ごとに設定するのが効率的だと思います。「大学に医学部があるから」という理由は、学生からすれば関係ありません。大学が専門学校化しているように思われ、学費のムダではないかと思います。大学自体のネームバリューが落ちているので、就職活動も不安です。

 

 

 

発言H:英語について不安はあります。学生のなかには、何が悪いのか問題なのか自体がわからず、苛立ちや怒りの矛先をどこにぶつけてよいかわからないでいる者もいます。結局無気力で講義にも出なくなり、学生たちの運動も白熱しないのではないでしょうか。

 

 

 

発言I:学生の声は批判として受け止めるしかありません。どうすればいい方向に進むか、ぜひ組合で戦略を立ててほしい。昨年は「あと1年やれば何か方向性が見えてくるのだろう」と思っていましたが、今日の集会で少しは見えてきたのでしょうか?

 

 

 

発言J:大学は学生が主役です。いかにいい教育を受けられるかが大切でこのような集会を開いているので、次回はぜひもっとたくさんの学生に来てほしい。

 

 

 

 

最後に書記長による閉会の言葉がありました。教員組合主催の集会では、教員中心の議論になりがちですが、多数の学生の参加によって、非常に新鮮な話を聞くことができました。われわれは「横浜市大残酷物語」という内容の議論に満足すべきではない。

 

誰が責任を取るかなどはさておき、これから市大はどうすればよくなるかを考えるべきでしょう。若い学生を抱えている人間として、当局にふりまわされているだけでなく、学生に対する責任者でもあることを教員は認識すべきです。

 

これまでの市大問題の原因を考えると、以下の点に集約できるのではないでしょうか。つまり市大の財政問題を解決する能力も気力もなく、「改革の点数かせぎ」しか興味を持たない政治家の存在、地方公務員の独特の人事制度のゆえに学問や学者の仕事に無理解な傾向が公立大学に存在する点、そして政治的なかけひきに不慣れな学長を選んだ点です。この三つを一つの大学で同時に抱えていたのは、市大の悲劇の始まりではないでしょうか。

 

さらにTOEFL500点問題に象徴されているように、教授会は実質的に廃止され、大学の運営管理に関する正常な意志決定プロセスが破壊されており、その修復には、多くのエネルギーが必要となるでしょう。教員組合は労働条件を交渉することが主な仕事であると同時に、大学の運営管理に関する矛盾点を皆さんとともに確認し、良識ある教員の声を代弁できるように努力していきます。

 

 

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1月11日(3) ) 「全国国公私立大学の事件情報」で、本日もっともわれわれにとって直接的に重要なのは、都立大・首大の昇任(差別)問題であろう。以下にコピーしておこう。

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都立大・短大教職員組合、任期制を選択しない(現「旧制度」)教員に対する昇任を求める要求書を提出

都立大・短大教職員組合
 ●任期制を選択しない(現「旧制度」)教員に対する昇任を求める要求書を提出(手から手へ第2392号)

任期制を選択しない(現「旧制度」)教員に対する昇任を求める要求書を提出

法人当局は、任期制を選択しない(現「旧制度」)教員への懲罰的な措置を撤回し、任期の有無にかかわらず教学上の観点から必要な昇任を認めよ!
正常な教員人事の回復は焦眉の課題である!

**************************
 組合は1月4日の団交で、昇任に関する要求書を提出しました。
 要求書では、この間凍結されていた講師の助教授昇任を要求しています。また2005年度昇任者についても、任期制と任期のつかない制度の選択権を求めています。昨年、大学管理本部(当時)の参事は、昇任者にもあらためて選択させるが、任期制をとらないならば降格させるなどと、常識に反する発言をしました。法人当局がこの措置を継承するならば、社会的にも大問題になることは必至です。
 また、近々行われる予定の制度選択後にも、大多数の教員が任期制を拒否するものと思われますが、任期の有無にかかわらず教学上の観点から必要な昇任を行うべきです。現在のような昇給、昇任なしなどという懲罰的な措置が続けば、教員の流出が進み、大学の社会的評価はますます下がります。
**************************

