2007年7月の日誌
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7月31日 この間、任期制同意書を出した教員のうち、当局が3年任期とみなし、しかも、当局がその任期の開始を任期制度への同意書と同時とする見地から、一定数の教員を選び出し、再任の意思確認の書式、再任のための業績等の記載書式が送りつけられた。
しかしこれには、任期制に同意することで当局に協力する姿勢を示そうとした教員のなかにも、強い反発、怒り、不安が巻き起こっている。「任期制に同意することで協力の姿勢を示したのに、任期制不同意の教員に対しては行われない再任確認・再任審査を行い、不利益措置を行うなら、到底、法の基本原則、法の前の平等の見地からしても許容できない」、
あるいは、「任期制度には同意したが、それに基づく雇用契約はまだ結んでいない、その点では他の身分承継教員と同じ法的状態にある」、
あるいは、「任期制についてです。人事から届いた書類を添付いたしました。この書類を見ると何年かごにはクビになるのかととても恐ろしく感じて参りました。・・・任期制等については,契約書のような書面でのやりとりは一切やっておりませんし,ハンコすら押す手続きはありませんでした(調べてもらえればすぐ分かると思いますが...)このことは事実です。やはり,以前から在職している先生方が契約に判を押さないのと同じように,任期制は契約が成立して始めてなすものだと思います。ただHPでの案内には,任期制のことはのっておりましたが...。このように,契約が成立していない事実で更新というのが納得できない・・・」といった声が、教員組合に続々と届けられている。
教員組合としては、顧問弁護士とも相談し、2日の拡大執行委員会で議論して、しかるべきスタンスを組合内外に知らせるつもりである。各人に対して、いかなる任期なのかを明確に示さないで、その明確な契約書なしに、一方的に「任期更新」手続きに入ることができるかどうかなど、法律問題をしっかり検討して行きたい。
身分・雇用継続に関わることは、少しばかりの大学院手当てなどとは決定的に違う重みを持つ処遇条件であり、軽々しい処理は許されない。その重みをどの程度法人当局が認識しているかも、今後の折衝、団体交渉で明らかになろう。
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7月26日 この間、組合代議員会・総会で問題になったことの一つは、大学院手当て問題である。法人化にともなう「年俸制」のなかには、家族手当なども含めたものが一切合切「年俸」なる範疇に組み入れられ、大学院手当てなどもそこに含まれた。
ついで、昨年12月末提案の新給与体系では、それが当然にも改められ、諸手当が年俸の枠組みからは外に出された。
問題は、大学院手当ての位置づけである。
従来から、大学院手当ては、大学院担当者表にしたがって出されていた。大学院担当は、大学院研究科のシステムを維持することが基本であり、どのような陣容の教員がいるかということが、そこでは大切であった。毎年のシラバスに記載されている科目があるかないかといったことが手当て支給の原則ではなかった。
仮に、在外研究などで講義・演習を開設しない(したがってシラバス、時間割表に掲載されていなくても)、大学院のシステム・教育研究体制を維持する要員として、したがって大学院レヴェルの研究教育のための在外研究期間も大学院担当としての仕事を遂行しているもの(だから出張)として、大学院手当ても支払われていた。
数年前に一度、在外研究期間中の教員に大学院手当てが支給されていないことが大問題となり、過去5年間さかのぼって在外研究期間中に大学院手当てを支給されなかった人を調査し、後払いの措置がとられた。こうした経験・問題処理が、今回、まったく事務レヴェルで継承されていないようである。
総合理学研究科など、大学院としては院生が在籍する以上、総合理学研究科の担当者としてリストに掲載されている教員は、大学院担当であり、総合理学研究科の教育研究システムの維持に貢献している。そうしたことをきちんと理解し、整理すべきである。教員組合は、処遇問題として、正当な理由なく(また教員組合と交渉することなく)手当てを切り捨てるやり方に抗議し、団体交渉のテーマの一つとしなければならないだろう。
非常勤講師などに関して、履修者がゼロの場合、2ヶ月間だけ支払い、3ヶ月目からゼロとするやり方は、かなり古くから私学などが採用していたものであり、本学でも採用されるようになった。その非常勤講師への対応と同じような「節約」の観点から、シラバス記載の科目だけを「大学院担当」(大学院手当て支給対象)とすることは、大学院制度を理解しないことを意味する。
「手当て」概念を、「資格要件」、「担当要件」との関連で精密にしていくことは、今後の折衝課題であろう。
それはまた、研究院所属と「研究院から各コースに派遣されて科目を担当する」というシステムの相互関係を再度、整理しなおすことでもあろう。
そして、講義・演習などの担当のノルマ(基準)を決めることとも関係するだろう。
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7月25日 この間、就業規則の不備・改定問題(教員組合意見書をめぐる当局の態度)とも関連する問題として、いわゆる任期制同意教員の再任審査(基準、手続き、体制、対象者など)が、問題となり始めている。当局は、教員組合になんら事前に問題提起することなく、経営審議会(7月19日)で再任意思確認書式・手続きの手順・審査の手順を決めた。教員組合(したがって少なくともそれに結集する教員全体)を無視する態度であり、誠実な労使交渉の積み上げの態度ではない。
再任するかどうかは、雇用継続か雇用打ち切りか、何年間雇用保障があるのかに関係し、決定的に重要な身分・地位に関する問題であり、その制度の構築は、労使交渉の最重要事項といってもいい。誠実交渉義務という点から、当然、厳しく問題としなければならない。経営審議会の決定は、法人当局の決定に過ぎず、労使交渉を経ていないものである。
労使間の良好な関係を築こうとするなら、教員組合との今後の誠実な交渉が必要となる。
現行の人事委員会等の編成が、理事長・副理事長・学長(副理事長)・学部長・コース長等すべて「外から」、「上から」の任命であり、大学自治の原則(憲法的保障)は制度上、なきに等しい。かつての大学の自治を再建しようとする人々(たとえば、自立的自治的組織としての教員組合)がこの間大変な尽力でかろうじて専制的・行政的・管理主義的体制を押しとどめてきた(押しとどめている)というにすぎない。
システムとしては、「外から」、「上から」任命されたものがすべてを取り仕切ることができる(適当に協力教員を見つけ出し、しかるべき管理職や委員に就けて)システムとなっている。
再任審査に当たる委員会も、上は学長から各学部の委員会まで、すべて一般教員の信任を得るための手続きを踏まないで任命されたものばかりからなっている。
コースから教授昇任にふさわしいとして推薦した候補に関して、「経営上の観点」なる抽象的な文言で、すなわち明確な説明を行わないで(14項目にわたる教員組合の質問状への回答の抽象性)への昇任を認めなかったことからもわかるが、現状(管理職の任命権、しかるべき委員会の任命権の所在)では、「経営的観点」さえ持ち出せば、昇任を拒否し、再任を拒否することも可能である。
一方で、このような大学自治破壊の現状があるが故に、他方では、「普通にやっていれば再任」という「殺し文句」(?)「愚弄と侮辱の文句」(?)で、2005年3月、多くの教員の「任期制への同意」を取り付けざるを得なかった。
しかし、「普通にやっている」などというのが再任の基準であるとは、理解できるであろうか?