2005組発第11号
2006年1月4日

公立大学法人首都大学東京
理事長 橋  宏  殿
                     

東京都立大学・短期大学教職員組合
中央執行委員長 渡辺 恒雄
教員の昇任問題に関する緊急要求について

 去る1130日、組合は当局の提示する「新しい人事制度」について基本的に合意しました。この制度を貫いている考え方は、「任期の有無にかかわらず全教員に共通の評価制度に基づく評価を行い、給与制度も全教員同一の給与体系とする」ことであると、組合側は理解しています。つまり、法人は、任期の有無にかかわらずどの教員にも同様の職務、職責を期待し、課しているはずです。
 しかるに「昇任」問題では、従来任期付きでなければその対象にならない、という明白な差別が行われ、度重なる要求にもかかわらず、いまだにその考え方は撤回されていません本来、昇任は教育・研究上の能力と実績のみに基づき行われるべきです。「任期制を受け入れているか否か」などが基準になることなどはとうてい社会的に受け入れられず、大学の評価が下落することが目に見えています。現に法人提案の助教授資格、教授資格は「任期」と無関係の基準となっています。
 この昇任問題はまた、過去数年来の事態の混乱の集積ともなっています。組合は、この問題が単に人事給与制度に関わるのみならず、当局が106日の団交で示した、新しい大学を立ち上げていくなかでの、残された課題の一つであると認識しています。さらに最近、明らかに1130日の「合意」と矛盾する動きがあるとの風説も囁かれています。いまや、こうした課題に当局が真摯に取り組み、教職員、組合との信頼関係を築くことができるかどうかを、われわれは注視しています。まさに20061月に行われる予定の「制度選択」に対して、法人側の姿勢、方針に強い関心と期待を持っているのです。
 以上より、教員人事問題全体にわたる制度改革に関しては今後、法人が組合と継続的に協議、検討してゆくことを前提として、当面、以下の緊急要求に誠実に応えることを要求します。

1.20064月の昇任人事方針について
 2006年4月昇任人事について、過去3年間の凍結・制限とそのもとでの人事停滞という実態をふまえ、不当な制限枠を設けることなく、各部局の人事計画・方針を尊重して行うこと。その際「任期付き」となるか否かは本人の自由な選択に任せることを確約すること。

2.昇任問題に関する緊急要求
@ 学校教育法上の職位が「講師」となっている者のうち、2004年度末時点で助教授昇任の資格を有する者については、その時点にさかのぼって昇任審査とその結果に基づく昇任を行い、その後に制度選択を求めること。
A 2005年度4月昇任の教員は、「都からの引き継ぎ教員」であり、任期についての自由な選択を降格なしに認めること。
B 2005年度新規採用教員についても、「現制度の解消」の趣旨に基づいて、任期についての自由な選択を認めること。
C 現「新・旧制度」および新・新制度での選択の如何にかかわらず、部局の人事方針に従って「昇任人事」を行う方向で法人内において検討し、組合と誠実に交渉を行うこと。
D 新規採用にあたり、すべての公募を「任期付き」にするのではなく、部局の人事方針に従って「任期なし」の公募も行うことについて法人内で検討し、継続的に組合と誠実に交渉すること。

 組合の要求に対して、法人当局は次のように発言しました。
(総務部長発言)
 ただいま、「教員の昇任問題に関する緊急要求について」要求書をいただきました。早速、検討に入りたいと思います。
私どもとしては、採用、昇任等の教員の人事管理については、新たな人事制度と整合的に行っていくことが重要と考えており、本年度の昇任選考についても、現在、実施方針等について検討を進めているところです。
 今回要求を頂いた事項については、任用の基本的な考え方に関わる内容もございますが、早期に検討の上、一定の整理を行い、教員の皆さんの任期制の選択に資するものにしていきたいと考えております。
 よろしくお願いいたします。
 私からは以上です。

 

Posted by 管理人 : 掲載日時 20060111 00:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
URL : http://university.main.jp/blog3/archives/2006/01/post_907.html

 

 

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1月11日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」からは何時も貴重な情報を得ているが、本日も、京都大学井上教授再任拒否に関する裁判の判決文(と解説)を読むことができた。任期制がいかなるものか、きちんと認識する上で非常に重要な文書であると考える。同時にまた、本日の記事では、イラク戦争に関する費用計算の記事も興味深かった。不確実な情報で攻撃戦争を行い(それやいまやブッシュ大統領も公的に認めざるを得なくなった)、それによって一方では利得を得た一部経済界(「死の商人」)があるとすれば、他方では、人命をもっての負担の他、戦費負担は国庫負担として結局はアメリカ国民が負担しなければならない、ということである。まさに政治・国家指導者の戦争責任が問われることになる。戦犯(戦争犯罪人)の問題は、過去の問題ではない。

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イラク戦費は230兆円 ノーベル賞学者ら推計

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006011001003577

 イラク戦争とその後の米軍駐留にかかるコストは、約2200人の米兵死者の遺族への支払いや、約1万6000人の負傷兵の手当てなどを含め、最大で計2兆ドル(約230兆円)に上るとする研究をコロンビア大のスティグリッツ氏らがまとめた。ロイター通信が9日伝えた。……