「普通」とは何か?
その内容を誰が決めるのか?
誰が「普通」だと判断するのか?
「普通」を目指して努力するとはなんということか?
そこには、さまざまの権限・権益を持つものが、いかようにでも基準を定め判断することができることが含まれてはいないか?
「経営上の観点」の一言で、昇任を拒否できるように、「普通にやっていない」という一言で再任拒否ができる、という仕組みになっているのではないか?
「普通」の客観的内容・基準が明示されていない以上、恣意がまかりとおりうることは見えすいている。それでは信頼は醸成できない。
現状の再任基準が重大な問題をはらみ、再任審査体制が大学自治原則から見て重大な問題をはらんでいる以上、当局が行おうとする「再任審査」は、公平性や透明性を確保できないものと見なければならない。
しかも、教員組合が当初から問題にしていること、不服申し立ての制度が確立されていない。不服申し立て委員会も存在しない。これまでのやり方から見ると、不服審査委員会を仮に急遽設立するとしても、その委員はまたまた、「権力的な意味」において「上から」の任命となろう。ということは、公正な不服審査が行われる保障がない、ということになる。
以上の問題点は、2005年4月に教員組合が提出した就業規則への意見書が公開して表明していることを、今回の具体的問題に即して敷衍したにすぎない。
したがって、当局が2年前の意見書をきちんと理解し、組合と就業規則問題で話し合いを行ってきたのであれば、一定の理解が得られ、しかるべき制度修正が行われ、しかるべき委員会・管理職選挙規程等が作られ、そうしたものに基づいて、再任審査のための人事委員会も編成されたはずのものである。
再任審査のための組織図はあるが、その審査における大学自治の精神・大学自治の内実(憲法的保障の制度化)はどこにあるか?
たとえば、任期・再任期間は、博士号を持っているものは5年、博士号のないものは3年となっている。前提として、理科系においては、という限定があれば、今日の状態では問題がないといえよう。しかし、文科系と理科系では、日本学術会議や文部科学省でも問題となっているように、博士号の取得状況は、まったく違う状況にある。それはまたアメリカなどと比べても異常な状態である。アメリカやドイツなどでは文科系の博士号取得者の数は理科系と比べてそれほど少なくない。そうした日本固有の事情を背景にした学位取得状況を無視した制度設計(任期制定)となっている。他方、文科系と理科系では、業績の出し方も非常に違う。
この間、理科系の人事(たとえば非常勤人事)の資料を見ていて、改めて感じるのは、その論文数の多さである。しかし、一目でわかるのは、共著論文が圧倒的多数であるということである。単著論文は苦労して探さなければならない。皆無に近いといってもいい。5年間に50本ほどの論文を列挙している人のそれぞれの論文の共著者数を調べたら、少なくて5人ほど7-8人から10人ほどもいた。したがって、共著者数で割り算すれば、文科系(人によってちがうが)の単著論文数とそんなに違わない数字が出てくる。多くの論文数を掲げていても、いつも、共著者の後ろの方に名前が出ているだけという場合もある。しかし、そうした事情を無視して、「文科系は論文数が少ない」などと無神経な人もいる。4月昇任問題では、そうしたことを発言する有力者の声が通ったのではないか、と憶測し、勘ぐることもできる。明確な、説得的説明がなされないから。
以上のことは、一例に過ぎない。
審査体制・審査基準が、特定の管理職によって判断されれば、何がおきるか?
偏らない審査のためには、どのような審査組織とすべきか?
ピア・レビューは保障されているか?
文科系の業績を理科系が判断し、理科系の業績を文科系が判断する、ということはないか?
人事委員会に、門外漢の人間たちが入り、「上から」の声だけが耳に聞こえる人々が多数を占めることはないか?
門外漢ばかりが、専門の業績にあれこれいう、そして「普通でない」などと判断する権利を有するとすれば、どうなるか?
現在の学問の高度な専門化・複雑化の最先端からして、適正な判断はピア・レビューでしかありえないが、そうしたことを認識していない人々ばかりが権限を握るとどうなるか?
今回の再任審査に関する経営審議会決定によれば、再任審査のやり方は、「教員評価制度に基づく評価結果等を任期更新に反映するまでの当面の運用」とするという。
第一に、今回の「再任審査」が、教員評価制度などが確立していない中でのものであること、したがって、第二に、教員が納得するような適正な評価制度に基づくものではないこと、が明確に示されている。
にもかかわらず、他方では、再任回数などはまったく2005年3月に教員説明会で説明されたとおりとなっている。
きちんとした評価制度で再任を審査するのではなく、仮に今回審査に合格したとしても、そのことにより1回とか2回とかに限定された再任回数の一回とカウントされてしまうとすれば、助手、助教、准教授などにとっては、一回分、再任回数が減ることを意味し、危険性・身分不安定要素が増える。
今問題の3年任期の教員の場合、任期が15年から12年になってしまう。そのときの情勢によっては人員削減の格好の対象となるなど重大な影響をもたらす可能性がある。こんなことは許されない。
しかるべき審査制度、しかるべき教員評価制度を構築しなかった(できなかった)責任は、教授会等の権限(評価制度の審議権など)を剥奪した現行システムとその運用にこそあるのである。しかるべき審査制度が構築されていると考える任期制同意教員は、今回も同意するかもしれないが、そうでない教員(不信感を抱く教員、同意書提出後の経験からさまざまの理由で差別や抑圧を受けていると感じる教員、不当な対応だと感じている教員)は、同意できなくなろう。
今回の「運用」は、したがって2005年3月の特異な状況下で任期制に同意したものに関しても、再任審査は単なる形式的なもの(試行的なもの、本格実施ではないもの)とすべきであり、再任期間の一回の回数には含めないものとしなければ、筋が通らないであろう。
きちんとした制度構築後、明確な条件を規定する雇用契約(魅力的で活性化に結びつく合理的契約条件で合意できるもの)を提示し、各教員の合意の上で雇用契約を締結し、その後、はじめて正式に任期がスタートするとしなければならない。
その点は、新規採用で、任期制そのものには同意せざるを得なかった法人化後の教員にも当てはまると見るべきだろう。いまだ正式な(合理的合法的な)任期制度の発足にはいたっていないのである。
教員評価制度が確立していないことは、経営審議会決定が認めるとおりなのであるから。(私の観点では、大学自治原則が破壊されている現状では、納得のいく評価制度は作り出せないと思う。納得できないものを、「力」で押し付けられる、ということしかありえないであろう)
評価制度の欠如した任期(不再任の可能性のある任期)などはありえない。それは、もろもろの圧力による「同意」の強制でしかありえない。定年までの在職権を得ていた承継教員にたいする強制(不利益措置の押し付け)は違法であろう。不利益・不安を感じなければ、誰でも同意しただろう。多くの人間が同意し得ない現実こそ、重要である。
この点に関する労使交渉を否定するなら、不当労働行為であろう。
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7月18日 この間、給与体系改定・新給与体系の制定にともなう折衝、教員評価システム(SDシート記入)をめぐる問題での折衝、さらに、4月昇任問題での当局への質問状提出など、つぎつぎと課題が出てくるなか、未決定の問題が浮上してきた。就業規則改定問題である。
当局は、法人化の最初の時点で制定した就業規則を、八景キャンパスの過半数代表である教員組合に提示した。その一部ではあるが、改正理由等を明確に説明することなく改定し、さらに、今年4月からの改定に関しても、明確に就業規則改定を議題とせず、給与改定交渉の中で言及するにとどめるなどしてきた。
教員組合としては、改定を正式議題とする折衝の場を持って、当初の意見書を当局がきちんと理解し(しかるべき修正などを行うかどうかは別として、また合意に至らない部分は継続折衝事項として)、話し合うことが筋で、その話し合いの積み重ねを踏まえて、改正版を労働基準局に提出すべきだとのスタンスである。
末梢的な改定部分だけに関する意見書というものは、それが必要であれば出すが、そうでない場合、基本的な現行就業規則の改定作業(折衝)の行われていないことこそ、重大問題だとして、意見を表明すべきものであろう。
法人化の当初における就業規則(現行規則もそのほとんどの部分を変更していない)に関しては、非常にたくさんの問題点を意見書として取りまとめ、当局に提出してきた。
この間の就業規則改定は、その意見書で示した根本的問題に関するものではなく、ある意味では末梢的な問題に関するものである。しかし、現状の就業規則の主要部分に対する教員組合の態度(意見書の基本的内容)は、なんら変化していない。当局は、組合が指摘した問題に、まともに対応しようとしていないのである。それが就業規則改定案の提示に当たっての組合サイドの根本意見ということになろう。
教員の納得のいくような合理的で普遍性のある大学らしい規則の制定こそは、教育研究に携わる人間のやる気、活性化に関わると思われる。
しかし、昇任問題(14項目の問題点を指摘したが)に関する当局回答を見ても、一度決めたこと、法人化の理念、といったお題目を繰り返すという現状である。下記の教員組合意見書が提示した問題と密接に関わる不透明性・不公平性に関する諸問題・大学自治原則=憲法原則への抵触問題を提起したにもかかわらずである。
当局は、すでに提出された重要な意見の諸項目につき、どのような検討を行ってきたのか。項目ごとに、具体的に検討成果を教員組合に提示すべきではなかろうか?
そうした基本的に重要なことは一切しないで、法律改正などによるある意味での末梢的な「改定」だけに関して、「意見書」を求めるのは、誠実なやり方ではないのではないか?
細部に関わる意見書だけは、労働基準監督局に提出の必要書類として出すことを求め(「意見書を出さないのなら組合が悪い」という態度)るが、すでに提出された重大な意見書に関して、具体的にどのようにするのか(してきたのか)、その説明は必要ではないのか?