 

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1月11日(1) 久しぶりに『カメリア通信』(36号)を頂戴した。昨年末の市立病院における問題(人事委員会における公開の口頭審理)の模様が一楽教授の報告として紹介されている。新聞報道よりも詳しい内容で、何が問題となっているのか、論点がわかる。

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1月6日 意見広告の会からのメールで、大学内におけるビラ配布者の逮捕に関する教員の公開質問状(一部修正の文章とのこと)が送られてきた。念のため、コピーして掲載し、大学内において「言論の自由」の保障がいかになされるべきかが問題になっていることを記録しておこう。「言論の自由」が大学内においてさえ警察力によって圧殺されるとすれば、思想、精神の自由とはいかなるものとなるか。この事件は、大学が決して自由な空間ではないことを証明しているかに見える。大学内の建物の改廃にかかわる問題が背景のようだが、大学をどのように発展させるかをめぐる政策の議論であろうし、当局は自由な言論を通じて当局の政策の正当性・妥当性を証明すべきであるように思われる。力に頼ることは、大学においてはもっとも回避すべき態度ではないか?

 

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「意見広告の会」ニュース319・訂正版

 

ニュース319に一部分不備な点がありました。

関係各位にお詫び申し上げるとともに、その部分を補った訂正版(訂正されたニュースのみ)を配布致します。

 

 

 

1 投稿 

    早稲田大学教員7名

 

意見広告の会様

 

私たち早稲田大学教員7名は文学部構内における逮捕事件について下記の公開質問状を早稲田大学文学学術院長宛に提出しました。サイトに掲載していただけると幸いです。

 

記:

 

公開質問状

 

早稲田大学文学学術院長 土田健次郎 殿

 

12月20日に早稲田大学文学部構内で、地下部室撤去と学生会館移転問題に関わるビラをまこうとした男性が逮捕されました。朝日新聞(12月29日朝刊)には、「学校側がキャンパスの外に出るように求めたが従わなかったため身柄確保(私人による逮捕)をし、警察に通報して引き渡した」と書かれています。しかし私たちには疑問が残ります。第一に、自らの意見を主張するためのビラをまいているだけで、どうして「キャンパスの外に出るように求め」られねばならないのでしょうか。逮捕の容疑となった「建造物侵入」が、大学という公共空間において今回成り立つと判断された根拠は何だったのでしょうか。第二に、どのような事情と経緯で警察官を構内に入れ、構内での逮捕を容認したのでしょうか。またそのことを大学人としてどのように正当化するのでしょうか。今回の事件は、大学構内における言論弾圧とみなされかねないだけに、私たちは早稲田大学全体にかかわる重大な問題と受け止めています。文学学術院長としてのご見解をお聞かせ下さい。

 

2005年12月31日

 

早稲田大学政治経済学術院教授  岡山茂

  同  文学学術院助教授   藤本一勇

  同  法学学術院教授    谷昌親

  同  政治経済学術院教授  斎藤純一

  同  政治経済学術院教授  岩田駿一

  同  政治経済学術院教授  原章二

  同  商学学術院教授    猪股正廣

 

 

 

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1月4日(2) 大学の存続は、平和、生存条件・環境条件の確保が大前提となろう。その意味では、「池子の森」問題、原子力空母の母港化問題にも関心を持たざるを得ない。下記の案内を紹介しておこう。

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皆様:いつもお世話になっております。関東学院大学の安田です。神奈川県横浜市と
逗子市にまたがる『池子の森』は首都圏に残された貴重な緑で、鹿児島県屋久島クラ
スの世界遺産に匹敵する生態系です。この『池子の森』が米軍再編問題のため今や危
機的な状況にあります。2006年1月14日(土)13:30-16:30、『池子の森』アン
ケート調査報告 &原子力空母配備問題報告会を下記のように開催します。是非ご参
加をお願いいたします。「池子の森」を守る会ホームページ: 
http://www.ikego.net
  もご参照ください。個人の方にはBCCでお送りいたします。
以上、よろしくお願いします。
*************************************
安田 八十五 Dr. Yasoi YASUDA
環境政策学者(工学博士)
2368501横浜市金沢区六浦東1-50-1
関東学院大学経済学部教授
研究室直通:TEL&FAX:045-786-9802
事務室TEL: 045-786-7056  FAX(5枚以上): 045-786-1233
電子メイル: yasuda85@kanto-gakuin.ac.jp 
安田八十五専用ホームページ:http://www.yasuda85.com 
関東学院ホームページ: http://www.kanto-gakuin.ac.jp/ 
ビッグローブ安田個人ホームページ: http://www5d.biglobe.ne.jp/~yasuda85/ 
ビッグローブ安田個人メイル(緊急時のみ): yasuda85@mtj.biglobe.ne.jp 
安田自宅専用FAX(緊急時のみ): 045-774-0687 
+++++++++++++++++++++++++++
「池子の森」を守る会ホームページ: http://www.ikego.net  
************************* 1月14日(土)
13:30-16:30
「池子の森」を守る会********