細かな部分に関しアリバイ的に意見書の提出さえ求めておけば、後は、重大問題に関する意見書の内容の検討などしなくていいというのか? それは許されない、というのが教員組合のスタンスであり、現時点での現行就業規則(改定部分を含む全体)に関する意見であろう。
新給与体系などによって、下記の一部分は古いものとなっているが、ほとんどは未解決の諸問題というべきであろう。
今、現行就業規則に関する教員組合の基本的スタンスをを確認するため、当時の記録をここにコピーしておこう。
---------教員組合ウィークリー:2005年4月28日-----------
就業規則案に関する
意 見 書
2005年4月27日
公立大学法人横浜市立大学
理事長 宝 田 良 一 殿
2005年3月31日付をもって意見を求められた就業規則の案について、公立大学法人横浜市立大学金沢八景キャンパス事業場における過半数組合としての横浜市立大学教員組合を代表して、別紙のとおり意見を提出します。
横浜市立大学教員組合
執行委員長 上 杉 忍
[組合印]
Ⅰ 就業規則にたいする全体的意見
(1)労使対等の原則に立った就業規則となっていない
就業規則作成が使用者権限であるとしても、その作成は労働条件の決定が労使対等の立場で行われるべきとする労働基準法の精神(第2条)にそって行われるべきものである。提示された就業規則案は使用者の裁量範囲を広く認める一方、逆に、労働者側の遵守すべき事項・範囲については過度に広く規定している。労使が対等の立場で決定する労働条件を反映し、双方が遵守すべき就業規則のあり方にてらし、当就業規則案は著しくバランスを欠いている。
(2)大学という組織や大学教員業務の特性にたいする考慮が払われておらず、不適切な条項、規定が数多く存在する
公立大学の地方独立行政法人への移行に当たっては大学の自律性に配慮すべきことが附帯決議として謳われているにもかかわらず、当就業規則案は、大学組織が保持すべき自律性や教員業務の特性に応じた就業条件への配慮が欠けている。
学長、理事長分離型法人の下で教学組織の自律的決定をふまえてなされるべき事項(たとえば配置転換等)について理事長の命令権限のみを規定している。
就業規則本則が教育職員(教員)と一般職員との区別のない規定となっており、教員の勤務実態にそぐわない規定が存在する。
(3)本来提示されるべき労働条件が提示されておらず、恣意的・差別的運用の危険性がある
当就業規則案は教員にたいする、任期制、年俸制、評価制度の導入など、重大な労働条件の変更を規定しているにもかかわらず、その制度内容について労働者側に必要不可欠な情報が提示されておらず、規定として整備されていない。たとえば、任期制における再任条件、再任審査の公正性を担保する組織・手続要件、昇格制度、年俸制における業績評価基準、年俸水準、職位と処遇の関係、教員評価の処遇への反映方式と手続など、労働条件の根幹にかかわる重要な事項が未確定のままである。このように曖昧な規定の下では就業規則が恣意的・差別的に運用される恐れが多大に存在する。
とりわけ座視できないのは、期間の定めのない雇用形態の下にある教員について、任期付き教員との労働条件上の差異は設けないとしつつ、その労働条件について何ら具体的規定を設けておらず、また、実質的差別扱いを示唆していることである。経営側は、公立大学法人への移行に当たって身分を承継される教員全員にたいし任期付教員への移行を促しており、昇格制度や管理職任用、労働時間制、研究条件などの差別的運用を示唆することで任期付き雇用への雇用形態変更を誘導・強要しようとしている。これは、当就業規則案が雇用形態の差異を理由として不公正かつ差別的に運用される危険性を具体的に示すものと言わざるをえない。
そもそも、経営側が任期付き雇用に教員を移行させる根拠としている労基法14条は、「有期労働契約が労使双方から良好な雇用形態の一つとして活用されるようにすることを目的としている」(労働省労働基準局長通達第1022001号)ものであり、経営側が一方的方針にもとづいて有期労働契約の選択を迫るべきものではなく、まして、有期労働契約に同意しない承継教員にたいし差別的取扱をすることは均等待遇の原則にも悖るものである。先の労基法14条改正にさいしては、使用者側がこの改正を悪用して常用雇用の有期雇用への代替化を無限定に拡大することのないよう戒め、見直しを規定しているが、任期付き教員への移行を促す当法人経営側の姿勢は労基法の趣旨を著しく逸脱するものである。
また、就業規則として提示されるべき非常勤講師職員、嘱託教員にかかわる規定が提示されていない。非常勤職員一般とは異なる勤務特性をもつものであり、それぞれ当該教員の要求、意見を汲んだ規定を提示すべきである。
(4)就業規則案は任期制、年俸制、勤務時間など、根幹をなす労働条件について不利益変更にあたる規定を行っている。不利益変更が合理的かつ必要不可欠である根拠は示されておらず、また補償措置についても明確に説明されていない
雇用期間の定めない教員を任期付き教員に移行させることは、一般的には、降格にあたる不利益変更とみなされる。このことは、テニュア(終身在職権)資格の付与が昇格とみなされていることからも、明らかである。また、雇用期間の定めない教員の解雇要件に比して有期契約労働者の雇止めが容易であることも言うをまたない。就業規則案が、期間の定めない雇用形態にある承継教員にたいし任期付き教員への移行を促すべく任期制を前提とした規程整備を行っていることは、したがって、明白な不利益変更を教員に強要するものと判断されても当然である。
年俸制についても、従来固定的手当として給付されてきた扶養手当、住居手当、調整手当等を廃止し職務・業績給原資に組み入れ、教員評価に連動させた変動給とすることは不利益変更にあたる。若干の移行措置を設けると説明しているにせよ、従来の賃金規程が引き継がれる一般職員と比しても、不利益変更となっている。
これら不利益変更にあたる規定について同意することはできず、また変更を一方的に押しつけることは許されない。
(5)協議が不十分で拙速に作成された就業規則である
就業規則本則及び諸規程類が提示されたのは本年2月15日であり、その後教員説明会等での変更を経て過半数代表者に提示されたのは3月31日である。この間、4月になるまで教員組合との実質協議は行われておらず、重大な労働条件変更について協議を経ぬままに推移してきた。労働条件の決定が労使対等の原則に立った協議を経て決せられるべきものとすれば、今回の就業規則提示及びその後の協議過程はきわめて不十分なものと言わざるをえない。この経緯に鑑み、就業規則の見直し、労働条件に関する未決事項について法人経営側は誠実な交渉義務を果たすべきである。
Ⅱ 個別条項にたいする意見
(1)就業規則本則
1 就業規則本則第9条(試用期間)
教員について試用期間を6ヶ月とすることは、教員採用審査、着任後の勤務実態からみて不適切である。教員にあっては精神規定と説明しているが、より短縮した期間を教員については明文規定すべきである。
2 同10条(労働契約の締結)