住民の意向に沿い、米軍住宅増設をやめさせ 、自然と緑の宝庫・池子の森を守りま
しょう

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『池子の森』アンケート調査報告 &原子力空母配備問題報告



昨年に続き、10月に、池子基地周辺の住民を対象に、アンケート調査を行いました。
「池子の森を保全したい」は回答者の9割、8割の人が「米軍住宅追加建設反対」と答
えています。金沢区から6キロしか離れていない横須賀基地に日米両政府が原子力空
母配備合意という動きもあります。緑を保全し、住民の生命と安全を守るため、力を
合わせましょう。是非、ご参加下さい。

日 時 1月14日(土)
                  
 13時30分開場 14時〜16時30
    
会 場 六浦地区センター(京急六浦駅西口下車4分)

内 容 「『池子の森』アンケート結果の概要」安田八十五(関東学院大学経済学
部教授)       「原子力空母の横須賀基地への配備は横浜市民の命と安全に
関わる重大な問題」
                                                  
呉東正彦弁護士
           ○
「原子力空母の配備の撤回を求めて決議しました」藤島紀雄湘南鷹取
2丁目自治会長
       意見交換

共 催 米軍住宅増設をやめさせ、基地返還と池子の森を守る会
共 催 関東学院大学経済学部安田八十五研究室
問合せ・連絡先 電話045−241−0005または045−786−9802
 FAX045−241−4987

 

 

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1月4日(1) 新年第一回:謹賀新年

今現在与えられているこの持ち場で、微力ながら、みずから為しうることをひとつずつ積み上げて行きたい。

 

今年も、本来の職務・使命である研究教育の土台としての「大学の自治」、「学問の自由」のために、日々の情報を書き留めて、大学「改革」の現状が持つ問題点を見据えつづけたいと思っている(問題を見据える[6]ことからしか、改革への具体策はでてこない、問題点を直視しなければ解決の糸口も見つからないと考えるので)。

しかし、このような日誌がたんなる記録に留まりまったく意味がないのではないかとの無力感にさいなまれることも、この間、しばしばあった。その意味では、折に触れていただく読者からの反応は貴重であった。本日誌読者(大学改革に関心あるかたがた、「大学の自治」「学問の自由」の現代的再活性化を目指す人々)のご支援に深く感謝しつつ、今年もご協力をお願いしたい[7]

 

 

早稲田大学で起きている事態も深刻に感じるが、ここでは、都立大学の状態(教員有志の改革の総括文書)に関して、気になる部分、あるいは心痛む表現があり、気になっていたが、その点に関する最新情報を「意見広告の会」のニュースで知ったので、コピーしておこう。

 

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「意見広告の会」ニュース319

*ニュースの配布申し込み、投稿は、
  qahoujin at magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。
   
迷惑メール防止のため@atに書きかえています。アドレスは@に直して下さい。
*「投稿」の場合は、その旨を当初から明確にしていただけると、確認のための時間が
かかりません。ご氏名、ご所属等の掲載方法などもご指定下さい。


** 目次 **
1 投稿 
    早稲田大学教員7名・・・略
2 早稲田大学ビラ撒き逮捕事件署名サイト・・・略
    http://wasedadetaiho.web.fc2.com/i/top.htm
3 「だまらん」より12月31日
        http://pocus.jp/12-2005/122805-brandname-crashed.html#reply-to-the-com
ment

***

3 「だまらん」より
     12月31日
A
氏からのコメントに答える[2005/12/31] 読者の方(仮にA氏と呼ぶ)からのコメント
を頂いた.その中で,今回の文書に関係する部分に対して,以下に引用し,コメントに
対しての私見を述べる(一部,引用符を入れ,個人情報に関する部分を削除した).