任期付き教員への移行に同意しない承継教員にたいしても「期間の定めのない労働契約を締結する」としているが、承継教員は期間の定めのない雇用を継続するものであって、新たな労働契約を締結する必要はないはずである。
3 同第14条(昇任)
教員の昇任について適切な規定を別途設けるべきである。
公立大学横浜市立大学職員任期規程は本規定に基づく昇任を行うとしているが、雇用形態の如何を問わず教員の昇任について本則に規定しておくべきである。
4 同15条(降任)
任期制規程における降任の事由はこの条に規定された5項目を適用することとしているが、当本則は一般職員、教員を問わず降任にあたる事由を定めたものであり、教員における降任事由を規定する事項としては不適切である。教員の降任事由については別途定める旨規定すべきである。
5 第16条(異動)
教員の配置換等については教員業務の専門性に鑑み、教育研究組織の自律的検討をふまえた取扱が不可欠であり、理事長命令の前提としてこの点が規定されるべきである。
6 同第24条(退職の手続)
退職申し出を教員について「退職する日の6ヶ月前」と規定していることは、大学間での教員の移動・転出の現実にてらし無理な場合が大半である。法人経営側は努力規定としているが、その旨確認すべきである。
7 同第33条(職務専念義務)第3項
「法人がなすべき責を有する業務にのみ従事しなければならない。」という規定は、誰にも到底文字通りには実行できない事柄である。はじめから遵守できないことがわかっている規定を定めるのは法的拘束力をもつものとして不適切である。職務専念義務に関しては一般的表現にとどめるべきである。
8 第34条(服務心得)
第1項に「職員は、この規則、関係規程又は関係法令を遵守し、上司等の指揮命令に従って、その職務を遂行しなければならない。」とある。しかし、教員の活動のほとんどは、上司等の指揮命令に従って行なわれるものではない。教員については少なくとも別規定とし、「上司等の指揮命令に従って」の部分を削除すべき、あるいは他の表現に改めるべきである。
9 第35条(禁止行為)
第4号「その他法人の秩序及び規律を乱すこと」を削除すべきである。職員の権利を不当に侵害するおそれがある。
10 同第39条3項(終業時刻)
教員の終業時刻について18時15分として拘束時間を延長しているのは不利益変更であり、かつ合理的理由が存在しない。不必要に長い休憩時間を設け拘束時間を延長することは休憩時間の趣旨にも反する。
法人当局は運用細則により対処するとしているが、教員の終業時刻も当就業規則本則に17時15分と規定しておくべきである。
11 同第39条4項(裁量労働)
「任期付教員については、労基法38条の3に規定する手続を経て専門業務型裁量労働制を適用することができる」としているが、専門業務型裁量労働を適用しうるかどうかは業務の性格・様態にてらし法制上その要件が限定されている。要件に合致した労働者について労使双方の合意にもとづき裁量労働適用を決定するものであり、任期付教員に適用できるとしている本規定は根拠がなく削除すべきである。
12 同第47条(研修)
教員の長期にわたる海外研修などの機会がどのように保障されるのか不明である。研修規程によって明記すべきである。
13 同49条(懲戒の事由)
第5号「法人の名誉又は信用を著しく傷つけた場合」において、「法人」を「法人あるいは大学」とし、「法人あるいは大学の名誉又は信用を著しく傷つける行為に及んだ場合」とすべきである。大学のありかた、方針、制度についての自由な議論を抑圧するおそれがある。
第6号「素行不良で法人の秩序又は風紀を乱した場合」を削除すべきである。「素行不良」、「法人の秩序」、「風紀」はいずれも曖昧な概念であり、恣意的な解釈によって不当に職員の権利を制限するおそれがある。
第8号「私生活上の非違行為や、法人に対する誹謗中傷等によって法人の名誉を傷つけ業務に影響を及ぼすような行為があった場合」を削除すべきである。法人に関する自由な言論を圧殺する規定である。
第9号「又は前各号に準ずる違反があった場合」を削除、もしくは限定的な表現に改めるべきである。このような曖昧な規定があると、恣意的な解釈によっていくらでも職員の権利を制限することができることになる。
(2)任期規程
1 再任基準
公立大学横浜市立大学職員任期規程(以下任期規程)に再任基準を明示すべきである。
任期付教員が再任される場合の基準について任期規程は明示していない。有期労働契約において更新を認める場合、その判断基準が明示されるべきものとされており、法人当局も「普通にやっていれば再任される」という考え方を示している。この考え方を具体化した判断基準を任期規程に明記すべきである。
任期規程第5条における昇任規定は就業規則第14条の一般的昇任規定を援用しているが、就業規則第14条の昇任規定は抽象的一般的に昇任のあることを規定したものであり、任期付教員の昇任要件・基準については別途規定すべきである。
同第5条における降任について「就業規則第15条に基づく」としているのは不適切であり、本規程において降任の要件・基準を明示すべきである。
就業規則第15条の降任規定は、再任審査に基づく降任よりも広い降任要件を規定しており、任期制規程では再任審査によって降任と判断される場合の基準、要件を規定しておくべきである。
4 雇止と判断する基準・要件と降任と判断する基準・要件とのちがいが示されていない
同規程に基づく労働契約の更新・締結には、昇任、再任、降任の場合があると解されるが、雇止と判断する基準・要件と降任と判断する基準・要件とのちがいが示されていない。この点を明示すべきである。
5 同第6条(任期付教員の再任手続き)
再任審査について審査及び手続の客観性、公正性、透明性を義務づける規定を設けるべきである。
再任審査は任期付教員の労働条件に重要な変更を及ぼす手続きであり、審査が恣意的に行われることのないよう公正原則を明記するのは当然のことである。本規程がこの点にまったく触れていないことはきわめて遺憾である。
6 教員人事委員会の構成
同条において規定されている教員人事委員会について、同委員会を教員の業績等について客観的かつ適正に審査できる構成とする旨規定すべきである。
7 同第6条及び同第7条(任期付教員の再任審査)について
同第6条及び同第7条(任期付教員の再任審査)について、それぞれ審査手続き及び審査事項を、「学長が特に認めた場合」その「一部又は全部を省略することができる」としているが、これは再任審査の極度に恣意的な運用を可能とするものであり、削除すべきである。
法人当局は、この規定について、博士号を持たない教員の任期上限3年を2年延長する場合に備えた簡便措置であると説明しているが、これらの規定は実質的審査に基づかない再任審査を一般的に許容することとなり、再任審査の公正さを損なうものとなっている。
8 教育研究組織の議を経る旨規定すべきである
同第10条(その他)において、「この規程の実施に関し必要な事項は、経営審議会の議を経て理事長が定める」としているが、教員業績の審査にあたっては、その性質上、教育研究組織が実施の任にあたるものであり、教育研究組織の議を経ることが必要である。その旨規定すべきである。
9 助手及び準教授の再任回数に制限を設けるべきはない
同附則別表において助手及び準教授の再任回数を限定していることは合理的根拠がなく、教授と同じく再任回数に制限を設けるべきではない。
(3)年俸制規程
1 年俸制については、不利益変更が生じぬよう制度設計と規定とを行うべきである
公立大学法人横浜市立大学職員年俸制規程(以下年俸制規程)は、従来制度に比して不利益変更とならない年俸水準のレンジを明示すべきである。
年俸制の導入は、職位、経験年数、職務に応じて給与水準が定められ、昇給が行われてきた従来の給与制度からの大幅な変更であり、制度の変更提案にあたっては、不利益変更が生じぬよう制度設計と規定とを行うべきである。
2 従来の扶養手当、住宅手当、調整手当等を廃止して「職務給・業績給」原資に組み入れるとしているのは、業績評価に基づいて支給水準を決定する「職務給・業績給」の性格にてらし重大な不利益変更である
同規程第3条(年俸の構成)について、法人当局が従来の扶養手当、住宅手当、調整手当等を廃止して「職務給・業績給」原資に組み入れるとしているのは、業績評価に基づいて支給水準を決定する「職務給・業績給」の性格にてらし重大な不利益変更である。不利益変更とならない措置について規定すべきである。
3 年俸額の変動幅の限度を規定しておくべきである
同第3条について、評価結果に応じた変動幅の限度を規定しておくべきである。なお、そのさい減額幅について労働者の生活を不安定にすることのないよう規定しておくべきである。
4 管理職手当について、支給すべき職、区分及び月額について規程において定めておくべきである
同条6項は、管理職手当について、その支給すべき職、区分及び月額について理事長が別に定めるとしているが、規程において定めておくべきである。
5 同第4条(年俸の決定)では、公正かつ透明性のある評価を行う旨明記し、恣意的運用の余地ない記述とすべきである
同第4条(年俸の決定)について、「年俸額は、教員評価制度による評価結果を総合的に勘案して決定する」としているが、公正かつ透明性のある評価を行う旨明記すべきである。
また、「総合的に勘案して」とあるのは不明瞭であり、恣意的運用の余地ない記述とすべきである。
6 教員評価制度がどのように年俸決定に反映されるか規定がない
同条において、教員評価制度がどのように年俸決定に反映されるか規定がなく、その制度内容次第で大きな不利益が生じる恐れがある。労働者の給与水準を決定する重要な規定が欠落しており、労働条件明示の原則からみて問題である。
7 雇用の定めのない教員について、降任、昇任時の年俸決定について規定すべきである
同条2項、3項は任期付教員のみについて規定しており、雇用の定めのない教員について、降任、昇任時の年俸決定について規定すべきである。
8 事業場外の勤務にかんする条項を設けるべきである
公立大学法人横浜市立大学職員の勤務時間・休日及び休暇等に関する規程に事業場外の勤務にかんする条項を設けるべきである。
法人当局は当初案として示された事業場外勤務にかんする条項(「職員が出張その他の勤務場所を離れて勤務する場合で勤務時間を算定し難い場合は、上司が特に命じた場合を除き、就業規則第41条第2項に定める時間を勤務したものとみなす。」)を説明なく削除しているが、この条項を復活すべきである。大学教員の勤務については、その特性から国立大学法人においても同様の条項をおくのが一般的であり、削除する理由はない。
(4)兼業規程
理事長の許可が必要な兼業についての規定を限定したものとするべきである
公立大学法人横浜市立大学職員兼業規程第3条(兼業の種類)及び同12条(営利企業以外の団体の兼業)は、職員が勤務時間外に従事するあらゆる活動について理事長の許可が必要としているが、これは憲法上認められた市民活動の自由及び学問の自由に制限を加える条項であり、より限定した規定とすべきである。
Ⅲ 就業規則の見直し
以上のように提示された就業規則は多数の不備、不整合をふくんでおり早急に見直しが必要である。未整備事項をはじめ就業規則の見直しに向けた組合との誠実な協議・交渉を行うべきことを強く求めるものである。
以上。
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320 mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
教員組合ホームページ http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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7月15日 大学評価学会の秋季研究集会のプログラム案内が出来上がった。教員評価問題が一つのテーマである。
本学の場合、その教員評価の委員会のメンバーも、自主的な選出というものではない。すべてが管理主義的に上から任命されるシステムとなっている。
教員評価の大学側頂点における学長、経営側頂点における理事長・副理事長がすべて外部から任命されているわけで、その下の管理職もすべて任命制。そのようなところでの教員評価システム,ということが,根本問題だろう。自主的自治的な評価システムとなっていないから。
SDシートなども、自己目標の設定というきわめて自主的なはずの目標設定において管理主義的介入があった。
教員評価と処遇の関係も、一方で不明確なまま(昨年夏の試行案と多くの教員の反発や批判を受けての路線修正、その未提示?)であると同時に、他方では「最低の評価の可能性」による脅かしでSDシートへの記入を強制しようとする姿勢といった問題が、この間、われわれが経験したところである。
先の教員組合の代議員会と総会で出た新たな重大問題としては、大学院手当て問題がある。
手当ては、処遇の重要な構成要素である。その削減や廃止は、当然にも労使交渉事項である。
ところが、その議題(提案)は、3月締結の労使交渉においても、その後の組合執行部との日常的折衝のなかでも、当局からは一切出されなかった。
大学院手当てを、何を基準にして、どのように支払うかは、大学院担当の教員の職務・負担のあり方と密接に関わる。
そのきちんとした議論と折衝なしに、一方的に削減・廃止措置を執行することは、良好な労使関係では考えられない暴挙である。これに関しては、非常に強い抗議の声が上がった。執行部は、この問題もきちんと議論し、折衝(団体交渉)していく責任を負った。
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7月12日 6月27日提出の質問状への学長の回答(7月11日付)が、今朝、ボックスに入っていた。予想よりも速やかな回答時期に関しては、喜びたい。しかし、実質的内容はまったくないに等しい。
教授会で人事を審議しないのは、学校教育法の規定からして、合法だという。
それでは、かつての学則や教授会規定はなんだったのか? 大学自治の基本に、人事があるというのは、憲法のスタンダードな規範的理解である。(芦部『憲法』)
学校教育法に「人事」がないからといって、教授会・大学(評議会)に人事の自治的決定権がなくていいというのか?