<この「教員有志」のなかのおそらく少なからぬ人たちが... その協力態勢を率先して
推進してきた指導者であった...
という記述についてですが、私は先日...都立大に行ったとき、組合事務室に立ち寄り
、当該文書を中心になって書かれた方々が誰かということをお聞きしましたが、断じて
その協力態勢を率先して推進してきた指導者などではありませんでした。そもそも組合
関係者で、
その協力態勢を率先して推進してきた指導者がいるというのはいったい誰のことを念頭
において言っているのかさえ私には見当もつきません。

一非就任者の意見として引用した部分に,

「この『教員有志』のなかのおそらく少なからぬ人たちが新大学開学準備に協力し、さ
らにはその協力態勢を率先して推進してきた指導者であった」

という部分があるが,この部分に関しては,事実関係を私が個人的に調査したわけでは
ない.従って,事実関係は分からない.この引用の中で,本論で中心的に扱うのは,引
用の前半部分「ここに挙げられている諸々の問題点は、すでにあの8月1日以降、常に
論じられ批判され予見されてきたものだ」という部分にある.A氏の指摘した点に関し
て,事実関係を確認せずに引用した責任は私にある.この部分で不快に思われた読者が
いれば,陳謝したい.ただし,引用を前半部分だけで止めることは,意図的に一部の賛
同意見だけを持ち出した印象を与えるので,引用はそのままにしてある.
ただ,ここでも内容的には非常にデリケートな問題を含んでいる.「新大学開学準備に
協力する」とは,いったいどのような行動なのか?「その協力態勢を率先して推進する
」とは,いったいどのような行動なのか?元の発言者に問うてみなければならないだろ
う.
議論の分かれるところは,たとえば:

・「首都大学東京」の成立に関わる仕事を, 200541日以前に少しでもやったら,
「協力した」と見なすのか?
・そのような仕事の中で「指導的な地位」にいた人は,「率先して推進した」といえな
いのか?

というような部分である.私の推測では,非就任者の中にも,「完璧主義者」と「寛容
派」がいる.私は,どちらかといえば,「完璧主義者」に近い立場をとっている.「首
都大学東京」成立前の一年間,一切「首都大学東京」に関した仕事をしなかったか,と
問われれば,どこかで私も何かしらやってしまったのではないかと危惧する.その意味
では,寛容にならざるをえない.ただ,一点だけは,非就任者にとって,寛容になれな
いものがある.それは,「就任承諾書を提出したこと」だ.就任承諾書を皆で出さなか
ったら,最後の最後で「首都大学東京」の開学を阻止できたのに,という無念の思いが
こもっているからだ.
ただ,今の時点で,過去の責任問題をつっつき回しても意味はない.大事なのは,今後
,「首都大学東京」をどうしていったらよいか,という点につきる.今回の考察にある
ように,法人の定款,大学の学則,中期目標と中期計画すべてに大胆な修正を加えるし
か大学を良くする道はない,というのが私の基本的姿勢である. 

 

 



[1] いや、この山崎氏は、「捏造事件」によって10年もの長きにわたる裁判で戦い、「不当にも」有罪判決を受け、公認会計士の資格を3年間停止されたという体験をもつ人のようである。

 物事に対する見方が冷徹にならざるを得ない独特の経験をした人、というべきか。

Cf.「冤罪をつくる人々-国家暴力の現場から-

 

[2] マンション構造計算問題でもそうだが、一つ一つの文書の作成者・文責がはっきりしないのは、あとで責任逃れができるためか?

 

[3]今日もまた、私と一緒にこの大学に着任した若手がある大学の専門職大学院の要員として引き抜かれたという事実を耳にした。経営系での引き抜き(流出)「まだありますよ」と、少し前に耳にしていたのだが誰かは知らなかった。

この人が、昨年終わり頃の会議で、「はじめにきちんと制度設計しないで全員任期制など言ったら誰も承認しませんよ」と話していたことが鮮明に記憶に浮かぶ。香川大学の吉田さんが言っていた人はこの人のことかもしれない。

 

[4]衛生局から「技術的に問題なし」と記者発表、と

[5]  「全国国公私立大学の事件情報」は、徳島大において「全員任期制」が廃止され、大学教員任期法の趣旨にそった制度になったことも報じている。

すなわち、徳島大学が〇三年度から全学部の助手以上の教員に任期制度を導入していたが、〇四年度から法人化に伴い制度変更し、現在は各学部で特定のプロジェクト担当として採用している教員らに一年から五年の任期を設けている。」

 

[6] 「問題」を指摘することは、現状に安住し、現状の肯定的側面を賛美することとはまったく逆のことである。

 

[7] ある読者から「エネルギーをもらっています」などという反応をいただいたが、これはたいへんうれしく、日々の労がむくわれ、救われる感じがした。