その憲法的保障は無視していいのか?
「オンリーワン」の本学は別として、日本全国、そして今回確認したドイツでも、教授会が人事案件の審議において決定的に重要な役割を担っている(責任と権限)。それこそが大学自治において、学問の自由において決定的な意味を持つからである。そうした根本問題には何も答えようとしない。今回の学長回答が適正なものであれば、日本全国のほとんどの大学は、必要もない審議を教授会でやっていることになる。全国の教授会・大学(評議会)を愚弄するものではないか?
言葉だけは、「大学の自治に配慮する」としている。それことをこそ、われわれ教員有志も、教員組合も求めている。
回答は、「公平性・透明性・客観性を保つため学長の下に人事委員会を置き審議している」という。
しかし、まさに、その人事委員会の審議が、透明でなく、客観的でなく(客観的説明責任を果たして折らず、その客観的説明のための各種資料が公開されていない)ということ,その疑念について具体的にいろいろと問題点を指摘し,質問している。
かつてなら教授会で公開されていた資料さえ、まったく出されていないのではないか、作成されてさえいないのではないか。
審査の手順が大学の自治の原則に反している、教授会(少なくとも代議員会)の意向をたずねることすらしていないではないか、といった点が、この間の教員有志や教育組合の質問の要点である。
審査の公正性というが、教育研究審議会のメンバーはどのようにして選ばれたのか? 誰が選んだのか?
そのメンバーに関して、どこに自治的な選出の手順、選出規則、その他があったのか?
回答は、質問の要点をそらし、制度の表面的な文言だけを並べているに過ぎない、と感じる。
多くの教員は、とりわけ、若手教員は、今回の回答に納得するだろうか?
明確な説明なしに、4月昇任を拒否されている教員たちは、この回答をどうみるか?
諦観か?
10年以上にわたる旧学部での昇任審査を見ながら、業績をつんできて、突然、理科系基準の画一的適用で厳しくなるのは不当である。
(文科系、特に文学系で博士号を持たないのは今なお圧倒的多数だが、理科系は逆に博士号を持たない教員のほうが例外であろう。専攻による違いはどのように判定されたのか?)
その点は、今回の回答でも「経過措置」をとることに関連して言及がある。不昇任の場合、この「経過措置」はどのように判断基準に組み込まれたのか?
次の質問状を考えていかなければならないだろう。いや、団交か?
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7月6日 週報発行。
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7月3日 ドイツ出張で不在中に連絡を受け、昇任規程改正問題に関する学長への公開質問状を出すことに賛成し、賛同者の一名に加わった。組合からも昇任問題で質問状を出しているが(6月19日付の回答はまったく納得できないものである)、それと重なり合う部分もあるが、改めて学校教育法との関連を正面から問いただす教員有志としての6月27日提出の公開質問状を以下に掲げておこう。
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質 問 状
ストロナク横浜市立大学学長殿
平成19年6月27日
横浜市立大学教員有志
一楽重雄 吉岡直人
永岑三千輝
平成18年11月10日に施行された教員昇任規程、及び教員昇任内規についてお尋ねします。
教員の昇任の規程は、大学にとって重要事項であると思います。この規程の改正は学校教育法59条により教授会審議が必要であったのではないでしょうか。当初規程が制定された際には、コース長等が案を作成したと聞いていますし、教授会代議員会においても報告がなされました。この改訂については、そのような手続きもとられず直接人事委員会で審議され、教授会代議員会への報告もなされていません。
4月に発令された昇任人事と照らし合わせると、大学の管理職人事を円滑に行うために特定の人物を昇任させることを意図してこの改訂がされたのではないかという疑惑が生じます。もし、そのようなことがあったとすれば、大学の根本を揺るがす重大な問題です。仮に昇任審査をいくら公平に行ったとしても、審査基準自体を変えてしまったのでは、人事の公平性が保たれるわけがありません。
私たちは、4月の昇任人事において以前の規程では昇任の資格のなかった人が昇任を発令され、十分な資格を持った人が昇任されなかったという事実があったのではないかとの疑念を持っています。このようなことがあったとすれば、この規程の改訂が今回昇任されなかった人については重大な不利益を生じさせたことになったと思われます。
このような改訂が、教員全体に一言も説明されないまま、いつのまにか実施されたことは大学運営の基本に関わる重大な問題です。
現在、教員評価制度が実施されようとしていますが、評価の最重要事項のひとつである昇任の問題がこのように不透明で公平性を疑われるようなことでは、とても教員評価などができる状態ではないのではないでしょうか。
人事の透明性と公平性を確保することを改めて要求すると同時に、以下の質問にお答えくださるよう求めます。文書による速やかな回答をお願い致します。
1.これらの規程・内規と以前の規程・内規との違いをお知らせください。
2.それぞれの改訂の理由をお知らせください。
3.教授会代議員会で審議しないことは、学校教育法59条に違反していると思います。この点について、学長の見解をお知らせください。
4.教授会代議員会で報告すらされなかったのはなぜなのか説明してください。
5.「経過措置」なるものが,規程制定後一年近く経過してから設けられたのは不自然です。このことの理由を説明してください。
以上
参考:学校教育法
第五十九条 大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。
○2
教授会の組織には、准教授その他の職員を加えることができる。
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7月2日 ドイツ出張(ベルリン)を終えて、今朝、帰国。
今回は、ドイツ連邦文書館での科研費史料調査、ケルブレ教授との翻訳の打ち合わせのほか、招聘者のケルブレ教授のSFB(特別研究領域Sonderforschungsbereich)の一環としての講義シリーズ[1945年以降の社会史―世界的比較―]の分担(「日本における新自由主義の潮流と大学改革」)を引き受けた(滞在費はSFB,ベルリン大学から出たが)ので、その最終準備が大変だったが、なんとか無事やり終えることができた。ケルブレ教授から「professioneller Professor」とほめてもらったのはうれしかった。「特に、アンガジーアトしているテーマなのでよかった」とも(講義草稿はいずれ論叢で公開したいと考えている)。
午後から、出張中の組合関係の情報を中心に整理。
当局からの昇任問題に関する回答(6月19日付)を見たが、教員評価問題に関する学長の回答と同じく、法人化の際の一般的な方針や原則だけをのべるだけで、今回の昇任問題に関してなんら具体的な内容のある回答とはなっていない。このような不誠実な回答をしながら、他方では、4月不昇任の教員に対する説明責任抜きの不利益措置を続けているわけである。これが、現在の法人の姿勢であり、学長の姿勢である。
法人化に際して、また中期目標の制定に際して、大学自治に基づく合意形成をしないままで「決定した」方針や目標を、大上段に掲げて押し通そうとしているわけである。「全員任期制」をあくまで掲げ、しかるべき新たな提案や制度設計は何も示そうとしていない。これは実に楽なやり方である。これでは、ただただ法人化の際の「理念」「目標」に固執して経営者(理事長・副理事長)としての任期の4年さえ勤め上げれば、その背後でどのようなことが起こっても、後はどうなってもいいかのようである。誠実な姿勢は感じられない。
新規採用者で「任期制」を受け入れざるを得なかった人々に対して、どのように将来的に安定した身分保障をするのか、すなわちテニュア制度はどのようにして具体化するのか、その場合の審査基準や審査手続き、審査体制などに関して検討すべきことを何も示そうとしない。
不安・不安定であるが故に従順な教員を作り出すことが、大学の使命だと考えているかのようである。「活性化」とは反対となろう。
ベルリン出張中に、招聘してくださったケルブレ教授とも何回か本学の問題に関して話した。
そのなかで、ドイツではこの2年間の新しい制度としてjunior-Professorの制度が導入され、ベルリン大学では50人のjunior-Professorが採用されたこと、そのなかからすでに15人が正規の(つまりテニュア付の)教授に昇進したといったことをうかがった。制度発足後の2年で、教授資格論文(著書)を書くことができるような優秀な人材が、講師部分の中にたくさんいたということが示されている。本学の場合、教授になるときに「任期制」を「任期制不同意=不昇任」の具体例を隠然公然と見せ付けられ強制される。
(今回の当局回答によれば、研究教育支援でも差別すると明言しており、他にもさまざまの差別手段を計画していることがわかる。業績に対してではなく、業績を上げる前提のところで差別するというわけである。任期制に同意しない限り、研究条件教育条件でも差別するというのである。任期制に同意しないが故に研究教育条件で差別された若手研究者は、すべての意味で絶望的にならざるを得ない。これは恐ろしい。他方、現在では70%とか75%とかの人が任期制に同意しているとされるが、そのような大量の人の研究教育条件を目に見える形で上位に差別化する予算はどこから確保するのか?どのような名目と合理性において?不同意者から研究費を取り上げて、まったく研究教育ができないような状態に追い込むのか?そもそも「全員任期制」ということとインセンティヴとしての差別条件とは矛盾しているのではないのか?結局は、任期制不同意者のパーリアを作り出すことが改革の目的なのか?それで、生き生きと自由な研究教育は可能か?)。
若手は、業績を上げて意気揚々と昇進するのではなく、業績をつんで教授資格相当となると、「任期制に同意しなさい」と不利益措置を強制される。これは実に不当ではないか?諸外国の制度におけるテニュア制度とはまったく逆のやり方である。世界で唯一つのオンリーワンではあるかもしれないが。.
不安定・不安な身分の講師時代が長く続くのでは、優れた人材を大学に獲得できない。大学に優れた人材を集めるために、ドイツでは制度改革をしているのである。その目玉が、ドイツの場合、このjunior-Professor制度である。
それに引き換え、本学では、昇任を控える若手の教員に対して、むしろ、身分不安定化を強制しようとしている。「普通にやっていれば」心配ないという曖昧な基準は、その審査主体・審査機関・審査基準が大学自治の原則に基づいて遂行されない以上、不安と恣意とを撒き散らすだけである。
その曖昧な基準を表面上緩めるような「理事長コメント」を出しても、今回の4月不昇任問題が示すように、基準が明確でなく、審査過程も不明確で、教員組合に対する回答もなんら実質的は答えとなっていないというような状況では、昇任を控える若手教員の不安・疑心は増すばかりだろう。つまり、本学の法人のやり方は、本学の優秀な若手ができるだけ早く逃げ出そうとすように仕向けている、といわなければならない。そのような精神状態の悪しき結果が出てくるのは、おそらくは現在の経営陣が無事任期を勤め上げた後だろうから、責任を問われることもない。この間の組合の何度もの質問に対する当局の反応は、そうとしか受け取れない。
新任採用に当たっては、ベルリン大学は、他の大学でもそのようであるが、教授評議会が自立的な委員会を構成し、3名まで順位をつけて推薦し、それをもとに決定するそうである。その場合、よほどのことがない限り、第一位のものが採用されるのが慣例となっている、とのことだった。
ベルリン大学のそうした人事規程は、公開されているか、とたずねたところ、秘密にすべきことではなく公開している、ホームページでも公開されているはずだが、もし必要なら、私が送ってあげる、といってくれた。
今後必要なら、ベルリン大学の規程とその運用も調べる機会があるかもしれない。